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長編時代小説コーナ

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「うわばみ新弥行状譚」

Sep 4, 2006
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「石垣忠左衛門ならびに倅の一之進に申しわたす。その方等、次席家老の要職

にありながら、藩庫より金子を横領いたし、既に死亡せし江戸家老の宍戸梅雪

に賄賂を贈り、城代家老の職を獲んと画策したるは重大なる罪状である。

あまつさに藩士を賭場に誘い、借金のかたに妻女を召し上げ、町人に春をひさ

がせたるは、武士としての道を踏み外した外道者の行為。よってここに厳罰に

処するなり」 飯岡大膳が毅然として言い放った。

「して我等親子の処分はいかに?」  石垣忠左衛門が不敵な面魂で訊ねた。

「石垣殿よ、斬首じゃ」  飯岡大膳が声を低めた。

「なんと、斬首ー」 忠左衛門が細い眼を光らせ、「斬首」と一之進が喚いた。

「見苦しい」 忠左衛門が倅を一喝した、凄惨な雰囲気が漂った。

「石垣家は次席家老を踏襲して参った由緒ある家柄。公儀の手前もあり、お取り

潰しは免除され、しかるべき親類縁者より、これと思われる者に石垣家の名跡を

継がせるものといたす。これは殿の格別の慈悲にござる。不服がござれば申さ

れよ」 飯岡大膳が二人を見据えた。

「かたじけない」 石垣忠左衛門が平伏した。

 翌朝、石垣親子の処刑が行われた。忠左衛門は悪びれた態度をみせず、

従容として首を討たれた。だが倅の一之進は最後まで怯懦(きょうだ)の振る舞い

をみせ、介錯人の手を煩わしたすえ斬首された。

 人斬り疾風の残した帳簿に記載された町人等は、秘かに藩庁に呼び出され、

大目付となった磯辺伝三郎より、きつい処罰を言い渡され釈放された。この処置

で国許の町人達に、戦慄が奔りぬけたことは容易に推測できる。国許の乱れは

正された。だが不幸な出来事が起こっていた、次席家老親子の処刑が行われ

た翌日、加藤鍬次郎と妻女のお糸が自害して果てたのだ。

 何れは妻女の醜聞(しゅうぶん)は漏れる、そう思っての自害であった。新弥が、

あれほど生きるよう説得したにも係わらず、彼等夫婦は死を選んだのだ。

「武士(もののふ)の、情けを知らぬ我が身とぞ、迷い迷いて死での夏風」

「背の君と、心のこさず、ゆく身をば幸せ思う、庭の蛍火」

 対照的な辞世の句であった、新弥はまだこれを知らずにいた。

 江戸の朝は早いが、大名屋敷は深閑として佇んでいる。牧野家上屋敷の門前

に、新弥の巨体が現れた。梶原庄兵衛一人が見送りに出ていた。

「殿は、お見送りなされぬが、励めとのお言葉でござった」

「はっ、殿にはよしなにお伝い下され。梶原さまも御身大切になされませ」

「ご貴殿もな、早う国許に帰り、ご妻女に無事な顔をお見せなされ」

「梶原さま、来年は国許でお会いしましょう」

 新弥が深々と腰をかがめ、素早い身ごなしで門前を離れた。

「面白いご仁じやった。・・・して我家にも春が訪れるかの」

 梶原庄兵衛が意味深な独り言を呟いていた。新弥の巨体がゆったりと上屋敷

から遠ざかった、門前の陰から、お峰がすがるような熱い眼差しで見送っていた

が、新弥は知るよしもなかった。

 心は既に国許のことで一杯となっていた。その様子を忠直が小姓を従い眺め

ていた。あの、うどのような男では女子の心は分るまい。

 せめて一晩でも情けをかけるものじゃ。余が昨晩、お峰の心中を察し伽(とぎ)を

命じたが、あの男はお峰に情けをかけたのか。女の一人や二人を御することが

出来なくて大事が為せるか。忠直は胸中で呟きながら、黙々と歩んで行く新弥を

見続けていた。お峰の夜這いに斎藤め、どのように応じたのかな。存外とお峰を

手こずらせたかも知れぬな、新弥の大きな背中をみつめ閨の仕草を想像した、

途端に腹の底から笑いがこみ上げてきた。唐突に忠直がからからと笑いをあげ

た。傍らの小姓が、なんで主人が笑いだしたのか知らずに、怪訝な顔つき

で見あげた。

 昨夜のお峰の夜這いが、忠直の心遣いとは知らない新弥は身も心も軽く藩邸

をあとにしているが、何となく鼻の奥がこそばゆい、 「へっくしょん」

突然、新弥が大きなくしゃみをした。           (完)


