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長編時代小説コーナ

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伊庭求馬無情剣

Aug 9, 2011
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カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(104)」

 「それが貴様の鬼畜の剣か?」

 求馬が揶揄する声をかけた。両者の剣先から殺気が盛り上がった。

「チェスト-」

 凄まじい懸け声とともに、地獄の龍の示現流の一撃が襲いかかった。

 求馬の頭蓋を絶ち割る攻撃を浴びせ、下段から跳ね上がるように旋回し、

求馬の躰を両断するような攻撃を送りつけた。

 求馬は紙一重に襲いくる刃を避けた。同田貫の空気を裂く音が耳元を掠め、

求馬の裾が翻り、斬撃を躱すために二転、三転し後方に逃れた。

 その様子を見た若山豊後と船手組が猛然と剣先を並べ闇公方にむかった。

 闇公方の前に五十嵐次郎兵を中心に、七名の用心棒が立ちふさがった。

 つかの間の静寂が破れ、いきなり混戦となった。

 五十嵐次郎兵の大刀が十文字に煌めき血潮が舞い上がった。船手組の同心

二人が同時に犠牲となった。

 それを見た若山豊後が進みで、得意の左脇備いの構えとなった。

 そうした混戦から離れ、求馬と地獄の龍の二人が静かに対峙している。

「地獄の龍なんぞと、こけ脅しの名前なんぞ止しにいたせ」

 求馬が挑発の声をかけ、痩身を躍らせ龍の頭上に襲いかかった。村正二尺

四寸と、同田貫こと正国二尺五寸が火花を散らした。

 二人が駈け違い二間の間合いで求馬は半眼となり、得意の逆飛燕流の構え

で佇んだ。下段に対し上段と龍が左に剣先を寝かせ大上段の構えとなった。

 同田貫が小刻みに揺れ動いている。二人は対峙したまま膠着状態となった。

 じりっと地獄の龍が右に移動し間合いをつめはじめた、生死の間合いが切ら

れた。先に仕掛けたのは地獄の龍であった。

 上段から渾身の力を込めて求馬の痩身を真っ向空竹割りとすべく振り下ろし

た。村正が白い帯を引き跳ね上がった。

 それは迅速と神速の業を競う闘いであった。

 求馬の痩身が龍の右脇をかすめ、前方に踏みだし村正が天を指した。

 地獄の龍は腰を落とし剣先をやや下に向けていたが、ゆっくりと右膝を甲板に

落とした。鮮血が床を濡らしている。

「よか闘いじゃった」  

 地獄の龍は腹から胸にかけ致命傷を負っていた、求馬の秘剣を避けたのは

龍が凄腕である証拠であった。

 地獄の龍が絞りだすような声を吐き、同田貫を杖として立ち上がった。

 凄まじい闘争本能である。それを見た一人が背後に廻り突きを加えた。

 地獄の龍が相手の躰を抱え込んだ、彼の胸元から剣先が突きでている。

「こげな仕打ちは卑怯たい。・・・チェスト-」  血を吐く叫びであった。

 彼は同田貫を逆手とし、自分の躰ともども相手をも串刺しとしたのだ。

 壮絶な光景を眼のあたりとした船手組に戦慄が奔り抜け、どっと地獄の龍が

斃れ伏した。それに勢いづいた若山豊後と船手組が攻勢に転じた。

 若山豊後が敏捷に五十嵐次郎兵を標的として攻撃に転じ、五十嵐次郎兵が

圧倒されている。それを見た浪人が背後から襲わんと大刀を振りかぶった。

「ピュ-」 飛翔音が響き浪人は延髄を砕かれ血反吐を吐いて転がった。

「若山さん、おいらだ」  「猪のさんか、助かったよ」

「旦那、遅くなりやした」  「猪の吉、用意は出来たか」

「抜かりはありやせんゃ」  猪の吉は騒ぎに紛れ焔硝を仕掛けていたのだ。

 血糊を拭った懐紙が江戸湾に舞い上がり、求馬が闇公方を正面から見つめ

た。闇公方の傍らには五十嵐次郎兵の血塗れの姿があった。

「新納帯刀、そこもとの命脈は尽きた。この鳳凰丸の水夫も用心棒も全て

斃れた。残るはそこの五十嵐次郎兵ただ一人じゃ」

「何故、斬らぬ」  闇公方が剽悍な眼差しで求馬を見据えた。

 求馬はそれには答えず、「若山さん、船から退去願おう。猪の吉は残れ」

「へい、分かっておりゃす」

 江戸湾が朝日を浴びて眩しく輝き、若山豊後と船手組同心を載せた御用船が

永代橋へと向かってゆく。

「最早、この船は動かせぬ。腹を召されるか、漂流を続けどこぞの海岸に漂着

し、役人の手に落ちるか、勝手に為さるがよい」

「わしの正体を知っておろう」

「そのような正体を知ったとて栓なきことにござる」 求馬がそっけなく答えた。

「調所笑左衛門は何も知らぬ、奴は薩摩の宝じゃ。ましてや藩主も知らぬ」

「それがしから老中首座殿に、今の言葉を伝えよと申されるか?」

 求馬が薄く破顔した。  

「すべてはわしの一存じゃ」

「闇公方なんぞと恐れ多い名を名乗り、無辜の町人を殺めた罪は重い。また

幕府のお膝元での砲撃は、幕府に弓引く反逆罪。それがしは一介の浪人者、

そこもとを裁く権利はござらん」  求馬が突き放した。

「ならばこの場でわしを斬れ」

「お断わりいたす、薩摩の血筋を引く闇公方ともあろう男が、自らの命を絶てぬ

とは笑止。それがしの剣はそれがしの意志で動き申す」

 求馬が痩身を廻した、猪の吉が綱を伝ってゆく姿が見えた。

「待たぬか」  闇公方が制止した。

「薩摩藩の生き残る道はひとつ、二人の五体と大船が消え去ることにござる」

 鈎綱を手にし、求馬が猪牙船に滑り降り二人の視界から消え失せた。

「血は血で購うもの、これがこの世の掟にござる」

 冴えた声を残し、求馬は猪の吉の操る船に乗り込んだ。

 鳳凰丸がゆっくりと漂流している。朝日がまばゆく鳳凰丸を照らしだした。

 左右の舷側から炎と閃光が吹きぬけ船体が傾いた。黒雲のような煙があが

り、耳を聾する爆発音が、江戸湾に轟いた。

 煙の治まった海上には、鳳凰丸の船体はかき消したように消えていた。

 ただ、名残りを残すかのように海底から、渦巻きが湧き上がり、それも消え

果てた。                 了


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Last updated  Aug 9, 2011 12:36:47 PM
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Aug 8, 2011
カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(103)」

