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Apr 14, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」 (70)


「景勝さま、先年、小早川隆景(たかがげ)さま急死により、五大老の座が

空席にございます。この転封を機とし、五大老の就任をお願い仕ります」

「三成、よう申した。これで豊臣家は盤石じゃ」

 秀吉が老醜の顔を歪め、歯の抜け落ちた歯茎をみせ肯いた。

 こうして景勝主従は破格の提示をうけ屋敷に戻った。

 ここで天下の動きを語っておく必要があろう。

 太閤と三成には悩みを抱えていたのだ、それは秀吉の甥の秀秋のことであ

る。彼は秀吉の正室の北政所の兄の、木下家定の五男として誕生し、幼少

から秀吉の養子となり寵愛されていた。

 秀吉は秀秋の将来を思い、毛利輝元の養子に送り込もうと画策したが、

小早川隆景が宗家の血統が途絶えることを憂い、己の婿として引きとった。

 秀秋の性質は愚鈍で驕慢であったが、隆景が健在のあいだは馬脚を現さな

かった。併し隆景の死によって家督を継いだ秀秋に、秀吉は朝鮮再征の総帥

に命じた。秀秋十六歳の時であった。

 ここで彼は早くも馬脚を現す結果となった、秀秋は黒田官兵衛、山口弘定を

はじめ四十二名の大名を率い、総勢十六万三千名でもって朝鮮に上陸した。

 第二次朝鮮の役で有名な蔚山の籠城戦で、窮地にたった加藤清正の急報

を受け、秀吉から付けられた輔役(もりやく)の山口弘定の諌めも聞かず、歩騎

三万名の先頭に立って出撃し、明軍に突撃し敵兵の雑兵と渡り合い十三名を

斬り捨て得意となっていた。

 こうした秀秋の行動が秀吉の許にもたらされ、秀秋は本土に呼び戻された。

 秀吉は老巧な諸将を大切に扱い、その意見に従うように諭したが秀秋は

大いに反発し、秀吉の怒りをかい筑前、筑後を召し上げ越前に移そうとされ

た。この際に秀吉から石田三成に小早川家の筑前、筑後の旧領を与えると

の内意を受けたが、これを固辞している。

 更に三成は禄を減らされた小早川家の家臣を、積極的に召し抱えた。

 そんな中に勇士で名高い、曾根高光もその一人として石田家に仕えている。

 石田三成の人柄は高慢で、人を見下し冷徹な男と評価されていたが、これ

は豊臣家の安泰を願う、彼の真面目すぎる仕置きが諸将等に恨まれたことが

原因であった。

 また蒲生家が宇都宮に転封となり、家禄を減らされた際も積極的に蒲生家

の家臣を己の家臣に取り立ている、なかでも天下の知将として名高い、蒲生

郷舎(さといえ)旧名は横山喜内も、三成を慕って仕官している。

 こうした石田三成の行状から察すれば、彼の人柄はおのずから判断できる。

 後年の関ヶ原合戦の折りに、三成が最も信頼していた島佐近が初戦で負傷

し、指揮が執れないと知った蒲生郷舎は、前線で石田勢の指揮を執り続け

壮烈な最後を遂げるのであった。

 更に敵将の徳川家康を驚嘆せしめたことは蒲生家から、石田家に仕官した

将兵の屍が全員、前を向いて戦死していることであった。

 この意味は敗戦と知っても、敵勢に向って憤死したことを示すことである。

 いかに蒲生氏郷と石田三成が将兵に信頼されていたか分かる一事である。

 上杉屋敷の居間で景勝と直江山城守が酒を酌み交わしていた。

「山城、会津転封となれば反対する者も出ような」

 景勝の顔に憂愁の色が刷かれている。

「お屋形、ものは考えようにござる」

 兼続が盃を置いて景勝に語りかけた。

「・・・・」

「恐れ多いことながら、太閤殿下の命運は尽きましたな」

「あのご様子はただ事には見えぬな」

 景勝が無意識にたくわんを口にし、小気味よい音をたてた。

「それがしの憂いは豊臣家の直轄地にござる」

「徳川の狸の直轄地は己で手にした領土じゃ、その上に関東に纏まっておる」

「左様にござる。一方の豊臣家は全国に散らばり、それらを代官地として大名

に管理を委託しております」

「・・・・」

 景勝は山城守が何を言うのか分からず、無言をとおしている。

「越後から上杉家が会津に移れば、後任の大名が越後を差配いたします。

我等はその前に息のかかった家臣共に、意を含め残って貰いましよう」

「成程な、狸がいらぬ動きをしたら、会津と越後で挟み撃ちにいたすか」

「御意に」

 直江山城守が白皙の顔を酒で染めて肯いた。


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Last updated  Apr 14, 2012 11:42:12 AM
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