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長編時代小説コーナ

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小説 上杉景勝

Mar 26, 2007
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カテゴリ:小説 上杉景勝
  景勝は挨拶の言葉をはっしたのみで、あとは、一言も口を利かずに大杯を

あおっている。髭跡が濃く粛然(しゅくぜん)とした態度を保っている。

 何を考えておられるか、左近をしても理解できない武将であった。

「松籟(しょうらい)の音が心地よく聞こえますな」

  取りつく間を持て余し、寂びた声をあげた。

「この大広間は常にそうでござる」  直江山城守が答えた。

「風流の極みにござるな」  答えつつ左近は内心、舌をまいていた。

  景勝公は故謙信公の化身であらせられる、人伝で聞いた話が脳裡を過ぎ

った。日頃から無口で家来たちは、敵よりも景勝公を恐れているという。

  大将とは、ただ床几に腰を据え、戦況に関係なく前方を見据えているのみ、

これが景勝の武将としての生き様と聞いた。ゆえに景勝の本陣の将兵は前方

を見据えて折り伏し、咳払いをたてることもなく静まり、無言の軍団として敵に

恐れられているという。大将が本陣で泰然自若としておれば、全軍は動揺せず、

兵士等は合戦に勝てると信ずるものである、これが景勝の考えと聞いた。

  島左近は景勝を前にして、その思いを募らせていた。


  景勝には謙信を崇拝し、己を高めようとする気概があった。

  そうするように山城守が導いてきたことも承知している、景勝はすでに己の

出生の秘密を知っていた。己の体内に流れる血潮には、謙信の血と謙信の姉

である母親の血が、濃く交わっていることを。ならば及ばずとも不識院公のよう

な、果敢な戦いをやろうと思っていた。事実、景勝は戦機を見逃さず一騎駆け

で敵中深く駆け込み、勇猛果敢な武者働きを何度となくしてきた。

  島左近は己の主人の石田三成と比較していた、主人に目前の景勝の資質の

ひとつでもあれば、孤立せずに家康と対等の力量を発揮できた筈である。が、

三成にはそれが欠けていた。だが三成には壮大な構想力がある。

  左近が杯をもって暫し思いに耽った。

「左近、わしは下がる。あとは山城と天下のことを計れ」

  景勝は一声かけ、前田慶次と上泉泰綱をともなって退出していった。

「山城守殿、上方の戦略をお話申す」  左近が威儀をただした。

「お聞きいたす」  山城守が白皙の顔を引き締めた。

  島左近が三成からの言付けを淡々として語った。

「大阪城に毛利輝元さまが、西軍の総帥として入城なされるか?」

「左様、吉川(きっかわ)広家殿、安国寺恵瓊殿、毛利秀元殿もご一緒される。

総兵力は三万五千名にござる」  「それは重畳」  左近はなおも語る。

「長曾我部盛親殿が六千名、いささか危ういが小早川秀秋さまの一万六千名、

さらに九州勢としては島津殿、立花宗茂殿の参陣がござる」

「野戦軍の総帥は、宇喜多秀家さまか?」

「一万七千名が主力でござる。そこに小西行長殿の六千名と我家の八千名、

大谷刑部殿と与力大名の四千名が、西軍の総兵力となります」

「よくぞ成し遂げられた、西軍の総兵力は九万五千から十万ほどの大兵力と

なりますな」  山城守の顔面が紅潮している。

「左様、まずは家康が御家討伐の軍を発し、会津領に近づく頃を見計らい挙兵

いたす」  「畿内は、いかが為される」

「伏見城の攻略をいたす。さらに大阪におる家康側の大名家の者を大阪城に

移し人質といたす」

「それは火に油をそそぎませぬか」  山城守が端正な顔をしかめた。

「これも戦略にござる」  左近がかまわずに話を進めた。

「合戦の帰趨は美濃にござる。我が軍勢は大垣城を攻略いたす」

  山城守が大きく合点の肯きをみせ、突然、話題をかえた。

「左近殿、信州に面白い人物がおられる」

「上田城主の真田昌幸殿にござろう」  「承知にござるか?」

「すでにお味方にござる」  左近が当然といった顔をしている。

  この真田昌幸という武将は禄高、五、六万の小名であるが、奇妙人として

天下に知られている。戦術家として局地戦では彼の右にでる者はいない。

その昌幸は稀に見る家康嫌いであった。故秀吉に心酔することが滑稽なほど

で、日夜、秀吉の画像に香を焚き礼拝を欠かすことがなかった。三成は昌幸に

書状を送り、勝利の暁には甲斐、信濃の二ケ国を与えると書き送った。

  昌幸にとっては生涯二度とない機会である、まして次男の幸村の室は三成の

盟友である、大谷刑部の娘である。ふたつ返事で同意した。

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Last updated  Mar 26, 2007 11:15:11 AM
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Mar 24, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
         (軍師二人)