 若山豊後も御用船を鳳凰丸の右手の舷側に横づけし、ノミを奮って船を

固定した。

 益々、船上での闘いが激しさを増しているのが解る。

 若山豊後を先頭に石川御用地から、出撃した船手組の手練れも一斉に従っ

た。豊後が船端を越え船上に躍り込むと同時に、銃声が響き頬を銃弾が掠め

た。視線を廻すと長髪を頭の後ろに束ねた、異国人と思われる髭面の男が

眼に入った。その水夫が火縄銃を逆手にし豊後に襲いかかってきた。

 若山豊後は腰を低め大刀を抜き放ち、懸け声を発し大刀を一閃させた。

「あいや-」  奇妙な悲鳴をあげ水夫が仰向けに倒れた。

 続々と船手組の遣い手が船端に足をかけ、船上に躍り込んでいる。

「若山さん、大丈夫か?」

「船は固定しました」

 傍らに痩身の求馬が現れ、若山豊後がそれに答えた。

 二人の周囲には髭面の水夫と船手組同心との激闘が、益々、激しさを増して

いるが、流石に船手組の面々は武士てある。

 群がる水夫を斬り伏せ斬り斃し、優勢に闘いを進めている。

 そんな船上の闘いの音を聴きながら、二艘の屋形船が秘かに船首に向かって

いた。それは闇公方の一味であった。

 向井将監が指揮する厳重な包囲網を突破し鳳凰丸に戻ってきたのだ。

 激闘のすえ船尾が占拠されたのか、南蛮砲の砲撃が止んだ。

「南蛮砲を確保しましたな」

 求馬が乾いた声を豊後に送った。

 若山豊後が無言で肯き、長かった闇公方一味との闘いに思いはせている。

「誰か、永代橋の番屋に南蛮砲の確保を報せよ」

「承知しました」

 水主同心の一人が強盗提灯を点し、十字に大きく振った。

 暫くし対岸に大篝火が真昼のように炊かれた。

「連絡がつきました」

 水主同心が戻ろうとした瞬間、「チェスト-」  突然、凄まじい懸け声が

船上に響き、水主同心が血潮を噴き上げ斃れ伏した。

「何者か」  一同が見守るなかに長身の男が船首の船端に仁王立ちとなって

いる姿を見た。それは地獄の龍であった。

 全身から人を惑わすような殺気を噴き上げている。

「糞っ」

 船手組で名の聞こえた遣い手の筱岡権兵衛が、眼にもとまらぬ袈裟斬りを

浴びせたが、地獄の龍は篠田権兵衛の大刀を苦もなく弾きかえした。

「強か剣を遣いもんな」

 地獄の龍が左眼を糸のように細め、感嘆の声を発した。

 船首から続々と人影が甲板にあがってきた。闇公方が真っ先に現れ、

いつ合流したのか知らぬが、五十嵐次郎兵の姿もそこにあった。

 彼の後には七名の用心棒が控え、一斉に抜刀した。

「勝負じゃ」

 篠田権兵衛が叫び声をあげ、正眼に構えを移した。

「殺されてもよかか、おいどんが地獄の龍ばってん」

 地獄の龍が左眼を細めて嘯き、上段に構えをとった。

 篠田権兵衛が正眼の構えのまま摺り足で前進し、猛然と顔面を薙ぎ

籠手を狙って討ってきた。

「チェスト-」

 示現流特有の懸け声とともに、地獄の龍の長身が空中に躍りあがり、

同田貫が落石のような勢いで、篠田権兵衛の頭上に垂直に落下した。

 それは示現流の太刀行きの速さで、誰も避けることの出来ないもので

あった。ばっと血飛沫があがり、篠田権兵衛は死体となって甲板に転がった。

「おいが地獄の龍ばってん」

 再び地獄の龍が咆哮した。

「その男は闇公方の用心棒にござる、それがしが相手をいたす。方々はそこの

闇公方一味を捕縛なされ」

 乾いた声を発し求馬が痩身を晒し、ゆったりと地獄の龍の正面に制止した。

 その痩身からは地獄の龍とは異なる、修羅場の臭いが漂っている。

「おはんが伊庭求馬どんか?・・・相手にとって不足なか」

「聞いたような事を喋るのは止すことじゃな」

 求馬が冷やかに応じ、地獄の龍の顔つきが厳しく変貌した。

 両者は三間の距離を保って対峙した。

 船上は緊迫した空気につつまれ、見守る船手組同心が息を止めている。

「聴いたことはあったが、凄か剣を遣いもんな」

 地獄の龍が言葉をかけ、じりっ間合いを縮めてきた。



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Last updated  Aug 8, 2011 01:44:00 PM
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Aug 6, 2011
カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(102)」

