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長編時代小説コーナ

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武田信玄上洛の道。

Oct 13, 2014
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「お弓との一夜」(65章)

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 勘助がお弓の変化を素早く察し、言葉を添えた。

「万が一、拙者が討死いたしたら、お麻を引き取って下されよ」

「縁起でもない事を申されますな」  

 お弓が眉をひそめた。

「この度の合戦は、武田家の総力をあげての合戦となりましょう。

何か起これば軍師としての拙者の落ち度、それ故にお願いをいたしておる」

 お弓が勘助の隻眼を見つめた、その顔色に男の覚悟を見た。

「判りましたぞ、じゃが念願の上洛を果たすまでは死んではなりませぬ」

「拙者とて武田家の二流の御旗が京に翻るさまを見たい」

 勘助が遠くをみる眼差しで呟いた、そんな勘助にお弓が話題を変えた。

「駿河の大殿が死ねと仰せられた訳はなんでございます?」

「いずれ、分かる時が参りましょうな」  

 勘助の声が乾いて聞こえ、お弓は胸騒ぎを覚えた。

「勘殿は死ぬ気ですか?」  

「悪鬼となっても、御屋形の上洛がみたいと念願しております」

 勘助の歯切れの悪い言葉に気づかず、お弓が微笑んだ。

「そのお言葉で安堵いたしましたぞ」

 そんなお弓に勘助が熱い酒を勧め、

「お弓殿、今宵は屋敷に泊まり、お麻と心置きなく過されよ」

「勘殿、昔のように可愛がってくれますか?」

 勘助が言葉に窮している。そんな勘助を揶揄い、お弓が隻眼の奥を見つめ、

「それなれば一晩、厄介になりますぞ」

 お弓が挑発するように、勘助の細い方の太腿をさすった。

 お弓の温かい手の感触が勘助の欲情を搔きたてた。

 もう一度、この女を抱きたい。

 脳裡に数年前のお弓との狂態が浮かんでは消えた。

 その晩、皆が寝静まった頃、勘助はお弓の寝所に忍び込んでいた。

 灯を細めた寝所で勘助は獣と化し、お弓の豊満な肉体に溺れ堪能した。

 お弓も声を堪え、身を揉んで歓喜の呻きを洩らした。

「女子とは良いものじゃな、身も心も和むは」 

 大きく息を弾ませ勘助が吐息を吐いた。

「勘殿も昔と少しも変わっておりませぬぞ、矢張り膚が合うのです」

 お弓が、勘助の胸に顔を埋め男の乳首をしゃぶった。

「もう駄目じゃ、女子はそなたが最後のようじゃ」

 勘助が名残り惜しそうに、お弓の乳房に手を這わせ、乳首を口に含んだ。

 さらさらとお弓の長い黒髪が、勘助の躰の上を刷くように流れた。

「まだまだ元気じゃ、もう一度、抱いて下され」

 お弓が眸子を光らせて勘助の股間をさすった。

「そうさのう、合戦が済んでからじゃな」   

「今じゃ。討死なんぞ成されたら、もう二度とこのような事はできませぬ」

 お弓の顔半分は黒髪に覆われ、切れ長の眼を雌豹のように輝かせている。

「口吸いましょうか?」

 勘助が苦笑を浮かべた瞬間、お弓の舌がねっとりと絡みつき、股間が熱く

燃え滾った。

「こうして勘殿を抱いておると女の幸せを感じます」

 お弓が唇を離し、勘助の耳元に甘く囁いた。

「お弓殿、間違ってはならぬ。そなたを抱いておるのは拙者じゃ」

 勘助が女体の上からお弓を見下ろし、かすれ声を挙げた。

「勘殿、それは間違いじゃ。わたしが勘殿を抱いておるのです」

 お弓が、くっくっと身をよじって笑い声を洩らし、矢庭に勘助

の首筋に両腕で絡ませ、すらりとした足を勘助の尻の上で交差させ、

勘助の尻を引き寄せた。

 その瞬間、一物がお弓の秘所の襞を押し分け、胎内の奥に導かれた。

 
 温かく湿った女の襞に一物が締め付けられ、解放され、また翻弄された。

「勘殿、これが男女の交合ですよ。・・・女が男を抱いているのです」

 お弓が切れ切れに熱い声で述べ、奇妙にも勘助は納得した。

 女子が両腕と太腿を開いて男を迎えねば、交合は不可能なのだ。 

 二人は何もかも忘れ、一体と成って快感を追い求めた。

 何度、燃え尽きても、残り火が再び燃え盛り二人は絡み合って

夜明けを迎えた。

 この女子を今一度抱ける日がわしに来るのかな、勘助は胸中で思った。

 翌朝、登城の刻限となり、勘助は供の者を従い屋敷の門前を出た。

 お弓とお麻の二人が玄関から見送ってくれた。

 離ればなれで過ごしたといっても、寄り添った二人は矢張り親子じゃ。

 勘助は二人の笑顔を隻眼におさめ、肩を左右に揺すり足を引きずった。

 躑躅ケ崎館で重臣たちと今後の話し合いを終え、勘助が信玄を見つめた。

「勘助、余に話があるようじゃな」

 素早く察した信玄が庭に誘った。涼しい風が新緑の匂いを運び初夏の花々が

咲き誇っている。信玄が庭石に腰を据え、勘助が傍らに片膝をついた。

「何が起こった?」  

 信玄が青々とした髭跡をみせ簡潔に訊ねた。

 勘助はお弓が屋敷に居ることを告げ、信虎の言付けを伝えた。

「父上も海津城の築城を考えられておられたか」

「はい、これを知られたら、さぞお喜びになられましょう」

 勘助が頬を崩した。

「勘助、城はいつ完成いたす?」  

「すでに後、十日もあれば充分かと」

「高坂弾正に伝えよ。近々に余が海津城の検分に参るとな」

「さぞ喜ばれましょうな。高坂殿は北信濃の守りと普請奉行も兼ねられ、

懸命なお働きでございました」

 勘助が何事か言わんとして口ごもった。

「勘助、申す事があれば遠慮のう申せ」 

 信玄が視線を庭の小鳥に移し、不審そうな声を浴びせた。

「この度の合戦は武田家の命運をかけたものになりまする。失敗したら、

拙者に死ぬとのお言葉がございました」

「死ねと仰せられたか、そちは父上のお言葉の意味が判るのか?」

 信玄が相貌を厳しくさせ、勘助の異相な隻眼を凝視した。

 勘助は無言で信玄を仰ぎ見て、それとは違ったことを語りだした。

「此度の越後勢との合戦は、双方とも今後の戦略転換を図る重要な戦いと

なりましょう。我等は勝利し早い時期に駿河を平定したい、一方、越後勢

は本格的な関東出兵が狙いとなりましょうな」

 勘助が言わなくても信玄自身が充分に承知している事である。

「勘助、この合戦是が非でも勝たねばならぬな。じゃが越後のいくさ気狂い

は強い、我等が完勝する事は不可能じゃ」

「左様、乾坤一擲の勝負を挑んで参りましょう」

「・・・-」  

 勘助の言葉に信玄が無言で肯いた。

「我等は八分の勝利が必要となります。さすれば北信濃の豪族共は我等に

靡きましょう。後顧の憂いを絶って上洛するには、これなくば叶いませぬ」

「八分の勝利ならば、父上はそちをいかが為される?」

 信玄の眼光が鋭く勘助に向けられた。

「矢張り、死ねと仰せにられましょう」  

「何故じゃ?」

「いずれにせよ、拙者は川中島で討死いたしまする」

「馬鹿を申せ。・・・余が困る」  

 信玄が呆れ顔をした。

 勘助はしばし無言で庭先に隻眼を這わせ、再び口をひらいた。

「いずれ御屋形もご理解できましょう。まずは越後勢、奴等は五分の勝利

でも関東制圧に全力を傾けましょう。我等に係っておる余裕はございませぬ」

 勘助の言う通り、上杉政虎は武田家のみに係っている場合ではなくなった。

 相模の北条氏康が越後勢の侵攻のない事を良いことに、関東を思うままに

侵略していたのだ。政虎は関東管領とし、これを放置できない状況になって

いた。これは武田家にとり有利この上もない事であった。

「そちの申す事は分かるが、父上のお考えが分からぬ。あとで話し合おう」

 信玄にも何か思うところがあるようだ。

「話が違うが、今川氏真殿をそちはどのよう見る?」






Last updated  Oct 14, 2014 09:45:36 PM
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Oct 10, 2014
「唐突の出会い」(64章)

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 越後勢の不穏な動きが河野晋作より、信玄と勘助の許にもたらされた。