  十名の深編み笠をかむった武士が、下野街道を足早に歩んでいた。

いずれも手練者としれる男たちである。

  中央の武士の腰をおとして歩む姿が印象的であった、かなりの遣い手とみえ

る。渋柿色の野袴を着用し羽織を風になびかせていた。

「そろそろ会津に入るの」  「あと、二里くらいにございましょう」

「遠路、苦労をかけたの」  戦場焼けした声に男の色気が感じられる。

「拙者、先駆けをいたします」  若々しい声の武士が足早に道を急いでいった。

「あの茶店で休息いたそう」  新緑の若葉を茂らせた樹木の側に茶店がある。

  それぞれが腰をおろし街道を警戒している。羽織姿の武士が編み笠を脱ぎ

茶を啜っている。戦場焼けした古武士風の風貌と知的な眸が印象的である。

「天下の島左近さまが会津を訪れるとは、直江さまも驚かれるでしょうな」

「なんの、驚かれる訳がないわ」  褐色の顔色をした武士が明るい声を発した。

  この武士が、上杉家の直江山城守と天下を二分する、島左近の偉丈夫な姿

であった。  「騎馬が参ります」  警護の男たちに緊張が奔りぬけた。

「流石に手まわしが良い」  島左近が眼を細め街道をみつめた。

  五頭の騎馬に空馬が一頭、猛烈な勢いで茶店に駆け寄ってきた。

  先頭の武士が、名乗りをあげた。  「拙者、上泉泰綱にござる」

「ご貴殿が新陰流の上泉殿か?」  「島左近さまにござるな」

  精悍な顔立ちの上泉泰綱が、左近に声をかけた。  「左様」

「殿と山城守さまがお待ち申しておられます、これ、馬をお渡し申せ」

「はっ、遠路ご苦労に存じます、この騎馬をお使い下され」

  武骨な顔をした武士が、空馬の手綱を左近に渡した。

「かたじけない」  左近が物慣れた様子で鞍上(あんじょう)に飛び乗った。

「わしは一足さきに往く、あとからゆるりと参れ」

  左近が馬腹を蹴った、六頭の騎馬が砂埃をあげて疾走してゆく。

「おうー、見事なお城じゃ」  「会津若松城にござる」

  上泉泰綱が騎馬のまま城内に案内してくれた。大阪城や伏見城にはひけを

とるが、流石に会津百二十万石に相応しい豪壮な城塞である。

  武骨一点ばりの城内を、左近が物珍しげに眺め廻している。

「宿舎にご案内いたす、そこで汗を流し着替えて下され」

(行き届いた手配りじゃ)左近は宿舎で汗を流し、うら若い腰元たちの手によって

用意された裃(かみしも)に着替えた。

「さっぱりいたした」  宿舎の座敷には酒の用意がしたあった、左近が無類の

酒好きと知った山城守の配慮であろう。

「ご免ー」  声と同時に直江山城守の白皙の長身が現れた。

「これは、これは山城守殿、お久しぶりにござる」

「左近殿も、お変わりなく結構。まずは一献まいられよ」

「頂戴いたす」  注がれた酒を飲み下し、左近が嬉しそうに破顔した。

「江戸の狸が、蠢きだしましたな」  山城守が端正な顔つきで訊ねた。

「左様、いよいよ面白くなって参った」  左近が戦場焼けした声で応じた。

「お話は今宵、殿とお伺いいたす。ご家来衆もおいおいと着かれましょう、

長旅の疲れを癒して下され。・・・ところで治部少輔殿はお元気にごぞるか」

「張り切っておられます」  「左様か、では後刻」


  会津盆地に夜の帳(とばり)がおとずれた、左近は泰綱の案内で景勝の

待つ、大広間にむかった。部屋のなかは灯火で煌々と真昼のようである。

  正面に青味をおびた顔つきの景勝が無言で座している。傍らには山城守が

控え、それぞれの前に酒肴の膳がならんでいる、それは山海珍味の豪華なもの

であった。  「左近殿、殿の前にお座り下され」

  山城守の言葉に従い左近が静かに腰を据えた。傍らに上泉泰綱と前田慶次

の二人も加わっていた。

「お屋形、石田治部少輔殿のご家老の島左近殿にござる」  山城守が如才なく

紹介した。  「お初にお目にかかります。拙者が石田家の島左近にございます」

「わしか中納言景勝じゃ。遠路ご苦労であった」 と、短く答えた。

  山城守が前田慶次利大を紹介した。  「前田利家さまは叔父にござったな」

「左様、いささか風狂に過ぎましてお屋形さまに拾って頂いた」

  雑談に花がさき、一同は膳部に箸をつけ酒を楽しんでいる。

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Last updated  Mar 24, 2007 09:21:52 AM
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Mar 23, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  「何と仰せです」  両奉行が顔色を変えた。