 彼は視線を廻し、三十三間堂の翳から富岡八幡宮を眺めた。闇の中に

独特の社殿が巨大な黒い翳となって横たわって見える。

 求馬が潜む、三十三間堂は京の東山の三十三間堂の通し矢の流行をうけ、

寛永十九年十一月、弓師備後が幕府より土地を拝領し、京都の三十三間堂を

模して建立されたものだ。

 求馬は暫し富岡八幡宮方面を眺め、若山豊後の潜む石川御用地に視線を

移した。その方面は漆黒の闇が広がり、まったく動く物が見えない。

「来ましたぞ」

 緊張した水主同心の声が聞こえた。

 品川沖方面に巨大な影がぼんやりと浮かび、徐々に鮮明となってきた。

「大きな船じゃ」

 船手組の面々から驚きの声があがっている。

 求馬等が予測した通り、鳳凰丸の帆が巻き上げられ、巨体がゆっくりと回頭を

始めた。そのまま船尾を永代橋方面に向けた。

 その行動を鋭い眼差しで見つめていた、求馬から驚きの声が洩れた。

「いかん」

「いかが成されました?」

「あれをご覧なされ」

 求馬が西の方角を指さした、永代橋から南に離れた箇所に微かな提灯の

灯りが見える。その明かりが左右に大きく振られている。

「闇公方め、合図をおくりおる」

 求馬は嘉納主水の指揮の失敗を悟った、闇公方の一味は追っ手を撒いて

大川の堀割りに逃げ込んだのだ。

 未だに半鐘の音が聞こえないのは、奥山の浪人共が火付盗賊改方に捕え

られたと判断できる。だが闇公方と鳳凰丸との連絡がつけば奴等は砲撃でもっ

て江戸の町を火の海にできるのだ。

「どういたしましょうか?」

 目前の鳳凰丸が回頭を終え、錨が投げ込まれ水飛沫の音を響かせた。

「計画通りに決行いたす」

 求馬が毅然とした口調で出動を命じた。十艘の御用船の水主同心が得物を手

にし、求馬の下知を待っている。

 求馬は再度、西の方面を見つめたが闇公方の動きは判明できなかった。

 このまま悪戯に時の空費は出来ない。

「出動いたす」

 求馬の下知で先頭の御用船が岸辺を離れ、鳳凰丸めがけて漕ぎだされた。

 舳先には求馬が超然と佇んでいる。激しく舳先が波で翻弄され上下左右と

揺れているが、求馬は微動だにせずに立っている。

 後続の御用船が、求馬の乗船する御用船に後続している。

 鳳凰丸は完全に動きを止め停泊し、突然、船上から声があがった。

 船尾から南蛮砲が突き出されたのだ。

 求馬の乗る御用船が一町(百十メ-トル)に接近していた。

「ゴウ-」 南蛮砲の砲声が江戸湾に轟き、耳を聾する砲弾の飛翔音が響き、

 永代橋の西前方に火柱を吹きあげた。

「あそこは松平越前守さまのお屋敷じゃ」

「静かに、短弓の準備を成され」

 先頭を行く求馬の載る御用船には焔硝が積み込まれていた。

 一方の石川御用地からも、砲撃を合図に万を持した若山豊後の率いる御用船

が、闇にまぎれ鳳凰丸に接近を開始した。

「あれは何じゃ」  「船手組の御用船じゃ」

 船上の見張りが接近する御用船を発見し怒声をあげている。

「火縄銃で射殺せ」

 銃声が響き御用船から悲鳴があがった。

「短弓を射こめ」 

 求馬が舳先から叫び、ザッザッと矢が音を響かせ御用船から一斉に唸り

をあげて船上に射込まれた。

「あいゃ-」  船上で射抜かれた者の悲鳴があがり、異国の声も聞こえる。

 どうやら清国人も雇っているようだ。

「撃ち殺せ」

 船上からの下知で一斉射撃を浴びせられ、船手組の面々が海中に飲み込ま

れてゆく。求馬の周囲にも銃弾が集まりだした。

 焔硝に当たれば木端微塵となるが、求馬は平然と指揮を執っている。

 御用船は鳳凰丸の舳先へ舳先へと廻りこみ、鈎綱が船端に投げ込まれてい

る。投げ終わった船は鳳凰丸の舷側にとりついた、

そこは船上からは死角となって見えないのだ。

「全員、船上に乗り移る」

 求馬の下知を待っていた水主同心が。敏捷に綱を伝わって船上に躍りこんで

行く、求馬がノミを舷側にぶち込み船を結びつけた。

 頭上では銃声と喚声が入りまじり、凄まじい混戦となっていた。


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Last updated  Aug 6, 2011 12:12:34 PM
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Aug 5, 2011
カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(101)」

(大団円)

