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改訂  上杉景勝

Apr 23, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」 (77)


 八月二十三日に伏見の上杉屋敷に着き、ただちに石田三成と会談した。

「景勝さま、よく参って下された」

 才知溢れ、事に同じぬ石田三成がほっとした顔をして挨拶をした。

 秀吉の死は三成にとり、計り知れぬ打撃を与えたのだ。完全に後ろ盾を

失い、孤立無援の境遇に陥った感じをもったのだ。そこに景勝が上洛して

きた。三成にとってこれ以上、心強いことはなかったのだ。

 三成が太閤の遺言や誓紙の交換等を詳しく説明した。

「殿下の遺骸はまだ伏見城に安置されておられますか」

「左様、遺言の朝鮮渡海の軍勢の撤兵命令が発令されておりませぬ」

 三成が憂い顔で告げた。

「申し訳ござらぬ、五大老の拙者が遅参した所為ですな」

「それもございますが、翳で家康が動いている気配を感じます」

「いよいよ徳川の狸爺が本領を発揮いたしますな」

「景勝さまも、そう思われますか」

 知恵の固まりのような三成が顔を曇らせた。

「拙者は明朝に伏見城に登城いたす、お手配をお願い仕る」

 こうして秀吉死去後、五大老が初めて顔を揃えた。

「景勝殿、遠路大儀にござった」

 家康が慰労の言葉をかけ、肥満した体を景勝に近づけてきた。

「転封の為に政務をおろそかにして申し訳ござらぬ」

「いやいや、このように早く亡くなられるとは思いもせぬことにござった」

 肥満した体躯の家康が柔和な笑みをみせているが、眼が笑ってはいない。

「五大老さまに相談がございます」

 石田三成が五大老の脇から声をかけた。

「何事じゃ」

 大納言の前田利家が痩身の躰に似合わぬ太い声をあげた。

「朝鮮の件にございます。小西行長より連絡がありましたが、日本軍は

敗色濃厚とのこと。幸いにも中納言景勝さまもここに居られます、ここで

五大老の了解を賜り撤兵命令を出しては如何にございます」

「流石は五奉行筆頭の石田殿じゃ。前田殿、殿下の遺言です。朝鮮からの

撤兵命令を出しましょう」

 すかさず家康が三成の案に賛同した。

「そうじゃな、殿下の喪を隠し命令をだしましょう。愚にもつかぬ戦であった」

 前田利家が愚痴を述べ賛意を示した。

 八月二十五日、徳川家康と前田利家の連署の撤兵命令が発令され、これ

を持って石田三成と浅野長政が博多に赴いた。

 五奉行達は朝鮮在陣の諸大名の苦労をねぎらい、太閤殿下の病が快癒し

たとの偽情報を流し、朝鮮軍の足止めを計った。

 こうして秀吉の喪を隠し石田三成は、朝鮮への使者として美濃高松城主の、

徳永寿昌と豊後の蔵入地代官の宮木豊盛を派遣した。

「太閤殿下の死は味方の諸候にも洩らすな」

 三成は二人に厳命していた。

 そうした中で景勝は上杉屋敷で秀吉亡き後の、大老の政務をこなしていた。

 巷間、人々の口から太閤殿下の死去の噂の飛び交うなかでの政務は、

戦塵に明け暮れた、景勝の心身にとり大きな負担となっていた。

 兼続を呼び寄せたい誘惑にかられるが、伏見城でみる家康の尊大な態度を

思いだすと、国許の整備が最優先と考え直し我慢をしていた。

 いずれは戦う運命にある二人である。そう思うことで気を紛らわせている。

 朝鮮では日本軍が最後の力を出しきって善戦していた。

 三万八千七百名もの首級をあげた、島津勢が大勝利をあげていた。

 さらに小西勢と加藤勢も明国、朝鮮の連合軍を破り意気軒昂としていた。

 これが日本軍の最後の足掻きであった。

 そうした最中に撤兵命令を受け、十月中旬から順次、朝鮮から将兵が帰路

についた。最後尾は島津勢で彼等は小西行長勢の撤兵を助け、殿軍となって

甚大な損害をだしながらも、撤退を終えていた。

 この戦いで島津勢の猛烈な戦闘をみた、朝鮮軍はしまずと恐れ近づく

ことなく、呆然と見送るのみであった。

 朝鮮の兵士から見たら、島津勢は死者の群れのように不死身で猛烈な合戦を

する戦士に映っていたのだ。

 こうして皮肉にも秀吉の死去で慶長の役が終結をみたのだ。


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Last updated  Apr 23, 2012 12:16:22 PM
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Apr 21, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (76)