「何ゆえの討伐にござる、拙者には得心が参らぬ」

  増田長盛が息巻いた、彼は大和郡郡山城主で三十万石を領している五奉行

の一人である。 「拙者も反対にござる」

  長束正家も猛然と反駁した。彼は水口五万石の小名ながら五奉行である。

  二人は日頃の家康の、独走に嫌気がさしていた。

「ほうー、ご両所は会津征伐に異を唱えなれるか?」

  家康が肉厚い瞼を細め両人を眺めやった。

「内府には私曲が多うござる」  珍しく長盛が家康を非難した。

「わしに私曲が多いと云われるか?」  家康がぎらりと眼を剥いた。

「豊臣家安泰のため、故太閤殿下は勝手な縁組はならぬと遺命を残された。

それを内府は無視され、我等五奉行の印もなく縁組を為されておられる」

「・・・・・」  家康は口を閉ざしている、無言こそ最大の威圧である。

「前田家の芳春院さまの件もござる、豊臣家の人質である筈に、勝手に江戸に

お連れする。我等奉行をいかが見ておられます」

「・・・・わしは家臣の本多正信に、いかなる事もご相談いたすように申してござ

る。手違いにござるゆえ、わしからご両所にお詫びを申す」

  天下の実力者に詫びられ、両人は言うべき言葉を失った。

「こたびの会津攻めじゃが、明日にも本丸に参上いたし、秀頼公に会津征伐を

奏上いたす積もりにござる」

  そう云うことか、またもや前田家同様に秀頼公の名代とし、豊臣家の逆臣と

して、上杉景勝殿を討ち果たすか、考えたものだ。

  家康の傍若無人な態度に、増田長盛は怒りで蒼白となった。

「上杉討伐の名目はなんでござる」  長束正家が訊ねた。

「わしへの愚弄じゃ」  家康が平然と答えた。  「何とー」

「仮にも豊臣家の筆頭大老にござる、そのわしの上洛命令を無視いたした。これ

は反逆そのものじゃ」

「それは私怨にござる、確たる謀反の証拠でもござるのか?」

「黙らっしゃい。関東二百五十万石の大名で豊臣政権の執行官の、わしの命令

に叛いたならば、これは豊臣家に対しての謀反じゃ。明日の件は淀殿と秀頼公

に、よしなに伝えてもらいたい」

  一方的に二人に命じ、肥満した躯を持て余すように退出していった。

「悔しいが、豊臣家の天下も終ったの」  長束正家が無念の涙をみせていた。

「治部少輔はいかがしておる」  「佐和山城の改築をいたしおる」

「正家、わしは佐和山城に使いをだそう、奴の頭脳がこの急場の手立てを考え

だしてくれよう」  増田長盛が決断した。

「あの、横柄者(へいくわいもの)が懐かしいわい」

  その晩、西ノ丸は遅くまで灯火が消えなかった。家康は家臣の主だった者と

極秘の軍議をもようしていた。

  会津には七口の攻め口がある。南山口、白河口、信夫(しのぶ)口、米沢口、

仙道口、津川口、越後口の七道である。

「軍勢の分散は避けねばならぬ。主力は白河口じゃ、わしと秀忠が当たる。仙道

口は佐竹義宣、信夫口は伊達政宗、米沢口は最上義光じゃ、越後口は前田利

利長と堀秀治に命ずる」  「仙道口が、いささか危ういかと」

「正信、佐竹義宣の件は考えてある。諸大名には江戸に参集を命じよ、出来る

かぎり早くじゃ」  「上様のご出立は何時頃にございます?」

「御本丸さまに暇乞いをいたし、準備の出来しだい大阪を離れる。正信、先鋒

大将は豊臣恩顧の福島正則、細川忠興、黒田長政に命じよ」

「畏まりました」  本多正信が痩身をみせ肯いた。

  五月三日、秀頼に暇乞いをした家康は、諸大名に会津出兵を命じた。

  いよいよ、徳川さまが会津討伐に向かわれる。大阪城下はその噂がたちこめ

た。家康は陰湿な笑みを浮かべている。

  わしが大阪をあとにして会津討伐に向かえば、光成め、必ず挙兵するだろ

う。わしは、それを首を長くして待っておる、これで天下が、わしの掌に転がって

くるのじゃ。併し、謀臣の本多正信は楽観できずにいた。

  上杉勢は先の前田家とは違う、景勝という男は無類の戦狂い。その配下の

将兵は、景勝の秋霜烈日の気象を、敵勢よりも恐れていると云う。

  聞くところによると富士川の渡船の折、供の者が乗りすぎ川の半ばで船が

傾いた。景勝が無言で杖を振るうと、泳ぎの出来ない者まで流れに飛び込ん

だと云う。

  さらに天下を二分する軍師の直江山城守と、謙信に育てられた歴戦の武将

が控えている。  「心せねばな」  正信が一人呟いた。

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Last updated  Mar 23, 2007 10:05:36 AM
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Mar 22, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  さかのぼって津川城の藤田能登守信吉を年賀に上洛せしめた、時に家康に