 越後勢の進攻は多分、八月に成ると二人の意見は一致していた。

 その為に海津城の築城を急がせていたのだ。

 海津城は川中島にあり、川中島はその名の通り、千曲川と犀川に

挟まれた一帯を言う。長さ約八里弱、幅は約二里半ほどで信濃一の

穀倉地帯で北に善光寺があるために、善光寺平とも言われていた。

 甲斐、越後、上野に通じる街道が交差する要衝の地であり、信濃を

目差す政虎と、それを阻止したい信玄にとりまさに生命線であった。

 海津城はその川中島に建てられていた。位置は西北から千曲川が流れ、

その南の丘陵に海津城が位置していた。

 城の北方には犀川と千曲川が合流し、川中島の平野が開けている。

 やや西南には妻女山が聳え、犀川を越え妻女山と茶臼山の中間に、

北国街道が走っている、景観このうえもない城であった。

 勘助はこの城が好きであった。ここに武田の精鋭を籠もらせ、主力を

八幡原に展開させる、絶対に勝てる確信があった。

 城代は普請奉行の高坂弾正忠昌信(まさのぶ)の、三千と決めていた。

 余談ながら武田家には弾正という名前を持つ武将が三人いた。

 真田弾正忠幸隆、保科弾正忠正俊、それに高坂弾正忠昌信である。

 幸隆は攻めの弾正、正俊は槍の弾正、昌信は逃げの弾正と言われた。

 何故、高坂昌信だけが逃げの弾正という呼び方なのか、臆病者の印象に

聞こえる。確かに真田幸隆は信玄でも落とせなかった、村上義清の支城、

砥石城をいとも簡単に陥落させ、保科正俊は槍の使い手として近隣に名を

を轟かした武将であった。

 ならばなぜ高坂昌信だけこういう呼び名だったのか、それは確実な情報を

もとに行動をする慎重派という意味で、彼の兵法は武田家でも高く評価され、

慎重かつ明晰な判断で無益な戦いは、一切しないという理念の持ち主であった。

 低い身分から信玄に見出され、武田四名将の一人までのぼりつめたのだ。

 この永禄四年(一五六一年)の六月、お弓が甲斐の躑躅ケ崎の城下町に姿

を現したのだ。  

「甲斐の城下も立派になったものじゃ」 

 この地に居館を移した信虎は、館の建設と平行して城下町建設や

寺社創建、市場開設など府中整備を行った、城下町の北には家臣の

屋敷地が整備され、南面には商人や職人町が整備されたのだ。

 更に武田家の隆盛につれ、商人が集まり今のような立派な町になったのだ。

 彼女は新緑が眩しく光る町並みを見廻し、迷うことなく勘助の屋敷に

向かった。勘殿は居られるかな、そんな思いで門前に佇んだ。

 屋敷から子犬が飛び出し、それを追って少女がお弓の目前に現われたのだ。

 それは偶然で唐突の出会いであった。

 少女は門前に佇む、お弓の姿を不思議そうに見上げている。

 お麻じゃなと瞬時に悟った。

 可愛く成長した我が娘との思いもせぬ再会に、お弓は言葉を失い惚れぼれ

と見つめた。胸の鼓動が音をたて高鳴っている。  

「小母さまは父上のお知り合いですか?」 

 健やかな少女に育ったお麻が可憐な声で躊躇いもせずに訊ねた。

 そのつぶらな眸子がお弓には眩しくて覚えず面を伏せた。

「父上は珍しく居られます、お入り下さい」  

 お麻がませた口調で母親とも知らずに言葉を懸けた。

「お手数をかけますな」

 お弓がお麻の案内で勘助の部屋に導かれた。  

「おう、これはお弓殿、珍しい」

 勘助が隻眼をほころばし、肩を左右に傾けながら出迎えた。

「勘助殿もお元気そうでなによりです」  

「そなたもな」  

「もう婆になりましたぞ」 

「なんの、まだまだ若い。娘のお麻にござる」

 勘助が紹介した。  

「お麻殿は、おいくつになられました」

「十才にございます」  

「もう、そのような年に成られましたか」

「小母さまは、わたくしを知っておられますのか?」  

 お麻の顔に好奇心が浮かんでいる。  

「早いものですね、あの赤子が」  

 お弓が笑みを浮かべ肯いた。

「お麻、酒肴の用意をいたせと奥の者に申して参れ」

「はい、小母さま失礼いたします」  

 お麻の小さな足音が途絶えた。

「勘殿、十年もお世話になって礼を申しますぞ」

 お弓が足音が途絶えるのを待って、手を付いて礼を述べた。

「礼を申すのは拙者の方じゃ。こんな化け物にも生き甲斐が出来申した」

 二人が久闊を温めあっていると膳部が運ばれてきた。  

「まず、一献参られえ」

 勘助とお弓は暫く庭先の紫陽花を見つめ、黙然と杯を干した。

 何年も二人は会う事がなかったが、なんのわだかまりもない。

 矢張り交わった男女は、こうした者かも知れない。

「お弓殿、大殿も念願を果たされましたな」  

 勘助がお弓に視線を移した。

「勘殿、大殿のお言葉をお伝いいたしますぞ」  

「・・・-」

「義元殿が討死した今、一刻も早く駿河を平定いたせとの仰せにございますぞ」  

 勘助の異相に苦笑が湧いた。 

「その前に遣らねばならぬ合戦がござる、それは上杉政虎との決着にござる」 

 勘助の隻眼が鋭く瞬いた。

「大きゅうなられましたな、最早、叶いませぬ」 

 お弓が静かに勘助の杯を満たした。

「こうして何度も飲みましたな、あの頃が懐かしく想いだされますぞ」

「お弓殿、まだ大殿は何かを申された筈じゃ」  

 お弓が信虎の言葉を借り、北信濃に城を築くように進言した。 

 それを聞き、勘助の顔が和んだ。

「拙者の狙いと一致いたした。我等は大殿の申された地に城を築いております。

海津城と申すがの、もう完成まじかにござる。正面に千曲川、さらにその先には

八幡原が拓けてござる。越後勢との合戦はその八幡原と睨んでござる」

 お弓が勘助の隻眼を凝視した、昔とたがわず眸子が濡れぬれと輝いている。

「大殿はいまひとつ拙者に申されたであろう」  

 勘助の視線を受け、お弓が言葉をつまらせている。  

「隠されるな、全ては見通してござる」  

「・・-」

「ならば拙者から申そう。越後勢と決着が付かねば拙者に死ねと仰せられた筈」

「・・・-なぜお判りじゃ」  

 お弓の声がかすれた。

「それが判らずして武田家の軍師は務まらぬ」  

「この合戦、勝てますか?」

「上杉政虎なにを策すか、拙者にも判らぬ」  

 ふっと勘助の隻眼に憂愁の念が奔りぬけた。  

「きっと勝って下され」

「勝敗は時の運と申すが、必ず決着はつけます。その後は・・・・」

 勘助が言葉を濁した。  

「何か心配事でもございますのか?」

 お弓の脳裡に不吉な思いが過ぎった。







Last updated  Oct 10, 2014 03:32:24 PM
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Oct 8, 2014
「虚々実々の駆引き」(63章)

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 この合戦に勝利した織田信長は、昨年に漸く尾張を統一したが、