 慶長三年八月五日、伏見城で病床にあった秀吉は、秀頼の将来を五大老

に託し、五奉行と誓紙を交換させた。

 五大老は帰国中の上杉景勝をのぞき、それぞれ五奉行に誓紙を提出し、

秀頼への奉公と法度の遵守を誓った。

 前田利家には大阪城で秀頼を守ることを頼み、三成には朝鮮から全軍の

撤兵を命じた。

 同日、秀吉は自ら家康、利家、輝元、景勝、秀家の五大老にあてた遺言を

書いた。

『返すがえす、秀頼事たのみ申し候。五人の衆、たのみ申し上げ候。いさい、

五人の者に申し渡し候。なごりおしく候。             以上

 秀頼事、成りたち候ように、此のかきつけの衆として、たのみ申し候。

なに事も、此のほかには、思いのこす事なく候。         かしく、

   八月五日、                       秀吉

 いえやす、ちくせん、てるもと、かけかつ、ひでいえ、  まいる』

 この秀吉の遺言は秀頼の無事な成長を願う思いが、切々と響くと同時に、

秀頼の将来に対する、揺れ動く不吉な予感を感じさせるものであった。

 死期の迫った秀吉の妄執のなせる仕儀であったと推測する。

 既にこうした誓紙の交換は何度となく行われていたのだ。

 八月十六日、諸社寺の病気平癒の祈祷も虚しく、秀吉は波乱のとんだ

生涯を閉じた。享年六十二歳であった。

『露とおち露と消えにし我が身かな 浪花のことは夢のまた夢』

 これが秀吉の辞世の句であるが、世の未練を断った秀吉の真実の思いが

伝わる。この世のことなどは夢じゃと、揶揄する秀吉の笑いを感じるのだ。

 彼の遺骸は極秘に伏見城に安置された。秀吉の死去がおおやけとなれば、

朝鮮軍や渡海した日本軍への影響が大きいとみた配慮であった。

 日本六十余州の天下人としては、あまりにも寂しい末路である。

 秀吉の遺骸は翌年の慶長四年の四月十三日に、東山の阿弥陀ケ峰に葬ら

れるのであった。

 太閤殿下の訃報が会津の景勝にもたらされた。この報せは五奉行筆頭の

石田三成からのものであった。

「とうとう亡くなられたか」

 景勝の脳裡に秀吉の闊達として姿が蘇っているが、いよいよ天下が騒がし

くなると感じられ、身の引き締まる思いがしていた。

 その戦慄は徳川家康の存在であった。

「お屋形、直ぐに伏見に参られませ、五大老としての職責を果たすことが大老

としての身分が保証されます。それが無に帰せば、ただの大名にござる」

 素早く兼続が進言した。

「分かっておる。これより騎馬で発つ、何事か変事があれば伏見に知らせよ」

 景勝の決断も素早い、軽騎で手練れの家臣を率い会津を発った。


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Last updated  Apr 21, 2012 10:40:34 AM
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Apr 20, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (75)