懐柔され、上杉家より出奔した事件があった。

  藤田信吉は武蔵の出身で謙信時代に、越後にきて謙信に仕えた。

戦国乱世の世を泳ぎぬいた男の嗅覚に、上杉家の衰亡を嗅ぎ取り見限ったの

だ。彼は景勝謀反を徳川の謀臣の本多正信に訴えでた、家康にとり待っていた

事態であった。家康の態度がこの件より一変したのだ。

  家康は伊奈昭綱(あきつな)と五奉行の増田長盛の家臣の河村長門の両名

を、四月一日に門罪使として会津に下向させた。

  両名は景勝への非違(ひい)八ケ条の弾劾状をもっの下向であった。

  これは直江山城守と親しい、京の相国寺の西笑承兌(さいしょうしょうたい)に

家康が命じて作らせた書状で、弾劾状の宛名は直江山城守兼続であった。 

  これは山城守から景勝に諫言させ、景勝が家康に詫び状を書くよう、仕向

けさせる意図が含まれていたのだ。

「お屋形、狸よりの使者がこのような弾劾状をもって会津に現われましたぞ」

  兼続が書状を差し出した。 景勝は一読し例の顔で兼続に視線を移した。

「これは、そち宛ての書付じゃ。狸爺の使いそうな手じゃな、よきに計らい」

「はっ、分りましてございます」

  兼続は屋敷にもどり書院に座し、料紙を前にして暫く思案した。 

  (笑止なり) この思いがした。彼は、この弾劾状に対し一片の妥協も示さぬ 

反駁文を書くために筆をおろした。

「尊書、昨十三日に下着す。つぶさに拝見、多幸、多幸」

『当国については、さまざまな雑説が京、伏見に流布され内府もご不審の由、

仕方のないことです。会津は遠国で景勝は若輩であり、このふたつが雑説を

生むことになりますが、いたって苦しからず。尊意を安んぜられ、このような流説

に心を労されるな』

『景勝に上洛を命じなされるが、二年前に国替し程なく上洛いたし、昨年の九月

に下国いたした。又も上洛せよとは何時、国の仕置きをいたすべきか得心がま

いらぬ』

『景勝に別心なき旨、誓紙を差し出せと申されるが、誓紙なんぞは何枚書いても

意味はない。景勝が律儀の人物であることは太閤殿下が、もっとも良くご存知で

おられた。その心は今も変わってはおりません。この世間の朝変暮化とは縁の

ない者と思って頂きたい』

『武具を集めていると非難されておられるが、上方武士は今焼茶碗、炭取瓢とい

った人たらしの道具を所持なされるが、田舎武士は槍、鉄砲、弓矢の道具を支

度仕る』

『景勝に逆心あって籠城するならば、国境の出入口を塞ぎ、道路をこぼつのが普

通である。それを十方に道を作っている。もし天下の軍に包囲されれば、十方に

兵を出し防戦せねばならず、人数も足りぬ。やがては攻め落とされてしまう。道

路開発き敵意のない証拠とみられよ』 全文十六ケ条からなる、直江状から抜粋

したが、景勝主従には自分たちが、非難される謂れがない自負があった。

  領内の統治を優先させることが、豊臣家への忠節と考えていた。その意味で

直江状の最後に、『家康、秀忠が当地に下向されると云われるが、そんな事で驚

くものではない、万事はそれを見たうえで当方の態度を明らかにしょう』 と結ん

でいる。これは、正に家康への挑戦状であった。

  それに五大老の一人として同僚の家康に、とやかく言われる筋合いはないと

いう思いもあったのだ。

  家康は大阪城の西ノ丸で直江状に目をとおし読み終わった。

「わしは、この年までこのような無礼な書状をみたことがない」 と、呟き呆然と

したといわれる。この直江状は慶長五年十四日に書かれている。

  家康の反応も素早い、豊臣家の奉行の増田長盛、長束正家の二人を呼び出

し、会津討伐を公式に伝えた。


 小説上杉景勝(69)
 







Last updated  Mar 22, 2007 11:31:50 AM
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Mar 21, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
「わしは徳川の狸爺が憎い、ありもせぬ流言を撒き散らし豊臣家の御為と称し、

己の地盤を固めておる」  景勝の額に青筋がういている。

「お屋形、奴の狙いは利長殿の母上の芳春院(ほうしゅんいん)さまではござらぬ

か」  兼続が思慮しつつ訊ねた。

「なにっー」  景勝の顔色が変わった。

  芳春院さまとは加賀前田家の亡き利家の妻、お松のことである。

  利家の死により髪をおろし、芳春院と称していた。彼女は夫の利家を助け、

賢夫人として故太閤殿下も彼女の存在に一目おいていた。

  家臣たちも新藩主の利長より、彼女に心を寄せていたのだ。

「狸め、前田家を征伐すると威嚇し、芳春院さまを人質とする積もりか」

「左様に心得ます、そうなれば前田家は徳川に反抗できませぬ」

「汚し」  景勝が怒声をあげた。

「来るべき合戦には前田家は、豊臣方として当てには出来ませぬな」

「山城、上方から目を離すな」  「心得てごさる」

  家康は兼続のよみどおり、前田家に謀反の疑いありと在阪の諸将を招集し、

加賀攻めの陣ぶれを発し、陣立てを評議した。それは十月三日のことである。

  この命令も大阪城の秀頼の名でもって行われたのだ。

  これを知った温厚な利長も激怒し、ただちに家康への迎撃体勢を固めた。

  併し、老臣らは大いに利長の器量を危惧し、しきりに利長を諌めた。

  ここに利長も、家康への陳謝と誤解を解くための使者を遣わすことに決め、

胆力と交渉事に秀でた横山長知(ながとも)を急遽、大阪に派遣した。

  家康は横山長知の陳謝には耳を貸さず、芳春院を差し出すよう要求した。

  前田家の当主の利長は、豊臣家に対する二心はないと抗弁したが聞き入れ

られず、芳春院がみずから人質となり事は決着をみた。

  芳春院は息子の利長の器量では、前田家の存続はないとみたのだ。彼女は

身を犠牲として家を守る決意をした。

  こうして豊臣最大の忠臣であった前田家は、徳川の軍門に屈したのだ。

  後日談だが、家康は芳春院が大阪に到着すると、彼女は徳川家の人質であ

ると勝手な理屈をこね、大阪から江戸に送ってしまった。

  これより十五年間、江戸に留め置き、利長が病重くなり死に目に会いたいと

願い出たが、許さず、死後ようやく帰国を許すのであった。

  この知らせを受けた景勝は、徳川家との徹底抗戦を覚悟し、領内統治を

強め、国境の城塞に兵力を集中した。

  さらに彼は自ら国境付近の、戦場予定地の視察を精力的に行い、下野に至

る軍事道路の整備を急いだ。

  慶長五年の年明けと同時に家康の態度が豹変した、突然に問責書が家康よ

り景勝に送りつけられて来たのだ。

「陰謀の疑いがあり、釈明のために上洛せよ」と、命じてきたのだ。それまでは

景勝と家康との関係は、比較的平穏に過ぎていたのだ。

  百二十万石の大藩の上杉家に緊張が奔りぬけた。ただちに山城守の伝令が

各城塞に駆けつけ守りを固め臨戦体勢となった。 

  前田家を屈服させた家康の次ぎの標的が、上杉百二十万石であった。

  彼は巧妙な手を使っていた、何としても謀反の疑いをかける。その役割を

になった者が、越後の堀秀治であった。堀家は越後に入封当時の年貢の一件で

遺恨を残していた、さらに越後支配が思うにまかせない情況にあった。

  越後各地に一揆が頻発していたのだ。

  この原因は、旧領主の上杉家が後方から支援していると考えた、堀秀治は

景勝の会津での行動を入念に探り、徳川家の榊原康政(やすまさ)に一部始終

報告していた。だが、会津転封時に故太閤殿下から許されていた、領国統治と

しての城の築城や改修、道路の修理や新築、建設などは問題視されなかった。

 併し武具の調達や、浪人の新規召抱えが謀反の疑いとされたのだ。

小説上杉景勝(68)






Last updated  Mar 21, 2007 09:44:30 AM
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Mar 20, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  景勝と山城守兼続は、久方ぶりに酒を酌み交わし、大阪の情勢を語りあって