領内には信長に不満を持つ輩が、翳で盛んに蠢動を続けていた。

 
 だがこの勝利で織田領内は、信長の思惑通り強固な体制となった。

 併し、国主の義元を失った今川家の運命は暗かった。

 駿府を守る嫡男の氏真(うじざね)は、義元以上に京の公家文化を好み、

戦国の世を理解しない浮世離れした性格の武将であった。

 そのため父が戦死したとあっても領内の守りを固める事なく、なんの

行動も起さず、事態をただ傍観するに過ぎなかった。

 桶狭間の合戦で運命が変わった人物がもう一人いた。三河松平家の

跡継ぎ、松平元康である。

 彼は兵糧貯蔵基地となる大高城に入城した所で義元討死の急報を受けた。

 慎重に情報を分析し、壊滅した今川本隊のように闇雲な逃亡をする事なく、
 
五月十九日の深夜、織田方に悟られぬよう大高城を退去し東へと撤退した。

 目差すは墳墓の地、三河であった。

 元康は駿府には戻らぬ覚悟で、事態を好機到来と捉えたのだ。

 松平家の本拠は三河、岡崎である。彼は軍勢を率い帰郷した。

 統制の取れなくなった今川勢の状況を見て、五月二十三日、

悲願であった岡崎城入城を果たした。

 それでも元康は慎重に行動した、今川の新当主となる氏真に義元の

仇討ちを勧め、表面上は今川家への忠節を装っていた。

 義元、討死の知らせを持った母衣武者が駿府城に駆け戻ってきた。  

「父上がお亡くなりになられた」

 氏真が蒼白な顔となった、上洛時の軍勢の威容が思いだされる。

 その後の知らせでは、今川勢は織田勢と弔い合戦もせず、寡兵の織田勢

を恐れ、一斉に軍勢を引いたという。  

「父上は四十二才であられた」

 氏真は打つ手も思いつかず、ただ狼狽えるのみであった。

 信虎にも義元討死の知らせが届いていた。

 報せを持って来たのは小十郎であった。  

「ご苦労じゃった、とうとうもどき殿は冥途に参ったか」

 信虎のしわ深い顔に会心の笑みが浮かんだが、一瞬であった。

 謀略に明け暮れた日々を送った老人は、全てを韜晦(とうかい)する術を

身につけていた。

「さて孫の氏真殿をお慰めに参上いたすか」

 信虎は城の大広間を訪れ、義元のお悔みを述べた。

「爺殿、余はいかがいたしたら良いのじゃ、教えて下され」

「武将として為すことは弔い合戦のみにござる」 

「織田信長を討てと申されますのか?」

 氏真の顔が引き攣った。

「父上がお亡くなりなったとは申せ、氏真殿は駿、遠、三の大守に

ござるぞ。東海の弓取りとして弔い合戦は、至極当然の事に御座る」  

「・・-・」

「早うせねば、お味方の豪族どもが離反いたしますぞ」

 現に義元の死を知った陣中の豪族たちは尾張に攻め込まず、領内に逃げ

戻っている。氏真では弔い合戦は無理じゃ。信虎は先をよんでいるが、

宿老の朝比奈泰能や、三浦成常等の思惑を考えての忠告であった。

「氏真殿、今後は宿老たちの意見を聞いて身を処す事じゃ、爺の言いたい

事はそれだけにござる」  

 信虎は弔い合戦を進言し隠居所に戻った。

 さて岡崎に残った松平元康、いかがいたすかな。わしは自立すると見るが、

奴め盛んに弔い合戦を主張しておると聞く、本心を確かめねばなるまい。

 信虎が再び謀略の先を思案し始めたのだ。

「大殿、一大事にござる」  

 小林兵左衛門が珍しく顔を染めて姿をみせた。  

「なんじゃ」 

「岡崎城代の山田新右衛門殿が、無断で帰国なされましたぞ」  

「岡崎城を捨ててか?」

「そのようにございます。岡崎城の駿河衆すべてが帰国成されました」

「しゃあー・・・馬鹿な」  

 信虎の顔が怒りで真っ赤となった。

 これで松平元康は岡崎城に止まろう。じゃが奴の動きを止める手立てはある。

 駿府には奴の女房と倅の竹千代に亀姫が残っておる、これで奴を封ずる。

 何故、これほどまでに信虎が元康を警戒するのか、それには訳があった。

 義元亡き後は武田家が駿河、遠江、三河を支配する。これが信虎と信玄の

考えであったが、越後の虎、景虎が関東で思うままに暴れまわり、北条氏康は

手を焼き、信玄に援軍を求めてくる事が原因のひとつであった。

 信玄も三国同盟堅持を重要視し、何度となく関東に軍勢を繰り出している。

 この為に今川領は手付かずとなり、元康一人の獲物に化してしまう。

 これを信虎は恐れたのだ。

 更に織田信長と同盟関係でも結ばれようものなら、岡崎の力は倍増する。

 そうなった暁には、武田家念願の上洛に支障がでる。

 案の定、信虎の危惧が現実のものとなった。

 松平元康が空城となった岡崎城に入城を果たしたのだ、ここは松平家の

居城である。

 ここで長年に渡る今川家の人質から解放された元康は、戦国大名の道を

突き進む事になるのだ。

         (海津城)

 越後の長尾景虎は上杉憲政の要請で、憲政と関東で北条氏康と烈しい

合戦を繰り広げていた。

 景虎は上杉憲政の代人として、関東の諸豪族を率い北条家の居城である

小田原城を包囲したが、北条勢の守りも堅く一時、鎌倉に兵を引いた。

 そんな景虎は三月に関東管領の名跡を譲られ、上杉政虎と改名し、本格的

に関東制圧に乗り出した。

 だが政虎の心配は武田信玄の動きにあった、信玄が義元の死で弱体化した

駿河を狙う事は自明の理であり、それを阻止するためには関東出兵が上杉家の

最大の課題となっていた。

 これにより武田勢を関東に引きずり込む、甲相同盟を逆手にとる策であった。

 これが効をそうし武田信玄は、何度となく関東に出馬していた。

 だが信玄も強かであった。越後勢が西関東に出兵すると、待っていたかの

ように北信濃から、越後の国境に進攻して来る。

 まるで空き巣泥棒のような振る舞いである。

 業を煮やした政虎は、信玄との直接対決を、秘かに練り始めた。

 これが川中島合戦で最大の激戦となる、第四次の川中島合戦の伏線であった。









Last updated  Oct 8, 2014 04:15:45 PM
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Oct 5, 2014
「運否天賦 」(62章)