 五十嵐次郎兵はそんな中で満身創痍となり、獅子奮迅の働きを示していた。

 彼は襲いくる捕吏を血祭りにあげ、逃れるべく堀割りへと駈けた。

(御前の隠れ家も襲われたな、大丈夫であろうか)その思いが胸中を走ってい

た。血濡れた大刀を手に隠しておいた猪牙船へと近づいた。

 その姿を闘いの中で見つけた天野監物が猛然と追いかけた。

「待たぬか―」

 天野監物が声を張り上げ、五十嵐次郎兵の背後から襲いかかった。

 振り向いた五十嵐次郎兵が、凄まじい片手斬りで応戦した。

 その攻撃は凄まじいものであった、天野監物が素早く後方に退いた。

 五十嵐次郎兵は柔和な顔を一変させ、鬼の形相となっている。

「貴様がこの集団の頭じゃな」

 天野監物が叱咤し、草叢を踏みしめ接近を始めた。五十嵐次郎兵が

すかさず正眼に構えをとり、猛烈な突きの攻撃を仕掛けた。

 天野監物が躱した瞬間、草に足をとられ転倒した。五十嵐次郎兵が

見逃さず猪牙船に飛び乗り、竿で土手を突いた。猪牙船が岸部を離れた。

「卑怯な、とって返せ」

 跳ね起きた天野監物を嘲笑うかのように、五十嵐次郎兵を載せた猪牙船

が闇に消えていった。

「天野、怪我はないか?」

 お頭の河野権一郎が陣笠を被った姿を現した。

「大事はござらんが、首謀者と思われる男を取り逃がしました」

 天野監物が歯噛みをしている。

「焦るな、この一帯は町奉行所の捕り方が厳重に監視しておる」

 既に奥山の闘いは終止符をうたれ、縄をうたれた浪人が捕吏によって

引き立てられてゆく。


 一方、嘉納主水の指揮する御用船が両国橋に近づいていた。

「猪の吉、奴等はどこぞに消えたようじゃ」

 主水が猪の吉に声をかけた。この神田川一帯は葦が繁り波打っている。

「旦那、奴等は大川対岸の篝火に気づき、堀割りに逃げ込んだようですな」

「どういたす?」  主水の問いに猪の吉が夜空を仰ぎ見た。

 相変わらず黒雲が早い勢いで流れている。

「九つ半(深夜一時)に近い刻限です。篝火を消し下せえ、鳳凰丸に気附かれて

は、まずいことになりやす。我々は永代橋の船手組の番屋に行きやしょう」

「分かった」

 主水が御用船の舳先に仁王立ちとなって、提灯を大きく二度振った。

 その合図を見た大川東岸に、煌々と輝いていた篝火が一斉に消された。

 船団は御用提灯を消し闇夜の大川を懸け声をあげ、永代橋の船手組の番屋

の船着場に接岸した。

「大目付殿、闇公方の一味は一向に現れませんな」

 向井将監が陣笠に陣羽織姿のいでたちで現れ、塩辛声をあげた。

「奴等は大川に出れずに、近辺の堀割りに潜んでおります。丑の刻限も近い、

鳳凰丸に気づかれてはならぬ。永代橋警備の篝火と灯りを消して下され」

「分かりました、皆共、全ての灯りを消すように合図をいたせ」

 主水の下知で向井将監が配下に命じた、暫くすると永代橋周辺の明かりが

消え、大川一帯と江戸の町は暗闇の中に沈みこんだ。

 ただ朧月が時々顔を見せ、千代田のお城の屋根に微かな月光を投げかける

のみとなった。それにつれ西風がやや穏やかとなってきた。

「大目付殿、我等も出動いたす。ここより南の浜御殿までの堀割りを全て

封鎖いたし、一方では周辺の堀を探索いたす。そうなれば奴等は袋の鼠です」

「遣って頂けるか?」

「船手組の面目にかけてもやりましょう」

「かたじけない、我等はここで万一に備え待機いたす」


 六万坪地の岸部に船手組の御用船十艘が、暗闇にまぎれ潜んでいる。

 あれほど荒れ狂っていた海面が、穏やかなうねりに変わってきた。

「伊庭さま、大川の明かりは全て消されました」

 船手組の水主与力が報告に現れた。

「そろそろ鳳凰丸が現れる刻限です。回頭を始めたら三十三間堂から出撃

いたす、奴等が投錨を終えたら短弓の用意を願います」

「分かりました」

 求馬が上空を仰ぎ見た。朧月が雲に隠れ江戸湾は暗闇に覆われている。

「これは幸先が良い」

 求馬が御用船の舳先で独語した。


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Last updated  Aug 5, 2011 05:00:46 PM
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Aug 4, 2011
カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(100)」