いた。  「いよいよ徳川の狸爺、本性を現してきましたな」

  兼続が常の白皙の相貌を厳しくさせて景勝に話かけた。

「大阪城の西ノ丸の件か」  景勝が大杯をあおり問うた。

「左様、北政所さまを京に追いやり、狸め念願の西ノ丸に入りましたぞ」

  景勝の会津帰国は、慶長四年八月十日であったが、それを待っていたかの

ように、十月一日に大阪城の西ノ丸に乗り込み、居座ったのだ。さらに本丸同様

の天守閣を急造した。

「奴の独走を止める者が居らぬのじゃ、石田治部少輔殿が下野した結果が、

明白に影響しておる」  「さほどに残りの奉行らは腑抜けにござるか?」

「彼等は、武人にあらず官僚にすぎぬ」  景勝は一言で断じきった。

  家康は周到であった。三成が佐和山に去り、政局が小康状態に入るや。

三奉行の浅野長政、増田長盛、長束正家を呼び出し告げた。己が秀頼公に

代わって政務をみるに、大阪、伏見の諸大名は朝鮮の役で国許の統治がおろそ

かとなっておる。太閤殿下が存命ならば、それぞれに恩賞があるべきじゃが、

秀頼公は幼少。何も計らい難い、よって翌年の秋まで国許に帰還いたし、在国

を許す。これは、わしの一存じゃが宜しく手配を頼む。

  こうして諸大名たちを伏見、大阪から追い払ったのだ。

「ならば、大阪は真空状態ですな」  「そうじや」

「お屋形は、いかがなされます」

「いざとなったら、治部少輔殿が動こう。佐和山城には一万余の軍勢が居ろう。

狸爺の軍勢は、たかだか半数にも満たぬ」

「合戦に及んだ時は、いかがなされます」

「知れたこと、わしは領内を空にして大阪城に馳せつける。これが大老たる、

わしの勤めじゃ」  景勝が顔色も変えずに平然と嘯いた。

「それをお聞きいたし、安堵いたしました」  兼続が白皙の顔をほころばした。

「山城、そちも狸じゃのう、そのような事は起こらぬ。わしは会津に居座り上洛を

見送る積もりじゃ、・・・ところで治部少輔殿とは連絡がついておるのか」

「ございます、天下分け目の合戦の戦略は、着々と整っておる様子にござる。

誤算は、土佐の長曾我部元親(もとちか)殿の死去にござる、跡目は四男の盛親

殿が継がれましたが、なんせ若輩の身にござる」

「大戦(おおいくさ)ともなると心細いか?」  「御意に」

「そうよな、元親殿が存命ならば長曾我部勢は頼りになったであろうな」

「なんせ四国を平定された武将ですからな、盛親殿は未知数にござる」

「やむをえないことじゃ」  景勝が瞑目し額に親指をあて顔を俯(うつむ)けた。

「いかが為されました」  「山城、金沢が危ういな」

「なんとー」  兼続が驚きの声を発した。

「山城、家康の大阪城づめの魂胆がよめるか?」 景勝が冷酒を飲み下した。

  山城守兼続が透明な笑みをうかべた。

「分らずに上杉家の執政の職は勤まりませぬ。故太閤殿下のご意思は、家康を

大阪城に入れぬことにございました。それ故に前田利家殿を大阪城に配され、

家康には伏見づめを命ぜられました。それは幼君の名を騙り、天下の諸侯らに

勝手な命令を出させぬ用心のためにござった」

「その通りじゃ、だが前田利家殿が亡くなられ、好機到来とばかりに大阪城に

入りよった。がんらい利家殿は秀頼公の傅役じゃ、利長殿はなにが起ころうと

大阪城を出てはならぬのじゃ。父の跡をついだのじゃからな、国許には弟の利政

殿が居られる」

「利長殿は家康の甘言に弄され、八月に金沢に帰国なされた。既に雪が降り積

もり越年は必定、それを理由に前田家に謀反ありと、金沢攻めを宣言いたします

か」  「そうじゃ、秀頼公のお名のもとにな」  景勝の眼が燃えていた。

「前田家は秀頼公の名代の内府との、合戦を回避いたしますな」

「仕方があるまいて、いたさねば秀頼公への謀反と言われよう。既に先鋒は小松

城の、丹羽長重が取り沙汰されておる」  「お屋形、何ゆえにご存じです」

「わしにも間者の一人や二人はおる」 「なんと」兼続が驚き顔をみせていた。

小説上杉景勝(67)






Last updated  Mar 20, 2007 10:14:18 AM
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Mar 19, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
「待たれえ、わしは徳川家の統領じゃ。助けを求めて参った者を殺されると承知

