長編時代小説コーナ

2015/05/27(水)17:28

改定・武田源氏の野望

武田信玄上洛の道。(115)

「信玄の戦略」(114章) (信玄、死を悟る) にほんブログ村 にほんブログ村  武田忍びの頭領、河野晋作も信玄から直に聞かされ承知していた。  その為に塗輿を担ぐ人足は、すべて忍びの者に変わっていた。  信玄は戦塵のなかで病と闘うよりも、暖かい布団でゆっくりと療養したい、 そうした願いでこの鳳来寺に来たのだ。  信玄は鳳来寺の客殿で体調の戻るのを待っている。  ようやく容態も安定し、顔色に血色が戻ってきた。 「余は病魔をねじ伏せた」    それがつかの間の事とは分かっているが嬉しかった。  季節は三月を迎え、野鳥のさえずりが心地よく聞こ始めた。  天下の耳目は信玄の動向を注目している。昨年は遠江の三方ケ原で、 徳川、織田の連合軍を完膚なく破り三河に進出し、徳川家の重要拠点、 野田城を攻略し、ぴたりと動きを止めている。  信玄の次の標的は何処か、色んな憶測が飛び交っているが、武田勢は 鳳来寺に滞陣し動く気配をみせない。  こうした状況下の京で二月十三日に将軍義昭が、信長打倒の兵を挙げた。  この背景には信長包囲網の完成にあった。  信長の本拠尾張、美濃は西に石山本願寺、三好三人衆、六角承禎(じょてい)、 浅井長政。南は長島一向門徒、北には朝倉義景、加賀一向門徒、東には天下 最強の武田軍団が迫っていた。  義昭は浅井家、朝倉家に決起の御内書を発し、本願寺にも近江で蜂起する よう要請し、受けて、顕如は近江の慈敬寺に門徒衆の決起を命じた。  義昭は御所の強化の為に濠普請を行い、近江石山と今堅田に砦を築いた。  義昭の戦略は、信玄の発病で絵に書いた餅となっているが、彼は知らず、 ひたすら信玄の上洛を待ち望んでいた。  信長は義昭を牽制し、岐阜で信玄の進攻を戦慄する思いで待ち受けている。  彼の膝元の東濃では武田勢に明知城を攻略され、彼等の動きは烈しさを増し、 虎視眈々と岐阜城を窺がっている。  これが信長の置かれた情況であり、桶狭間につぐ最大の危機を迎えていた。  だが信玄は三河で動きを止め動く気配を見せない、それが不気味であった。  信玄の臥所に馬場美濃守と高坂弾正の二人が、忍びやかに訪れて来た。 「両人、来てくれたか」   「御屋形、今朝は血色も宜しいようで」 「心配をかけさせたの、信昌、余は起こせ」  信玄が起き上がり、脇息に身をあずけた。傍らには今井信昌が控えている。 「御屋形、お聞き苦しいとは存じますが、ひとまず甲斐にお戻り下され」    馬場美濃守が強張った顔付で声を励まし、忠告をした。  病み衰えた信玄の眼光が鋭くなり、馬場美濃守を見据えていたが、 「今になって引き返しては、何のために討ってでたのか意味を成さなくなる」  信玄の声に力が漲っている。 「承知で申しあげておりまする」   「弾正、そちも同じ考えか?」 「御屋形あっての上洛にございます。甲斐に戻り、お躰を治す事が先決かと」 「弾正、それに美濃もよく聞くのじゃ。余の命はそう長くは保たぬ」  瞬間、部屋が凍り付き、三名が信玄を仰ぎ見た。 「余は五年も一人で病魔と闘ってきた。余が死ねば上洛の意味はない」   信玄の普段と変わらぬ声に、馬場美濃守と高坂弾正が声なく俯いた。 「余の薬湯を」  今井信昌が囲炉裏に掛けられた土瓶から、湯呑みに移し手渡した。 「これは余が調合したものじゃ。すでに五年間も飲み続けておる」  信玄が湯呑みを掌に包み苦そうに、音をたてて啜った。 「未練にみえるか?余は一日でも生き永らえ上洛を果たしたい。快癒せぬ事 を承知で飲んでおる、妄執、・・・未練かの」  信玄の顔に自虐の色が浮かび、すぐに平常にもどった。 「今の徳川家を見よ、もはや我等の敵ではない。