 兼続は急ぐ様子もみせずに悠々と若松城に戻るや、大広間で景勝が

不機嫌な顔つきで使者を見下ろしていた。

「遅くなり申した。それがしが執政の直江山城守にござる。ご使者の口上を

お聞かせいただく」

 兼続が景勝の下座に腰を据え、白皙の顔で堀家の使者に言葉をかけた。

「拙者、堀家の家老堀直政にございます。我等は旧領の北ノ庄を去るに

わたり、年貢の下半期分を新領主に引き渡し、越後の地に着任いたした」

「それは祝着至極にござる」

 兼続の声に揶揄が込められている。

「祝着ではござらん、年貢の半年分は新領主に残しおくことが天下の仕置き

にござる」

 堀直政が声を荒げた。彼の言うとおり跡を継ぐ新領主に年貢の半分を残し

ておくことが通例であった、堀家が越後に入封すると上杉家は一年分の

年貢を徴収して会津に持ち去っていたのだ。

 それを返還するように堀直政は言い立てた。

「堀殿、申し立ての儀は分かりますが、それは堀家の怠慢にござるな」

「なんと、山城守さまは我が藩の怠慢と仰せか」

 堀直政が顔色を変えた。

「左様、事前の調査もなく入封されるは怠慢の誹りを受けても当然にござる。

我等は会津転封の命をうけ、旧領の蒲生家の仕置きを調査いたす役人を

派遣いたし、蒲生家が一年分の年貢を持って移封されたことを知りました」

「なんと蒲生家はそのような事を成されましたか」

「従って我等も越後の年貢を全て持参いたし会津に参った。堀家が越前より、

年貢の徴収をしなかったことは、そちらの落ち度で当家の知るところにあらず」

 兼続は取りつく間もない顔つきをしている。

「それは非道と申すことにございます」

 堀直政が顔色を朱として喚(わめ)いた。

「ただいま申したとおり、そちらの手落ちと存ずる。その手落ちを上杉家としは

負担いたす謂れはござらん」

 直江山城守が毅然とした態度で断じた。

「景勝さま、藩主としての見解はいかに」

 直政が矛先を景勝に向けた。

「当今の諸候は余りにも考えが甘い、山城守の返答どおり返納は拒否する」

 景勝の容疑に取りつく余裕を与えぬ気迫が込められていた。

「ご大老としてのご答弁にございますか」

「左様」

 浅黒い顔をみせ景勝がそっぽを向いた。

 堀直政は言うべき言葉を失い若松城から下がっていった。この件から両家

に遺恨が残ることになった。

 五月になり朝鮮渡海の諸大名のうち、宇喜多秀家、毛利秀元、吉川広家、

藤堂高虎、脇坂安治等の五名が帰国して来た。

 相変わらず朝鮮各地の戦況は不利のままであった。

 一方、太閤秀吉の病状は益々悪化し、ほとんど食事も咽喉を通らない状態

に陥っていた。

 七月十五日。豊臣政権の諸候は前田利家の屋敷に参集を命じられた。

 この意味は秀吉の身に万一のことがあれば、遺児の秀頼を守り立ててゆく

誓紙署名のためであった。石田三成、浅野長政、増田長盛、前田玄以、

長束正家の五奉行が、一座の世話をしていた。

 会場として前田家が選ばれた経緯は、利家が秀頼の守役に命じられた

からである。併し、誓紙の宛先は太閤の秀吉ではなく、内大臣の徳川家康と

大納言の前田利家の両名であった。

 この話を秀吉から聞かされた三成は反対を唱えた。このような処置は家康

を利するもとになると、だが病魔に犯された秀吉は三成の助言に反対した。

 秀吉が最も恐れていた者は徳川家康であった。それ故に前田利家を守役と

したのだ、石田三成にもそれは痛いほどに分かっていた。

 秀吉は己の死後、この二人の連合により政局を安定させ、秀頼を粗略に

扱うことのないようにと思案した結果であった。

 諸候は誓紙に署名し花押を押し、両人に提出して屋敷を辞した。

 五奉行の一人の石田三成も、たわいのない行事に加わっていた。

 その後、前田利家は大阪城に入り秀頼の守役となり、秀頼と利家の去った

伏見城には、徳川家康が入り政務をつかさどることになるのだ。

 この現象を諸候から二人の大老の職務をみれば、次の権力者は徳川家康

と映ることは自然の成り行きである。

 家康は狼心を押し隠し、忠実な臣下として秀吉に接していたのだ。


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Last updated  Apr 20, 2012 10:54:26 AM
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Apr 19, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (74)


 この朱槍に抗議する者があらわれた。元来、上杉家の軍法には武功の

ぬきんでた者だけが、この朱槍を持つことを許されていたのだ。

 上杉譜代の武辺者の言わせる言葉であった。

「そちたち、試みに慶次と立ち会ってみよ」

 景勝が進めると四名の練達の家臣が立ち会い、瞬時に槍を巻き上げられ、

馬上から突き落とされた。

 前田慶次は馬上から、四人の家臣を眺め。

「おのおの方は拙者の旗指物の武辺者にも、文句がござろうが、それは

誤解にござる。拙者は落ちぶれはて大不便者と書いたつもりにござる」

 と言って莞爾と笑みを浮かべ戯れたたという。

 慶次は景勝に惚れ二千石で召し抱えられた。戦後は他家から一万石で

招かれたが、『景勝さまならでは主君とすべき人物は居ないと断り』五百石

の扶持で生涯を終えたという。

 さらに剣聖と言われた新陰流の祖、上泉伊勢守信綱の実弟で、甲斐の

武田家に仕え勇名をはせた上泉主水泰綱、佐竹家浪人の車丹波、蒲生家

浪人の岡佐内など錚々(そうそう)たる人物が集まって来た。

 こうした時期に米沢から、直江山城守兼続が若松城に姿をみせた。

 彼は上杉家の執政であり、藩主として米沢に留まる訳にはいかなかった。

 上杉家の新領内の整備と統治が彼の勤めであった。

「山城、米沢城下の整備は大事ないか」

 景勝が嬉しそうに訊ねた。もっとも信頼する兼続の顔をみて安堵したのだ。

「米沢城下は鄙(ひな)びた町にございます。武家屋敷をのぞくと八百余戸の

戸数に、人口六千名に過ぎない町にござる」

「わしは大いに助かるが、最上勢の備えは大丈夫か」

「家老の静田彦兵衛に任せ、米沢城に一千名の兵を残しております。また

馬場に鉄砲隊二百名を与えて参りましたので、ご心配は無用に存じます」

「そうか、馬場孫助が与板衆を指揮して守っておるか」

 景勝が顔をゆるめた、馬場孫助は与板衆のなかで聞こえた鉄砲の遣い手

である。兼続が膝を進めた。

「お屋形、殿下は醍醐寺で盛大な花見の宴を催された様子にござるな」

「わしにも報せが参っておる」

 秀吉は慶長三年三月十五日に、醍醐寺三宝院の山々で盛大な鑑桜の宴を

催した。これが有名な醍醐の花見である。

 この花見の宴を境とし秀吉は体調を崩し、五月頃から床に伏せることが

多くなった。

 秀吉は豊臣家の行く末を案じながら病魔と戦っていた。ようやく秀頼が六歳

となったが、あと十年の余命を祈っていた。そうなれば秀頼は十六歳に成長

し、豊臣家は盤石な体制になる。

 人臣位を極めた秀吉にも弱点があったのだ。

 四月となり会津一帯は桜の花に覆われている。

 そうした時期に執政の直江山城守か総奉行となり、精力的に領内整備を

行っていた。真っ先に手がけた工事は若松城から最上領土に通ずる道路の

拡張工事と橋の架けかえであった。

「泰忠、この工事が完成したら、最上領への軍事道路となる」

「お屋形さまの申されたように、最上攻めを行いますか」

「その時期が参ったらな」

 兼続が黒金泰忠の問いに、早咲きの桜を愛でながら答えた。

 城内では武器奉行の手で武具の購入が進められ、鉄砲、二千五百挺が

武器庫に納められていた。火薬や火縄も自前で製造し、謙信時代に編成

された段母衣組(だんぼろぐみ)の他に、新たな百挺鉄砲隊が創設された。

 こうして上杉家は着々と臨戦態勢を整えていたのだ。

「泰忠、その方に下野方面の道路建設の総奉行を申しつける」

「心得ました」

「徳川と一戦する場合は下野方面が主戦場となろう」

 二人が将来起こりえる事態を語り合っていると、伝令が駈けつけてきた。

「山城守さま、急ぎお城にお戻り願いまする」

「何事じゃ」

「堀秀治さまより、使者が参っております」

「ようやく参ったか」

 兼続が予期したように薄い笑みを浮かべた。

「堀秀治さまとは旧領の越後に入封された大名にございますな」

 黒金泰忠が不審そうな顔で訊ねている。

「そうじゃ、定めし怒髪天を衝く勢いで怒っておろうな」

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Last updated  Apr 19, 2012 10:52:46 AM
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Apr 18, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (73)