 地獄の龍が素早く同田貫を引き寄せた。

「御前、ここも役人の手が廻りましたとばい」

「そうじゃな、今宵が勝負じゃ。皆共、船着場に急げ」

 闇公方が宗匠頭巾を被り、剽悍な眼差しをみせ下知した。

 行灯が消され、地獄の龍を先頭に一同は裏の船着場に駈けた。

 足音に驚いたのか蝉が鳴き声をあげている。

「糞っ」  地獄の龍が前方をみつめ吠えた。

 堀割りの周辺は御用提灯の明かりで真昼のようである。

 一同は闇を縫って船着場に舫われている、屋形船に乗り込んだ。

二艘の屋形船が堀割りから、神田川に向かって漕ぎだされた。

 先頭の船の舳先には地獄の龍がうずくまっている。

「御用じゃ」  「神妙にいたせ」

 捕吏の声が響き、「チェスト-」 地獄の龍の懸け声が闇夜を震わせた。

進路を塞ごうとした御用船に龍が飛び移り、五名の捕り方を瞬時に斬り斃し

た懸け声であった。

 悲鳴と水飛沫があがり、御用船の舷側をすり抜け、二艘の屋形船が

神田川に現れた。

「現れたぞ、あの屋形船じゃ」

 待機していた奉行所の同心と捕吏が、どっと両岸から追跡を始めた。

「逃すでない」

 主水が陣笠を被り馬腹を蹴って猛然と土手を駈けだした。

 川では近づく御用船に対し、闇公方の浪人の大刀が煌めき、その度に

絶叫があがっている。捕吏と浪人の腕が格段の違いを見せている。

 疾走する主水の騎馬の前に人影が現れ、主水が手綱を引き騎馬を止めた。

「嘉納の旦那」  声で飛礫の猪の吉と知れた。

「猪の吉か?」

「へい、あっしです。この先の船着場に猪牙船が待機しておりやす」

「猪の吉、奴等は大川に逃れる」

「今晩は逃しやしませんよ」 猪の吉が不敵な返答を返した。

 奉行所の一向が猪牙船に乗り込み、次々と神田川を漕ぎ進み大川に向かっ

た。主水が舳先から前方を見つめているが、二艘の屋形船の影も見えない。

「猪の吉、奴等を逃したぞ」

 主水の野太い声に猪の吉が自信満々で答えたものだ。

「ご安心くだせえ、仕掛けは万全にござえやすよ」

 風がさらに強まってきた。神田川の川面が白く泡立っている。刻限は四つ半

(午前十一時)を、とうにまわっている。

「龍五郎、役人共の船は撒(ま)いたようじゃな」

「左様にごあんな」  舳先から地獄の龍の余裕の声がする。

 二艘の屋形船は大川に近づいていた。あと一刻半(二時間)ほどで鳳凰丸が

江戸湾に停泊する筈である。

 跡から追跡してくる御用船の影も見えない。

「御前、あれを」

 地獄の龍が驚愕の声をあげ大川の対岸を指さした。

 両国橋から新大橋、永代橋にかけて東の川岸に大篝火が延々と続いている。

「おのれ―」  

 思わず闇公方が怒声を発した。大川の対岸から竪川に入り江戸湾に逃れよう

とする策が破れたのだ。

 闇公方が浅草方面の夜空を眺めたが、江戸の町は寝静まり火の手の一欠け

らも見えない。今頃は五十嵐次郎兵も奥山で討死したなと感じられた。

 もし、成功しておれば浅草方面の夜空は赤く染まっている筈である。

彼は自分の策が破れたことを悟った。

 闇をついて御用提灯を掲げた船が近づいてくるのが見える。

「どげんしまっしよ」

「龍五郎、知れたこと船を堀割りに乗り入れよ。なんとしても永代橋の向こう

側に出るのじゃ」

 闇公方が頭巾を抜き捨てた、若々しい精悍な風貌が浮き上がった。

「良いか、なんとしても江戸湾に出るのじゃ」

「そうでごわすな、出れば鳳凰丸が待っちょりますな」

「そこの堀に船を入れよ」

 闇公方が葦の繁った堀割りを指差し、二艘の屋形船が大川の西側を

縦横に走る堀割りへと忍び込んでいった。

 その頃、奥山一帯では闇公方の危惧したような事態となっていた。

 五十嵐次郎兵が率いる浪人と火付盗賊改方の猛者との闘いで、浪人等

は押し詰められていた。十分な態勢で待ち受けていた火付盗賊改方が

猛然と白兵戦を挑んでいたのだ。

 集まった浪人達が、五十嵐次郎兵の目前で次々と縄をうたれている。

 鈴木大善も堀三蔵も、壮烈な討死を遂げていた。



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Last updated  Aug 4, 2011 12:19:28 PM
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Aug 3, 2011
カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(99)」

 運命の夜が訪れた。夕暮れとともに西風がときおり強まってきた。

 下谷御徒町の古屋敷では、闇公方と股肱の五十嵐次郎兵に地獄の龍の

三名が酒を酌み交わしている。

「ようやく今日という日が巡って参ったな」

 闇公方が遠くを偲ぶ眼差しで庭の片隅を見つめている。庭の植木が濃い

翳を見せている。

「長うございましたな」

 五十嵐次郎兵が往時を想いだし、低い声で呟いた。

「わしの父を腑抜けのように扱う幕府は許さぬ」

 闇公方が野太い声をあげた。

「御前、おいどん等は正義を貫いたのでごあんな」

「龍五郎、悩まんでよかとじゃ」

 闇公方が薩摩訛りで言葉を添え大杯を干した。

「薩摩は未曽有の貧困に陥った、その原因は爺さまの栄翁(重豪)公の所為

じゃ。それ故に我等は調所笑左衛門と懸命に藩の建て直しをやってきたのじゃ。

我等はこん江戸で悪事のかぎりを尽くしてきた、それで藩は立ち直ったのだ」

 闇公方の脳裡に父の斉興の顔がよぎった。貧困の苦しさを知るが故に、藩の

実権を握り、幕府の要求する斉彬に藩主の座を譲らずにきたのだ。その父を

幕府は隠居せよと強行手段で迫ってきた。それは許せぬ暴挙に思えるのだ。

「もう、こげな事はやらんでも良かとですか?」

 地獄の龍が杯を持ったまま訊ねた。

「今宵で終わりじゃ。抜け荷は天下の悪業じゃが、博打や女は庶民の憩いの

遊びだ。我等はこれに手を染め大金を得て薩摩藩は救われたのじゃ」

 闇公方が昂然と嘯き五十嵐次郎兵に声をかけた。

「次郎兵、良か風じゃ。そろそろ奥山に出向き浪人共の集まる前に武器類の

用意をいたせ。今宵こそ火の海にしてやる、父をないがしろにした罪じゃ」

「はっ、さらば身支度をいたしてまいります」

 痩身の五十嵐次郎兵が座敷を辞し、闇公方と地獄の龍が黙々と杯を口に

運んでいる。庭から吹き込む風で行灯の灯りが揺れている。

「御前、強か西風にごあんな」

「待っておった西風じゃ、こん風が江戸を焼き尽くすのじゃ」

 闇公方の言う通り、江戸の町は大川を挟んで西に向かって繁栄してきたのだ。

 東の本所、深川は最近になって繁栄してきたが、まだ未開の地でもあった。

 更に西風を幕府は勿論、諸役人も町人等も恐れをもっていた。明暦の大火も

然り、江戸の大火の歴史は西風によるものが大半であった。

 忍びやかな足音が響き、身支度を終えた五十嵐次郎兵が姿をみせた。

 彼は衣装の内側に鎖帷子を着込んでいた。

「御前、鈴木大善と堀三蔵の二人を伴います」

「軍資金の五百両も忘れずにな」

「はっ、後刻、鳳凰丸でお会いいたしましょうぞ」

 こうして五十嵐次郎兵は隠れ家から奥山の地下蔵へと出向いていった。

「三名の浪人が猪牙船で屋敷を出ました」

 見張りの岡っ引きが主水の詰める、飯屋に報告に現れた。

「とうとう動きだしたか」

 主水の眼光が炯々と輝いている。

「屋敷には闇公方を含め七名が残っておるそうにございます」

「さらば手配通り、奥山の火付盗賊改方に伝令を走らせよ」

 傍らには町奉行所の年番与力の鷹野郡兵衛と定町廻り同心の加藤貞一郎、

隠密廻り同心の佐川一郎、臨時廻り同心の菅井忠治が控えていた。

「そろそろ刻限にございます」

 嘉納主水立ち上がり夜空を仰ぎみた。七月の朧月が気だるく頭上にあるが、

黒雲が強い風に吹かれ、千切れるような速さで流れて朧月を隠している。

 厳重な身支度をした大目付の廻りに、同心や捕吏が集まった。

「良いか奴等に気取られぬように古屋敷を包囲いたせ」

 主水の下知で突棒、指股、袖搦抱えた捕吏を先頭に御用船が堀割りに

消えていった。率いるは年番与力の鷹野郡兵衛である。

 残った主水は床几に腰を据え、傍らには騎馬が繋がれている。

 全てが猪の吉の策であった。追われた闇公方一味は必ず神田川に現れる。

 鷹野郡兵衛の率いる捕吏が屋敷の周囲を包囲した。

「御用提灯に火を入れよ」

 一同が屋敷の脇の小門から足音を忍ばせ踏み込んだ。周囲は闇に覆われ

静寂が漂っている。

「江戸を騒がす闇公方なる者共、神妙に縛につけえ」

 鷹野郡兵衛の大音声が闇夜に響いた。


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Last updated  Aug 3, 2011 11:24:11 AM
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Aug 1, 2011
カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(98)」

