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長編時代小説コーナ

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武田信玄上洛の道。

Feb 15, 2015
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「上洛への布石」(95章)


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   (浅井勢謀反で信長窮地に立つ)

「直ぐにも京に出発いたしますか?」  

 小十郎が例の声で勘助の乾いた顔を見つめ訊ねた。

「そちなら、美濃から京は一っ走りの距離じゃ。明朝に発て」

「畏まりました」

「最初はわしが将軍公にお目通りいたそうと思ったが、異体の知れぬ牢人者

では将軍公も会っては下されまい。大殿ならば将軍義昭さまも喜んでお目通り

を許そう。義昭さまより浅井家、朝倉家や諸大名等に、信長包囲網の御内書を

発して頂く」 

 勘助が驚くべき事を口にした。 

「信長包囲網にございますか?」

 小十郎が反復し訊ねた。彼もこの使命が重大と知っての事である。

 二人の会話をお弓が眸子を輝かせ見つめている。

「そうじゃ、恐らく信長は浅井家に相談もせず、朝倉攻めを強行いたすと思う。

その退路を絶つ為に久政殿にも、御内書を発して頂くのじゃ。もうひとつある」

 勘助が言葉を止め隻眼を宙に遊ばせ、一気に語りだした。

「小十郎、石山本願寺の蜂起もお願いいたすのじゃ」  

「・・・-」

「これは万が一の策じゃ。信長が命を永らえたら真っ先に浅井家が狙われよう。

  石山本願寺が蜂起いたせば、近江の門徒衆も決起いたそう。信長に追放された

六角承禎(じょうてい)も息を吹き返し、浅井家と手を握るだろう。信長にとり

四面楚歌となるじゃろう。わしが申しておったと大殿にお伝えいたせ」

「大殿から将軍さまにお願いして頂くのですな」  

「そうじゃ」  

 勘助の返答を聴き、小十郎は京の状勢を掌のように差すことに驚嘆した。

「河野さまには?」 

「暫し待て、お弓殿、大殿の伝言とはどのよう事にござった?」

 勘助がお弓に視線を移した。 

「何も申すことはありませぬ、勘殿が全て言うてしまわれましたぞ」

 お弓が艶然と微笑みを浮かべ、勘助の異相を見つめた。

「小十郎、河野には今の話を残らず申し聞かせよ。わしから御屋形への伝言

じゃ、今が武田家にとり上洛の絶好機、このように御屋形にお伝えするよう

河野の申せ」  

「畏まりました。明朝に京に出向き大殿にお会いした後に甲斐に行きます」

 小十郎の小柄な躯が音もなく部屋から消えうせた。

「勘殿は益々冴え渡って参りましたな」  

 お弓がしげしげと勘助を感心の面持ちで見つめ、勘助がお弓の濡れた眸子に

圧倒され視線を外した。

 勘助は織田家を巡る、信長包囲網を仔細に説明した。

 岐阜を巡って近江の浅井家、越前の朝倉義景、近江一向衆、越前一向衆、

摂津には一向衆の本山、石山本願寺が信長と敵対関係にあった。

 そこに越後の上杉家、甲斐の武田家も虎視眈々として上洛を狙っている。

 こうした状況で信長が越前の朝倉義景の討伐の軍勢を起こせば、蜂の巣を

突いたように紛争が激化することは目に見えている。

 これは武田家にとり願ってもない状況に成るのだ。

「お弓殿、わしも大殿も年老いた。武田家の御旗が京の都に翻る光景がみたい」

 勘助がしみじみとした声で訴えた。

「勘殿はまだまだ若い、今宵、わたしが慰めてやりましょう」

 お弓が挑発するように勘助の節くれだった手を握りしめた。

「もう、わしは女子は無用じゃ」  

 勘助が苦笑で応じた。

「わたしはまだ女盛りじゃ。好いたお方に最後に抱かれてみたいのです」

 お弓の顔に若々しい色香が漂っている。  

「わしは知らぬぞ失望されても」

 身内から微かに欲情が湧くような気分と成っていた。

「良いのです。今生の別れかも知れませぬ、夢を抱いた一生が送りたいのです」

 この言葉は女としてのお弓の本音であった。

 その夜、お弓の手練手管で勘助は久しぶりに猛々しい雄と化していた。

 男の妄執を感じながら、勘助はお弓をかき抱いた。

「あれ、勘殿、そのような」  

 勘助がお弓の敏感な箇所に手を這わせたのだ。

 まだまだ若い身体じゃ、お弓の膚は滑らかで贅肉ひとつない。その豊満な

肉体が勘助の腕のなかでうねり、甘い歓喜の声を途切れ途切れにあげている。

 勘助は全てを忘れ、お弓の豊潤な肉体に溺れていった。

 烈しい営みが終り、勘助が疲れでお弓の胸に顔を埋め泥のように眠った。

「勘殿、許して下され。今夜は薬を用いましたぞ」

 お弓が愛おしそうに勘助の寝顔を食い入るように見つめた。

 豊満な乳房は昔どおりで小粒な乳首が隆起している。

 まだわたしは女子じゃ。そう合点し、お弓がそっと褥から抜け出した。  

「おうー、寒い」

 矢張り年には勝てぬな、それが彼女の実感であった。

 元亀元年(一五七0)四月二十日、義昭の名で上洛を勧めた越前朝倉義景が、

その命令に背いたのだ。

 そのことあると知っての信長の計略であった。

信長は徳川勢を加えた三万余の大軍を率いて京を出撃した。幕命に叛いた

若狭の武藤上野介を討つとの名目であるが、真の狙いは朝倉攻めであった。

 越前敦賀平野に進攻した。織田徳川勢は瞬く間に手筒山城、金ヶ崎城を陥し、

越前に向かう険路な木の芽峠を越え、義景の本拠一乗谷に猛進中、予想だに

しない、北近江の浅井家の反旗の知らせを受けたのだ。

 信長は耳を疑った、妹のお市の嫁ぎ先の浅井家の当主は浅井長政であり、

彼は信長に忠実であった。その浅井勢が寝返ったのだ、瞬時に浅井久政の

顔が脳裡を掠めた。

 朝倉攻めの通達を怠ったことが、浅井家の挙兵の理由であったが、久政が

翳で動いていたのだ。

 浅井久政は朝倉攻略後の信長の標的が、我家にあると倅の長政を説き伏せて

の挙兵であった。

 その久政の心を動かしたものが、将軍義昭の御内書であり、甲斐の武田家の

書状であった。

 義昭の御内書の内容は、甲斐の武田家の上洛も近い、ここで信長包囲網の

一角として越前、近江は信長に反旗を翻せ、これが義昭の密命であった。

 また信玄の書状には、国を挙げて上洛の準備中で近々には上洛の軍勢を

発する旨の内容であった。

 越前の敦賀平野はいたって狭い平野である、そこに三万余の織田勢が充満

している。腹背から挟撃すれば浅井朝倉連合軍の勝利は間違いない。

 これが浅井久政の心を揺るがした因(もと)であった。

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Last updated  Feb 15, 2015 06:38:29 PM
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Feb 10, 2015
「上洛への布石」(94章)


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      (信長の戦略)