「わしの努めは関東の徳川と奥羽の最上、伊達勢への備えじゃ。内府との

合戦は、わし一人で成したい。その為にも最上の領土が欲しいのじゃ。

泰忠、そちは領内の整備をいたせ」

「畏まりました」

「道路、橋が先決じゃ」

「迅速に軍勢が進撃できますように、拙者が総奉行となりて執り行います」

「民衆の信を得ることも忘れるでないぞ」

「心得てございます」

 景勝が大盃をあおり、時折、ポリポリと小気味よい音を響かせている。

「泰忠、わしは五万の直営軍団が欲しい。わしが先頭で指揮を執れば必ず、

徳川勢を叩きふせる自信はある」

 景勝が満々たる自信を示した。

「それには領土が不足にございますな」

「それ故に最上義光の領土が欲しいのじゃ」

 景勝が浅黒い顔をみせ平然ときわどい言葉を発した。

「徳川家の総兵力はいかほどでございましょうな」

「わしの目立じゃが、十万名の兵力は擁しておる筈じゃ」

「そのような大軍を我が家のみで叩きますのか」

「合戦に投入できる兵力は八万とよむ、わしは領内を空にして決戦を挑む。

我が勢の猛烈な突撃には耐えられまい、不識庵公から引き継いだ我が兵は、

どこの大名の兵よりも精強である」

 景勝が剽悍な眼差しで語気を強めて断じた。

「これは驚きました。だが領内を空にしては最上勢に領土を占拠されますぞ」

「内府の首を刎ねたら関東を制圧し、江戸城を占拠いたす。そうなれば会津の

領土なんぞに執着することはない」

 さしもの黒金泰忠が呆然とした顔で主人を仰ぎみている。

「腑ぬけた面をするな。重臣や各城代に使者を遣わせ、我が上杉の軍法を

守り、陣形と行軍の調練に精をだせと申しわたせ」

「はっ、早速、手配をいたします」

 景勝の檄に煽られ、黒金泰忠義が慌てて拝命した。

「そちも一手の将にいたさねばならぬな」

「待ちかねましたぞ、野戦、攻城の指揮を執らせて下され」

「まずは先刻申しつけた領内整備を成せ、その後に考える」

「お屋形さま、約束にございますぞ」

 逸った黒金泰忠が顔を赤らめて念を押しているが、景勝はニコリともせず

に大盃をあおりながら質問を浴びせた。

「そちの代わりの城代を誰に申しつけるかじゃ」

「大石綱元さまが適任かと思いまする」

「そちにしては上出来じゃ。綱元なれば安心じゃ、じゃが領内整備をなした

後じゃ。その時には綱元に代わり、保原城代にいたそう」

「有難うございます」

「これからの合戦は鉄砲じゃ、今から唐人丹後守から学んでおくのじゃ」

「心得ました」

「まず、最上攻めを念頭において領内の整備をいたせ。橋の架橋と改修なら

びに道路の新築から始めよ」

 黒金泰忠が不敵な面構えをみせ肯いた。

 この時を契機とし景勝も領内経営に追われるこことなる。これは当然のこと

であるが、城代の黒金泰忠のみに任せる問題ではない。

 若松城にも数々の欠陥が見つかり、城郭の修理や増築が行われていた。

 同時に百二十万石に相応しい人材の確保も必要となり、積極的に浪人の

召し抱えが行われていたのだ。

 上杉家の招きに応じて集まった面々の仲で異彩を放っ快男児が居た。

 加賀藩主、前田利家を叔父にもつ前田慶次利大(とします)であった。

 彼の上杉家への仕官には二説ある。文禄の役以前に直江山城守の知己な

り、五千石で景勝に仕官したと言う説と、会津に転封された後に仕官したとの

説があるが、これはたいしたことではない。

 彼は傾奇者(かぶきもの)として奇矯と才知を兼ねた文武の将であった。

 松風と名付けた駿馬の馬上に、大武辺者と書いた大旗をかかげ、朱槍の

大身槍をひっさげた、傾奇武将として名を轟かせていた。


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Last updated  Apr 18, 2012 10:44:28 AM
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Apr 17, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (72)