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 この頃、義元の本陣は大騒ぎとなっていた。

 突然、季節外れの暴風に襲われたのだ。

 
 砂礫(されき)が舞いあがり、眼も開けれない状態となった。

 弁当どころではない、

 警護の武者も大木の翳に避難し、大雨と強風から身を守っている。

 義元も塗輿に逃げ込んだ。

 織田勢が足音を消すこともなく猛進した。周囲の大木がしなり暴風雨

で深緑の葉が、ざわざわと沸騰しざわめいている。

 信長は全軍を率い、敵城である鳴海城の南をすり抜け桶狭間に向った。

 これには流石の柴田勝家、林通勝等の重臣が諫言した。

「このまま進軍すれば敵勢に発見され、義元の本陣に辿り着けませぬ」

「今川の武者どもは、鷲津、丸根砦の攻撃で疲労しきっておる。我等は

新手の兵である。この場を抜けねば田楽狭間に着けぬぞかし」

 こうした気象が信長の真骨頂である。

 そう彼等を一喝し、なおも険しい道を猛進した織田勢三千名が、

田楽狭間を見下ろす、北方にある太子ヶ嶺に辿りついた。

 眼下には今川の本陣が見渡せる。全軍が散り散りとなって雨を凌いでいる。

 流石に義元の乗った塗輿の周囲は、騎馬武者がびっしりと槍ぶすまで守り

を固めている。

 信長は雨が容赦なく全身を流れるにまかせ、兜の目庇から鋭く眼下を眺め、 

「あの輿に義元が居るー」

 鞭をあげて叫んだ。

 三千の軍勢が暴風の中を泳ぐように散開を始めた、田楽狭間の地を包囲

せんとする戦術である。

 敵兵は一兵も逃さぬという、信長の覚悟を示した戦術である。

「わしの合図を待て。義元を討ち取るには旗本同士の戦いとなろう」

 信長の端正な顔に勝利を確信した色が浮かんでいる。

 雨足がゆるくなり視界が利き始めた。  

「全軍、仕掛けよー」

 信長が鞭を挙げ騎馬をあおった。  

「おうー」 

 待ちに待った織田勢の総兵力が一斉におめき声をあげ、丘を駆け下り

今川勢の本陣に殺到した。

「何事じゃ」  

 塗輿の中の義元が不審な声をあげた。

「喧嘩かも知れませぬな」  

 関口一左衛門が輿の横から答えた、織田勢の攻撃とは夢にも思わなかった。  

「見て参れ」

「はっ」  

 関口一左衛門が槍を小脇に抱え、幔幕から一、二歩騎馬を歩ませ愕然とした。

 雨が降りしきる窪地には兵が充満している、それも思いもせぬ織田勢である。

 軍兵の被る菅笠に、織田家の家紋の木瓜(もっこう)が描かれてる。

「敵じゃー」  

「何っー」 

 周囲の旗本が身構えた。どっと織田勢の人馬が殺到し刀槍が襲いかかった。

 油断した護衛の騎馬武者が次々、織田の雑兵の槍を受け落馬し泥土に血潮

を吸わせている。  

「御輿(みこし)を担ぎ出すのじゃ」

 関口一左衛門が襲いくる騎馬武者を叩き伏せ叫んだ。運の悪い時は全てが

狂うもので、輿を担ぐ雑兵達が付近に一人も居ない情況であった。

「御屋形さま、馬にお乗り下され」  

 替え馬の手綱を持った瞬間、強かに脇腹に槍を受けた。  

「下郎ー」  

 関口一左衛門が太刀を引き抜き、袈裟に斬り伏せたが、そこで力尽きた。 

 塗輿から肥満した義元が松倉郷の太刀を持って転がり出た。

 今日の義元もいつもと同じ赤地錦の陣羽織を着用している、それが嫌でも

目立った。

「今川殿じゃ」  

 どっと織田勢が集まった。雨と汗で白粉が剥がれおちた義元が肥満した

体躯を俊敏に動かし、雑兵が絶叫と共に血飛沫をあげ地面に転がった。

「糞っー」 

 義元が眼を血走らせ周囲を見渡した。最早、絶望的な状況である。

 東海の覇者の自分が、尾張の地を前にし雑兵に首を授けると思うと

無念であった。常日頃から義元は武将として死を恐れたことはなかった。

 武将なれば討死は当然の覚悟である。

 併し、上洛の軍旅に出たばかりの、この辺鄙な土地での討死は恥である。

「余は王城の地、京の都にのぼり今川家の旗を立てる」

 何としても生き抜かねば、これほど死を恐れた事はなかった。

 生に対する執念、そんな生易しい言葉で言い表せぬ執着である。

「今川の御屋形、推参」  

 信長の近臣、服部小平太が真っ先に槍を就けた。

「下郎、さがれ」  

 鉄漿の黒い歯をみせ、服部小平太の槍を斬り落とし膝をも切り裂いた。

 服部小平太が泥土転がり、必死の眼差しで泳ぐように義元に近づいてくる。

 義元の胸に憤りの炎が燃え盛っている、尾張の小童にして遣られるとは。

「下郎、下がれ」

 産まれて初めて義元は恐怖を感じた。

「小平太っ、助太刀いたす」

 声と同時に毛利新助が槍で突きかかり、義元か怒りの刃を浴びせた。

 その義元の躰に服部小平太がしがみついた。振り解こうともがいた瞬間、

地面に叩きふせられ、息が詰まった。

 えたりと毛利新助が義元の躰に跨り首筋に脇差をあてがった。

 かっと鉄漿の歯を剥いた義元が、毛利新助の人差指を噛み切った。

 そこまでが義元の最後の抵抗であった。

 こうして今川義元は、上洛の途中で雄図虚しく命を失った。

 織田信長はこうして乾坤一擲の合戦に勝利し、美濃、伊勢と勢力を伸ばし

天下統一の足掛かりとした。それにひきか今川家は衰亡の一途をたどる事に

なる。言うなれば旧勢力と新勢力の画期的な合戦であった。

 更に言うなれば織田信長と今川義元と言う武将の運命の差であった。

 今川家に属した諸豪族は思わぬ敗戦で、織田勢と戦火を交えることもなく

争って領内に逃げ戻った。

 総大将の今川義元や松井宗信、久野元宗、井伊直盛、由比正信、吉田氏好、

これら多くの有力武将を失った今川軍は浮き足立ち、残った諸隊も駿河に

向かって退却した。大高城を守っていた松平元康も合戦直後に大高を捨て、

岡崎城近くの大樹寺(松平家菩提寺)に入った。

 今川勢は総大将の義元を失ったために総退却となり、岡崎城を守っていた

今川家の城代までもが、城を捨てて駿河に去ってしまった。

 松平元康はこれを接収し岡崎城に入城した。

 一方の織田信長は戦勝の翌日の二十日に、今川勢の首実検の儀式をした。

 総勢二千七百五十三人にあがったと言われる。

 その後、信長は論功行賞を行ったが、当時の基準からすると、一番鎗の

服部小平太を第一とすべきだが、実際、田楽狭間と知らせた梁田四朗左衛門

に、三千貫文以上の領地と沓掛城を与えている。

 この事から信長が如何に、情報戦を重視していたかが分かる事である。

 ここが織田信長と言う武将の非凡な資質であった。











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Oct 2, 2014
「狙うは義元の首一つ」(61章)

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「殿っ、雨が降って参りますな」  

 髭面の柴田勝家が、織田勢の向う天を指をさした。

 三河方面に真っ黒な黒雲が湧き、急速な広がりを見せはじめている。

 五月にしては珍しい空模様である。

 雨ならば助かる、信長は胸の裡で降雨を念じた。

 兵等の疲労も癒され、敵勢からも発見される恐れもない。  

「吉兆ぞ、皆ども急げ」  

 信長が甲高い声をあげた。

 一方の今川義元は、連戦連勝の報告で上機嫌であった。彼は二万余の大軍

を四つに分け、織田信長の本拠地は避け、沓掛城から中島砦、鳴海城への西を

目指した。今川義元は上機嫌で塗輿に乗っている。丸根砦と鷲津砦は先鋒隊の

攻撃で陥落し、佐久間盛重、織田壱岐守、飯尾近江守の首級が届けられていた。

 さらに鳴海方面の敵勢三百名の殲滅の知らせがもたらされていたのだ。

 沿道には今川勢の勝利を祝って近くの禰宜(ねぎ)、僧侶が酒肴を運んで祝い

の言葉を述べに集まっていた。

 こうした光景は戦国乱世では、当然の出来事であった。 

「関口っ」  

「はっー」  

 旗本の関口一左衛門が、義元の塗輿に騎馬を寄せてた。

「折角のご馳走じゃ、早いがお昼の弁当をつかう。本陣の場所を定めよ」

 義元が行軍する味方の軍勢を眺めながら命じた。

 桶狭間に近いこの街道は道が狭く味方の大軍は、通過する為に縦隊となって

行軍し、後尾が見えないほどの有様である。

 人馬のたてる砂埃が周囲の景色を覆い隠している。 

「御屋形さま、丁度良き場所がございます」  

「涼しいところが良いぞ」 

「この先に田楽狭間の地が御座います、松林に囲まれた絶好の地」

「敵勢への備えに不足はないか?」  

 流石は義元である、彼は首筋の汗を拭いつつ念を押している。

「何も心配はございませぬ。前方には先鋒隊が進んでおりますし、

本陣の後ろには本隊が居ります」  

 関口一左衛門が自信溢れる顔つきで答えた。

「よし、輿をその地に入れよ。余も腰が疲れた」

 刻限は巳ノ刻前、今川義元の本陣が運命の地、田楽狭間に足を踏み入れた。

 運命の悪戯、運命に翻弄されるとは、こうした事を指すのであろう。

 義元は緒戦に敗北した織田信長を、村人が裏切ったと錯覚したのだ。

 松林に囲まれた涼しい場所に、急ごしらいの休憩場が幔幕で巡らされた。

「なかなかと風流な場所じゃ」  

 義元が肥満した躯を輿より降ろし、満足そうに定めの場に足を運んだ。

 警護の武者五百騎も入り、彼等は風通しの良い場所に腰を据えている。

「かかった」 

 百姓姿に身をやつした小十郎が、松の大木の翳から見張っていた。

 幔幕の内から義元の声が聞こえてくる、小十が古寺に向って駆けた。

(桶狭間の地に盆地があるとはな、川田さまは良く調べられたものじゃ)

低い丘陵を伝い、確認しておいた古寺に足音を忍ばせ近づいた。

「誰じゃ。わしは猿」 

 中から低い声がした。 

「犬じゃ」  

 小十郎が素早く寺に身を入れた。

 内に貧相な小男がうずくまっていた。  

「梁田四郎兵衛元綱殿の乱波か?」

「そうじゃ、勝蔵という」 

 二人は暫し相手の顔を見つめあった、双子の兄弟のように似ている。

「義元は田楽狭間の盆地で休息し、昼弁当をつこうておる」 

 小十郎が義元の本陣の様子を勝蔵に告げた。

「勢力は?」

「護衛の旗本が五百名ほどじゃ」  

「なんとそのような小勢でか?」

「織田勢が攻め寄せるとは考えておらぬのよ」  

 ぴかっと稲光が奔り、雷鳴が響いた。

「降ってきそうじゃ」  

 勝蔵が低く呟いた、何となく風が強まって感じられる。

「それなれば勝てる」  

 何事か考えていた勝蔵が顔を挙げ、痩せた頬を崩した。

「ところで、われの名前を聞こう?」  

「小十郎じゃ」  

「小十郎、礼を申す」

「礼なんぞはいらぬ、直ぐに織田さまに知らせるのじゃ」

「二度と会うこともなかろうが達者で暮らせ」  

 一声、残し勝蔵が木立の翳に姿を消し去った。

「勝蔵、われの生まれは何処じゃ?」  

 小十郎が後ろ髪を引かれる思いで大声を張り上げた。

「判らぬ、天涯孤独じゃ」

 風の音に混じり切れ切れに勝蔵の声が聞こえてきた。

 小十郎は不思議な感覚に陥ったが、素早く樹木のなかに姿を消した。

 梁田四郎左衛門元綱が、二人の配下を連れて物見として先行していた。

 ここは梁田の領地である。

「殿、天候が荒れてきますな」  

「うむー」

 彼は騎馬で注意深く桶狭間の丘陵一帯の様子を探りながら進んでいた。

「梁田の殿」  

 突然に馬前に小柄な男が転がり出た。

「なんじゃ、勝蔵か。このような場所でなにをいたしておる」

「今川義元、旗本衆五百騎と田楽狭間で弁当をつこうてござる」  

「まことか?」

「武田の忍びの知らせにございます」  

 梁田四郎左衛門元綱の眼光が鋭く瞬いた。

「織田の殿も、この地に近づいておられる。勝蔵共をいたせ」

梁田が馬首を返し馬腹ほ蹴った。勝蔵も負けずと疾走した。  

「流石は乱波じゃ」

 勝蔵の小柄な躯が一気に、騎馬を抜き木立に消えて行った。

「まるで化け物じゃ」  

 梁田四郎左衛門が眼を剥き馬脚を早めた。

 織田勢が相原に着いた時、梁田元綱から今川義元の本隊が桶狭間で

昼食をとっているいう、重要な情報がもたらされた。

 信長は旗指物などは打ち捨てるよう下知し、猛然と前進を開始した。

 途中、桶狭間ではなく田楽狭間であると、変更の報せをうけた。  

「間違いないな」 

 信長が天を仰ぎ使いの者に確認している。

「間違い御座いませぬ」

 突然、雷鳴が駆け抜け稲光と共に強風が松の大木を揺るがした。

 信長は軍勢を停止させ、各者頭を集め通達した。

「者共、敵は田楽狭間じゃ、功名をあげよ。狙うは義元の首一つじゃ。

他の首には構うな」

 信長が馬腹を蹴って風の中を駆けてゆく、三千の織田勢がそれに続いた。 

「雨じゃ」  

 一滴のしたたりが突然、横殴りの風雨と変わってきた。

「天佑(てんゆう)じゃ」  

 信長が端正な顔で空を仰ぎ、甲高い声を発した。

 彼の口に干天の慈雨のような雨粒が流れこんだ。

先に書いた文章の校正をしておりますと、突然に文章が途中から

消え失せてしまいました。その為に書き加えて完了させましたが、

九名の方のコメントも消えてしまいますが、お許しの程。












Last updated  Oct 3, 2014 12:41:07 PM
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Sep 28, 2014
「桶狭間合戦の前哨戦」(60章)