でお渡しできぬ、秀頼公の補佐役のわしが豊臣家の重臣を、承知で引渡したと

したら、豊臣家にたいし反逆」  家康が分厚い瞼から一同をねめ廻した。

  福島正則が蒼白となっている。

「春に喪を発せられ、まだ二ヶ月あまりじゃ。豊臣家の家臣が争いごとを起こす

なぞ、もっての沙汰。この様子をみて反逆者が現れたらいかが思しめす」

  家康は内大臣としての地位と、豊臣家の五大老筆頭としての執政官の務め

を、迫真の演技で演じてみせた。

「事を分けて話しても治部少輔殿を、手にかけると申されるなら、わしが相手を

いたす。・・・・返答はいかに」

  七将は凄まじい家康の威圧感と一喝で、悄然と徳川屋敷を辞していった。

  これは、考えに考えたすえの家康の行動であった。陰で本多正信が含み笑い

を堪えていた、上様の、あの灰汁の強さよと感心していた。

  この一件から世間は、家康が豊臣家の第一人者と改めて思い知る筈であ

る。  翌朝、家康は三成に会って一時的な隠退を勧めた。

「それがしに五奉行の職を退けと申されるか」

「左様、全ての争いごとが貴殿の存在より起こっておる、これは秀頼公のおん為

によろしからず」 言葉柔らかに諭した。

  家康が隠退を勧めることは、三成も当然に承知していた。現に佐和山城に

引き上げようかと、自らも考えていたところであった。

  わしが去ったら狸爺め、如何なる本性をみせる。それが楽しみに思われた。

  三成は家康の勧めをのみ、三月十日に居城の佐和山城に退くことにした。

  家康は七将の挙動に不審を強め、次男の結城秀康の軍勢に守らせ、瀬田ま

で三成を送らせた。この時、常陸五十四万五千石の佐竹義宣(よしのぶ)は、

三成の警護とし、隠密に二千名の家臣を護衛につけていたと云われる。

  彼は太閤検地のさいに三成の世話になり、肝胆相照らす仲となっていたの

だ。こうして石田三成は豊臣政権の奉行の地位を失い、ご政道にたいしての

発言権をなくした。

  前田利家の死と三成の隠退により、政局はますます家康優位に展開した。

  大老は筆頭の徳川家康を除き、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝となり、

そこに利家の死去により、嫡男の前田利長が勤めることになった。

  家康は十三日に本格的に伏見城に移り、ここで政務をみるようになった。

  三成を欠いた五奉行や中老らは、誰も異を唱える者がいなかったのだ。

この意味は大きい、大阪城についで天下第二の城塞を家康が手にしたのだ。

         (直江状)

  八月を迎え景勝は、家康をはじめとする大老に帰国を申しでた。会津移封

となってから、藩主として領内統治のお務めがおろそかとなっていた。これが帰

国の理由であった。

「中納言殿には気の毒にござった、転封と同時に太閤殿下がお亡くなりになられ

伏見で政務をとっておられたが、一応の治まりはつきました。帰国なされ領民の

安堵をなされえ」

  大老筆頭の内府が承認したので、残りの大老も景勝の帰国を許した。

  景勝一行は、八月中旬に会津に到着した。同時期に五大老の独り前田利長

も大阪を発し、利家の遺骸をともない金沢に帰国した。

  景勝は大老筆頭の内府に、会津到着の日時を書状で知らせている。これに

対し家康からは、九月十四の日付で『御心、安かるべく候』と返書が届いた。

  だが家康に好機が訪れた訳である、二人の大老の帰国と三成の隠退で、

本格的に牙を剥きだすことになる。

  彼は篤実な豊臣政権の執政官として、秀頼の補佐を務めていた。これは

次ぎの、一手を打つための布石であった。

  景勝は道路建設と城の改修を急ぎ、神指原城の築城進捗に意を注いでい

た。さらに武器弾薬、兵糧の備蓄を進め、浪人の新規召抱えを行った。

  これは故太閤殿下の了解の上での施策の実行で、誰にもはばかることでは

なかった。百二十万石の大藩の体面を整える、領内統治の一環であった。

  季節は十月を迎え、会津の地に初雪が降った。

小説上杉景勝(66)






Last updated  Mar 19, 2007 09:33:37 AM
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Mar 17, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  この神指原城とは、景勝が会津に入封した時、兼続と将来を見越して築城を