 景勝の脳裡には鮮明な戦略が描かれていた。会津から大軍を南下させ、

下野の守りの宇都宮蒲生家を力で調略し、訊かざればこれを葬り、家康の

居城である江戸城に進撃する。

 越後の一揆勢は信濃を経て真田勢と合流し江戸を目指す。この二面作戦

ならば勝算は確実である。

 さらに合戦を有利に進めるならば、常陸の佐竹義宣と同盟し家康の倅、

結城秀康(ゆうきひでやす)の守る下総に攻め込み、一気呵成に武蔵へ侵攻

する。こうして家康の留守中に関東を制圧し、江戸城を攻略すれば狸爺の

家康は関西で孤立する。

 うるさいのは最上義光と伊達政宗の二名であるが、家康の後ろ盾を失いば、

自然と温和しくなる筈である。こうした壮大な構想を持っていたのだ。

       (秀吉死す)


 景勝と兼続主従は春日山城に戻り、領内の諸将連を大広間に召集して、

太閤殿下の命令を発表した。

 諸将達は仰天しながも命令を受理したが、故謙信公が手を砕き血で購った

越後の地を去ることは辛いことであった。それは景勝とて同じ思いであった。

 だが主人の景勝が五大老の一人となり、会津、庄内、米沢、佐渡の百二十

万石の太守に成られることは栄誉なことであると賛同した。

 そうした仲には景勝と同行したいが、越後を離れ難い諸将も居たのだ。

 そうした者達には山城守が家康の狼心を説明し、いざ合戦となった時は残っ

た一同を糾合し、一揆を起こし江戸に進撃するように心構えを説き聞かせた。

 こうして景勝は会津転封の為に一万名の軍勢を先発させた。

 目的は最上義光への備えであった。主将は荒砥(あらと)城代の泉沢久秀、

副将には金山城代の色部光長が勤めた。

 三月となり、三千の将兵を率い直江山城守が米沢に向かい、総帥の景勝

は、二万名の残存兵力を擁し会津の地へと向かったのだ。

 率いる諸将達は上杉家が誇る、歴戦の武将達であった。

 景勝は会津の地を踏み若松城に入城を果たし、各地の城塞の将は赴任地

に赴いた。これは越後を去る前に山城守が考えぬいた構想であった。

 流石に奥羽と関東に睨みを利かせる、要衝の地にある若松城は堅固な

大城塞である。本丸には五層七階の天守閣が聳えたっていたいる。

 長年に渡り、名将として名高い蒲生氏郷が天塩を加えた城だけに、非の

付けどころのない城であった。

 城下の武家屋敷も行き届いたもので、禄高に応じて家臣に屋敷を与えた。

 春日山城時代とおなじく、黒金泰忠が六千二百石の知行で城代を勤める

ことになった。

「お屋形さま、天守閣から見る景色は雄大ですな、磐梯山、猪苗代湖が

見事にございます」

「海が見えぬのが不満じゃ」

 景勝が癇癪の筋を見せて呟いた。こうして会津に赴き、改めて望郷の念に

かられているようだ。

「住めば都と申します」

 黒金泰忠が慰めの言葉をかけた。

「酒の用意をいたせ、なんとのう飲みたい心境じゃ」

「心得ました」

 黒金泰忠が厳つい背をみせ足早に立ち去った。

 一人となって景勝は、改めて領土となった若松一帯を眺め廻した。

 この地で力を養う。磐梯山の山頂は雪で覆われ白く輝いている。

 あの向こうに最上勢と伊達勢が牙を剥いておるのか。殿下の存命のうちに

最上義光と一戦したい。景勝の胸にふっふっとした闘志が湧いてきた。

 居間に戻ると膳部の用意が整っていた。

「泰忠、そちも一緒いたせ」

「有難い仰せにございます」

 二人は無言で黙々と飲んでいるが、ここでも景勝の肴は漬物であった。 


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Last updated  Apr 17, 2012 11:12:06 AM
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Apr 16, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (71)