「いかん、自分の年を忘れ妄想逞しくしておっては」

 勘助がお弓の狂態を想いだし、自分の浅はかさを恥じた。

 廊下に人の気配がした。

「小十郎、ただ今戻りました」  

 微かな声が洩れ小柄な躯が部屋に現れ、驚きの声を挙げた。

「お弓さま、お弓さまではございませぬか?」

「小十郎、そなたも元気そうじゃの」  

 お弓が懐かしそうに声をかけた。

「はい、山本さまと全国を巡り面白く生きております」

 こうして三人が集ったのは何時であったか、それぞれが別の生き方を

しながら、御屋形と信虎さまの手の平で躍っていたのだ。

 勘助は一瞬、そんな事を思った。

 夜の帳が城下を覆ったころ、粗末な食膳の前で酒を酌み交わしていた。

「小十郎、信長の動きが判ったか?」  

 勘助が杯を置き隻眼を光らせ訊ねた。

「春になりましたら、越前攻めを企んでおる様子にございます」

「矢張りの、朝倉攻めの軍を起こすか?」

「左様、越前を制すれば天下を二分出来ます」

「いよいよ御屋形と決着をつける覚悟を固めよったか?」

 勘助の異相に興味の色が浮かんでいる。

「勘殿、武田勢の上洛の時期は何時頃と思います?」  

 それまで勘助と小十郎の話に耳を澄ましていた、お弓が興味を示した。

「まず、一年近くは掛かりましょうな」  

「悠長な、信長は畿内を全て支配下に置いてしまいましたぞ」

 お弓が珍しく気色ばんだ。それには彼女自身の考えがあったのだ。

 京に隠遁している信虎の健康が気がかりであったのだ。

 信虎は年を取り、今は枯れ木のような痩身となっていた。

 念願の武田の上洛を見ることもなく亡く成られては、傍らに仕える

者にとっては、堪え難い事である。それ故の心配事であった。

「わしは、将軍公にお会いしょうかと思っておる」

 勘助が杯を口に運びながら、低い声で二人に語りかけた。

「将軍さまに拝謁なさる申されますか?」  

 お弓が驚きの声を挙げ、小十郎と顔を見合わせた。

「信長が将軍義昭さまに、五ケ条の条書を突きつけた事を存じてござるか?」

「昨年、殿中の掟とし将軍さまの権限を抑え込みましたな、大殿から聞いて

知っておりますぞ」 

 お弓も信虎から、その辺りの話は聞いているようだ。

 殿中の掟とは義昭が余りにも将軍職の権力を振り回し、諸国の大名等に

信長に内緒で密書を出すので、義昭の権力を牽制するために信長が押し付けた

掟状である。発端は信長の力により、第十五代将軍の座に就くことが出来た

義昭が、自分が信長の傀儡と気づいた事から始まったことである。

 信長にとり義昭は御輿であり、彼の名で天下布武を押し進めようとの計画で

あったが、あまりにも将軍面をする義昭にうんざりしたのだ。

 それは義昭も同じであった、将軍の権威を蔑にする信長に憤りを覚えたのだ。

 だが信長には自分の力で義昭を将軍とした自負があり、副将軍の座や加増な

ぞをちらつかせる、義昭の行動に愛想が尽きていた。

 元々、足利将軍の義昭には一片の直轄地もないのだ。

 これは両者の言い分の違いで、いずれ起こるべき問題であった。

 信長は義昭が勝手な行動に走らないよう、彼に手かせ足かせをかけたのだ。

 それが前年に起こった殿中の掟であった。

 元来、権謀術策に長けた義昭は信長に反抗し、各地の大名に御内書を発行し、

信長牽制の協力要請をしていたのだ。

 西は毛利家、石山本願寺、北は浅井家と越前の朝倉家、更に越後の上杉家と

甲斐の武田家にも及んでいた。

 これに気づいた信長は、元亀元年一月二十三日に五ケ条の条書を義昭に

認めさせた。内容は義昭のこれまでの命令の破棄。今後は義昭が出す御内書

には信長の添え状を付けること、天下の仕置きは全て信長に任せること。

 信長の一存で誰でも処罰が出来る事、天下静謐のために義昭に朝廷に抜かり

なく奉公いたすべく事を強要した。

 これにより義昭の政治的な活動は完全に信長の制約下に入った。

 こうして信長は義昭の名の許で畿内、北陸、中国の諸大名に上洛を命じた。

 この真の狙いは織田家の味方と敵を分別する目的が込められていた。

 その標的が越前の朝倉義景であった。

 奴は必ず上洛を断ると明確に察していた。

 これで朝倉攻めの口実が出来るとほくそ笑んでいた。それを阻止すべく義昭

も蠢きだし、将軍義昭と信長は水面下で凄まじい暗闘を始めたのだ。

 勘助はお弓と小十郎の二人に、事細かに説明を終え杯を置いた。

「流石は勘殿じゃ、して今後の武田家はどのように動きます?」

 それがお弓の最も知りたい事であった。

 勘助はお弓の問いに答えずに、小十郎に乾いた声をかけた。

「小十郎、甲斐に走れ、今の話を河野晋作に伝えよ」  

「判りました」

「さらに信長の越前攻めじゃが、そこで織田信長の息の根を絶つ」

 勘助が隻眼を光らせ鋭く断じた。  

「策はあると申されますか?」

 小十郎が例の抑揚のない声で訊ねた。

「小十郎、織田と浅井は婚姻関係にある。じゃが、浅井家と朝倉家はそれ以上

に深い同盟関係にある。特に長政の父、久政(ひさまさ)は大の信長嫌いじゃ。

武田家から使者を遣わし、織田勢が越前に進攻いたしたら、浅井家に信長の

背後を衝かせるのじゃ。これで近江の地が信長の墓場となろう」

「そのように巧く事が運びまするか?」  

 お弓が心配そうに呟いた。

「浅井久政と朝倉義景は盟友関係にある、しかも久政は希代の食わせ者じゃ。

必ずや久政は、倅の長政を説得いたし寝返る」  

 勘助が断定した。

「じゃが、勘殿、久政殿は父の亮政が死去したため跡を継いだが、勇猛な

父親とは対照的に武勇に冴えなかったと聞いておりますぞ」

「左様、武勇も外交も弱腰と云われた武将。なれども朝倉家への恩義は決して

忘れぬ男じゃ。必ず、倅の長政殿を説得されると思いますぞ」

 勘助が言葉を止め、何事か思案する様子を見せている。

「直ぐにも甲斐に参り、今のお言葉を伝えますか?」  

 小十郎が勘助の乾いた顔を見つめた。

「甲斐に行く前に京の大殿の許に行け」  

「大殿に?」

 勘助の言葉にお弓が怪訝そうな顔をした。


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Last updated  Feb 10, 2015 08:24:10 PM
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Feb 5, 2015
「上洛への布石」(93章)


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      (京の状勢)