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「梁田(やなだ)政綱と申す沓掛村の、豪族の家人で勝蔵と言う」

 川田弥五郎が満々たる自信をみせ、小十郎に告げた。

「して、その男との繋ぎの方法は?」

 小十郎の眼差しも真剣である。  

「合言葉じゃ。そちは犬、勝蔵は猿じゃ」

「猿・・・?」  

 小十郎が一瞬、不思議そうにした。

 川田弥五郎が愉快そうに、小十郎を見つめ言葉を続けた。

「桶狭間の北に古寺がある。そこで会うことになっておる」

「それは何時にござる?」

「義元が、我等の策にのり田楽狭間に入り休息した時じゃ」

「それを確認し猿に伝えますのか?・・・織田勢は一気に押し寄せますか?」

「そうでなければ勝てぬ」  

 川田弥五郎の顔つきが引き締まって見えた。

「そはそれがしが遣ります。貴方さまは松平家への仕官に励んで下され」

 
 小十郎が常の如く抑揚のない声で囁いた。

「了解した。任せるが田楽狭間の地形を自分の眼でしかと確かめよ」

「判ってござる」  

「今川義元は、今頃は引馬城あたりじゃな」

「あの短足胴長の体躯では馬にも乗れませんからな」  

 小十郎の言葉に二人が初めて頬を崩した。

 事実、義元は馬を好まず、塗輿に乗って行軍していた。

 東海の覇者、海道一の弓取りと言われた武将も、塗輿では様にならない。

 だが歴代の今川家の当主が身に着けた、鎧の上から唐織の陣羽織を纏い、

 黄金の八龍の兜をかむり、累代の陣太刀を佩びた勇姿は流石であった。

 今川勢の本隊二万五千が岡崎城に入城したのは五月十六日であった。

 義元は直ちに軍議が開き、部署割を発表した。 

 翌十七日には知立城を経て、十八日には前線基地の沓掛城に入城した。

 ここで最後の軍議が開かれ、翌十九日の夜明けと同時に戦端をきると決した。

 この沓掛城から望見すると桶狭間を越えた位置に丸根砦が、その奥に鷲津砦

が見える、この両砦が織田勢の前線基地である。

 丸根砦の守将は織田家で聞こえた猛将、佐久間盛重が三百名の兵で守っていた。

 鷲津砦には織田隠岐守(おきのかみ)と飯尾(いのお)近江守が籠もっている。

 今川勢から見たら、両砦の軍勢など大海の一匹の小魚に等しい存在である。

「松平元康、そちは二千名の手勢を率い丸根砦を陥せ」

「はっ」

 義元の下知を受け、十九才となった松平元康が頬を紅潮させ平伏した。

「鷲津砦は朝比奈泰朝、井伊直盛が軍勢にて揉みつぶせ」

 義元が常のごとく公卿姿で下知を下した。

「両砦を陥し先鋒隊は合流の上、朝比奈泰朝を頭として熱田方面に進出いたせ」  

 こうして今川勢の基本戦略が固まった。

 
 深夜を待って五千の先鋒隊が沓掛城から出陣した。境川を渡河し尾張領へと

侵入し、早朝を期して一斉攻撃が開始された。

 19日の未明、清須城の信長の許に今川勢迫り来るの知らせがもたらされた。

「来たかー」

 甲高い声を発し刻限を確認した後、幸若舞の敦盛の謡の一節である。

「人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻のごとくなり、ひとたび生を受け、

 
滅せぬ者のあるべきか」

 を謡いながら三度舞ったといわれる。

 舞い終わると法螺貝を吹かせて、全軍に出陣を命じた信長は具足をつけると、

立ったまま茶漬けを、さらさらと流し込だ。

 重臣達は信長のふてぶてしい態度に驚いたが、籠城を進言した。 

「合戦すべき節を失い、死すべき処を逃れなんぞしたら自滅ぞ」

 と、一蹴し決死の覚悟で単騎で城から駆けだした。

 従う者は七、八騎のみ、柴田勝家、林通勝等が手勢を率い追走した。

「行き先は熱田神宮じゃ」  

 信長が甲高い声をあげ疾走して行く。

 織田勢は熱田神宮で軍勢を整え、戦勝祈願を行い、鳴海城方面を目差した。

 その頃には一千ほどの軍兵が集まっていた。

 夜明けとともに前方に二筋の黒煙が望見された。 

「丸根、鷲津砦は陥ちたか」

 信長は騎乗のままで悟った。彼は熱田から丹下砦、さらに善照寺砦へと兵を

進め休息した。

 ここで最後の攻撃準備を整えた、兵数は約三千名と膨れ上っていた。

 彼は前線におびただしい物見を放った、敵の今川義元の所在が知りたい、

その一念であった。既に鷲津砦、丸根砦の陥落の知らせは、血塗れの伝令より

信長に届いている。  

「者共、敵に向かって駆けよ」  

「おうー」

 織田勢は一丸となった。今の信長には何も策がない、ただ今川勢に立ち向かう

のみである。中島砦を迂回した時、またもや敗報がもたらされた。

 鳴海方面を進んでいた織田勢の佐々政次と千秋季忠の兵が、今川勢の先鋒と

鉢合わせし殲滅されたとの知らせである。  

「全滅か」

 馬上で信長が独り言を呟いた、刻限は巳ノ刻半(午前十一時)をまわっている。

 この部隊は本隊の囮部隊であったが、全滅は痛かった。

 以前として今川勢の本隊は不明のままであるが、信長はまだ諦めていない。

 信長は先頭で将兵を率い、鞍上に横座りした姿で鼻歌を低く歌っている。

「死なうは一定(いちじょう)、しのび草には何をしょうぞ、一定語りおこすのよ」 

 傍らに付き従う柴田勝家が驚き顔をして、信長の横顔を見つめた。

 兜を跳ね上げた信長は端正な横顔をみせ、何度も同じ歌を繰り返している。

 五月の烈日が容赦なく降り注ぐ、

「暑い」  

 人馬は汗だくとなり行軍している。暑気が織田勢に襲い掛かっていた。  

「殿ー」  

「猿か」  

 声の主は木下藤吉郎であった。彼は信長の騎馬の横を駆けていた。

「武田信虎さまより、今川の本陣の位置を知らせるとの連絡が参っております」

「猿っ、それを信じよと申すか?」  

 信長が木で鼻をくくったような顔をした。

「はい、武田も駿河が欲しゆうございましょう。そのうちに吉報が届きます」

 信長はしばし思案をめぐらせた。我等が今川義元の首級を挙げたなら、武田

家は駿河が手に入る、悪い取引ではない。

「猿っ、物見を桶狭間に放て」  

 信長は下知をくだし、一心に騎馬を急がせた。











Last updated  Sep 29, 2014 11:40:26 AM
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Sep 26, 2014
「今川義元上洛す」(59章)

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 信虎の謀略が最終段階に差し掛かっていた。

 信虎が愛用の茶碗で冷えた茶を喫し、何事か思案している。

 三人が信虎が口を開くまで待っている。

「小十郎、弥五郎に伝えよ。今川の上洛が失敗に期したら、迷わず松平

元康に仕官するように申せ。今から松平家の下で武田の隠れ忍びと成りて、

信玄を助けよと申すのじゃ、そちも武田の忍び者であることを忘れるな」  

 信虎が驚くべき事を述べた。まさに完璧で疎漏のない策である。

 小十郎が無言で皮袋を懐中にしまっている。

 それは了解したとの意志表示である。

「わしの話は終った。暫くは世間の動きを楽しむ、お弓っ」  

「あい」

「そちは明日に甲斐に出立いたせ。河野、その方も一緒に甲斐に戻れ」

「はっ」  

 信虎の謀略の凄さに河野晋作は、脇の下に汗を滴らせていた。

「さて先刻、勘助が川中島付近で城を築くと申したが、どの辺りじゃ」

 信虎が河野晋作に巨眼を転じた。

「山本さまは何も明かされず、拙者ごときには判断が出来かねます」

「あの千曲川や犀川、それに妻女山の地形が瞼の裏に浮かんで参るは」  

 信虎が懐かしそうに目蓋を閉じた。最近、頬にたるみが現われ、

年を感じさせるようになっていたが、時折、見せる凄味が往年の

武将の面影を彷彿させる。

「城を築くには妻女山の麓の東、千曲川の前面が良い。それも北方に

八幡原が見通せる箇所じゃ。合戦は八幡原と予測いたす、そこに堅固な

城を築けと勘助に申し伝えよ」  

「何故、あの辺りの地形をご存じにございます?」

 河野晋作が不審な顔をしている。

「わしの狙いも越後であった。一日も早くあの地に城を築かねばならぬ」

 信虎がポッリと呟いた。

         (桶狭間合戦)