「六十名にござるか」

 向井将監が腕組みをして考えこんだ。

「なんと申しても海上に停泊する大船襲撃です。船手組の助けがなくては

成しがたいことになります」

 求馬が語調を強めた。

「承知いたした、船手組の手練れを集めてみましょう。ところで鈎綱は分かり

ますが、短弓には合点が参らぬ」

 将監が承諾し疑問を呈した。

「鳳凰丸には火縄銃をもった者共が警備にあたっております。それらを倒し、

船上に登りつくには短弓が一番かと心得た次第です」

 将監がニヤリと顔を崩し大きく肯いた。求馬の戦法が理解できたのだ。

「畏まった」

「向井殿、猪牙船は石川御用地と六万坪地に半数づつ隠して下され、石川

御用地からは、火付盗賊改方同心の若山豊後と申す者が指揮を執ります。

六万坪地はそれがしが承る」

「なんと・・火付盗賊改方同心が指揮を執りますのか?」

 向井将監が不快そうな顔をした。

「向井殿、この件も伊庭殿の忠告で首座殿も承知いたしてござるよ」

 嘉納主水が助け舟をだした。

「左様か」  向井将監はあっさりと承諾し、求馬に声をかけた。

「大船の左右から乗り込みますか、拙者もご一緒したいくらいじゃ」

 向井将監が赤銅色の顔をほころばしている。その様子を見た主水が満足

そうな笑みを浮かべた。

「伊庭殿、それがしは屋敷に戻り明日の用意をいたす」

「ご足労をおかけしました、くれぐれも地獄の龍にはご注意下され」

「了解いたした。事件が終わったら美味い酒でも飲み交わしましょうぞ」

 求馬の忠告を耳にし、主水が不敵な言葉を残し肩をゆすって去った。

 その姿を眼で追った向井将監が塩辛声で質問をした。

「さて伊庭殿、船手組の出撃の刻限をお聞かせ下されよ」

「鳳凰丸は決まって丑の刻に停泊すると申しましたな、それまでに必要な準備

をお願いします。今ひとつは猪の吉と申す男が焔硝を運んで参ります、それを

六万坪地の指揮船に乗せて下され。刻限はおってお報せいたす」

「猪の吉と申す男ですな、承知いたした。まだ陽が落ちるまで間がござる。

一杯いかがじゃ」

 向井将監が是非にという顔つきで誘った。

「有難い仰せながら、それがしは奥山に用がござる。事件が終わったら

頂戴に参りましょう」

 求馬が丁重に断り、黒羽二重の裾を靡かせ足早に去って行った。

「組頭殿、あの浪人に大船襲撃の指揮権を譲りますのか?」

 傍らの水主(かこ)同心が不満そうに訊ねた。

「昔から存じておる。元公儀隠密団で一番の遣い手と知られた人物じゃ」

 将監が白い歯を見せ、「酒じゃ」 と塩辛声を張りあげた。

「良いか、伊庭殿の下知はわしの下知と知れ、決して逆らってはならぬ」

「はっ」  将監の言葉で水主同心が一斉に平伏した。

 この船手組の水主同心は他の部署の同心と同じく、薄給の御家人で昔の

言葉で表現すれば足軽の身分である。

 求馬の痩身が浅草寺境内に現れた。前方から大八車を引いた猪の吉の姿が

見えた。素早く求馬を見つけ猪の吉が汗みどろとなって近づいてきた。

「旦那、運んでめえりやした」

「ご苦労じゃが、永代橋の船手組組頭の向井将監殿に届けてくれ。

それが済んだら、駿河台の嘉納殿の屋敷に行くのじゃ」

「嘉納の旦那の?」

「そうじゃ、お主は今日から嘉納殿の配下じゃ」

「そいつは殺生ですぜ」

 求馬の乾いた声に反発し、猪の吉が情けない顔をした。

「嘉納殿は闇公方の隠れ家の下谷御徒町の指揮をなされるが、古屋敷のことは

何もご存じない。お主が補佐をいたすのじゃ」

「旦那は?」

「わしは鳳凰丸を襲撃いたす」

 求馬はそれだけを猪の吉に告げ、雑踏の中に姿を消し去った。

「畜生め」

 猪の吉が口中で罵り声をあげ、大八車を引いて駈け去った。


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Last updated  Aug 1, 2011 11:16:34 AM
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Jul 30, 2011
カテゴリ:伊庭求馬無情剣