 信玄と父、信虎の上洛への執念で武田家は愈々、上洛に向うことになるが、

その戦略の前進に大きく係ることに成る人物が、織田信長である。

 ここで物語を進める上で、信長の動きを書き記すことが必要と思い、

年代が上下するが、筆者の勝手で物語の進行を変更する事としたい。

 岐阜城下に再び山本勘助と小十郎が姿をあらわした。城下町は斉藤家が

支配をしていた頃の面影はまったく感じられない。

 稲葉山城あらため岐阜城と改名した信長は、城下町の拡大に努め建築工事が

至る所で行われていた。

 同時に岐阜城の改修も実施され、四階建ての南蛮風の居館が建築中であった。

「豪華絢爛たる巨城にございますな」

 小十郎が例の抑揚のない声をあげ、巨大な城郭を見上げている。

 二人とも昔と異なり、身形も立派と成っていた。

 これは信玄の好意であり、京の信虎も潤沢な資金を送られ悠々自適の

生活を送っていた。

「信長が天下を取るかもしれぬ」  

 山本勘助がぽっりと呟いた。

 二人は工事の雑音と人々の喧噪に包まれている。

 ここ数年間、信長の行動のみを眺めてきた勘助は、信長の発想力と才能に

驚かされてきた。

 とり分け彼の行動力の凄まじさは衆人をはるかに抜きんでていた。

 三好三人衆と松永久秀の担ぎだした、足利将軍十四代の義栄を押さえ込み、

足利将軍家の家督相続者以外の子とし、慣例により仏門に入っていた覚慶と

名乗る、一乗院門跡となっていた人物が、後年の将軍、足利義昭である。

 彼は兄、義輝が松永久秀に暗殺されると、幕臣の細川藤孝等の助けで奈良

から脱出し、還俗し義秋と名乗っていた。

 義秋は流浪の末に、越前の朝倉義景を頼って助けを乞うた。

 併し凡庸な朝倉義景は、将軍後継者の義秋の価値を知らず持て余していた。

 その話を耳にした信長は、足利義秋を美濃に招き、名前を義昭と改めさせ。

上洛し第十五代将軍の座に就けた。その力量は注目に値する出来事であった。

 その頃の織田家はさほど軍事力もない時期であったが、彼は成し遂げたのだ。

 更に遡って永禄七年には美貌で名高い、自分の妹のお市の方を、近江の浅井

長政に嫁がせ浅井家と同盟を結び、北伊勢までも平定したのだ。

 いずれも京に出る道筋に当たり、その戦略眼は目を見張るほどであった。

 上洛の際の織田軍の軍律の厳しさは、猛烈と言うよりも峻烈と表現した

ほうが適切であろう。違反する軍兵は自ら手に懸けた。

 尾張の大たわけ者と言われた小童が過去の天下取りに失敗した事例を知り、

その轍を踏まぬ事に勘助は仰天していた。

 木曽義仲でさえ、京に軍勢を入れるや配下の将兵が京の人々に乱暴狼藉を

行い、京都の人々に嫌われ天下を逃したのだ。

 今の京都は平穏である。将軍義輝を殺めた松永久秀を許し摂津攻めに使い、

三好勢を山城から駆逐し阿波に追い落とした。

 昨年は但馬を平定し南伊勢の豪族北畠具教(とものり)も信長の前に膝を屈した。

 これで伊勢全土の平定を終え、近畿地方のほとんどが織田領となったのだ。

だがこの美濃の地だけが、二人の眼から見ても慌しく感じられた。

「小十郎、信長またもや何事か策しておると思われる、探って参れ。わしは

いつもの旅籠におる」  

「はっ」  

 小十郎が短く答え雑踏に消えうせた。

 勘助は常宿の二階から街道の雑踏を見つめている。

「うん」  

 思わず首をひねった、雑踏に雑じり一人の尼さんの姿が隻眼に映った。

「お弓殿じゃ」

 尼さんは笠を差し上げ、宿の前で二階を仰ぎ見てニッと笑みを浮かべた。

「矢張り、お弓殿か?」  

「あい勘殿、お久しぶりにございますな」

 お弓が声をかけ暖簾をかき分け、すぐに部屋に尼姿を現した。

「良くここが判りましたな」

 訊ねながら、かわらぬ美貌をもつお弓に勘助が声を枯らしている。  

「小十郎は、わたしの配下ですよ。お忘れですか?」

 お弓の声が優しくく耳朶に響いた。

「・・・-、じゃが少しも変わりませぬな」

「もう婆ですよ。勘殿は少しおつむが薄くなりましたな」

 お弓が勘助をからかい、一時、昔話に花が咲き久闊を懐かしんだ。

「そうじゃ、わたしは数年前にお麻に逢いましたぞ」  

 唐突にお弓が話題を変え、お麻の事を告げた。

「達者でおりましたか?」

 勘助の胸中に幼かったお麻の顔が走馬灯のように駆け抜けた。

「あい、御屋形が余の妹に逢って参れと仰せられ、心の臓が凍えましたぞ」

「なんと、御屋形はお弓殿の娘子と知って居られたましたか?」  

 この言葉は勘助にとり驚くべきことであった。

 御屋形は大殿とお弓殿の間に産まれた事を承知されていたのか。

「脇差から察しられた模様です」

「・・・・」  

 勘助が言葉を飲み込み、お弓の顔をまじまじと見つめ訊ねた。

「左様か、流石は御屋形さまじゃ。ところでお弓殿は何才になられた?」  

 勘助の問いに、お弓の顔にふっと恥じらいの色が浮かんだ。

「別れて九年になりますぞ、四十六才となりました。互いに年老いるも仕方が

ありませぬな」  

 お弓が遠くをみる眼差しをしている。

「まだ若い、お弓殿が羨ましいわ」  

 勘助が往事を偲び隻眼を細めた。

 お弓は肉が付きふっくらとした姿と成っているが顔つきは昔のままである。

「何度も、勘殿はわたしを抱いて下されましたな」  

 お弓の眸子が濡れぬれと輝き、勘助の異相にそそがれた。

「もう、わしは女子の用はなくなり申した」

 勘助が自嘲を込め、お弓に告げた。

 お弓が暫く思案しニッと微笑みを浮かべた。

「小十郎が戻りましたら甲斐に向かわせますが宜しか。戻るまではわたしが

勘殿の面倒はみます」  

「なにか御屋形に急用でもござるか?」

「今宵は三人で飲み明かしましょう、その際にお話いたします」

「そうじゃな、わしも信長の事で話がござる」

「ところで勘殿、お麻の事じゃが、御屋形さまが忍びの者にはさせぬと仰せられ

ました。わたしは諦めましたぞ」

「女子の身で修羅場は酷い、ましてお麻殿は御屋形の妹にござるぞ」  

「正直、わたしも安堵いたしておりますぞ」  

 二人が黙して顔を見つめあった、無言の裡でも心が通いあっていた。  

「男と女子とは不思議な生き物」

 お弓が小さく含み笑いを洩らした。  

「わしはそなたが好きじゃ。逢えて良かった」

 勘助が、尖った左肩を撫でさすりしみじみとした口調であった。

「わたしもです」  

 喧騒の中で二人だけの世界に浸っている。

 勘助の隻眼に、お弓の胸の隆起が眩しく映った。


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Last updated  Feb 6, 2015 04:22:48 PM
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Jan 30, 2015
「上洛への布石」(92章)


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        (疾(と)きこと風の如く)