「それがしの弟に今回の件を報せ、豪族、家臣等に手を廻しておきましょう」

「大国実頼か、このような策をとるとは思わなんだわ」

 景勝に顔に憂愁の色が濃い。

「お屋形、お受け成されたならば後悔は成りませぬ」

「後悔なんぞはしておらぬ」

 この当時、五十万石以上の大名は全国を見廻しても九家しかない。

徳川家康  ニ百五十七千石    毛利輝元   百二十五千石

上杉景勝  九十万石        前田利家   八十三万五千石

伊達政宗  五十八万石      宇喜多秀家  五十七万四千石

島津忠恒  五十五万五千石    佐竹義宣   五十四万五千石

小早川秀秋 五十二万二千石

 ついで加藤清正は二十五万石、最上義光は二十四万石、福島正則は、

二十万石であった。これを考えるといかに秀吉が景勝と兼続を買っていたか

分かる禄高である。

「会津に移れば百三十一万石の太守となりす。伊達政宗も最上義光も

我が家には手が出ませぬ、兵力を結集し徳川の狸に対抗できます」

「景勝、江戸の狸は我が家の倍の兵力じゃ」

「我等は前田利家さまにに宇喜多秀家さま、更に佐竹義宣さまと連携を

強める必要がございます。これには勝算がござる」

 兼続が景勝を奮い立たせるように語り、盃をあおった。

「そうであったな、わしとしたことが弱気となっていた」

「太閤殿下は家康を恐れながらも、秀頼さまの後見を頼むことになりましよう」

「狸の思惑をどうみる」

 兼続がじっと虚空を凝視ている、景勝は無言で酒をあおっている。

「恐れ多いことでが、太閤殿下がお隠れ成されれば、朝鮮の役は終わります。

そうなった暁には殿下子飼の武将連と、石田三成殿の確執が強まりますな」

「子飼の武将とは、加藤清正、福島正則、黒田長政、浅野幸長、池田輝政、

細川忠興、加藤嘉明等の馬鹿者じゃな」

「左様、朝鮮の役で石田殿を怨んでおる者達にござる」

「荒武者ゆえに、厄介なことじゃな」

 景勝が太い吐息を吐いた。

「お屋形、石田三成殿も手をこまねいてはおりませぬ。事実、石田殿を懇意

とする大名は、毛利輝元さま、宇喜多秀家さまに島津義弘さま佐竹義宣さま

などのそうそうたる大々名が居ります」

 兼続の言う通り事実、彼等は豊臣政権下で三成から、何度も力を貸して

もらったり、助けられたことのある大名達であった。

「山城、狸爺は年齢から推測し、己の野望を急ぐはずじゃ。秀頼さまの代官

として豊臣家に、忠節を誓うような悠長な策はとるまいな」

「殿下が健在の今は猫を冠っておりましょうが、お隠れになれば二百五十万

石の実力と、百戦練磨の合戦の実績とで味方を増やすことになりましょう」

「その標的が殿下子飼の武将か」

「御意に、その際の石田殿がどう行動するかが鍵となりましょうな」

「山城、我等四大老に狸は挑んで参るか」

「心配の種は前田利家さま、さして殿下と歳の差がございません。二代目の

利長殿が父上の利家さまのように勇猛であれば、前田家、宇喜多家と我が

家のみで防ぐ手立てはありましょうがな」

 兼続の言葉どおり、太閤子飼の荒武者共も前田利家には一目も二目も置い

ていたのだ。

 兼続の言葉を聞きながら、景勝が剽悍な眼差しで言葉を発した。

「我が上杉家が関東に乱入いたせば、狸爺、さぞや仰天いたすであろうな。

伊達や最上なんぞは問題ではない、旧領の越後に檄を飛ばし一揆を起こ

せば、信濃の真田家と一揆勢が江戸に攻めのぼることが出来るの」

 その声に満々たる自信が込められている。

「いずれにせよ、家康と石田殿の駆け引きとなりましょうな」

 兼続の慎重な態度に比べ、景勝は浅黒い顔に闘志を溢れさせている。


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Last updated  Apr 16, 2012 11:00:11 AM
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Apr 14, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (70)