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   「騒乱江戸湊(97)」

(対決) 明日は休みます。

「なんとご貴殿が爆破すると申されるか、焔硝はいかがなされる?」

 主水の問いに求馬が破顔で応じた。

「既に、猪の吉が地下蔵より盗みだしておりましょうな」

「恐れいった、ところでそれがしは下谷御徒町に疎うござる」

 主水が顔をしかめ、求馬に助言を求めた。

「ご安心下され、猪の吉を助勢にだします」

「それは心強い」

「嘉納殿にお願いがあります。火盗改方の天野監物殿と若山豊後の両名を

お借りいたしたい」

 求馬の言葉に主水が不思議そうな顔をした。

「鳳凰丸の襲撃は石川御用地と六万坪地の二か所から行います。その一方

の指揮を若山豊後殿に任せたく思っております」

「成程、こ貴殿と若山豊後が襲撃の指揮を成されるか。して天野監物は?」

「嘉納殿より、火付盗賊改方長官の山部美濃守殿に奥山の指揮を天野殿に

任せて頂くように進言願いたいのです。彼は地下蔵にも精通しております」

「切れ者の山部殿の説得は難しい、阿部正弘さまにお願いいたそう」

「そう願えれば安心にござる」

 求馬と主水が顔を見つめあった、ようやく決着の時が訪れたのだ。

「嘉納殿、明日は存分に働きましょうぞ、それがしはこれにてご無礼いたす」

 求馬が痩身を立ち上げた。

「日本橋にお戻りか?」

 主水の問いに求馬が首を振った。

「これから船手組の組頭、向井将監殿に会いに行きます」

「待たれえ、時刻も早い。それがしも同道いたそう」

 主水が気軽に立ち上がった。主水は麻の単衣姿、求馬はいつもの黒羽二重

の着流し姿で肩を並べ、霊厳島の向井将監の役屋敷にむかった。

 船手組の役屋敷は五ヶ所に散らばっていた。浜御殿、霊厳島、新堀川口、

永代橋、万年橋であった。組頭の向井将監は役高二千四百石の大身で、代々

世襲で向井将監を名乗ってきた。

 霊厳島の役屋敷を訪れと、永代橋の詰所に居ると言われ、二人は川風を

受けながら永代橋の船手組詰所に着いた。

 主水が門前で名乗りあげ、向井将監に伝えるよう水主同心に語りかけた。

 日頃は大目付が直々に訪れることはなく、水主同心が慌てて駈け去った。

「これは大目付殿、自らかような場所に参られるとは何用にございますな」

 四十半ばの骨格が逞しく赤銅色の顔をした男が、塩辛声で出迎えた。

「お勤めをお邪魔いたし申し訳ござらん、貴殿に紹介する人物をお連れいたし

た」  主水の言葉が止むのを待って求馬が進み出た。

「それがしが伊庭求馬にござる、未だに素浪人の身にこざる」

「ご貴殿が伊庭殿にござるか、船手組組頭の向井将監にござる。明日の晩に

大船襲撃の指揮を執られると、老中首座さまより報せがござった」

 将監が磊落に語り、値踏みをするように求馬の痩身を眺めている。

「向井殿、御不審な点でもござるか?」

 主水が二人を取り持つように語りかけた。

「明日の手配りをお聞かせ願いたい」

「船手組のお勤めは、大川の東河岸と永代橋の警備、特に堅川と小名木川へ

の闇公方一味の逃亡阻止。さらに重大なお勤めは大船の爆破にござる」

 主水が求馬に代わって答えた。

「なんと、大船を爆破されると申されるか?」

「左様、伊庭殿は大船に一番詳しい人物にござる」

 主水の答えを聴き、向井将監が求馬に顔を向け質問を発した。

「ならば伊庭殿にお訊ねいたす。どのような手立てで大船を爆破いたします」

「お聞かせいたす」 求馬が懐中から一枚の絵図を取り出した。

 それは若山豊後に描かせた絵図であった。

 求馬が乾いた声で鳳凰丸の動きと侵入経路、更に回頭し停泊する様子を

詳細に指を差し説明した。それは見事なほど理路整然としていた。

「毎晩、丑の刻に侵入しておりましたか」

 向井将監が唸るように言葉を吐いた。石川御用地から監視を続けたと聞いた

時に、向井将監は求馬の力量を確信した。言い替えれば船手組の怠慢である。

「して襲撃の手順をお教え願いますか?」

 求馬は襲撃の方法を仔細に語り終え、猪牙船二十艘と船手組の選りすぐりの

手練者六十名を要求し、さらに短弓と鈎綱の用意を頼んだ。


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Last updated  Jul 30, 2011 11:29:26 AM
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Jul 29, 2011
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   「騒乱江戸湊(96)」

