長編時代小説コーナ

2015/05/30(土)14:27

改定・武田源氏の野望

武田信玄上洛の道。(115)

「信玄の戦略」(最終章) (巨星、墜つ) にほんブログ村 にほんブログ村    信玄は先遣隊の用意した本営に入り、すぐに臥所で横になった。  信玄は綿のように疲れきっていた。  武田勢は徳川勢の来襲に備え、警備を強化し夜を迎えていた。  伊那街道への備えには、甘利昌忠が騎馬武者で警護にあたっている。  そんな時、関東の要石、西上野の箕輪城主内藤修理亮昌豊が姿を見せた。  彼は信玄の上洛の陣に加わらず、関東の守りを命じられていた。 「これは内藤修理亮さま、何処に参られますぞ」 「御屋形のご容態が悪いと聞き、駆けつけるところじゃ」  内藤修理亮の言葉に甘利が畏まった。 「御屋形のご体調が悪いとは真か?」 「真にございます。御屋形さまが息災の内に、帰還して頂こうと思い、 この田口で宿営しております」 「判った。わしは先駆けするが、配下を頼む」  武田家四天王の一人、内藤修理亮は懸命に馬を駆けさせた。 「御屋形さま、お休みにございますか?」    今井信昌が臥所に低く問いかけた。 「眠ってはおらぬ」   「西上野より内藤修理亮さま、駆けつけて参られました」 「なんと内藤修理亮昌豊が?」    部屋の外で微かな咳払いがし、静かに三人の宿老が姿を現した。   内藤修理亮が主人の変貌ぶりに声を失った。   「西上野より、馳せ参じてくれたか?」  信玄と昌豊の眸子が確りと交わった。  馬場美濃守と高坂弾正の二人も、信玄の枕頭に座った。 「御屋形、甲斐は直ぐにござる。お気を強くお持ち下され」 「死ぬる前に、そなたに会えるとは思はなんだ」    信玄の声がかすれて聞こえる。 「そのようなお気の弱い事を申されますな」 「丁度よい機会じゃ、山県が居らぬが、そちたちに相談がある」  信昌が部屋の不審な者が近づかぬように、無言で辞して行った。 「昌豊、余は数日で死する」    信玄が明確な口調で断言した。 「死んだのちの天下なんぞは興味がない、武田家の天下取りは終りといたせ、 勝頼では甲斐一国でも難しい」 「そのような事はございませぬ」    馬場美濃守が静かに反論した。 「子の器量を見るは親の眼が一番じゃ。残念じゃが勝頼は、家康にも劣る」 「・・・」   「余が死んだら、越後の謙信と和睦いたせ。奴は稀有の武将じゃ。良いの」 「畏まりました」    三名の宿老が黙然と平伏した。 「余の死は三年間秘匿いたせ。それまでに知れてしまうが構わぬ。余の存在が 不明なだけ敵は用心いたす。三年後に余の亡骸を恵林寺に葬ってくれえ」  信玄の呼吸が荒くなってきた。 「美濃、弾正、修理亮、勝頼がこと頼むぞ」    信玄が三人の名を区切るように呼び、四郎勝頼の将来を託した。   「畏まってございまする」 「昌豊、余はそちの顔をみて安堵いたした」 「御屋形、今宵はお静かにお休み下され」   内藤修理亮が頭を垂れた。  翌日、武田勢は田口を発ち、信州飯田の南西にある、駒場(こまんば)に 宿営した。ここは天竜川を臨む伊那盆地の一角で、三州路と美濃路の分岐点 にあたる山村である。  信玄の容態は悪化の兆しをみせ、一日中昏睡状態となっている。 「馬場殿、二万の大軍を留める必要はありません。半数は帰国させましょう」   高坂弾正の意見で、軍勢の半数が勇んで甲斐に帰路についた。  残った将兵は信玄の宿営地を固めるように、山村の各所に駐屯している。  四月十一日の巳の刻(午前十時)頃、信玄は昏睡から目覚めた。  山野には桜が満開に咲いている。  信玄の枕頭には勝頼を筆頭に御親類衆の武田逍遥軒、武田信豊が顔を揃え、 武田四天王の馬場美濃守信春、高坂弾正昌信、 内藤修理亮昌豊、山県三郎兵衛 昌景等が顔を揃えていた。 