急いでいる巨城であった。若松城の西北に位置する神指原に築いていた。

  兼続が縄張りをした城で本城は東西約百八十メートル、本丸は南北約三百

メートルの規模で、それを五百メートルの二ノ丸が取り囲む回廊式の近代城塞

であった。人夫だけでも十二万名を徴発しての大工事が、今も懸命に行われて

いた。


  閏三月四日、伏見の石田屋敷は慌しい雰囲気におおわれていた。

  加藤清正を頭とした武断派の荒大名どもが、石田屋敷を襲撃すると軍勢を

整いていたのだ。それが洩れた。疎漏(そろう)もはなはだしい出来事である。

  石田家の誇る三家老の島左近、蒲生郷舎、舞兵庫らが手をこまねいている。

「面白い、奴等と一戦いたすか」

  この三名は、合戦の名手として天下に聞こえた名士であった。

「清正や正則なんぞ錆槍の餌食にしてやるわ」

  蒲生郷舎と舞兵庫が嬉しそうに破顔している、彼等も合戦に飢えていた。

「左近、伏見城下で豊臣家の家臣が争っては、天下に聞こえが悪い。わしは

逃げる」  三成が平然と島左近に語りかけた。

「どこに行かれます」  島左近の問いに三成が、童顔をほころばしている。

「窮鳥ふところに入れば、漁師も殺さぬと申す。わしは内府の屋敷に隠れる」

「なんとー」  三家老が唖然として言葉を失っている。

「供はいらぬ、わし一人で参る」 流石の島左近も主人の蛮勇に仰天した。

  七将をけしかけているのは、ほかならぬ家康である。

「七将どもが参ったら、わしは逃げたと申せ。だが屋敷内に踏み込む気配なれば

存分に相手をいたせ」  島左近は三成の胸中を素早く看破した。

「畏まりました」  「わしは、これから家康に会いに参る」

  三成の小柄な躯が、すっと闇に溶け込んで行った。

「驚いた、お方じゃ」  三家老が毒気にあてられ改めて主人を見直した。

  三成が向島の徳川屋敷を訪れていた、家康の謀臣の本多正信が玄関に出

迎えている。  「治部少輔の三成じゃ、佐州であるな」

  と、三成は官名で正信をよんた。  「本多正信にございます」

「わしは困っておる。荒大名の七将に追われ、ご当家を頼って参った」

「加藤主計頭(かずえのかみ)殿にございますか?」  「そうじゃ」

「お匿い申しあげましょう」  正信が陰鬱な声で応じた。

「存外と奴等をあおっておるのは、佐州、そちではないのか」  

  三成の言葉に毒がある。

「滅相な、お寛ぎいただく部屋にご案内いたします」  枯れ木のような痩身の

正信が三成を先導した。

  このままこの小男の命を絶つか。正信の胸に強い欲望が奔りぬけた。

  三成は慣れた様子で足を運び、 「わしを殺すか」 声に艶がある。

「お揶揄いなされますな、かりにも内大臣のお屋敷内ですぞ」

「腹が減った、湯漬が所望じゃ」  「畏まりました」

  部屋に通され、三成は庭に面した障子戸をからりとあけた。何度となくみた

光景である、秀吉存命のおりは別荘として使っていた屋敷である。

  三成は行儀よく饗された湯漬をかきこんでいる。さて家康、どうでる。今の

境遇を楽しんでいるように呟いた。

  その頃、奥の部屋で家康は思案にふけっていた。傍らに本多正信がひっそり

と座し黙している。  「三成は、おとなしくしておるか?」  「いかがなされます」

「あの荒武者どもの説得が面倒じゃな」  「このまま生かしておきますのか」

「殺せば、わしの苦労が水の泡じゃ。奴が楯突けば楯突くほど、わしのもとに

天下が転がり込んでくる」  家康が低く笑い声をあげた。

「申し上げます。七将の方々が石田殿を渡せと息巻いてお見えにございます」

「先のよめぬ者共じゃ、書院にでも通しておけえ」

  家康が不機嫌な声を発した。  「拙者が応対いたしましょうか」

「正信、そちでは荷が重い」  家康が肥満した躯をもとあげ書院にむかった。
 
  家康の姿をみるや清正が吠えた。

「内府殿、治部少輔を匿われておるとお聞きいたした」   

「それがいかがなされた」  肥満した家康の顔が厳しく変貌している。

「我等にお引き渡し願いたい」  「それはならぬ」

「あれほど内府殿に逆らった男にござるぞ、我等が奴のそっ首を刎ねてやりま

す」  清正が身を乗り出し叫んだ。

小説上杉景勝(65)






Last updated  Mar 17, 2007 09:26:33 AM
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Mar 16, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
「佐吉、お主の心意気はかう、じゃが内府に匹敵する大軍が集められるか。
 