 翌日、駿府城から三頭の騎馬が三河に向った。

 先頭には関口一左衛門が騎乗し、二人は彼の家人であった。

 目的は信虎から聞いた三河と尾張の国境地帯である。

 彼等、三人は桶狭間に着き付近を慎重に探索した。見事に信虎の言葉は

的を得ていた。土地が狭く田が街道入りこみ、深田がぬかるみ草木が生い

茂る場所で、入り込むと逃げ場が無く這いずり回るような地形であった。

「大軍の通る道筋としては適さないの」

 関口一左衛門が家人に語りかけた。

「左様にございますな、田に嵌ると抜け出すには容易ではありませぬな」

 三人は尚も探索を続け、桶狭間の麓に松林に囲まれた盆地のような場所

を見つけた。土地の者に聞くと田楽狭間と言う地であるらしい。

 織田の砦が堕ちるまで本陣が待機するには、絶好の地形である。

 関口一左衛門は、その場所を徹底的に調査し、駿府城に戻った。

 永禄三年(一五六0年)五月八日、今川義元は念願の三河守に任じられた。

 これを待って十日に上洛軍先鋒隊の井伊直盛(なおもり)と松平元康が三千

の軍勢を率い出陣した。東海の覇者、今川義元の天下制圧の門出である。

 先鋒隊は大井川と天竜川の中間点の掛川城で、朝比奈泰朝の二千を加え、

岡崎城に進出する予定であった。二日遅れの十二日に義元本隊が駿府城を

出陣した、義元は塗輿に乗っての出陣であった。

 この晴れの日の義元の装いは、胸白の鎧に黄金にて八龍を描いた五枚兜

を被り、赤地錦の陣羽織を着用し、今川家累代の二尺八寸松倉郷の太刀に、

一尺八寸の大左文字の脇差を佩び、堂々たる武者振りであった。

 塗輿の中で太原雪斎亡き後、駿、遠、三の舵取りを一手に引き受ける事と

なった義元は、時は来たれりと感じていた。将軍は力ある大名を求めている。

 駿遠三の領土を持つ今川家は押しも押されぬ大国であり、血筋は足利家に

連なる名門の出である。そう見ればうってっけの家系である。


 駿府から京への途中にある強国といえば美濃だが、蝮の道三こと斎藤道三は

倅、義龍に敗れ討死しており、義元の上洛を阻む実力者は居なくなったいた。

 背後の甲斐の武田と相模の北条とは、強固な同盟を結び、後顧の憂いはない。

 駿河、遠江の軍勢を率い、三河松平家を配下に組み入れ、強大な大軍を編成し

上洛すれば、三好、松永などすぐに京から駆逐し、足利幕府再興を果たし、将軍

義輝にその功を認められ、称賛を浴びることは自明の理である。

 いや自分は名門、今川家の当主で足利氏の血縁なれば、次の将軍職も夢では

ない。天下は必ずや、我が物になるはずである。

 義元の目には遥かなる王朝の都と輝かしい未来が映っていたのだ。

 今から通り抜ける尾張の信長など、足元に転がる小石のような存在である。

 最初は尾張領を占拠し、美濃の一角を我がものとする目算であったが、

こうして上洛の軍旅に出ると、そのような事は些細な問題であった。

 行軍速度は緩やかで、夕刻には藤枝に着陣し軍勢を整え、翌日には大井川を

渡河し掛川城に入った。 

「尻が痛い」 

 義元は二日の行程で音をあげた。

「何を仰せにござる、京まで何日かかると思われます。今から泣き言は聞こえ

ませぬぞ」  

 宿老の三浦成常が声を強めたしなめた。

 それほどまでに義元は肥満し、胴長で短足な武将であった。

 併し、今川勢の軍装は煌びやかで旗指物を風に靡かせ、南に海を見つめ

堂々の行軍であった。

 十四日には天竜川を越え浜名湖を目前とした地にある、引馬城に入城し、

 その夜は盛大な宴会を催した。  

「尾張の様子はどうじゃ」

 義元が大杯を手にし上機嫌で尋ねた。  

「未だ気づいた様子はございませぬ」

 関口氏広が落ち着いた声で答えた。彼は一門衆で幕府の奉行衆でもあった。

「うむ、岡崎を過ぎたら厳重に見張りをたてよ」

「ここは遠江の地でございます。尾張の小童に知れる訳がございませぬ」

宿老の一人、三浦成常が上機嫌で答えた。

「そうよな明日は吉田城じゃ、井伊谷城、長篠城、田原城の兵も集結いたして

おろう。余は彼等将兵に会うことが楽しみじゃ」  

「左様、我が勢は一気に倍になりましょう」

「駿府城を出た時は一万じゃが、明日には二万を超すか」

「いや、二万五千は下りませぬ」  

「部署割は大事ないの」

「抜かりはございませぬ」  

 こうして十四日の夜が暮れていった。

 その頃、小十郎は岡崎城に忍び込み、川田弥五郎と密談を交わしていた。

「川田さま、桶狭間は大殿の言われたような地形にございますか?」

「桶狭間ではなく、その東の麓の田楽狭間とみた」  

「田楽狭間にございますか。その訳に何でございます?」

「松林に囲まれた盆地じゃが、本陣の休息場としてはもってこいの地形じゃ。

恐らく義元はそこで昼弁当をつかう筈じゃ」  

「何故、そのように思われます」

「拙者は何度となく三河と尾張の国境の地形を見た。大殿の申される如く道は

狭い、恐らく先鋒隊の戦果を確かめるまでは、今川の本陣は動かぬ」

「本陣を固める兵力は?」  

 珍しく小十郎が真剣な顔をしている。

「休息できる盆地は、旗本の騎馬武者が五百騎も入れば一杯じゃ」

「あとの大軍は盆地の外と申されますか?」

「左様、あまりに大軍がひしめいておっては、何か大事が起こったら動けぬ」

「決まりましたな。織田の間者との連絡はついておりますか?」

「織田の乱波(らっぱ)の一人と知り合った。奴は中島砦におる」

「名はなんと申す」  

 小十郎の細い眼が鋭く輝いた。








Last updated  Sep 27, 2014 01:51:29 PM
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Sep 23, 2014
「信虎の謀略の成否」(58章)

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 いよいよ今川家の総力を挙げた、上洛の軍旅が始ろうしていた。