 信玄は甲斐に戻り、次々と謀略の手を関東に伸ばしていた。

 既に駿河はほぼ武田家が支配し、遠江は徳川家康が治めるだろう。

 三国同盟で均衡を保っていたが、今川家の滅亡により武田家は、

背後の関東の覇者、北条家対策が急務と成ったのだ。

 現に今川氏真の要請で北条家は大軍を発し、駿河を取り戻そうとし、

武田勢と干戈を交えたのだ。

 その為に信玄は関東の諸大名に武田に味方をするよう働き掛けていた。

 真っ先に常陸の佐竹義重が信玄の呼びかけに同意した。 

 その為に北条家は常陸の佐竹義重、下野の茂木治清に背後を襲われ、

その打開策として長年の宿敵であった、上杉家との同盟を進めていた。

 まさに奇怪な暗躍が水面下に行われ始めたのだ。

 なんとしても上杉家と同盟を結ぶ、武田家に敵対したからには仕方のない

事である。併し、これは北条家にとっては屈辱的な同盟であった。

 北条家の当主の氏政は父の氏康の命で三国峠に近い、上野の領土の割譲と、

人質まで上杉家に出し、ようやく越相同盟を成立に導いたのだ。

 それが元亀元年(一五七0年)四月のことであった。氏康の三男である

北条三郎を養子に迎えた輝虎は、三郎のことを大いに気に入り景虎という

己の幼名を与えるとともに、一族衆として厚遇したという。

 十二月に上杉輝虎は法名の不識庵謙信を称する事になる。

 信玄の関東侵略と北条家に対する圧力は烈しさをましていた。

 既に信玄は永禄十一年に信長の斡旋で将軍、足利義昭を通じ上杉家との

和睦を試みていたのだ。同年八月には上杉家との和睦が成立した。

 まさに権謀術策を絵に描いたような手並みを見せたのだ。

 一方、越後の上杉家も関東侵攻に飽き飽きしていたのだ。

 雪解けを待って三月に豪雪を掻き分け、関東に進出し北条家に降った、

豪族に攻め寄せると、彼等はこぞって上杉家に恭順を示すのであった。

 その彼等を先鋒に北条勢と合戦に及ぶと北条勢は、堅城で名高い小田原城に

籠り、亀が首をすくめたように合戦を回避するのだ。

 こうして対峙し秋が深まる時期、越後勢が降雪を恐れ国許に引き上げると、

待っていたかのように、越後勢に降った豪族は北条家の傘下に入るのである。

 こうした事が毎年繰り返されていたのだ。

 謙信も家臣達もこのような状況の関東攻めに呆れ返っていた。

 武田勢は四月に駿河から甲斐に引き上げ、六月には北条領土である伊豆の

三島攻めを行い、休む間もなく八月には信濃佐久郡から西上野を経由して、

北条領に進攻し鉢形城、滝山城の二城を瞬く間に陥し、二万の大軍で北条勢

の居城である小田原城を包囲した。

 北条勢が常套戦略である籠城策をとったために、信玄は城下に火を放つよう

下知し撤兵を開始した。

 武田勢が小田原から相模川に沿って撤退中、北条勢に追い撃ちをかけられた。

 これを信玄は待っていたのだ。

 追撃する北条勢に対し、甲斐との国境にある三増峠の要地に数千の軍兵を

隠し、待ち伏せ戦術を策していたのだ。

 そうとは知らず北条勢が攻撃を仕掛けるゃ、埋伏していた軍勢が俄かに立ち

あがり反撃し、これを粉砕し意気揚々と甲斐に撤退を完了したのだ。

 まさに信玄は見事な陽動作戦を演じてみせたのだ。

 この時期に北条家は救援の使者を何度となく、謙信の許に差し向けていたが、

上杉勢はいっこうに動こうとはしなかった。

 これは上杉家の戦略転換の所為であったが、北条家は知らずにいたのだ。

 時を同じくして上杉家は、関東から越中制圧に戦略転換をしていたのだ。

 越後勢、頼むに足らず。これが北条家の思いであったろう。

 この時期、武田家は充実の時を迎えていた。国力が富み兵は最強と成った。

 甲斐、信濃、西上野、東美濃と版図は拡大し、軍制改革を進めはじめた。

 信玄は本格的な水軍の編成を考え始めたのも、この時期であった。

 前年に伊豆に進攻した際、旧今川家の海賊衆が武田勢を大いに助けた。

 義元の時代には、今川家は三人の海賊衆で水軍を編成していた。信玄は

その三人を武田家に帰属させたのだ、岡部忠兵衛、伊丹大隈守、興津摂津守

の三名である。信玄は岡部忠兵衛を海賊衆の頭に命じ、改名させ土屋貞綱と

命名した。更に伊勢、北畠家の遺臣を召抱えた。

 小浜景隆、向井正勝等の伊勢海賊衆が武田水軍に加わったのだ、これは

織田信長の率いる、九鬼水軍に対抗するための施策で、強力な水軍完成を

信玄は求めていた。

 大安宅丸(おおあんたくまる)一艘と軍船五十艘が武田水軍の編成であった。

 信玄の威勢は将軍、足利義昭の知るところとなり、信玄の動向は天下注視

の的となっていた。その原因は武田軍団の精強さにあった。

 武田信玄の声望が高まるにつれ、織田信長の評判が悪し様になっていった。

 将軍家を蔑ろにし、神仏を信ぜずに一向門徒衆との抗争を繰り返し、伊勢

長島一揆の鎮圧では、人とは思えない残酷な仕打ちで門徒衆を殺戮した。

 併し確実に勢力を伸張させ、将軍義昭の政治活動に制約を加えていたのだ。

 更に姉川の合戦で織田徳川の連合軍は、浅井朝倉の連合軍を完膚なく叩き、

北近江も織田家の勢力圏となっていた。

 元亀元年九月十二日に顕如が信長が本願寺を破却すると言ってきた。

 と、本願寺門徒衆に檄を飛ばした。三好三人衆攻略のために摂津福島に

陣を敷いていた織田勢を突如攻撃し、そのまま本願寺勢は石山本願寺を出て、

十四日に淀川堤で織田勢と直接激突した。この戦いは織田勢優勢に終わり、

本願寺勢は石山本願寺に返り、本格的な籠城の構えを見せた。

 一方の謙信は越中の富山城その他の城を陥し、関東制圧に乗りだし始めた。

 この時期に三河も信玄にとり見逃せぬ形勢となってきた、徳川と姓を変えた

家康は、居城を岡崎城から浜松城に移し、本格的に遠江支配を目論み始めた。

 その一環として武田家との関係を絶ち、上杉謙信に起請文を送り、同盟を

結び、武田家と駿河支配をめぐり、完全な敵対関係となった。

 いよいよ天下の覇権をめぐって世の中が騒然となってきたのだ。

 そうした情況下の元亀二年一月十六日、信玄は大軍を発し電光石火の勢いで

北条家の属城の深沢城を葬り、完全に駿河一国を制圧してしまった。

 ここに武田家二代の念願が果たされた年となった。信玄五十歳の時である。

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Last updated  Jan 31, 2015 02:08:13 PM
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Jan 26, 2015
「上洛への布石」(91章)


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        (疾(と)きこと風の如く)

 この永禄十一年から、元亀三年までは四年の年月があるが、

信玄はこの間、関東に出兵し、北条氏政と激戦を繰り返し、北条勢は

武田勢の鋭鋒の烈しさに押され、小田原城に籠城して守り切った。

 こうして数々の合戦を行いながら、信玄は織田信長の養女を勝頼の

正室に迎え、織田家との友好関係を強め始めた。

 この間の信玄の動きは激しく、また謀略も凄まじいものがあった。

 こうした動きを見せながら、彼は上洛を視野においた施策を打っていた。

 今は駿府城を占拠し、氏真の使っていた書院で今後の事を熟慮していた。

 信玄は脇息を躯の前にうつし、両肘を乗せて思案に耽っている。

 このまま駿河に居座っては危険である。万一、北条勢と徳川勢が手を結ぶ

というような事態とも成れば、武田勢は袋の鼠となる。

 なんせ補給線が伸びきっており、そこを腹背から衝かれることになる。

 そうなれば我が軍の難戦は目に見えている、信玄が意を決し声をあげた。

「誰ぞある」  

「はっ」  

 警護の士がすかさず廊下に姿をみせた。

「馬場美濃守と内藤修理亮の両人にすぐに参るよう伝えよ」

 間もなく廊下に草摺りの音が響き両名が姿を現した。

 馬場美濃守は黒糸縅の甲冑で、内藤修理亮は浅黄縅の甲冑を身に纏っている。

「御屋形、何事にございます?」 

 馬場美濃守が戦場焼けした声で主に声を懸けた。

 信玄が北条勢の予測と我が軍勢の弱点を述べた。  

「御屋形は北条勢が出て参るとお考えですか?」

「それで如何成されます」

 両人とも当然という顔つきで疑問を呈した。

「年明けと同時に、一旦、軍勢を引き上げる」  

「甲斐に戻ると仰せになりますか?」

 内藤修理亮が柔和な口調で念を押した。

「このまま居座っては不味い、軍勢を引いても駿河は既に武田家の領土じゃ。

何時でも出撃できる、じゃが、一戦もせずに引くは業腹。薩唾峠で北条勢を

叩き甲斐に帰還いたす」  

 信玄が語り終え、二人の宿老を見廻した。

「良きご思案かと存じまする」  

 内藤修理亮昌豊が笑みを浮かべた。

 北条勢に一泡吹かせて兵を退く、此れこそが我が御屋形じゃ。

「両人に異存がなければ、撤退の下知をいたせ」  

「ははっー」

 長年、信玄と戦塵を潜り抜けた二人には、信玄の考えが手にとるように判る。

 北条勢が駿河に進攻してきても、滞陣を続ける事は可能であるが、御屋形が

仕掛けた、越後の内乱も年明けには終る筈である。

 本庄繁長は上杉輝虎に降伏するだろう、そうなれば上杉勢が再び関東制圧に

乗り出す事は目に見えている。

 北条勢は即刻、駿河から軍勢を引き関東で越後勢と対決せねばならない。

 既に越後の状勢は刻々と信玄に伝えられていたのだ。

 本庄繁長も上杉家から離脱し、戦国大名と成る目算は十分にあった。

 輝虎が信玄に通じ謀反を起こした、椎名康胤の居城松倉城を攻撃する為に

越中に軍勢を発した機に、繁長は輝虎に不満を抱く豪族を味方に付けようとし、

密書を送った。その密書を送った主な人物は次の通りである。

 鮎川盛長一族、揚北衆の色部勝長、黒川実氏、黒川清実の近親者。

 更に揚北衆の重鎮、鳥坂城主の中条景資であった。

 だが、これが裏目に出たのだ。中条景資はそのまま密書を輝虎に提出した。

 こうして繁長の謀反は発覚したのだ。驚いた輝虎は、即座に陣を引き払い

春日山城に帰還し、繁長の居城である本庄城攻略の準備を進めた。

 それを知った本庄一族の鮎川盛長が忠誠を誓うと、揚北衆は次々と上杉方に

寝返った。

 こうして本庄繁長は信玄の援軍が来るまで籠城を続けたが、武田家の援軍は

豪雪の影響で間に合わず、彼は輝虎の軍門に降った。

 こうした情報は越後に潜む、忍び者から逐一、報告を受けていた。

 それ故に武田家の主従は驚く様子も見せなかったのだ。

「美濃守、秋山信友に余の下知を伝えてくれえ」

 信玄が何事か思案し、馬場美濃守に言葉を懸けた。

「伯耆守に?」  

 馬場美濃守と内藤修理亮が顔を見合わせた。

「急ぎ伊那高遠城にもどり、伊那衆を率い遠江に進攻いたせと申せ」

「なんと徳川家と事を構えまするか?」  

 両人が驚きの色を浮かべた。

「威嚇じゃ。家康、いささか図にのっておる。我等を甘くみると何時でも

天龍川沿いから、見附方面に大軍を送り込み遠江を占拠するぞとの脅しじゃ」

「これは驚きましたな、早速、そのように伯耆守に伝えまする」

 この一事は駿河から武田勢が引きあげても、調子に乗って駿河を奪おうなど

と思うなよ。との信玄の家康に対する威嚇の伝言であった。

 秋山信友は余の武将ながら、一人でこの戦国の世を乗り切る器量がある。

 信玄は小姓から従ってきた信友を信頼していた。事実、彼は信玄没後も美濃

に勢力を張り、長篠合戦後も信長の十万の軍勢と戦い一歩も引かなかった猛将

として名を轟かした武将である。

 また美濃の岩村城の攻撃では無血開城させ、城主の未亡人を自分の室として

いる。彼女は織田信長の叔母であった。秋山信友は豪胆な武将であった。

 永禄十二年(一五六九年)、武田勢は駿府から一斉に軍勢を引き、薩唾峠に

布陣した。一月、今川氏真の要請で北条氏政率いる一万五千名が駿河に進駐

するために薩唾峠で武田勢と対陣したのだ。

 信玄は合戦の帰趨も気にせず、甲斐に一隊を率いて戻って行った。

 武田勢の総大将とし馬場美濃守が指揮し、初春の四月まで睨みあったが、

両軍とも仕掛けず、何も得るものもなく双方は軍勢を引き払った。

 別命を受けた秋山信友は、伊那衆を率いて天龍川を南下し、今川の属城を

陥とし遠江の引馬城の東の見附に進攻し、徳川家の武将、奥平貞能(さだよし)

と合戦に及んだ。そこは遠江の中間地点にあたり、家康は信玄の盟約違反とし、

抗議を申し送ってきた。

 信玄は自分の知らぬ事と抗弁し、秋山信友に軍勢の引き上げを命じた。

 十分に威嚇が出来たと信じたのだ。だが、この強攻策が裏目となった。

 武田信玄信じられぬ、いつ背信するか判らぬ。家康はこの疑惑で信玄を恐

れた。いかに今川家の属城を攻略中といえども、遠江に進攻した事は許せぬ。

 家康は掛川城包囲網の本陣で、信玄の本心を考え続けていた。

 未だに掛川城は屈せず、五月を迎えていた。家康は今川氏真に使者を送った。

 この城を開城し遠江を引き渡せば、武田から駿河を奪い氏真殿に献上いたす。

と説き、五月六日に講和を結び掛川城を開城し、家康に引き渡したのだ。

 氏真夫婦は宿老の朝比奈泰朝等と共に、伊豆の戸倉城まで退き北条家を頼

った。ここに東海の覇者、今川家は事実上滅亡したのだ。

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Last updated  Jan 26, 2015 08:30:21 PM
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Jan 22, 2015
「駿府城攻略)」(90章)