合戦とは拮抗(きつこう)する戦力がなくては勝てぬ、その戦略があると申すか」

  大谷刑部が盲目の視線を三成にむけ訊ねた。

「ある」  童顔を朱色に染めた三成が決然として云いきった。

「まことに、あると申すか?」

「それがしも五奉行の筆頭、すでに大老の毛利輝元殿と宇喜多秀家殿の内諾は

頂いておる」  「承諾なされたか?」  三成が頬をくずした。

「四国の長曾我部殿も、参陣を決意なされた。さらに西国大名の大半も調略いた

し、信濃の真田昌幸殿も我等の味方じゃ。・・・・そこでじゃ」

  三成が言葉を切り、直江山城守をみつめた。

「申されるな、我が上杉の決起が必要にござるな」

「左様、会津百二十万石の景勝さまがお味方に、加わって頂けるなら必ず勝てま

す」  三成が兼続の眸を覗きこむようにして言葉を添えた。

  直江山城守と大谷刑部が言葉を失っている、まさか、三成がここまで調略を

進めておるとは思い及ばぬことであった。

「合戦の予定地は何処とお考えか、それにより上杉の方針も変わります」

「美濃の関ヶ原を予定いたしてござる」  三成が打てば響くように断言した。

「あの地なら良い。早速、我が主人に言上いたしましょう」

  兼続と大谷刑部は、三成の戦略眼の正しさと壮大な計画に瞠目した。

  徳川勢の直営軍団は二つに分かれる筈、一軍団は家康みずから率い、江戸

からの軍団は、秀忠を総大将として信濃をぬけ関ヶ原にむかう、そうなれば信濃

の真田昌幸の出番が来る。

「佐吉、当面の荒武者対策はいかがいたす」

「紀之助、五奉行を辞め佐和山城に逼塞(ひっそく)いたす」

  石田三成が、思いきったことを口にした。

「佐吉、出来るか」 「逃げおうせなんだら豊臣家は滅亡いたす」

「うむ、・・・・分った、わしの命を預けよう」  「紀之助っ」

  病み衰えた大谷刑部の答えに、三成の双眸から涙が光った。

「石田殿、伏見は何時に出立なされる」  兼続が低い声で問うた。

「今のところは分りませぬ、荒武者どもの出方次第」

「そこもとは加藤、福島らと事を構える積もりにござるか?」

「おめおめと伏見を去っては、石田三成の武がすたり申す」

  三成の言葉に大谷刑部が反応した。

「奴等の襲撃を待って合戦に及ぶつもりか?」

「殿下の喪中に騒ぎは起こしたくない、併し、仕かけられた喧嘩は買わずばな」

  珍しく三成が好戦的な言葉を吐いた。  「佐吉、それは無謀にすぎる」

「心配いたすな、佐竹義宣殿の屋敷に隠れ、宇喜多家に匿われるつもりじゃ」

「隠れおおせられるか」  「駄目なら、敵の情けにすがるまでじゃ」

「なにっー」  「おおさ、徳川内府の懐にもぐりこむ魂胆じゃ」

  三成が平然と驚嘆すべき事柄を口にした。二人が声を飲み込んだ。

  矢張り傑物(けつぶつ)じゃ、山城守は目の覚める思いで童顔の三成を眺め

た。 「佐吉、そこまで覚悟を固めたか。ならば何も云うまい」

  大谷刑部が、しわがれた声で応じた。

「石田殿、徳川家には曲者がおることをお忘れあるな」

「謀臣の本多正信(まさのぶ)にござろう。山城守殿の忠告、心しておきます」

  三人は、あらためて酒肴を重ね、家康討伐の秘策を語りあい、夕暮れを

迎え、それぞれが屋敷をあとにした。

  兼続は上杉邸にもどり、景勝に今日の会談の様子を報告した。

  景勝は例のとおり青味をおびた顔つきで、無言で聞いている。

「石田三成殿、稀有(けう)の武将じゃの」  景勝がぼそっと呟いた。

「徳川内府を関ヶ原に、誘(おび)きよせるには餌が必要となります」

  兼続が景勝の反応を窺がった。

「わしは政務が済みしだい会津に戻る。天下をむこうに廻した大戦の支度を整え

ねばな、そちは暫く伏見にとどまり、ことの一件を見届け帰国いたせ」

「お任せくだされ、徳川の狸爺の命を頂戴する謀なぞ考えてみましょう」

「山城、上杉家の頭脳は、とうにそちに任せてある」

「お屋形、神指原城(こうざしはらじょう)の築城を急がねばなりませんな」

「あの城が完成いたせば、ずいぶんと面白い合戦が出来るな」

  景勝は家康を誘きよせる餌になろうと決意したようだ。

小説上杉景勝(64)






Last updated  Mar 16, 2007 09:46:36 AM
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Mar 15, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  朝鮮の役では太閤殿下の寵をえ、ことごとに我等に難癖をつけたと三成を

腹の底から憎んだ。それは一種の嫉妬であったが、彼等は気づかずにいる。

  太閤や北政所(きたのまんどころ)を親のように慕っていた彼等は、父親を

三成に奪われたと感じ、憎悪の炎を燃やしていた。

  天下に恐れられた荒武者が、子供のように拗(す)ねているのだ。

  北政所も豊臣家から心が離れていた、余りにも淀君と秀頼に心を配る三成

一派を心良くは思っていなかった。その反動が武断派の武将たちにむけらた。

  彼女は昔のように彼等に慈愛を注いだ。その心理を家康が巧に衝き、彼等

を己の側に取り込んだのだ。家康の謀略の才がまさった結果であった。

  直江山城守兼続は上杉屋敷にとどまり、引き連れてきた隠密集団に、徳川

家の内情を探らせていた。そんな時期に三成から招待の知らせをうけた。

  兼続は白皙長身の体躯で定められた屋敷に向かっていた。

  伏見郊外の小奇麗な屋敷であった、風流な門を潜りぬけ案内(あない)を講う

た。 小袖姿の可憐な乙女が顔をみせ、「山城守さま」 と小首をかたむけた。

「左様」  「ご案内申し上げます」 庭の樹木の間から日差しが差し込んでいる。

  部屋には二人の人物が待ち受けていた、一人は石田三成で、いま一人は顔

面を白布で覆った人物であった。

「これは大谷刑部(ぎょうぶ)殿か、お久しうござる」

  彼は越前敦賀五万石の城主で、三十歳ころから癩病を病み、顔面が崩れ両

眼を失っていた。故太閤は刑部の武将としての才能を高く評価していた。そうし

た人物である。  「山城守殿も息災でなにより」 

 刑部が低いしわがれ声を発した。

  三成は年齢とともに才気走った顔つきとなっていた、人々にとり、それが豊臣

政権の中枢の筆頭としての貫禄、威厳と受ける者もいるが、逆に小面憎いと反

感をもつ者もいた。  「さあ、座ってくだされ」  三成が座をしめした。

  兼続がふわりと座し、「いかがなされた」 と三成に訊ねた。

  童顔の三成が嬉しそうな笑みを浮かべている。

「荒武者どもが、お命を狙ってござるぞ」

「流石は、直江山城守殿じゃ、もうお耳に達してござるか」

「ご貴殿らしくない策にござるな」  「左近の独り相撲にござる」

「左様か」  「それがしでは内府に勝てぬと申しましてな」

  三成が、からりと云った。

「島左近は恐ろしい男にござるな。もし内府の暗殺に成功すれば、近隣の諸侯に

檄をとばせば、伏見の徳川勢など殲滅できましょうな」

「山城守殿は左近の計画に同意なされるか」  三成が気色ばんだ。

「我が主の景勝も、石田殿と同様な気象の持ち主。左近の策には乗りますまい」

  兼続がほかごとを云った。

「佐吉、内府暗殺の噂は伏見の者は皆知っておる、用心することじゃ」

「紀之助、わしは負けぬ」  三成が顔をひきしめ甲高い声で断じた。

  紀之助とは、大谷刑部の幼名である。この頃、大谷刑部は病がすすみ顔を

白布で覆うようになっていた。その白布が三成に向けられた。

「天下の名士、島左近が合戦では勝てぬとよんだ。そこが分らぬのが、お主の

欠点じゃ」  ずばりと刑部が言った。

「左近の申すことは分る。だが、それがしには勝算がござる」
  
  三成が頬を赤くさせ答えた。

「考えてみよ、お主には人を引き付ける武功があるか」

  刑部の言葉に三成が声を失った。三成は豊臣政権の中枢にいながら、華々

しい戦場での活躍に欠けている。彼の目前に居る大谷刑部や、直江山城守に

は戦塵にあっての数々の武功がある。

  この二人の前では、加藤清正、福島正則でも一目おく筈である。それだけの

実績と凄味を兼ね備えている。

「だが、このまま見過ごす訳にはいかぬ、狸爺に天下が簒奪される」

「それを、お主が阻止すると申すか」  刑部が、しわがれ声で訊ねた。

「わしが遣らずば、誰が豊臣家を守る」  三成が昂然と胸をはった。

  流石じゃ、たかだか佐和山城十九万石の小名が、二百五十万石の大大名の

徳川家康を相手に戦いを挑むとは、故太閤殿下が信頼したとおりの男じゃ。

直江山城守は三成の意気込みを買った。

小説上杉景勝(63)






Last updated  Mar 15, 2007 09:48:14 AM
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