今日でもって「うわばみ新弥行状譚」完了となりました。拙い小説をご愛読頂き

感謝申します。今後のことは何も計画しておりませんが、これから熟慮いたした

いと考えております。その節はまた宜しくお願い申し上げます。

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Last updated  Sep 4, 2006 09:39:17 AM
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Sep 3, 2006
 燃え盛った女体を抱きしめ心地よい余韻に浸っていたが、一瞬、正気にもどり

新弥はお咲に詫びた。が、またもや我を忘れお峰の躯を求めた。

 何度となくお峰を抱き、ようやく新弥がお峰の躯を解放したのは夜明け間際で

あった。己がこうも好き者であったのかと新弥自身が呆れる思いであった。

 お峰が身繕いを終え畳みに三つ指をつき新弥を仰ぎ見ている、ようやく思いを

遂げたお峰はさらに美しく変身していた。 (綺麗じゃ) 新弥が唸る思いで見つめ

た。薄暗い行灯の灯をうけた眸が複雑な色を宿している。

「お別れにございます。わたくしを愛して下され思い残すことはございませぬ。

何れはお判りになられましょうが、わたくしは梶原庄兵衛の娘にございます。

斎藤さまにはご迷惑はおかけしません、どうぞご健勝でお過ごし下さい」

新弥が言葉を失いお峰を見つめた。お峰が白い歯をみせ、ひっそりと部屋を辞

して行った。 廊下を伝う足音が途絶えるまで、耳をそばだてた。

(驚きじゃ、お峰殿が梶原さまの娘子とは) 新弥は驚きを感じ、お峰の素晴らしさ

を実感していた。男とは女子なしでは生きていけない生き物じゃ、新弥は布団に

こもるお峰の残り香のなかで、すっきりとした顔をみせていた。


 国許にもどった磯辺伝三郎は、城代家老の飯岡大膳と左京の二人に面会して

いた。 大膳が忠直の書状を読み下しているが、徐々に大膳の顔色が曇った。

「磯辺、このご処置については、その方が殿に進言したのか?」

「はっ、初めは町人も次席家老親子も厳罰と考え、江戸屋敷に参りましたが、矢

張り、この処置が妥当と思い直しました」 磯辺伝三郎が精悍な顔で言上した。

 左京も一読して丁寧に書状を巻きなおし無言を通している。

「倅の一之進は別とし、いかに武士に劣る行為をしたとしても、忠左衛門を斬首と

いたすは忍び難い」 大膳が太いため息を洩らした。

 大膳の思いは石垣忠左衛門の切腹にあった。要職に目が眩み悪事を働いたと

しても、身分に相応しい最後を飾らせたかった。

「磯辺殿、このご処置には斎藤殿も加わっておりますな」 

 左京が物静かに磯辺に訊ねた。

「図星にござる。あの男は一回りも二回りも大きく成長いたしました。今では殿の

信頼も厚く、初めはこの処置に不服であった殿も、斎藤の進言を取り上げ処罰を

決意なされました」  「斎藤か、小賢しい真似をしょる」

 飯岡大膳が口ほどでもない口調で呟いた。 

「いかがなされます?」 左京の問いに。

「殿のご上意とあれば従わずばなるまい。磯辺っ、今より石垣家に出向き、忠左

衛門と倅の一之進を城内に引っ立てて参れ」 直ちに大膳が下知を下した。

「はっ、直ちに」 磯辺伝三郎が敏捷に御用部屋を辞して行った。

「高根の花を手折ることを男の性(さが)と申しよったか」

「斎藤殿にしては、珍しい言葉を申したものですな」 親子が語らっている。

「左京、よくよく考えると斎藤の申す通りじゃな。藩士の妻女も災難、買った町人

も災難じゃ」 大膳が納得顔でしみじみと呟いた。

「いかにも。お膳立てが調っておれば、町人も悪いと知りつつ罪を犯します」

 左京が父の大膳に相づちをうっている。

「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして洩らさずじゃな。せめて武士らしく切腹

の処置を致したいと願ったが、無理じやった」

 二人が語りあっていると、石垣忠左衛門と倅の一之進が磯辺伝三郎に付き

添われ姿をみせた。親子は憔悴した顔をしているが、流石は忠左衛門である。

 傲慢な態度で飯岡大膳の前に腰を据えた。一之進は膝を震わせ佇んでいる。

 磯辺伝三郎が無表情な顔で二人の傍らに控えた。

「両人に申し渡す」 大膳が忠直の書状を二人に示した。

「これは上意である」 「はっ」 忠左衛門が平伏したが、一之進は呆然と佇んで

いる。「お座りなされ」 磯辺伝三郎が低く叱責した。

「一之進っ、見苦しき真似をするでない」 忠左衛門が鋭く倅を一喝した。のろの

ろと一之進が腰を落とし平伏した。

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Last updated  Sep 3, 2006 09:01:08 AM
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Sep 2, 2006
 お峰と二人となり新弥が困惑している。白い膚を桜色に染めたお峰が新弥を