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        (侵略すること火の如く)

 武田勢の攻撃が始まるや、前衛に大鎧の将が現れ采配を揮っている。

「怯むでない。相手は騎馬武者じゃ。鉄砲で射とめよ、配置に就け」

 野太くしわ深い声を張りあげている。

 その下知で今川勢の鉄砲足軽が狭い峠道の柵内に、散開し筒先を揃えた。

「まだ早いが、流石に今川家じゃ。まだあのような男が居ったか」  

 信玄が鋭い眼差しで今川勢の様子を眺め、低く呟いた。

 信玄は鉄砲を重視しない武将であった。当時の火縄銃は音だけが大きく、

命中精度は極めて悪い武器であった。

 武田勢には鉄砲隊に代わって礫隊があった、投石で鉄砲に対抗したのだ。

 山県三郎兵衛が鉄砲隊をものともせずに、猛然と騎馬を駆けさせている。

 恐れを知らぬ猛将の性(さが)である。

 喊声と蹄の音が轟き天地が揺れ、赤備えの騎馬軍団が後続している。

 今川勢の鉄砲が一斉に轟音を響かせ火蓋が切られた、銃声が峠に木霊した。

 その硝煙の中を物ともせず、赤備えが猛進し、敵の前衛に衝きかかった。

 一瞬に敵の前衛が砕け散り、山県勢の騎馬武者が裂け目を広げた。

「今ぞ、騎馬隊に続くのじゃ」

 その命で長柄槍隊が一団となって敵の前衛に砂塵を巻き上げ突撃した。

 混戦の中、三郎兵衛を頂点とし騎馬武者が遮二無二、敵勢に突き進んで行く。

 悲鳴をあげ峠から崖下に転がり落ちる敵兵の姿が見える。

 百足衆が猛然と駆け戻り大声で戦況を報告した。  

「敵勢、退いております」

 真っ先に総大将の庵原安房守が逃げ去る姿が望見される。

「突撃の法螺貝を吹け」  

 信玄の下知で冬空に法螺貝が鳴り響き、二陣の黒備えの甘利昌忠の勢が

動きだした。武田菱の指物を背に足軽勢も一斉に喚声をあげ、追撃に移った。

 本陣より乱れ太鼓が打ち鳴らされ、武田勢が小山のように進撃を開始した。

 峠の中ほどで怒号と悲鳴、喚声と地鳴りの音が聞こえてくる。

 峠を下れば駿府城は目と鼻の先である。

「御屋形さま、あれをご覧下され」  

 陣場奉行の原隼人が驚きの声をあげ指をさした。今川勢は駿府城に入らず、

素通りして潰走している。

「駿府城を奪うのじゃ」  

 信玄が鋭い声で命じ、百足衆が各陣営に駆けて行く。

「おうっー」  

 雄叫びをあげた武田勢が駿府城の大手門に急行している。

 城門はわけなく十文字に開けられ、一斉に将兵が突入しているが

干戈の音が聞こえてこない。 

 (氏真、逃亡を計ったな)と信玄は悟った。 

「各勢は城を包囲いたせ」

 信玄の下知で武田勢が駿府城を包囲した、その勢一万八千名の旗指物が

冬空に翻っている。  

「これが音に聞こえた今川勢か」

 信玄を囲んで馬場美濃守信春と内藤修理助昌豊の両将か唖然としている。

 既に駿府城は無人と化していたのだ。

 国主の今川氏真は緒戦の報告を聴くや、二千の兵を伴い裏手の搦め手より

逃亡していたのだ。戦う意地も勇気もない男であった。

 このような男が名門、今川家の当主であることが悲劇であった。

 氏真は大井川を渡河し、遠江の掛川城に向かって逃走していた。

 掛川城の守将は、今川家で猛将の誉れの高い朝比奈泰朝(やすとも)であり、

三千の兵力で守りを固めていた。

 氏真が駿府城を逃亡した時には二千の兵が付き従っていたが、途中で逃亡

離散し、掛川城に着いた時には、百名ほどに減っていたといわれる。

 この逃亡時、氏真の正室早川殿(北条氏康の娘)や侍女らは輿の用意もなく、

徒歩で逃げるという悲惨なものであったと伝えられている。

 こうして今川勢は本格的な合戦を行わずに敗れ、十二月十三日に武田勢は

駿府城に入城した。

  
 さらに駿府城の支城である愛宕山城や八幡城も武田勢に落とされた。

 信玄は北条家に対し、「上杉と今川が示し合わせ武田家を滅亡させようと

したことが明らかになったので今川家を討つ」と説明していたが、娘が徒歩で

逃げる羽目になったことに激怒した隠居の、北条氏康は武田家との同盟破棄を

決意した。北条氏政は氏真の援軍要請を受けて十二月十二日に駿河の援軍に

向かったが、時遅くなり伊豆三島に対陣するに留まった。

 信玄は念願の駿河を手に入れ、直ちに塩を確保し岩淵より富士川を利して

甲斐に運び入れた。時に永禄十一年十二月のことであった。

「御屋形さま」  

 駿府城の信玄の許に、河野晋作が緊迫した顔をみせたのは、年も押し迫った

晩の事であった。  

「北条勢、動きよったか?」

 信玄が驚きもせずに訊ねた、これは予期したことであった。

「はい、氏真殿の要請を受けた北条氏政殿、軍勢を繰り出した模様にございます」  

「氏真め、妻の実家に助けを求めたか」

 信玄にとり驚くことではなかった、武田家の駿河進攻で長年に渡る三国同盟が、

これで破却をみたのだ。  

「掛川城はいかがじゃ?」

「流石に朝比奈泰朝、老練にございます。徳川勢五千名に対し、一歩も引かず

籠城いたしております」

「ご苦労であった。引き続き北条勢から目を離すなよ」

 信玄は一人となって今後のことを熟慮していた。下手をうてば北条勢と徳川勢

を敵に廻すことになる、補給路も伸びきっている。まずは塩を確保したことで

上出来か、ここは一旦、軍勢を引くか。

 併し、徳川家康め、若いが遣ることが早い。信玄が感心している。

 信玄が駿河攻略に出るや、徳川勢はすかさず浜名湖と天龍川の中間地点に

ある引馬城を陥し、掛川城を包囲した。

 掛川城が陥ちたとしたら、遠江一帯が徳川家康の支配地となる確率が高い。

「五月蝿い男が尾張の前に居る」  

 信玄が思わず独り言を呟いた。

 上洛は信玄の夢である。その最強の敵となる人物は織田信長に成ろうと信虎と

勘助からも、知らせがもたらされている。その信長の盟友である三河の徳川家康

が、遠江まで押さえる勢いで東進しているのだ。

「何か手を打たねばなるまいな」

 信玄は徳川対策を思案していた。

 信玄が再び北条家と仲直りをし上洛を目指す、西上作戦の開始は甲相同盟を

回復した後の、元亀三年年(一五七二年)十月まで大きく遅れることになる。

 この事が信玄を苦難に貶める原因と成るとは、誰も知る由もないことであった。


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Last updated  Jan 22, 2015 02:28:02 PM
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Jan 18, 2015
「信玄、動く(1)」(89章)


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        (武田勢出撃す)

 信玄が一座のざわめきを制し言葉を継いだ。

「余は、上杉勢が信濃に出兵せぬよう、考えうる策を考え尽くした。

 我が武田は近々のうちに徳川家とも手を結ぶ、大井川を境とし東の駿河は

我が武田家が支配いたす。家康には西一帯の切り取りを任せるつりじゃ」

「お待ち下され、ただ今のお言葉には納得が参りませぬ」

 最早、押されもせぬ堂々たる武将に成長した山県三郎衛が反論した。

「反対者は山県昌景のみか、余の考えに不服な者は他には居らぬのか?」

 信玄が脇息に身をあずけ、一座の武将達を眺めまわした。

「不服に存じます。徳川家に三河を平定され、遠江までくれてやるお積りに

ございますか?」  

 山県三郎兵衛が髭面をみせ反対し、知将でなる内藤修理亮も反論した。

「内藤昌豊も余の策に反対いたすか?」

「左様、山県殿の仰せられたとおり、徳川に遠慮はいりませぬ」

「何故にそう申す?」

「恐れながら、徳川家康は織田信長と誼を通じております。これ以上、

勢力を拡大させては、我が家の脅威と成りましょう」

 内藤修理亮昌豊が、柔和な口調で自身の考えを述べた。

「そうじゃ。昌豊の言う通りじゃが、我等には海が必要じゃ。まずは駿河を

支配下に置く、これで塩の心配はなくなる」 

 信玄の口調に断固たる決意が込められている。  

「なれど」  

 山県三郎兵衛が口を挟もうとした。

「申すな、余は何度も申した筈じゃ。我等、武田家は上洛いたすとな。

 我等の前に居る大名は誰か? 真っ先に餌食となるのは徳川家康じゃ。

嫌でも三河、遠江は我等武田の領土となる」

「これは、迂闊にございました」  

 山県昌景はじめ全ての武将が顔を染め、己の至らなさに顔を伏せた。

 彼等は信玄の深慮遠謀な軍略の才を、改めて知らされたのだ。

「重ねて申し聞かす。我等の最大の敵は織田信長じゃ。これを忘れるでない」

 信玄の声が凛とし、諸将の耳朶に響き渡った。

 この時期に信玄は自分の最大の敵が、織田信長と解っていたのかも知れない。

 だがこの年の九月に信長は、義輝の後継の十四代将軍、義昭を奉じて上洛を

果たすとは、神ならぬ身の信玄にも予想もつかない出来事であった。
    

       (駿河攻略)