「皆うち揃っておるの、余は夢をみていた。京に武田の御旗が翻る夢じゃ」    信玄の顔色に赤みがさしている。 「勝頼、余を起こせ」   「ご無理は禁物です」    信玄は勝頼に手を借り脇息に寄りかかり、一座に視線を廻した。 「直ぐに別れが参ろう、名残り惜しいが仕方があるまい。命ある者は死す。 皆々、勝頼の行く末を頼むぞ」   「承りましてございます」    全員が落涙して平伏した。 「勝頼、余が死んだら三年間、喪を秘すのじゃ」   「何故、父上の喪を隠しまする?」 「勝頼、余は天下に恐れられた武将じゃ。余の死が洩れたら叛く者も現れよう。 それを恐れるためじゃ」    信玄が諭すように話しかけた。  今の信玄は、一人の父親として語っているのだ。 「父上、それがしは叛く者も恐れませぬ。天下を望む事も諦めませぬ」  勝頼が顔面を朱色に染め叫んだ。 「信廉や宿老達に申し渡す。余の遺言に違背はならぬ」  信玄の声が凛として響き、勝頼が不満そうな顔付をしている。 「美濃、弾正、修理亮、三郎兵衛」    信玄が宿老の一人一人に声をかけ、 「これが余の遺言じゃ」    死に行く者とは思われない眼光をみせ断じた。 「ご違背は決していたしませぬ」    馬場美濃守が代表し約束した。この一言から彼等の悲劇が起こるのであった。 「これで、思い残すことはない」    信玄の顔色が鉛色に変わり、冷汗が首筋を伝っている。  馬場美濃守が信玄を褥にそっと寝かした。  御屋形の死で武田は終りかも知れぬ、そんな思いが脳裡を過ぎった。  天正元年四月十二日、駒場を囲む山並は眩しい新緑につつまれ、山桜が 満開となっている。  信玄の容態は誰の目からみても悪化している。  宿老は信玄の枕頭を離れず、荒々しい呼吸を続ける主を見守っている。  独り勝頼だけが、違った思いで父の容態を眺めているようだ。  天下に恐れられた信玄も、死すればただの男。瀕死の父と争った日を 想いだしているようだ。  旗本の今井信昌が懸命に、信玄の額の汗を拭っている。 「夢じゃー」    信玄が突然、大声を挙げた。 「御屋形」    馬場美濃守が覗き込むように声をかけ、一座の全員が信玄を見つめた。 「源四郎、京の瀬田に我が旗を立てよ」 源四郎とは山県三郎兵衛の幼名であり、彼はじっと次ぎの言葉を待ったが、 再び信玄は声を発する事はなかった。  医師の監物が脈を探り、 「ご臨終にございまする」  と、悲痛な声をあげた。  こうして武田信玄は、波乱にとんだ五十三才の生涯を閉じた。  夜の帳が落ち、駒場の本陣から荼毘の炎が燃え盛っている。  荼毘の炎の見える小高い丘に、老武士が草叢に座り落涙している。  老武士が笠を脱いだ、隻眼で老醜の顔が闇に浮かびあがった。  それは年老いた山本勘助の姿であった。 「御屋形さま、無念に存じます」 勘助には言うべき言葉がなかった。  ひと際、炎が高くたち昇った。勘助が肩を揺すって闇に姿を没した。  信虎は信玄の上洛の軍旅を知るとお弓を伴い、信濃の伊那郡に移り住み、 信玄の死去を知り落胆の日々を過ごし、翌年の二月三日にその地で没した。 享年、八十一才であった。  信玄の葬儀は遺言どおり三年後の天正四年四月十六日、恵林寺で行われた。  そこに出席した武将は高坂弾正のみで、あとの馬場美濃守、内藤修理亮、 山県三郎兵衛の姿はなかった。  彼等、三名は長篠の合戦で勝頼の無謀な戦術で鬼籍に入っていたのだ。  この六年後に武田勝頼と武田一族は信長に破れ、甲斐の田野まで逃れそこで 自害し、武田一族は滅亡した。  この原因は小山田信茂の裏切りにあったのだ。       (了)

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