長編時代小説コーナ
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龍5777
基本的には時代小説を書いておりますが、時には思いつくままに政治、経済問題等を書く時があります。
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「死に遅れた男」 淀の方をはじめ大阪城の女供は恐怖した。それを家康は待っていたのだ。 家康は頃合をみて和議の使者を遣わした、それも淀の方の取り巻きの女供と 己の愛妾である阿茶局を表にたて、女同士の話し合いにもちこんだのだ。 諸将連は恐れることはないと懸命に説得したが、女供は大筒の威力に腰を ぬかしていた。家康の心理作戦が効を奏した訳である。 十二月二十日、大阪城の総構の撤去を条件に講和が成立した。 この総構とは総曲輪ともいう。城郭の土塁、石垣、空濠などの施設、 いわゆる外濠などがこれにあたる。 関東勢は撤退し、かわって人夫達が続々と大阪城に集まってきた。 和議の条件である外濠を埋めたてる人夫達である。 関東勢は和議の条件を無視し内濠も全て埋めたてた。みるみる天下の 名城である大阪城は裸城になり、軍事的機能を失った。 籠城した将兵はその有様をみて退散する者が続出した。このような城では 合戦は出来ぬ、加持勢も半減していた。 「そち達は見限らぬのか?もはやこの城では功名手柄をあげる機会は去った。 悪戯に命を粗末にせず退去いたせ」 庄兵衛は残った者達に撤退するよう語った。 「我等は、お頭に命をあずけ申した」 「我等は一期の誉れにお頭とご一緒に死花を咲かせる所存にござる」 一同の面が揃って見える。 「さても物好きが揃ったものじゃ、さらばわしと共に冥途に逝くか」 「おうー」 鍬形四郎兵、磯辺隼人、生駒軍兵衛が雄叫びをあげた。 「わしの存念を申し聞かす、この小勢で戦うは無理じゃ。しかるべき武将と 合流いたす」 庄兵衛の言葉に生駒軍兵衛が剽悍な眼を向けた。 「どなたにございます?」 「真田幸村殿じゃ」 その言葉に全員が賛同した。 「我等も賛成にござる、六紋銭の旗印のもとで死するは本望」 「そち達の命はわしが預かった。加持勢の面目を示すのじゃ」 こうした状況下、加持勢と同じく結束を固めた将兵も数多くいたのだ。 真田勢や長宗我部勢などの元大名が率いる兵と、後藤勢のように又兵衛の 個人的魅力にひかれた者達であった。 たが籠城の総兵力は冬の陣での戦士者や、撤退した者の目減りで今や半数 の五万名となっていた。 大阪城に籠もる諸将はすべてを見通していた。すぐに和議は流れ合戦が 始まろう、これが戦国最後の戦となる。 野戦に長けた家康に対し野戦でもって戦う、戦国武者としてこれ以上の 晴れがましい舞台はない。屍を野に晒すとも骨がらみとなって我が名の高名を あげる。籠城戦が出来ない状況下ではそれしか道はないのだ。 こうした中でまだ勝利を捨てない武将がいた、それは真田幸村であった。 戦国最後の生き残りの老狸の武将を狙う、その武将が徳川家康であった。 奴の首をあげれば大阪方にも微かな光明がある。それには合戦と同時に 家康の本陣を掴まねばならぬ、奴め何処に本陣を構える。 幸村は智嚢を絞っていた。 「殿、加持庄兵衛殿が面会を求められております」 部屋の旗本が庄兵衛の来訪を告げた。 「加持殿が、お通し申せ。すぐに参る」 幸村は普段着のまま客殿へと向かった、噂は耳にしているが猪武者と考えて いた。 「お待たせ申した」 「加持庄兵衛にござる」 幸村の前に眼光鋭い武将が待ち受けていた。 続く
武辺者(29) Apr 22, 2010 コメント(4)
武辺者(28) Apr 21, 2010 コメント(3)
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