 それを思うと老骨の身の信虎も血潮の泡立ちを覚えた。

「ところで関口殿、義元殿は甲斐の事でなにか申されなんだかの?」

「その件にございますが、折角の仰せながら辞退いたすと申されました」

「なんと、・・・辞退されると申されたか」  

 信虎が巨眼を光らせ、関口一左衛門の若々しい顔を見つめた。

「関東に於ける北条殿の苦戦は見逃せぬ。ならば越後勢を攻めて頂けとの

お言葉がございました」

 関口一左衛門が済まなそうな顔で義元の伝言を述べた。

「流石じゃ。上洛を前に控えた武将の心得かくありたし。東海の覇者、

義元殿なればのお言葉、信虎、感服つかまったとお伝え願いたい」 

 こうして口上を終えた関口一左衛門は戻って行った。

「我が策、万全じゃ」  

 思わず独り言が口をついて出た。

 その夜、ひっそりと二人の男が隠居所を訪れた。一人は武田忍びの頭領、

河田晋作とお弓の配下で尾張に潜入していた小十郎であった。

 四人を前にして信虎が今川家の上洛の件を語っている。一人、小十郎のみ

壁際に身を寄せ、信虎の言葉を聴いている。

「大殿、今川義元殿はこの度の上洛で最後を遂げられますか?」

 河野晋作が眼光を細め忍び声で訊ねた、声に興味が含まれている。  

「万にひとつも助からぬ」

 信虎が低いかすれ声で断言した。

「さすれば今川家の領土は、甲斐が支配できますな」  

 信虎の巨眼が河野晋作に注がれた。

「倅の氏真(うじざね)は器量不足、早う越後勢と決着をつけ今川家の領土を

攻め取れと信玄に伝えよ。ところで北条より使者が参ったと聞くが本当か?」

「越後国境に軍勢を繰り出してくれるよう、要請する使者が参っております」

「信玄はいかがいたす」  

「山本さまの策を取られるものと心得ます」

 河野晋作が素早く答えた。

「勘助の策?」  

「近年中に越後勢と最後の決戦が起こると山本さまは見ておられます。

 その為に川中島付近に、出城を築くお積りにございます」

「・・・、北条氏康への援軍は出さぬと言うことか?」

「その代わりとし石山本願寺の顕如さまを動かし、加賀、越中の一向門徒衆に

決起を促し、一揆を起こさせるべく画策中にございます」 

「ちんば遣るは」  

 信虎が口汚く罵った。

「武田家が軍勢を出さずとも、結果は同じにございます」

「どうも策が多い、お弓、そちは河野と共に甲斐に参り勘助に会って参れ」

「何を聞いて参ります」  

 燭台の灯りがお弓の横顔を照らし、一段と美貌を際だたせている。

「勘助の本心じゃ。それに今度の越後勢との合戦は必ず勝てと申して参れ、

 
もし決着がつかねば討死いたせ。と、わしが申しておったと伝えるのじゃ」

「勘助殿に討死いたせと仰せか?」  

 お弓が不満そうな顔をしている。

「そうじゃ、役たたずが」

「大殿は気が狂われたましたか?」  

「わしは正気じゃ、そう申せば勘助ならば判る筈じゃ」

 燭台の炎に照らされた信虎の容貌が凶暴に見える。

「甲斐の件は終りじゃ。さて小十郎」  

「はっー」  

 相変わらず抑揚のない声の小十郎である。

「今川の陣構えが顕かとなったら弥五郎に知らせる。今のところ知りえた、

陣形と総兵力の絵図じゃ、これを弥五郎に渡せ」

 信虎が皮袋を重そうに取り出した。  

「これは当座の資金じゃ」

「何をいたせと申されます?」  

 小十郎が顔つきも変えずに訊ねた。

「そちは岡崎城で弥五郎のもとで足軽として仕えよ、義元が討死いたせば」

 信虎が言葉を止め、燭台を見つめた。重苦しい沈黙が続いた。

「大殿は、何が仰せになりたいのじゃ」  

 焦れたお弓が訊ねた。

「松平元康と岡崎衆は恐い存在となろうな」 

 と、小声で呟いた。信虎の魁偉な顔が更に陰湿に変化している。

「松平元康は岡崎城に入城いたし、今川家と手切れをいたしますな」

 河野晋作が皆にかわって答えた。

「流石は河野じゃ。奴が三河に留まると武田家にとり面倒な存在となろうな」

 一座が沈黙し信虎の次の言葉を待った。

「織田信長と必ず手を握るとみる」  

「大殿は岡崎衆が武田家の敵となると仰せにございますか?」

 お弓が念を押している。

「そうじゃ、武田にとり駿河、遠江は簡単に手に入るが、三河が元康の支配と

なると難儀な事じゃ」 

 信虎が野太い声をあげた。

「武田の敵は駿河の今川家と、三河の松平家と言うことにございますか?」 ゛

 この質問も河野晋作である、彼は半分は信じられない様子である。 

「しかし、今川家が易々と三河を手放すとは思われませぬ」

「氏真では駄目じゃ。わしが元康なれば自立いたす。信長が三河に色気を

示せば別じゃが、織田信長は美濃に目が向いておる。奴等が手を握ることも

考えておかねばなるまいな」

「成程、松平元康は今川から独立したい、一方の信長は美濃と領内統一に

専念したい。信長の脅威は義元を討ち取っても今川家ですな」

 河野晋作が信虎に問い返し、お弓と顔を見つめあった。

 恐ろしいお方じゃ。こと謀略にかけては山本さまよりも上手じゃ。心胆、

河野晋作は信虎を恐れた。

「小十郎、そちは尾張に潜入いたし、何をしておった?」

 信虎の質問が小十郎に移った。

「信長殿は、世間で言われるようなたわけ者ではありませぬ」

 抑揚のない声で小十郎が反論した。

「面白い、その訳を聞かせよ」

 信虎が興味を示した。

「遣ることにそつがありませぬ。美濃の斎藤道三を手の内に入れた

動きは、並みの武将では不可能にございます。それに家来の引立てが

巧いお方に御座います」

「どのように巧いのじゃ」

 信虎が興味を示している。

「門地、門閥に捉われず。能力で引き立てておられます」

「成程な、魅力ある武将のようじゃ。じゃが小十郎、暫くは信長を忘れよ。

 川田弥五郎と岡崎城に専念いたせ、沙汰はおって知らせる」

「はっ・・・・承知いたしました」







Last updated  Sep 23, 2014 05:20:32 PM
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Sep 20, 2014
「信虎の謀略は成功するか」(57章)

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「余の考えも舅殿と同様じゃ、我が今川家が総力をあげての上洛じゃ。

誰に遠慮がいるものか」  

 義元が鉄漿をみせて嘯いた。

 余は東海一の弓取り者、東海の覇者と異名される武将じゃ。

 義元にはそうした驕りがあった。

「義元殿、軍勢の人数と上洛の武将の方々は決まりましたかな?」  

「それが?」

 信虎の問いに義元が不審な顔付をした。

「この隠居にも上洛軍には些か考えがござる、聞いて頂けますかな」

「お待ち下され」  

 しわがれ声をあげた人物は宿老の一人、三浦成常であった。

「此度の上洛は今川家の念願にございました。しかるにこの重要なる軍議

に、武田の舅さまをお呼びに成られたのは、この三浦は納得が参りませぬ」

 大広間が凍りついたように静寂した。

 一座の武将達、全員が三浦成常と同じ疑問を感じていたのだ。

「これは失礼をいたした、三浦殿のお言葉耳に痛うござる。義元殿、

わしはこれにて下がらせて頂きましょう」  

「舅殿」  

 義元が驚いて腰を浮かせた。

 信虎は魁偉な風貌を和ませ手で制した。

「軍議の席をお騒がせして申し訳ござらん。もし倅にご用が御座れば、

後日、お聞きいたそう」  

 信虎は義元と一座の武将に頭をさげ大広間から立ち去った。

「お弓、酒じゃ。祝い酒をもて」  

 戻るや信虎が声を張り上げた。

 腰元がお弓の指図で酒肴の用意を整えている。信虎はお弓の介添えで

普段着に着替え、先刻の城内の出来事を語って聞かせた。

「ようやく上洛が決まりましたか。永いあいだご苦労に存じましたな」

 お弓が嬉しそうに顔を染めた。信虎の苦労を知っているからである。

 この為に甲斐を捨て駿河に来たのだ。

「うむ、すぐに河野晋作と尾張に潜入しておる小十郎を呼び出すのじや。

それに岡崎城の川田弥五郎には、特に念入りに申し聞かせるのじゃ」

「あい、直ぐに手配をいたしましょう」  

 お弓が素早く部屋から去った。

 信虎が書院にもどると酒肴の用意が整っていた。

「その方どもは下がれ、わしを一人にいたせ」  

 腰元に命じ大杯を満たし酒の波立ちを眺めた。長かった、これが信虎の

心境であった。

 この為に数々の謀略を続けてきたのだ。

 甲斐の山河が懐かしく、信虎の脳裡をかすめた。

 微かな足音が聞こえ、お弓が信虎の前に物静かに座った。  

「知らせたか?」

「あい、この度は鳩を使いましたぞ。明日には全員が揃いましょう」

「そちも飲め、今日の良き日を祝おう」  

 信虎の魁偉な容貌が心なしか、もの悲しそうにお弓には見えた。

 黙して杯を口に運び、二人は静寂のなかで過去を振り返っている。

 信虎、六十六才の時であった。

「わしは己の意志で甲斐を捨て十九年にもなる。駿河を甲斐が支配する

夢が漸く叶のじゃ」  

「わたしも四十ちかくになりましたぞ」

「もう、そのような歳になるか? 良くわしに尽してくれたの」 

「大殿、今宵は一緒に眠りますぞ」

「もう抱いては遣れぬが、勝手にいたせ」

「あい、そう致しますぞ」

 信虎の心の奥がきな臭くなった。それはお弓の所為であった。

 翌日、駿府城から関口一左衛門が使者として隠居所を訪れてきた。

 彼は今川一門の関口氏広の縁戚にあたる若者で、義元の小姓を務め、

今は旗本として義元を警護していた。

 彼は義元の口上をもって訪れて来たのだ。

「関口殿、ご苦労に存ずる」  

「御屋形さまのご口上を持って参上いたしました」

 関口一左衛門は、武者面の良い精悍な相貌をした若武者である。

「義元殿が?・・・わしに何の口上にござる」  

 信虎が関口一左衛門を見据えた。

「昨日は城内で失礼いたしたとの御屋形さまのお言葉にございます」

「なんの、わしが出すぎたまでじゃ」

「上洛の陣構えが決まりました。出陣は五月十日との事にございます」

 一左衛門が出陣の日取りを語り、若々しい顔で信虎の反応を窺っている。

「・・・あと三ヶ月にござるか」  

 信虎が低く呟いた。

「先鋒は井伊直盛さま、松平元康さまと決まりましたが、掛川城主の朝比奈

泰朝さまも途中で加わり、総勢五千の軍勢で本隊に先駆け出陣いたします」

「いずれも強兵じゃ」  

「信虎さまに異存なきや?」  

「わしに異存なんぞはござらん」

 流石は義元である。先鋒隊の武将の任命は的を得た人選である。

「前備え左右備えは遠江、三河の道筋の城主が務めます。その勢、

約一万で進み、本隊が後続いたします」  

「本隊の勢力はいかがじゃ?」

「駿府よりは五千名を引きつれ、後備えといたし高天神城の小笠原氏興

さまに二俣城主、松井宗信さまの兵力五千が加わります」

「総勢、二万五千名にござるか?」  

「左様」  

「尾張攻撃の部署ぎめは、何処で為される積りにござる?」  

「さだかで判りかねますが、岡崎城かと推測いたします」

 若いが関口一左衛門が、信虎の質問に澱みなく答えている。

「さすれば今川家の上洛軍は、大高道を進まれますか?」  

 信虎の眼が燃えた。

「拙者も左様心得ます。たかが二、三千の尾張勢、先鋒隊で片がつきましょう」

 関口一左衛門が不敵な面をみせた。

「以前に義元殿に忠告いたしたが、先鋒隊と本隊の間隔を空けるようにとな」

「何故にございます?」  

 関口一左衛門が不審顔で訊ねた。

「三河から尾張に抜ける街道の両側は深田地帯で道が狭い、万一、敵の

奇襲を受けるような事態となれば、本隊の進退に影響いたす。まず丸根砦、

鷲津砦を落すまでは本隊は首尾を眺め、一気に尾張領に進撃いたすことが

賢明な作戦に成りましょう」 

 信虎が吹き込むように語った。 

「三河、尾張の街道はそのように狭うございますのか?」

「関口殿、上洛軍が駿府から出陣する街道の道幅をご存じか?三河まで

の街道の道幅も二間(三・六メートル)ほどでござる」

「成程、この駿府の道幅も二間にございますな」

「その街道を二万五千の大軍と小荷駄隊が延々と行軍するのじゃ。壮観な

眺めと申すよりも、わしは危うい光景に映りますな」

 信虎がけしかけるような口調で言い放った。

「幅二間の街道を二列縦隊で進むとしたら、先頭と後尾までの距離は測りがたい

ほどに御座いますな」

 初めて関口一左衛門の顔に不安の色が湧いいる。

「出陣まで日時がござる、三河から尾張に入る地形を自分の眼で確かめられよ」

「有り難い忠告、拙者がじかに物見をいたしましょう」

「道の両側の深田を存分に見て参られよ」

 信虎が言うごとく、大正年間の地形図には、坂道は一間(約一.八メートル)