 江戸城の老中御用部屋で首座の阿部正弘と、大目付の嘉納主水が

密談を交わしている。

「明日の丑の刻が勝負と伊庭が申しましたか?」

 阿部正弘が柔和な口調で訊ねた。

「左様、詳しいことはそれがしの下城後に知らせるとのことにございます」

「・・・何も解らずに明日に備えよと申されるか?」

 阿部正弘の若々しい顔に苛立ちの色が浮かんでいる。

「嘉納殿、明日に備え拙者から火付盗賊改方、両町奉行所、船手組等の

関係先に待機を命じておきましょう。更に各組から遣い手を選んでおきます。

貴殿は伊庭の情報を待って、詳細を直ちに知らせて下され」

 阿部正弘がここで即断したのだ。

「首座殿、話が済みました。それがしは緊急事態ゆえに下城いたします」

 嘉納主水は城を辞し屋敷に戻った。途中に根岸一馬が日本橋へと向かった。

 城に残った阿部正弘は閣僚を集め、それぞれに指示を与え、大名火消と町

火消に出動を命じた。江戸の町を守る、これも彼の使命のひとつである。

 主水が屋敷に戻り衣装替えを済ませ、麻の単衣姿で書院に座った。

 首座が万全な態勢を整えてくれる。あとは伊庭求馬の話を聴き闇公方一味

の捕縛と鳳凰丸の占拠を謀る、それが自分の務めと感じていた。

 半刻後に根岸一馬と伊庭求馬が屋敷に現れた。

「ご苦労に存ずる、まずは座られよ」

 主水が二人に労いの言葉をかけた。

 それに応じ求馬は座布団に腰を据え、直ぐに江戸湾で見た鳳凰丸の動きを

報告し、決行日を明日と決めた根拠を述べた。

「鳳凰丸は毎晩、江戸湾に侵入しておりましたか。今夜も来ますな」

 主水が巨眼を光らせ求馬に同意を求めた。

「左様。風の強い日を予測することは困難です。よって闇公方の仕掛けを待つ

ことはござらん。我等が先手を打ちましょう」

 求馬が平然とした態度で主水に自分の考えを述べた。

「伊庭殿、こたび事件を解決する策は出来ておられるか?」

 主水が改まった口調で求馬の考えを問いただした。

「まず奥山の地下蔵ですが、奴等が江戸の町を火の海にするためには、あの

場所が一番の要となります。奴等が決起するなら金で集めた浪人を率い必ず、

地下蔵に向います。それを阻止するために火付盗賊改方は日暮れを待って

奥山一帯に待機するよう命じて下され」

「成程、地下蔵の武器を奴等に渡さねば我等の勝ちですな」

 主水が濃い髭跡をさすって冷えた茶を飲み下した。

「一方の下谷御徒町の隠れ家ですが、町奉行所で監視を行うように依頼して

下され。必ず指揮を執る人物が奥山に向います、それを発見したら先行し、

奥山の火付盗賊改方に伝令を走らせて下され、それなれば集結する浪人共

を一網打尽にすることは簡単にござる。更に刻限を定め奴等の隠れ家を包囲

いたす」  

「その刻限は?」

「余り早い手入れは鳳凰丸に知れる恐れがあります。鳳凰丸は丑の刻(深夜

二時)に江戸湾に侵入します、手入れの刻限は九つ(深夜零時)と心得てくださ

れ」

 求馬にはただひとつ危惧があった。闇公方の正体は薩摩藩主の斉興の血筋

を引く新納帯刀である、彼に従う浪人は小勢であっても手練者の集まりであ

る。薩摩藩邸などに逃げ込まれたら一大事である。あまり早い手入れは考えも

のと求馬はそう判断をしたのだ。

「嘉納殿、闇公方の捕縛は貴方にお願いいたします」

「ようやくそれがしの出番が参りましたか、大目付とし必ず新納帯刀に引導を

渡してやりましょう」

 主水の肉太い頬が緩んでいる。

 求馬も茶を啜り話の続きを語った。手入れが始まれば奴等は神田川から両国

橋を潜り抜け、大川を横切って六万坪地から江戸湾に逃れる筈。それを阻止せ

ねばならない。

「嘉納殿、船手組に下知をお願いいたす。竪川、小名木川に奴等を入れては

なりません、それ故に大川の東側を封鎖して下され。そうなれば奴等は仕方なく

大川に出て永代橋から江戸湾に逃走しましょう」

「・・・・承知いたした。それがしが猪牙船でもって闇公方を追いつめましょう。

じゃが、鳳凰丸はどうされる?」

 主水が気負った言葉を吐き、暫くし肝心の質問を発した。

「ご心配は無用にござる、それは船手組とそれがしが爆破いたします」

 求馬が常と変わらぬ顔つきで答えた。


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Last updated  Jul 29, 2011 11:54:14 AM
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Jul 28, 2011
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   「騒乱江戸湊(95)」

「そうか豊後、おいらにも分かったぞ、大川の東側の堀割りに奴等を

入れてはならねえんだ。東河岸を固めれば、奴等は大川を使い永代橋から

江戸湾に出なければならんな」

「そうなんです。永代橋に厳重な警戒網を敷けば、奴等は袋の鼠です」

 二人の会話を耳にしながら、求馬は停泊する鳳凰丸を凝視している。

 暫く思案し、二人にむかって意見を述べた。

「お二人の申される通り、闇公方一味の逃走経路は若山さんの言われた通り

でしょうな。それがしは鳳凰丸の襲撃方法をいろいろと練ってきました」

 求馬が気負いのない声を二人に浴びせた。

「出来ましたか?」

 二人が興奮の声をあげた。

「この石川御用地と六万坪地の岸部に、目立たないように船手組の船を潜ま

せます。鳳凰丸が回頭を終え船尾を永代橋に向け、投錨し停泊した時が襲撃

の時となります。石川御用地からは鳳凰丸の右舷を狙い出撃いたす」

「六万坪地はいかが成されます」

 二人が興味を浮かべ訊ねた。

「六万坪地からの船は鳳凰丸の舳先に向い、左舷を襲い鈎綱を利用し船上に

乗り移ります」

「こいつは面白くなったぜ、鈎綱とは思いつかなかった。それを使い乗り込む

なんて考えもしなかったぜ」

 天野監物が興奮し若山豊後の手を握りはしゃいでいる。

「お二人とも船上をご覧なされ」

 求馬が厳しい声をあげ顎をしゃくった。

「あれは火縄銃ですな」

 鳳凰丸の船上には警護の男等が、火縄銃を抱え警戒にあたる姿が見えた。

「こいつは厄介だぜ」

 天野監物が低く呟いた。

「ご案じめさるな、我等は短弓でのぞみましょう。舷側に張り付けば銃は役に

たたなくなります」

 求馬が小鬢(こびん)を風に靡かせ答えた。

「成程、船体の膨らみが死角となりますな」

 若山豊後が納得顔で答えた。

 江戸湾が薄明るくなってきた。鳳凰丸の帆がするすると張られ、錨が

引き上げられ、巨体がゆっくりと動きだした。

 見る間に速度をあげ三人の視界から、品川沖に姿を消し去った。

 その様子を見つめ、求馬が興奮も示さず二人に決行日を告げた。

「勝負は明日の丑の刻と決めました」

「それは真にございますか?」

「そのように嘉納殿を通じ、首座殿を説得いたす」

 既に求馬は何時もの態度に戻っていた、彼は愛用の煙管を銜え紫煙を

吐きだし、明るくなった江戸湾の海を見つめ言葉を続けた。

「お二人に申しあげる。襲撃の指示は老中首座殿から各部署に伝達をお願い

します。お二人はその指示に従って下され」

 こうして三人が日本橋に着いたのは、四半刻後のことであった。

 船着場に猪牙船をつけ、天野監物と若山豊後は組屋敷へと向かった。

「お二人ともお忘れあるな、明日の丑の刻が勝負にござるぞ」

 二人は求馬に小腰を折って挨拶し去っていった。

 求馬はゆったりとした歩調で近くの一文字湯に向かった。朝風呂に浸かって

汗を流してゆこうと思ったてのことであった。

「ご浪人、珍しく朝風呂ですかえ」

 番台の禿親父が声をかけた。求馬の存在はこの辺りでは有名のようだ。

なんせ独り身のお蘭の家に、居候を決め込んでいるのだから。

 湯船に浸かり汗を流し、求馬は辻売りの蕎麦で腹拵えを済ました。

 これから嘉納主水を訪ねる積りであった。今の刻限なら登城前と思った。

 案の定、門前には駕籠が止められていた。

 求馬は朝日を浴びながら駕籠に近づいた、野鳥がかしましく囀っている。

「これは伊庭さま、いかが成されました?」

 根岸一馬が登城のための紋服姿で現れ、驚き顔をした。

「いよいよ勝負時と心得、登城前に押しかけて参った」

「伊庭殿、この早朝に御出でとは何か分かりましたな」

 主水が大紋長袴の一般礼服姿を門前に表し声をかけた。

「明日の丑の刻が勝負時と判断いたしました。首座殿にはその旨をお伝え

下され」

「待たれえ、詳細をお聞かせ下され」

「嘉納殿、登城の刻限にござる。鳳凰丸は毎晩江戸湾に侵入しております。

その為の警備を整えるようお伝え願います」

「真にござるか?」  主水が驚きの声をあげた。

「お帰りの刻限に再度、お邪魔いたす。仔細はその場にて」

 求馬の痩身がすいと駕籠脇から離れて行った。


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