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Apr 12, 2010
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カテゴリ:武辺者
 

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        「死に遅れた男」

「お頭、やりましたな」  鍬形四郎兵、磯辺、生駒が興奮している。

 これでお頭も堂々たる浪人大将となったのだ。

 この頃を契機として天下の高名な武将連が続々と入城を果たしてきた。

 後藤又兵衛基次、長宗我部盛親、薄田兼相、毛利勝永。更に六紋銭の旗印

をはためかせた真田幸村が、三千の正規軍を率い入城してきた。

 大阪城の士気は一気に高まった。

 真田幸村は天王寺口の外に砦を築くことを願い出て許された。

 大阪城に出城が出来たのだ、これが有名な真田丸である。

 城攻めの苦手な家康が天王寺口方面に兵力を集中すると読んだ幸村の

戦術であった。戦機が徐々に熟し、慶長十九年十一月十五日に戦端がひらか

れた。これが大阪冬の陣である。

 家康は二条城から出陣し住吉に本営を構えた。秀忠は平野の陣を敷いた。

 徳川勢の軍勢は二十万、対して大阪城に籠もる兵は約十万の半分であった。

 大阪城の大広間に軍議の席が設けられた。秀頼が中央に座り淀の方や側衆

の大蔵卿などの女衆までが居流れている。

 庄兵衛は末席に加わっているが、この軍議の席が面白くなくてしかたがない。

(軍議の席に女子供か)  独り言が口をついて出た。

「お静かに」 傍らの浪人大将とおぼしき男が声を低め注意した。

 上座に座る大野修理、大野治長、木村重成に後藤又兵衛が口火をきった。

「我等には天下の名城がござる。籠城策が最善かと勘考仕る」

「後藤殿とは思われぬお言葉にござるな。籠城とは何れ味方が馳せ戻ってくる

場合に限ります、我等の味方は何処にござる」

 大野修理がしたり顔で反論した。

「修理殿は野戦ににて家康と対抗すると申されるか?その戦略はいかがにござる」

「・・・・」 大野修理が口ごもっている、彼は何も戦略案を持ち合わせた武将で

はなかった。

「この大阪城で徳川勢を釘づけにいたす。家康は野戦の名手ですが城攻めは

苦手としております。決して敗ける戦にはなりませぬ、さすれば日和見の

豊臣恩顧の大名からもお味方に参ずる者も現れましょう。血気に逸った作戦

は無用とお答え申す」

 後藤又兵衛が野太い声で応酬し、庄兵衛も我慢の限界を迎え口火をきった。

「天下の名城に籠もる我等には敗けるいわれはござらん。幸い真田様が出城を

造られた、敵の主力は必ず真田丸に集中しましょう。我等は戦機を逃さず討っ

て出て、敵を殲滅する事かと心得申す」

 この進言で喧々囂々とした、小田原評定に終止符がうたれた。

 合戦は後藤又兵衛が見通したように家康は力攻めを避け、豊臣方の戦意

喪失を計る戦略をとった。

 家康は堅固な城攻めを避け、包囲網を狭め淀川本流を塞き止め、天満川

下流の水量を減らし、大阪城の濠の水量を減らす作戦にでた。

 その一方で海上へと繋がる豊臣方の穢多崎砦を蜂須賀勢が攻め寄せ奪取す

る戦闘が始まった。さらに天満川北岸の今福に佐竹勢が攻撃を開始した。

 南岸の鴫野は上杉勢が攻めかかり、冬の陣の最大の激戦が幕をあけた。

 大阪方も負けずと大軍を繰り出し、小競り合いが続いたが両軍とも決定的な

戦果をあげるに至らなかった。

 徳川勢は兵力を集中し真田丸に攻め寄せた。庄兵衛は願い出て真田丸の裏

手に兵を進めていた。

 家康の真骨頂は野戦であったが、幸村の巧みな采配の前で手痛い損害を出

し、その度に攻撃部隊が頻繁に変わっていた。

                       続く







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Last updated  Apr 12, 2010 12:26:24 PM
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 こんにちは   素浪人199 さん
今も残る真田山あたりでしょうか!
このへんの歴史は解らないので楽しみです!

移動中に書いてます! (Apr 12, 2010 01:19:49 PM)

 Re:武辺者(20)(04/12)   abilitgrunavi さん
今回は短編ですか?
期待しています。 (Apr 12, 2010 07:11:26 PM)

 Re:武辺者(20)(04/12)   なふら さん
こんばんは♪

昨年 大阪城を見て来たのであのあたりかな
どのあたりかなと思いをめぐらせて読ませていただいています。

続きを楽しみにしています!(^▽^) (Apr 12, 2010 07:39:36 PM)


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