「景勝さま、先年、小早川隆景(たかがげ)さま急死により、五大老の座が

空席にございます。この転封を機とし、五大老の就任をお願い仕ります」

「三成、よう申した。これで豊臣家は盤石じゃ」

 秀吉が老醜の顔を歪め、歯の抜け落ちた歯茎をみせ肯いた。

 こうして景勝主従は破格の提示をうけ屋敷に戻った。

 ここで天下の動きを語っておく必要があろう。

 太閤と三成には悩みを抱えていたのだ、それは秀吉の甥の秀秋のことであ

る。彼は秀吉の正室の北政所の兄の、木下家定の五男として誕生し、幼少

から秀吉の養子となり寵愛されていた。

 秀吉は秀秋の将来を思い、毛利輝元の養子に送り込もうと画策したが、

小早川隆景が宗家の血統が途絶えることを憂い、己の婿として引きとった。

 秀秋の性質は愚鈍で驕慢であったが、隆景が健在のあいだは馬脚を現さな

かった。併し隆景の死によって家督を継いだ秀秋に、秀吉は朝鮮再征の総帥

に命じた。秀秋十六歳の時であった。

 ここで彼は早くも馬脚を現す結果となった、秀秋は黒田官兵衛、山口弘定を

はじめ四十二名の大名を率い、総勢十六万三千名でもって朝鮮に上陸した。

 第二次朝鮮の役で有名な蔚山の籠城戦で、窮地にたった加藤清正の急報

を受け、秀吉から付けられた輔役(もりやく)の山口弘定の諌めも聞かず、歩騎

三万名の先頭に立って出撃し、明軍に突撃し敵兵の雑兵と渡り合い十三名を

斬り捨て得意となっていた。

 こうした秀秋の行動が秀吉の許にもたらされ、秀秋は本土に呼び戻された。

 秀吉は老巧な諸将を大切に扱い、その意見に従うように諭したが秀秋は

大いに反発し、秀吉の怒りをかい筑前、筑後を召し上げ越前に移そうとされ

た。この際に秀吉から石田三成に小早川家の筑前、筑後の旧領を与えると

の内意を受けたが、これを固辞している。

 更に三成は禄を減らされた小早川家の家臣を、積極的に召し抱えた。

 そんな中に勇士で名高い、曾根高光もその一人として石田家に仕えている。

 石田三成の人柄は高慢で、人を見下し冷徹な男と評価されていたが、これ

は豊臣家の安泰を願う、彼の真面目すぎる仕置きが諸将等に恨まれたことが

原因であった。

 また蒲生家が宇都宮に転封となり、家禄を減らされた際も積極的に蒲生家

の家臣を己の家臣に取り立ている、なかでも天下の知将として名高い、蒲生

郷舎(さといえ)旧名は横山喜内も、三成を慕って仕官している。

 こうした石田三成の行状から察すれば、彼の人柄はおのずから判断できる。

 後年の関ヶ原合戦の折りに、三成が最も信頼していた島佐近が初戦で負傷

し、指揮が執れないと知った蒲生郷舎は、前線で石田勢の指揮を執り続け

壮烈な最後を遂げるのであった。

 更に敵将の徳川家康を驚嘆せしめたことは蒲生家から、石田家に仕官した

将兵の屍が全員、前を向いて戦死していることであった。

 この意味は敗戦と知っても、敵勢に向って憤死したことを示すことである。

 いかに蒲生氏郷と石田三成が将兵に信頼されていたか分かる一事である。

 上杉屋敷の居間で景勝と直江山城守が酒を酌み交わしていた。

「山城、会津転封となれば反対する者も出ような」

 景勝の顔に憂愁の色が刷かれている。

「お屋形、ものは考えようにござる」

 兼続が盃を置いて景勝に語りかけた。

「・・・・」

「恐れ多いことながら、太閤殿下の命運は尽きましたな」

「あのご様子はただ事には見えぬな」

 景勝が無意識にたくわんを口にし、小気味よい音をたてた。

「それがしの憂いは豊臣家の直轄地にござる」

「徳川の狸の直轄地は己で手にした領土じゃ、その上に関東に纏まっておる」

「左様にござる。一方の豊臣家は全国に散らばり、それらを代官地として大名

に管理を委託しております」

「・・・・」

 景勝は山城守が何を言うのか分からず、無言をとおしている。

「越後から上杉家が会津に移れば、後任の大名が越後を差配いたします。

我等はその前に息のかかった家臣共に、意を含め残って貰いましよう」

「成程な、狸がいらぬ動きをしたら、会津と越後で挟み撃ちにいたすか」

「御意に」

 直江山城守が白皙の顔を酒で染めて肯いた。


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Last updated  Apr 14, 2012 11:42:12 AM
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Apr 13, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (69)


 翌日、景勝一行は伏見城に登城した。それを待ちかねたように三成が

出迎えていたが、なんとなく顔に堅さが見える。

「遠路、ご苦労に存じます」

「何事が起ったかと急いで参上つかまりました」

 景勝にかわり兼続が挨拶を述べた。

「殿下がお待ちかねにございます」

 石田三成の案内で奥に導かれた。

「豪華なお城にござるな」

 兼続が廊下を進みながら、周囲を眺め感心の言葉を発した。

「明国の交渉団を招くことを念頭にいれて造ったお城にござる」

「朝鮮の情況はいかがにござる」

 景勝の問いに三成は顔を曇らせた。

「朝鮮軍と明軍との戦闘にございます。はかばかしくはございません」

 三人はそんな会話を交わしながら秀吉の待つ奥に向かった。

 大広間では太閤の秀吉が、豪華な衣装をまとって待ち受けていた。

「景勝、よう参った。山城もご苦労じゃ」

 秀吉が開口一番、上杉家の主従に道中の苦労をねぎらった。

「ご尊顔を拝し恐悦至極に存じ奉ります」

「景勝、歯の浮くような世辞はやめえ」

「これは・・・」

 景勝が浅黒い顔に困惑の色を浮かべた。

「武骨者には武骨者の物言えがあろう」

 相変わらず、ひょうきんな口調ながら声に張りを失っている。

 顔色も変に青白い、ご病気かと景勝の胸に不安が奔りぬけた。

「景勝、そちに話があって呼び寄せた。詳細は三成が申し聞かせるが嫌とは

言わせぬぞ」

 景勝主従が石田三成を見つめ、童顔の石田三成が顔を引き締めている。

「申し上げます。蒲生秀行殿、家中不行届きにより、会津九十万石を召し上

げ、宇都宮十八万石に転封。上杉景勝殿、その方は会津に転封を命ずる」

「なんと・・・」

 景勝と兼続が思わず声を洩らした。思ってもみない言葉であった。

「これは豊臣政権としての命令にござる。更に申し添えます、蒲生家の旧領

会津、米沢の九十万石に加え、佐渡、庄内四郡、仙道七郡を安堵いたす。

総禄高百三十一万石の仕置きお願いいたす」

 更に、三ケ年の在国を認め、上方勤番を免除すると言う破格の条件を提示

したのだ。この背景には早すぎた蒲生氏郷の死があったのだ。

 徳川家康の牽制と、伊達政宗の抑えを彼に期待していたが、それが不可能

となり、氏郷に変わるべき奥州の鎮将を景勝に頼ることにしたのだ。

 ようするに景勝の一本気の気象と、その執政の直江山城守の機略を買った

ものであった。景勝にとっては、この転封は迷惑至極のことであった。

 上杉家にとっての越後の地は、その租、憲顕(のりあき)が関東管領の足利

基氏(もとうじ)から領有を許されて以来、二百数十年にわたる墳墓の地であ

り、その家臣達の多くは土着の豪族であった。

 景勝は黙然と平伏したまま一切の感情を見せないが、心中はゆれ動いてい

る。長年にわたり経営してきた越後の地に未練があった。

「景勝、そちは不満かの」

 秀吉が声をかけた、その言葉は弱々しいものであった。彼も十分に景勝の

心中を承知していたのだ。

「恐れながら申しあげます。越後の地は上杉家累代の領土にございました。

この度の転封の理由をお聞かせ下され」

「景勝、わしも老いた。もし万一の事があれば徳川内府や、伊達、最上などの

動きが気になる。秀頼が成人するまで奴等の動きを抑えて貰いたいのじゃ、

これがわしの頼みじゃ」

 景勝がはっと秀吉を仰ぎみた、目前には年老いた男が涙を浮かべている。

「上杉家は精強で鳴らした家柄じゃ。わしの頼みを聞き届けてくれえ」

 景勝は義侠心の塊のような気象をしている。天下人からこのように言われて

は否やは言えなかった。

「殿下、謹んでお受けいたしまする」

「我が願いを承知してくれるか。兼続、そちにも褒美に米沢六万石を取らす」

「ははっ」

 景勝と兼続主従が平伏した。


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Last updated  Apr 13, 2012 11:10:42 AM
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Apr 12, 2012
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       「改訂  上杉景勝」 (68)