我等は信長を討つ」  信玄が毅然たる声で命じた。 「御屋形の決意、しかと心に刻みつけました」 「二日後に軍勢を発する」     二人が平伏し拝命した。 「信昌、少々疲れた」    信玄は褥に臥せ、手で二人に去るように合図し瞼を閉じた。  その夜、信玄は再び喀血し高熱にうなされるのであった。  鳳来寺の一室で勝頼を上座として、御親類衆と重臣達が全て集っていた。 「勝頼さま、御屋形の病は益々悪化いたしております。ここは軍をお引き下され」    重臣を代表し、馬場美濃守が進言した。 「馬場美濃守、そのように容態が悪化しておるのか?」  信玄の弟の武田逍遥軒信廉が、非難するように訊ねた。 「最早、ご本復は無理かと」   「父上のご容態は、そのように悪いのか?」  勝頼が重苦しい顔つきで訊ねた。 「鳳来寺に滞陣いたし、既に一ヶ月を経過いたしました。御屋形が少しでも お元気なうちに、甲斐にお連れいたしましょう」  高坂弾正が沈痛な声で勝頼に訴えた。 「なれど、父上は二日後に出陣をお命じなされた」 「御屋形はその夜に再び喀血され、意識がございませぬ。なんとしても甲斐を 一目、お見せしたいものに御座います」  馬場美濃守と重臣達が、勝頼と御親類衆に頭を下げた。  だが信玄は再度起き上がった、倒れてから五日後の事であった。枕頭に 勝頼と逍遥軒、さらに馬場美濃守、高坂弾正の四人が凝然と控えていた。 「勝頼、余の命はあとわずかじゃ」   「父上っー」 「狼狽えるな。余は甲斐に帰国いたす、すぐに用意をいたせ」  信玄は自分の死期を予感しているようだ。 「信昌、例の箱をこれに」    信玄の命で今井信昌が、漆細工の小箱を勝頼の膝前に置いた。 「勝頼、開けて中を見よ」      勝頼が箱の蓋を外し顔色を変えた。  部屋の者達の眼も釘付けとなった。箱には百枚ほどの白紙が治められ、 白紙の左下に、信玄の直筆の署名と花押が記されている。 「これは、余が数年前より用意しておいたものじゃ」   「父上っー」  勝頼の悲鳴を聞き信玄が、 「余は死ぬるが、これがある限り余は生きておる」 信玄の直筆の署名があるかぎり、信玄存命の証しとなる。   「美濃、弾正、この書簡の意味は判るの?」  二人は信玄の覚悟の凄さを改めて知らされたのだ。 「余を一人にいたせ」    一座の足音が途絶えるまで天を仰いでいたが、それが消えると瞼を閉じた。   「無念じゃ」    血を吐くように呟いた。  もう一歩で上洛が果たせたのに、岐阜を目前とし帰国せねばならぬとは。  武将としての恥辱をひしひしと感じていた。 「父上、お赦し下され」    信虎の面影に向かい、詫びの言葉を呟き、目尻から一筋の涙が伝え落ちた。  三月末、突然に武田軍団が鳳来寺を発った。先頭には武田家累代の家宝で ある諏訪法性と孫子の御旗が靡き、本陣には騎馬に跨り、唐牛の白毛の飾りの ついた諏訪法性の兜を深々と被り、伝来の大鎧の上から朱の法衣を纏った信玄 が、見事な手綱捌きを見せ進んでいる。  これは影武者で信玄の弟の武田逍遥軒信廉が、務めていた。  軍勢から少し距離をおき塗輿が続いていた。見る者がみたら異様に映る光景 である。  警護の武者が密集隊形で塗輿を取り囲んでいる。  いずれも凄腕の家臣である、更に武田の忍び集団が周囲を警戒している。  輿では信玄が憔悴した顔をしているが、眼光を炯々と輝かせ揺られていた。  すでに全国制覇は諦めたが、甲斐を見るまでは死なぬ、と心に決めていた。  武田勢は緩やかな速度で粛々と、伊那街道を北上して行く。  何も知らない足軽は国に帰れる喜びを隠そうともせず、眼を輝かせている。  その日は鳳来寺、北方八里に位置する田口の地に宿営した。

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