 永禄十一年二月、信玄の使者として山県三郎兵衛昌景が岡崎城に赴き、

家康と駿遠(すんえん)分割の誓紙を交わした。

 武田勢は駿河進攻を十一月と定め、その準備に謀殺された。

 信玄は父の信虎が内部崩壊を画策した、今川家の重臣の瀬名駿河守、

関口兵部、葛山備中守と接触を開始した。

 彼等を利でもって内応を促し、信玄は彼等の手なずけに成功したのだ。

「何時でもお味方としてお役にたちます」  

 三人の今川家の重臣は、主人の氏真の行状に愛想を尽かしていたのだ。

 義元の弔い合戦もせずに、酒と女に現つを抜かし、輪をかけ流行しだした

風流踊りに熱中するようになった。

 心ある者は唇を咬んで憂え、今川家の将来を危惧した。

 駿河全土の領民までが家業を疎かにし、風流踊りに熱中した。

 国主の氏真が真っ先に熱中しているのだ。

 三月には越後に動きがあった。輝虎が信玄の読み通り越中に軍勢を発した。

 それを待っていたかのように、上杉家の武将の岩舟郡本庄城の本庄繁長が

挙兵した。これで上杉輝虎は武田家に手が出せない情況となった。

 武田勢は満を持し、十一月に躑躅ケ崎館から一万八千名の大軍が颯爽と

出陣した。

 諏訪法性と孫子の御旗二流が冬空に翻り、鈍空の空に舞っている。

 先鋒は山県三郎兵衛の赤備え、甘利昌忠の黒備えの騎馬武者の群れが行く。

 中陣は馬場美濃守信春、内藤修理亮昌豊が続き、本陣は陣場奉行の原隼人、

旗本奉行の今井信昌が配置され、その後に総帥、武田信玄が続いている。

後備えは小山田信茂、武田勝頼が受け持ち、予備隊として武田信豊、秋山信友

の率いる三千名が後続している。

 既に先発部隊として駿河、三河の一騎合衆の波合備前、平屋玄番の五百名が

一日前に出陣していた。

 信玄は武田菱の前立兜に、武田重代の鎧に緋の法衣を纏い、黒駒の駿馬に

跨っての出陣である。

 軍勢は甲斐と駿河の国境の富士川沿いに南下し、十三日には由比に進出した。

 今川勢も武田勢の出撃を知り、庵原安房守(いはらあわのかみ)を総大将にし、

一万五千名の軍勢が授け、薩唾峠(さったとうげ)で陣を構え対峙した。

 併し、全く戦意のない軍勢である。

 国主の氏真が駿府城で恐怖に身を震わせているのだから仕方がない。

 更に宿老の三名が武田家に内応し、軍勢を動かそうともしないのだ。

 信玄が法衣を翻し前線に現われ、敵勢の陣営を眺め頬を崩した。

 これが海道一の弓取りと言われた今川家の軍勢なのか、戦意の欠けらも

見られなく、今にも崩れそうな陣構えである。

「憐れなり、義元殿」

 信玄の胸中に公卿姿の故義元の顔が過った。

 これなら、山県三郎兵衛の赤備え一隊で突き破れる。

 併し、信玄は慎重であった。長年の念願であった今川勢との合戦である。

 ここで逸って齟齬(そご)をきたしては何にも成らない。

 信玄は本陣を構え対陣し、各地の様子を盛んに気にしていた。

 十二月六日の早暁、信玄が陣頭に現れた。

 そろそろ潮時と決意した信玄であった、目前の今川勢の様子は相変わらず、

戦意に乏しい。

 信玄が軍配を軽く振った。法螺貝がびょうびょうと冬空に響き渡り、

百足衆が猛烈な勢いで先鋒の赤備えに駆け寄って行った。

「おおっー」  

 薩唾峠に雄叫びの声が轟いた。ゆったりと山県三郎兵衛が騎馬で現われ、

輪乗りをはじめた。小脇には自慢の大身槍を抱えている。

 武田勢の本陣から太鼓の乱れ打ちが、峠の全域に轟き始めた。

「かかれー」  

 山県三郎兵衛が野太い声で檄を飛ばし馬腹を蹴った。彼を頂点に三千の赤備

えが、一斉に峠道を駆け上って行く。

 馬蹄の響き、馬の嘶(いなな)きと軍兵の喚声が湧きあがり、両軍の距離が

みるみるちぢまった。

 先頭を駆ける山県三郎兵衛の鋭い眼光に、敵兵の慌てる様子が見えた。

 眼が血走り、腰が引け、今にも崩れそうな様子である。

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Last updated  Jan 18, 2015 01:49:33 PM
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Jan 11, 2015
「乱世激化す(2)」(88章)


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        (信玄、駿河今川攻めを決意す)

