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Feb 5, 2015
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「上洛への布石」(93章)


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      (京の状勢)

 信玄と父、信虎の上洛への執念で武田家は愈々、上洛に向うことになるが、

その戦略の前進に大きく係ることに成る人物が、織田信長である。

 ここで物語を進める上で、信長の動きを書き記すことが必要と思い、

年代が上下するが、筆者の勝手で物語の進行を変更する事としたい。

 岐阜城下に再び山本勘助と小十郎が姿をあらわした。城下町は斉藤家が

支配をしていた頃の面影はまったく感じられない。

 稲葉山城あらため岐阜城と改名した信長は、城下町の拡大に努め建築工事が

至る所で行われていた。

 同時に岐阜城の改修も実施され、四階建ての南蛮風の居館が建築中であった。

「豪華絢爛たる巨城にございますな」

 小十郎が例の抑揚のない声をあげ、巨大な城郭を見上げている。

 二人とも昔と異なり、身形も立派と成っていた。

 これは信玄の好意であり、京の信虎も潤沢な資金を送られ悠々自適の

生活を送っていた。

「信長が天下を取るかもしれぬ」  

 山本勘助がぽっりと呟いた。

 二人は工事の雑音と人々の喧噪に包まれている。

 ここ数年間、信長の行動のみを眺めてきた勘助は、信長の発想力と才能に

驚かされてきた。

 とり分け彼の行動力の凄まじさは衆人をはるかに抜きんでていた。

 三好三人衆と松永久秀の担ぎだした、足利将軍十四代の義栄を押さえ込み、

足利将軍家の家督相続者以外の子とし、慣例により仏門に入っていた覚慶と

名乗る、一乗院門跡となっていた人物が、後年の将軍、足利義昭である。

 彼は兄、義輝が松永久秀に暗殺されると、幕臣の細川藤孝等の助けで奈良

から脱出し、還俗し義秋と名乗っていた。

 義秋は流浪の末に、越前の朝倉義景を頼って助けを乞うた。

 併し凡庸な朝倉義景は、将軍後継者の義秋の価値を知らず持て余していた。

 その話を耳にした信長は、足利義秋を美濃に招き、名前を義昭と改めさせ。

上洛し第十五代将軍の座に就けた。その力量は注目に値する出来事であった。

 その頃の織田家はさほど軍事力もない時期であったが、彼は成し遂げたのだ。

 更に遡って永禄七年には美貌で名高い、自分の妹のお市の方を、近江の浅井

長政に嫁がせ浅井家と同盟を結び、北伊勢までも平定したのだ。

 いずれも京に出る道筋に当たり、その戦略眼は目を見張るほどであった。

 上洛の際の織田軍の軍律の厳しさは、猛烈と言うよりも峻烈と表現した

ほうが適切であろう。違反する軍兵は自ら手に懸けた。

 尾張の大たわけ者と言われた小童が過去の天下取りに失敗した事例を知り、

その轍を踏まぬ事に勘助は仰天していた。

 木曽義仲でさえ、京に軍勢を入れるや配下の将兵が京の人々に乱暴狼藉を

行い、京都の人々に嫌われ天下を逃したのだ。

 今の京都は平穏である。将軍義輝を殺めた松永久秀を許し摂津攻めに使い、

三好勢を山城から駆逐し阿波に追い落とした。

 昨年は但馬を平定し南伊勢の豪族北畠具教(とものり)も信長の前に膝を屈した。

 これで伊勢全土の平定を終え、近畿地方のほとんどが織田領となったのだ。

だがこの美濃の地だけが、二人の眼から見ても慌しく感じられた。

「小十郎、信長またもや何事か策しておると思われる、探って参れ。わしは

いつもの旅籠におる」  

「はっ」  

 小十郎が短く答え雑踏に消えうせた。

 勘助は常宿の二階から街道の雑踏を見つめている。

「うん」  

 思わず首をひねった、雑踏に雑じり一人の尼さんの姿が隻眼に映った。

「お弓殿じゃ」

 尼さんは笠を差し上げ、宿の前で二階を仰ぎ見てニッと笑みを浮かべた。

「矢張り、お弓殿か?」  

「あい勘殿、お久しぶりにございますな」

 お弓が声をかけ暖簾をかき分け、すぐに部屋に尼姿を現した。

「良くここが判りましたな」

 訊ねながら、かわらぬ美貌をもつお弓に勘助が声を枯らしている。  

「小十郎は、わたしの配下ですよ。お忘れですか?」

 お弓の声が優しくく耳朶に響いた。

「・・・-、じゃが少しも変わりませぬな」

「もう婆ですよ。勘殿は少しおつむが薄くなりましたな」

 お弓が勘助をからかい、一時、昔話に花が咲き久闊を懐かしんだ。

「そうじゃ、わたしは数年前にお麻に逢いましたぞ」  

 唐突にお弓が話題を変え、お麻の事を告げた。

「達者でおりましたか?」

 勘助の胸中に幼かったお麻の顔が走馬灯のように駆け抜けた。

「あい、御屋形が余の妹に逢って参れと仰せられ、心の臓が凍えましたぞ」

「なんと、御屋形はお弓殿の娘子と知って居られたましたか?」  

 この言葉は勘助にとり驚くべきことであった。

 御屋形は大殿とお弓殿の間に産まれた事を承知されていたのか。

「脇差から察しられた模様です」

「・・・・」  

 勘助が言葉を飲み込み、お弓の顔をまじまじと見つめ訊ねた。

「左様か、流石は御屋形さまじゃ。ところでお弓殿は何才になられた?」  

 勘助の問いに、お弓の顔にふっと恥じらいの色が浮かんだ。

「別れて九年になりますぞ、四十六才となりました。互いに年老いるも仕方が

ありませぬな」  

 お弓が遠くをみる眼差しをしている。

「まだ若い、お弓殿が羨ましいわ」  

 勘助が往事を偲び隻眼を細めた。

 お弓は肉が付きふっくらとした姿と成っているが顔つきは昔のままである。

「何度も、勘殿はわたしを抱いて下されましたな」  

 お弓の眸子が濡れぬれと輝き、勘助の異相にそそがれた。

「もう、わしは女子の用はなくなり申した」

 勘助が自嘲を込め、お弓に告げた。

 お弓が暫く思案しニッと微笑みを浮かべた。

「小十郎が戻りましたら甲斐に向かわせますが宜しか。戻るまではわたしが

勘殿の面倒はみます」  

「なにか御屋形に急用でもござるか?」

「今宵は三人で飲み明かしましょう、その際にお話いたします」

「そうじゃな、わしも信長の事で話がござる」

「ところで勘殿、お麻の事じゃが、御屋形さまが忍びの者にはさせぬと仰せられ

ました。わたしは諦めましたぞ」

「女子の身で修羅場は酷い、ましてお麻殿は御屋形の妹にござるぞ」  

「正直、わたしも安堵いたしておりますぞ」  

 二人が黙して顔を見つめあった、無言の裡でも心が通いあっていた。  

「男と女子とは不思議な生き物」

 お弓が小さく含み笑いを洩らした。  

「わしはそなたが好きじゃ。逢えて良かった」

 勘助が、尖った左肩を撫でさすりしみじみとした口調であった。

「わたしもです」  

 喧騒の中で二人だけの世界に浸っている。

 勘助の隻眼に、お弓の胸の隆起が眩しく映った。


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Last updated  Feb 6, 2015 04:22:48 PM
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