から一間半(約二.七メートル)の道幅を持つ里道として記載されているが、

平成二十五年現在でもとりわけ、大字有松地内における市道の道幅は二.七

メートル以内の狭隘な箇所が多く、舗装がなされている以外はその様相は

昔からほとんど変化が無いことが見て取れる。と言う記述が残っている。

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Last updated  Sep 20, 2014 02:58:38 PM
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Sep 17, 2014
「東海の覇者、今川義元の上洛」(56章)

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 春日山城に逃れた関東管領の上杉憲政は、景虎の軍事力で管領の地位を

取り戻そうと画策していた。併し、事態はそんなに甘くはなかった。

景虎は将軍足利義輝の信任が厚く、義輝より再度の上洛の要請を受けており、

関東への進攻がままならない情況と成っていた。

 永禄二年二月足利義輝は景虎に上洛を促し、一方では武田晴信を信濃守護

に任じ、景虎の上洛中は越後領内を侵さないよう命じてきた。

 こうして武田晴信は念願の甲斐、信濃二ケ国の守護職となったのだ。

 長尾景虎はこの歳の二月、五千名の精兵を率い上洛した。

 彼は五ヶ月に渡り、京に駐在し三好、松永勢を牽制し将軍に献身した。

 将軍義輝が三好、松永を討てと命じたなら、彼は迷う事なく討伐する

覚悟で駐屯していたが、将軍義輝は躊躇し命ずる事がなかった。

 この為に六年後、松永久秀と三好三人衆が謀叛を起こし、二条御所を

襲撃した。永禄の変である。

 義輝は名刀で知られた、三日月宗近等を振るって奮戦したが衆寡敵せず、

最期は寄せ手の兵達が四方から、畳を盾として突きかかり殺害された。

 如何にも剣豪将軍と異名された、義輝らしい最後であった。 

 享年三十歳、義輝の生母である慶寿院も殉死している。

 辞世の句は『五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで』

 晴信は幕府なんぞに何の権威もない事を知っていた。ただ古い権威の象徴は

未だ、この乱世の世でも生きていたのだ。

 そうした意味で、甲斐、信濃の守護職を拝命したが、本心は違っていた。

 今の世は力のみ、力だけが物を言う。一方の景虎は幕府に対する畏怖と

尊敬の念をもっていた、それ故に将軍には特別の感情を抱いていたのだ。

 そう言う意味では景虎の上洛は、晴信にとり絶好の好機であった。

 晴信は将軍の意を無視し大軍を高井郡に出兵させ諸城を陥し、景虎との

和睦の条件で返還した高梨城を取り戻したのだ。 

 こうした軍事行動を行いながらも、晴信と勘助主従は将軍の意に逆らって

いるとは思っていない。

 守護職が領内支配を強化し、経営を行う事は将軍の意に沿っている。

 それ故に今までは北信濃の豪族達は、越後領に近いということで景虎の

意のままに従って来たが、これからは武田家が彼等を支配する。

 
 武田勢はその勢いで怒涛の如く越後国境まで進攻した。

 此れも晴信一流の示威行動であった。余りにも長く国許を留守にする

と越後の敵が、このように攻め寄せますぞ。そう景虎に言いたかった。

 春日山城の留守を任されていた長尾政景(まさかげ)は、大軍を繰り出し

防戦に努めたので、晴信は一旦、軍勢を信濃に引いた。

 この長尾政景という武将は、景虎の義理の兄で勇猛で聞こえた人物である。

 後に謙信の跡目を継いだ会津百万石の太守、上杉景勝の父親である。

 まさに権謀術数の渦巻く世の中となったのだ。

 この年に武田晴信と山本勘助は剃髪し、晴信は信玄と号し、勘助は入道

道鬼と称するようになった。

 長尾景虎は十月に帰国し、直ちに信濃への出陣を命じたが、越中の豪族、

神保良春(じんぼよしはる)が、信玄と誼を通じておると知り、逸る心を抑え

出兵を諦めた。

 こうして永禄二年は波乱にとんだ乱世を予見させつつ暮れたのだ。

 翌、三年はまさに乱世となるのである、三月を迎え越後勢が越中に進攻し、

神保良春の富山城を囲み、力攻めで陥し城主の良春を追放した。まさに景虎

らしい素早い攻撃を信玄に見せ付けたのだ。

 信玄は積雪のために援軍を差し向ける事が出来ず、神保良春を見殺しとし

た。越後勢は余勢をかって関東管領の上杉憲政を擁し、大軍で三国峠を越え

関東に乱入した。

 真っ先に上野の沼田城を陥し、厩橋城(うまやばしじょう)に入城した。

 迎え討つ北条氏康も大軍を発し、武蔵の松山まで進出し陣を張った。

 いよいよ関東の雲行きも怪しくなってきた。

 上杉憲政は各地の豪族に使者を派遣した、我等の味方となれば管領に逆らっ

た罪は許そう。この策には北条勢も参った、次々と脱落者が出て北条勢に反旗

を翻した。流石の北条氏康も応えた。この上は武田家に頼み、越後への出兵を

願おう。そうなれば越後勢、うかうかと関東に居座り長対陣は出来ぬ。

 今こそ甲相同盟を利用する好機、氏康の命で武田家に使者が向かった。

 こうした関東の騒乱を横目とし、今川家は慌しい時期を迎えていた。

 各地の諸城に伝令が駆けて行く、遠江、駿河の各地から兵糧や武器弾薬を

満載した小荷駄が列をつくって三河の地に運び込まれている。

 今川家の上洛計画は三河の諸城を兵站基地にする積りのようだ。

 これは理に叶った策であった。兵糧、飼葉、武器などの物資は、ある意味で

軍勢よりも重要なものであった。

「すわ、合戦じゃ」   

「御屋形さまが上洛なさるそうじゃ」

 人々が集まれば、その話でもちきりとなっている。

 隠居所で信虎が魁偉な容貌を崩し、ほくそ笑んでいた。

 
「お弓よ、遂にもどき殿が動きだしよった」   

「そのようにございますな」

 二人が語り合っていると駿府城より使いの者が訪れてきた。

「御屋形さまが、大広間にお出で願いたいとの仰せにございます」

「義元殿が、すぐにお伺いいたすとお伝え下され」

 信虎は衣装を改め直ちに大広間に向った。そこには今川家の宿老はじめ、

武将達が左右に居並んでた。

 信虎が大広間の入口に姿をみせた。

「舅殿、待ちかねましたぞ」  

 烏帽子直垂姿の義元が威厳をこめた笑みを浮かべ待っていた。  

「何事にございまいかな」  

「そこは遠い、もそっと前にござれ」

「ご免」  

 信虎が腰を屈め一座の前を進み、指さされた席に腰を据えた。

「尾張の小童、最近は三河に侵入いたし煩わしい」  

「尾張攻めにござるか?」 

 信虎がわざと義元の言葉をはぐらかした。

「上洛と決めましたぞ。その際に尾張の織田家を殲滅いたし京を目差します」

 義元が上洛を宣言した。その肥えた体躯から満々たる自信が溢れている。

「これは目出度い、尾張なんぞ一蹴いたし上洛を為されませ」

「武田の舅殿は気楽に申されるが、そんなに簡単な事ではござらん」

 宿老の朝比奈泰能が渋い声で信虎の言葉を遮った。

 今川家の全員の視線が冷たく信虎に注がれている。  

「何か問題でもござるか?」

 信虎が素知らぬ風を装って訊ねた。そこは山千、海千の老獪さである。

「上洛するにはそれなりの筋がござる。先ずは畿内の大名、豪族に通達いたし、

将軍家はじめ朝廷にも、それなりのお許しを得ねばなりませぬ」

「将軍の義輝なんぞでくでござる。畿内の三好、松永なんぞの輩は先年五千の

兵で上洛いたした、長尾景虎にびくついた腰抜け、何の遠慮がいり申す」

 信虎の背筋が、しゃきっと伸びきっている。

「信虎さまは将軍を蔑(ないがしろ)に成されますか?」
 

 透かさず朝比奈泰能が異を唱えた。

「幕府の権威は敬わねばなりませんが、諸大名を抑える力量がござらぬ」

「・・・・」

 朝比奈泰能が口ごもっている。

 まさに信虎自身が戦国乱世の梟雄である。この世を治めるのは力のみ、

そう信虎は叫びたかった。

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Last updated  Sep 18, 2014 04:41:58 PM
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