 年末に山宝寺勝茂が家臣の行為に怒り、手打ちにする事件が起こったの

だ。それは些細な出来事であったが、手打ちにされた家臣の兄弟が兼続に

訴えでた。

 兼続は勝茂にも落ち度があると判断し、金子を与え懇ろに弔うように諭し

たが、兄弟は相談し、ごねることでもっと金子が貰えると浅ましい考えを

おこし、兼続を待ち受けていたのだ。

「山城守さま三宝寺の殿に死人を生き還らせるよう、申しつけて下され」

 と兼続に訴えでたのだ。

「聴けば勝茂の大切な物を壊したそうじゃな」

「はい、されど手打ちとは非道にございます」

「その方等は、死者を生き還らせよと申すのか」

 この者共は無理を承知で欲の皮をつのらせおるか、兼続は三人を鋭く見っ

めた。いずれも強欲そうな顔つきをした男である。

「お願いにございます」

「それほど申すなら聞き届けて遣わす」

 兼続の胸に憤りが滾っているが、微笑を浮かべ傍らの者に筆と紙の用意を

命じ、さらさらと一気に一文をしたため兄弟に与えた。

「有難う存じます」

 卑屈な笑みを浮かべ一読した兄弟達の顔色が蒼白に変じた。

『未だ御意を得ず候えども、一筆啓上つかまつり候。三宝寺勝茂が家臣、

不慮の儀にて相果て申し候、兄弟ども嘆き悲しみ候て、呼び戻してくれ候様に

申し候につき、三名の者を迎えに遣わし候、かの死人をお返し下さるべく候。

恐惶謹言(きようこうきんげん)、   閻魔大王殿。     直江山城守』

「この書状をもって迎えに参れ」

 兼続が促し、三人は仰天して逃げ出した。

「あの兄弟をあの世に送ってやれ」

 と傍らの近従に命じ、何事もなかった素振りで屋敷に戻って行った。

 人々はこの兼続の奇矯な振舞いに眼を剥いた。武士とは欲得を離れ

爽やかに振る舞う者、これが兼続の考えであった。

 それにしても閻魔大王に一筆啓上する機知は流石と、改めて兼続の度量が

人々の話題となった。

 景勝と直江山城守兼続は百名の共を率いて上洛の旅に出た。豪雪のなか

を騎馬で三国峠を越え、上野から太平洋ぞいに京に着いた。

 伏見城は増築工事の真っ最中で、諸大名の家臣や人夫でごったがえしてい

た。一行は上杉屋敷に入った、この屋敷は敷地三万坪の豪邸であった。

 ここに景勝の正室のお菊の方と兼続の夫人のお船の方が入邸していた。

 兼続は伏見城の石田三成に到着の使者を遣わし、居間で寛いだ。

「お役目、ご苦労にそんじます」

 直ぐに夫人のお船が顔をだし、無事な到着を祝ってくれた。

「そちも健吾そうで安堵いたした」

 その夜はお菊の方とお船を交じいて、景勝と兼続は盃を酌み交わした。

 御館の乱で景勝に輿入れした、お菊の方は顔色が優れずに席を退出して

行った。あれから既に二十年が経とうとしている。

 お船は兼続より三歳年上にも係らず容色は衰えず、益々、熟した女性に

変貌し、暫く談笑して部屋から去った。

「お屋形、お菊の方さまはお躰が悪いのでは」

「うむ」

 景勝はそれに答えずに酒を飲み続けている。

「少しは心配なされませ」

「京と越後は遠い、心配したとて栓もなきことじゃ」

 政略結婚で上杉家に嫁してきて、今は豊臣家の人質の境遇である。

 景勝は強情にも、お菊の方に一指も触れてはいないのだ。相変わらず不犯

を通していた。

「お屋形も良い年に成られました、少しは女子に興味をいだかれませ」

「面倒じゃ」

「女子とは良き者にござるぞ」

 兼続の挑発には乗らず、景勝が問うた。

「山城、そちには三人の子がおったの」

「はい、一男二女にござる」

「早いものじゃな」

 景勝が盃を手にし、何事か思いだしている様子でいる。

「お屋形、定勝さまも、そろそろ元服にござるな」

「お船のお蔭で元気に育っておる。礼を申すぞ」

「滅相な、主人が家臣に礼など申すべきではござらん」

 慌てて兼続が言葉を添えた。事実、景勝の嫡男の定勝はお船の慈愛の

こもった養育で、すくすくと元気に育っていたのだ。

 そうした定勝はお船を母親代わりとして生涯、面倒を見ることになるのだ。


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