 将軍に反抗する一味が堂々と反旗を翻し、将軍を殺害する世の中の

動きを知りながら、勘助は小十郎を伴い岐阜に足を踏み入れていた。

 城下は喧噪につつまれ、至る所で工事が行われている。新な道普請や

武家屋敷が新築され、岐阜城には新しい居館の工事も進められている。

「小十郎、そちは信長という人物をどのように思う?」  

 勘助が工事現場の傍に佇み、職人達の動きを眼でおって訊ねた。

「わしには判りませぬが、この繁盛は只ならぬことですな」

 小十郎の眼からみても、この町の様子は異様な光景と映っているようだ。

「古来から天下を制するには、美濃を制せよと言われておる。信長はこの

岐阜に拠点を置く積りじゃな」  

 勘助は信長の野望を、岐阜の町の変貌と空気で見抜いたようだ。

 美濃からは京は近い、織田家は尾張からこの岐阜に移り住むだろう。

 それで天下を望む信長の野望がありありと判る。

 これらの情況は逐一、信玄の許に知らされていた。

 信虎が信長には得体の知れぬ臭いがあると言っていたが、事実と確信できた。

「信長に先を越される」  

 勘助の脳裡にこのことが過ぎった。

 考えてみれば織田家は永禄七年に北近江の浅井長政と同盟を結び、その際、

信長は妹のお市を輿入れさせた。

 一方では信長は永禄八年に一介の牢人であった、滝川一益を大将に抜擢し、

伊勢地方に進出し当地の諸豪族(北勢四十八家)と激戦を繰り返している。

 信長の戦略は顕かに天下制覇の野望が見えるが、勘助の恐れは信長の

人材登用の妙であった。

 百姓から成りあがった木下藤吉郎もその例であった。

 話が飛ぶが、三河の松平家康は永禄九年十二月に、信長の斡旋で勅許を得て

松平から徳川家と改めた。これにより正式に徳川家康を名乗ることになる。

 この意味は今川家からの離脱を宣言したもので、家康は本格的に三河遠江の

地に触手を伸ばすことに成る。

 こうして永禄十年が暮れ新年を迎えたのだ。

 古府中の躑躅ケ崎館に、甲斐、信濃、西上野の諸豪族の主が続々と年賀の

祝いに訪れて来た。
 

 信玄は一人ひとり謁見し、魁偉な眼を細めて言葉を与えている。

 この新年の式典を甲斐の領民達は驚きの目でみていた。

 それらの式典が終り信玄は股肱の重臣を集め、年賀の祝宴を行った。

 主殿には宿老や若き時より苦労を分かちあった者達が一堂に介していた。

「御屋形さま、我が武田家も大きうなりましたな。こうして各地の豪族達が

恭順の意をもって年賀に訪れ、祝着に存じます」

 馬場美濃守信春が一同を代表して祝辞を述べた。

「武田に恭順いたした豪族は二百三十八名となった。これは昨年の起請文

で判ったことじゃ、じゃが浮かれてはならぬ」

 信玄の魁偉な巨眼が炯々と輝きを増し、馬場美濃守信春に注がれた。

「余は各地に忍びを放っておる。尾張の織田信長は美濃を制し、岐阜城を改築

いたしておると聞く。一方、岡崎の徳川家康は三河一円を平定いたし、遠江を

侵略せんといたしておる。余は年内に駿河を平定することに決めた」

 信玄がはじめて明確に駿河攻めを宣言したのだ。  

「おおっー」 

 一座の武将連から喜びの雄叫びがあがった。

 そんな武将の姿を見た信玄が手で制した。

「我が武田家の力が弱まれば、起請文なんぞただの紙切れじゃ。驕るでない。

余の目的は上洛にある。併し長年に渡る越後勢との戦いで西上おぼつかない

情勢であった。だが西上野が安泰となったこの時期、駿河平定を成し遂げたい」

 信玄が神妙な口調で述べた、些かも驕りがみえない。

「塩どめをいたした報復じゃ」  

 武田四郎勝頼が満座の中で声を強め叫んだ。

 彼も今年で二十二才となり、猛々しい猛将に育っていた。

「勝頼、合戦は報復で為すものではない。合戦で家臣、領民達を苦しめる事は

悲しきものじゃ。合戦は心して為さねばならぬ、浮かれるな」

 そう勝頼に忠告を与えた信玄の胸裡に、切腹した義信の顔かよぎった。

「ですが父上、塩どめで領民は苦しんでおります。この山国にとり漬物でも

塩は必要にございます」  

 勝頼の言葉に信玄の顔色が変わった。

「愚か者め、合戦ともなれば勝たねばならぬ。その為に犠牲の少ない策を練る、

これが武将としての努めじゃ。そちにそのような思案があるか?」

「・・・-」  

 勝頼が不満顔で口を閉ざした。

「まずは越後勢の力を削がねばならぬ。そのために余は石山本願寺と軍事同盟

を結んだ。輝虎が信濃を窺がえば、越中の門徒衆が決起いたす。さらに関東で

も北条氏政殿が軍勢を動かす。それだけでは心許なく本庄繁長と手を結んだ」

「御屋形さま、真にございますか?」

 真田幸隆が仰天して訊ねた。

 そも本庄繁長とは如何なる人物か、天文八年、越後の豪族の本庄房長の子

として誕生。幼名は千代猪丸と言う。

 彼は初め上杉輝虎と対決していたが、永禄元年に輝虎の家臣となり、

川中島合戦や関東攻めなど、輝虎に従って各地を転戦し、武功を挙げた。

 併し本庄家等越後北部の領主達は揚北衆と呼ばれ、守護や守護代としばしば

対立し、自立の傾向が強かった。永禄十一年に輝虎の命を受け長尾藤景、景治

兄弟を謀殺したが、これに対しての恩賞がなかったことに不満を持った繁長は、

信玄の要請に応じ、上杉氏からの独立を目論み、尾浦城主で大宝寺家の当主、

大宝寺義増と結んで上杉家に対する謀反を承諾したのだ。

 それだけ繁長は勇猛で聞こえた武将であり、彼は越後岩舟郡にある本庄城主で、

秘かにに戦国大名となるべく画策していた。そこを信玄が巧く調略したのだ。

 それだけ本庄繁長の武田家への恭順は心強いものであった。

「輝虎は雪解けを待って越中に兵を繰り出そう、その隙に本庄は寝返る」

「これは驚きました」  

 内藤昌豊と高坂弾正が顔を見つめあった。

「三国同盟が破綻したと申しても、甲相同盟は有効じゃ。じゃが北条勢を

全面的に信用はできぬ。その為の布石じゃ」

「参りましたな、我等には到底思いつかぬ策にござる」  

 一座の武将連がざわめいた。

「良いか、余の決心は固い。何時でも出陣できるよう準備は万端に成せ」

 主殿の大広間に信玄の声が響き渡った。


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Last updated  Jan 11, 2015 06:05:00 PM
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Jan 6, 2015
「乱世激化す(1)」(87章)


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       (足利義輝の死)

 永禄八年(一五六五年)五月十九日、京の都が震撼する出来事が勃発した。

 それは日没とともに将軍御所の二条館に、三好義継(よしつぐ)と松永久秀の

軍勢が押し寄せたのだ。

 これは二人が示し合わせた反乱であった。御所には六十名ほどの幕臣等が

詰めていたが、門扉が破られ反乱軍が御所の敷地内に乱入してきた。

 第十三代将軍足利義輝は剣の達人で知られた人物であった。

 彼は大広間に累代の名刀を数本抜き身とし、畳みに突き立て反乱軍を待った。

 御所の内部では怒号、悲鳴、歓声。鋼の打ちあう音が聞こえてくる。

 反乱軍と幕臣が将軍の命を巡って、必死の攻防戦を繰り返す物音である。

 どっと足音も荒々しく甲冑姿の武者が大広間の義輝を目差し乱入してきた。

 義輝は甲冑のすき間を狙い、大刀を替えては凄まじい働きを示したが、

衆寡敵せず、三十才の若さで壮烈な最期を遂げた。

『五月雨 露か涙がほととぎす わが名をあげよ雲の上まで』 

 足利将軍、義輝の辞世の句である。

 彼は何度も上杉輝虎率いる越後勢を上洛させ御所に呼んでいた。

 その際に一言「三好、松永を討て」と命じたなら、輝虎は喜び勇んで二人

を誅殺したであろうが、義輝は遠慮して命ずる事をしなかった。

 それが義輝を不幸な死に追いやったのだ。

 彼の死でまさに絵に画いたような、壮絶な下克上の世が訪れたのだ。

 この乱により将軍不在の年が、三年間も続くことになる。

 この反乱を信虎は謀略で生き延びた嗅覚で察していたのか?

 止まれ、河野晋作はこれを見る事もなく京を去っていた。

 こうした混沌とした時代背景のなか甲斐では婚礼の式が行われていた。

 この年の十一月に、武田家の四男、四郎勝頼と織田信長の養女で姪にあた

る娘との結婚式が執り行われた。

 この目出度い婚儀の席で信玄の胸中は、苦悩で揺れていた。

 信玄は婚儀を決めるまで悩みに悩んだ、それは嫡男の義信の事であった。

 謀反が顕かとなり、義信は甲斐の東光寺に幽閉されてる。

 信玄は何度となく足を運び、今川家との手切れの意味を説明したが、

義信はがんとして受け付けようとはしなかった。。

 あれほど柔和な眸子の倅の眼の奥に、狂気のような光が宿ってきた。

「義信め、気鬱に成りおったな」

 信玄は義信の精神状況が悪化した事に気付いた。

 これでは武田家の当主には成れぬ、そう信玄は感じとった。

 そうした時期に信長から、婚儀の話が持ち上がったのだ。

 信玄は義信の廃嫡を決意し、勝頼を武田家の跡取りと決めた。

 この背景には武田、織田、両家の思惑の一致があった。

 武田家は今川氏真の腑抜けに眼を付けた、三河松平家の進攻を恐れ、

今川家との手切れを想定した新たな同盟者が必要であった。

 一方の織田家は三河の松平元康の勢力圏が安定せず、安心して美濃攻略が

出来ない情況にあり、それを埋める為に両者の利害が一致したのだ。

 これは信玄の遠交近攻策の一環として意義深いものであった。

 更に関東では北条勢が有利に戦いを進めていた。氏康から氏政(うじまさ)に

代替わりた北条勢は、上杉勢の勢力圏である下野、常陸などの北関東での戦局

の主導権を握り、上杉勢を圧迫していた。

 関東では北条勢に押され、越中では事ある度に本願寺門徒が決起し、上杉勢

は東奔西走していた。上杉輝虎の受難の時期であった。

 信玄がこの情勢をみて動き始めた。武田家の上野地方の侵略を阻止せんとし、

上杉輝虎と手を結んでいた、西上野の中小豪族の盟主である長野業政(なりまさ)

に対し、信玄は西上野の国峰城主の小幡信貞(こばたのぶさだ)を味方につけ、

長野氏に対する包囲網を構築していたが、この年に上杉家の慌ただしい動きを

知り、厩橋城の北条高広、新田金山城の由良成繁(なりしげ)が上杉から離脱した。

 九月二十九日、信玄は二万の精兵を率い長野氏の居城である箕輪城を包囲し、

落城に追い込んだ。

 さらに翌年の二月に内藤昌月(まさつき)を城代として総社城をも攻略し、

念願の西上野一帯を完全に手中に治めたのだ。

 こうした背景をもとに信玄の駿河進攻が現実味をおび始めたのだ。

 それは三国同盟の一方的な破棄であり、今川家はその現実を知ったのだ。

「おのれ信玄、三国同盟を一方的に破るとは、駿河を敵にする積りか」

 今川氏真は八月に武田の進攻を止めるべく塩どめを強行した。これは信玄に

対する報復処置であり、山国の武田家に深刻な影響を与えたのだ。

 この今川家の策は裏目となった、武田家は一丸となり本格的に駿河進攻を

画策しはじめたのだ。

 それは信虎の口癖であった、塩の道と海の道を確保するのじゃ。

 武田家の上洛の為には、どうあっても避けては通れない道である。

 一方、塩どめで甲斐の民衆の困窮を知った、上杉輝虎は宿敵の武田家に塩を

送ってきたのだ。松本市の初市はそれを記念したものだと言れている。

 戦国乱世の時代のひとつの美談である。

 十月十九日、二年間幽閉されていた義信が自害して果てた。毒殺とも言われ

るが信憑性は乏しい。信玄は義元の娘である義信の寡婦を今川家に送還した。

 ここに信玄の駿河、遠江への進攻策が具体化に向かって行くのであった。 

 この年にはさらに乱世の時代を大きく変える事変が起こった。長年に渡り

美濃攻めを繰り返していた、織田信長が美濃三人衆を味方につけ、斎藤家の

居城、稲葉山城を攻略し名を岐阜城と改めたのだ。

 これは信長にとり長年の宿願であり偉業でもあった。
 

 これにより本格的な全国制覇に向かう記念すべき年となったのだ。

 信長は尾張から美濃に居城を移し、楽市楽座を奨励し城下は繁栄の一途を

辿った。これは誰もが自由に商いが出来る仕組みで、これにより織田家は豊富

な軍資金を得ることになった。

 この楽市楽座とは如何なるものか、初めは近江の大名の六角定頼が楽市楽座を

発令した事が初見と云われていた。

当時は座という商人たちの組合のようなものがあったが、新しく商をしたい者

がいても、なかなか新規参入が厳しいという難問があった。

 そこで座を廃止し、城下町では自由に商しても良いと言う触れをだした。

 しかも税金も安いと宣伝した楽市楽座が、織田信長の考えた構想であった。

 現代風にいえば規制緩和と減税を岐阜城下町で行ったわけである。

 これにより城下町に人々が集まってきて城下町が潤うという訳である。

 また信長は商人達に城下町に宿泊することを義務づけたりもした。

 こうして楽市楽座により流通を集中させて、町を繁栄させ人を集めたのだ。

 まさに経国済民ともいうべき施策であった。


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Last updated  Jan 6, 2015 12:46:33 PM
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Jan 1, 2015
「変貌する戦国乱世(7)」(86章)


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 新年明けましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い

一年と成るよう祈念いたしております。 

 現在の日本もこの小説の如く混沌とし、隣国の中国、韓国などの

反日が益々、強まる事と思います。世界経済も予断を許さず、我々は

そこにある危機を政府と共有し、安倍政権の国内政策と外交政策が

本当に日本国と国民を守るものか、冷静に注視する必要があります。


      (下剋上の世)

 勘助は軽く足をひきずってはいるが、肩を大きく振ることはなくなっていた。

 渋茶色のくたびれた羽織りに野袴姿で街道を歩んでいる。

 街道は収穫した野菜を担いだ百姓や、大八車に満載した荷物を運ぶ商人等で

混雑している。そんな風景の中で隻眼の浪人は嫌でも目に映る。

「あのお方が山本勘助さまか」

 小十郎が松林の翳から、そっとその様子を窺がっている。

 何度となくお弓の命で勘助の許に使者として訪ねたが、不思議と直に会った

事はなかった。

 お弓からは肩を左右にゆすり、足をひきずる隻眼の男とは聞かされていた。

 先刻から勘助は、物陰から自分を見つめる視線を感じとっていた。

 小十郎という忍び者と気づき、路傍の端に腰をおろし竹筒を口にした。

「山本勘助さまか?」  

 微かな忍び声が流れてきた。

「そちが小十郎か?」  

 勘助の問い、目の前に風采のみすぼらしい小男が現われた。

 腰に小刀を差した姿が、なんとなく滑稽に映る。

「小十郎か?、山本勘助じゃ。これからはわしと一緒いたせ」

 否を言わせぬ口調で勘助が小十郎に命じた。

「判りましたぞ」 

 全く感情もなく抑揚もない声の持ち主である。

「そちも飲むか?」  

 勘助が水筒を差し出した。  

「頂戴いたします」

 素早く水筒が勘助の手から小十郎の手に移っている。

「河野晋作から金子を預かって参ったか?」  

「はい、ここに」

「そちが持っておれ」  

「わしが?」

「そうじゃ、宿の払いもそちがいたせ」  

 初めて小十郎の細い眼に笑みが浮かんだ。

 信じて貰える。忍び者と蔑まれてきた小十郎にとり嬉しい事であった。

 この方なら信じて就いて行ける、小十郎はそう直感した。

「山本さま、これから何処に行かれます?」

「尾張じゃ。織田信長の治世がいかほどか、わしの眼で確かめたい。

その後は京に向かう」  

「はっ」  

 小十郎は何も訊ねずに従った、何となく勘助の人柄に引かれたのだ。

 二人はゆったりとした歩調で尾張に向かった。

 その頃、京の菊亭大納言の屋敷の離れで、河野晋作は二人の人物と会っていた。

 その人物とは駿府城から逃れた、信虎と腰元で忍びのお弓であった。

 信虎の風貌は歳とともに怪異となり、妖怪のような雰囲気を醸しだしている。

 この薄暗い部屋で二人だけで対面したら、と思うと河野晋作を以ってしても

薄気味の悪い事であったが、幸いにも傍らのお弓の存在が救いであった。

「大殿、お久しゅうございます」

 河野晋作の挨拶に、信虎はいきなり怒声でもって応じた。

「倅の太郎義信を幽閉いたし、宿老の飯富兵部に切腹を命ずるとは信玄は何を

考えておるのじゃ」

「大殿、御屋形さまのお考えは分かりませぬが、それは誤解にございます」

 河野晋作が、父、信玄に対する義信の謀反と飯富兵部の死の真相を述べた。

「因果は巡るか」  

 信虎がぽっりと呟いた。

 往年、自分が行った信玄に対する仕打ちを思いだしたようだ。

「河野殿、どうして大殿がこに居られることを知りました?」

 昔と変わらぬ容姿のお弓が不審そうに訊ねた。

 河野晋作は勘助の存在を語らねばならなくなった。  

 
「勘助め、奴は生きておったか?」

 信虎の怪異な貌に薄い笑みが浮かんだ。

「勘助殿はお元気ですか?」  

 すかさずお弓が訊ねた。  

「お元気にございます」

「それで今は何処に居られます?」  

 お弓が切れ長の眼を輝かせ興味深く訊ねた。

「小十郎と旅を為されておられます」

 傍らで信虎が苦い顔をした。彼には勘助の考えと行動が判るようだ。

「信玄の奴、何時になったら動く積りじゃ」  

 矛先が信玄に向けられ、お弓が助け舟をだした。

「大殿、信玄さまは駿河攻略の為に、本願寺と同盟を結ばれるお積りです」

「お弓、そのような事は見通しておる。勘助は尾張に向かっておる」

 信虎が怒声を挙げ、途中から含み笑いに転じた。

「大殿は全てお見通しにございますね」  

 お弓が妖艶な眸子で信虎を見つめた。

「判らいでどうする。河野、勘助が使者となり本願寺と軍事同盟を結んだの、

遠交近攻策の一環じゃな」  

 河野新作が驚きを隠さずに訊ねた。

「その遠交近攻策とはいかなる策にございます?」

「判らなくてもよい。戻って信玄に伝えよ。今川家と手切れをいたし、

義信の室を氏真が許に帰せとな」  

「義信さまのご正室を?」

「そうじゃ、氏真の奴め、どう出るか見ものじゃ」

「今川家から手切れを申して参りますよ」

 お弓がしらっとした顔つきで意見を述べた

「お弓、そちが女子であることが勿体ないは」

 河野晋作が二人の会話を憮然とした表情で聴いている。

「駿府を退く際に小林兵左衛門を失い、今はお弓一人が面倒を見てくれる。

それにな菊亭大納言家も貧乏公卿じゃ、酒を飲むにも苦労いたしておる。

わしにも遣る事がある、信玄に伝えてくれえ、金子を送るようにとな」

「はっ、ただ今のお言葉、間違いなくお伝えいたします」

 信虎が感極まって涙をこぼしている、年を経て涙もろくなったようだ。

「更に、いまひとつある。今川の三人の重臣どもは武田に内応の心を抱いて

おる。即刻、調略いたすか、応ずる気配がないなら氏真に洩らせとな」  

「お言葉たしかにお伝えいたします」

 答えつつ河野晋作は信虎の謀略の烈しさに驚嘆していた。

「ついでに京の町を確りと見てゆけ、近々には大荒れいたそう。わしは

それを楽しみにいたしておるのじゃ。古い権威が没落いたす様子をな」

「この京の都が荒れますのか?」  

 河野晋作が不思議そうな顔をみせている。

「河野、去る前にいくばくかの金子を置いて参れ」

「はっ」

 拝跪した河野晋作が、巾着をお弓の手に渡した。

「確かに」

 お弓がニッと微笑み、金子を懐に仕舞った。

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Last updated  Jan 2, 2015 04:35:50 PM
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