みつめ、今にも泣きだしそうな顔で言葉を発した。

「わたくしは斎藤さまを心からお慕いしておりました。けれど殿さまから諭され、

間違った考えをいたしたと恥じております。お許し下さい」

 新弥は言葉を失い、手持ち無沙汰で茶を啜った。

「明日のお見送りはご遠慮申します、ご無事な帰国をお祈りいたします」

「貴女には色々とお世話になりもうした、お元気でな」

 無言のまま新弥に挨拶し、お峰は思いを残し部屋を辞して行った。

 女子は苦手じゃ、そう思いながらも心残りがする。部屋にはお峰の残り香が

漂っていた。

 奥座敷で新弥は、殿の忠直と梶原庄兵衛の三人で最後の晩を迎えていた。

「大いに飲め、うわばみのような飲みっぷりが暫し見られぬ」

 忠直が上機嫌でけしかけていた。 「頂戴つかまつります」

 梶原庄兵衛が新弥の大杯になみなみと注いだ、新弥が一気に飲み干した。

「見事じゃ。梶原、大いに勧めよ」  「明日は早立ちをいたします。ご尊顔を

拝するも今宵が最後と思いますと、酒が思うように咽喉を通りません」

「余も淋しい、じゃが来年は帰国いたす。その節にはそちの顔も見れよう」

「本当に、ご帰国なされますか」  「おう、八月には間違いなく帰国いたす」

 参勤交代制度が確立をみたのは寛永十九年と云われている。関東の譜代大

名は、在府と在国を半年として二月と八月に交代した。その他の譜代外様大名

は在府、在国を一年として八月に交代することと定められていたのだ。

 美濃植田藩主、牧野忠直の在府期間は来年の七月に切れることになる。

「嬉しきお言葉かな飲みますぞ。梶原さま、注いで頂けますか」

 梶原庄兵衛が満を持し大杯になみなみと注ぎ、新弥が豪快に飲み干した。

 主従は大いに語り大いに飲んだ。  「殿、五つ半(午後九時)を過ぎましたぞ」

梶原庄兵衛が告げ、忠直が淋しそうに新弥をみつめた。

「斎藤、ご苦労であった。そちと国許で会える時を楽しみにいたしておる。余は

戻るが最後の晩を心置きなく過ごせ、・・・励むのじゃ」

「はっ、殿もご健勝でお過ごし下され」 忠直の足音が消え去るまで新弥は平伏し

ていた。 「拙者も酔い申した、今宵は失礼いたすがご健勝にな」

 梶原庄兵衛もおぼつかない足取りで部屋を辞していった。一人となり暫く独酌し

これで国許の騒動は治まると、殿の英断に感謝し自然と涙が髭面を濡らした。

 新弥は殿の休む中奥にむかって平伏し自室に戻った。

 高鼾の新弥が微かな気配を感じて目覚めた、それは剣客としての勘であった。

襖が静かに開けられ、直ぐに閉じられた。(お峰殿じゃな) 瞬時に悟った。

 嗅ぎ慣れた彼女の体臭が部屋に充ち、熟睡したふりをして新弥は困惑した。

 女子の身で夜這いか、そう思った途端に股間が充血した。(堪らぬ)人一倍精力

の強い体質の新弥の寝息が乱れた。そっと枕元に座り、己の寝顔を見つめてい

るお峰の態度が手にとるように判るのだ。

「斎藤さま」 お峰が声を低め囁いた。甘酸っぱいお峰の体臭が強まった。

「好きです」 ひかえめな声とともに柔らかな女体が新弥の躯にまとわりついた。

「成りませぬ」 「お情けを」 仄かな行灯の灯をうけ、お峰の眸が濡れぬれと

輝いている。「拙者には妻がおります」  お峰も必死である、女の身で恥を忍ん

で忍んで来たのだ。  

「わたくしは斎藤さまが好きです。浅ましい女の心情をお汲みとり下さい」

 言葉が終るや、お峰が新弥の躯に身を投げ出した。柔らかで熱い女体の感触

に新弥は理性を忘れ一匹の雄となった、自然に唇が合わされ新弥の手が勝手

にお峰の微妙な箇所をまさぐっている。乳房を揉まれ新弥を受け入れていた。

「嬉しうございます」 お峰が幸福の絶頂で我を忘れ、新弥が夢中でお峰を抱き

しめた。彼女が甘い吐息をあげ身をもんでいる、それが一層、新弥を狂わせる。

 お峰が切なげに新弥の口を吸った途端、彼は限界を迎えていた。

「嬉しうございます。お峰はこれで貴方さまを思って生きて行けます」

 切れ切れの声が新弥の耳元に熱い息吹となって伝わった。

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Last updated  Sep 2, 2006 09:26:56 AM
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Sep 1, 2006
「なんと引き回しのうえに斬首と申すか」  忠直の顔が強ばった。

「藩政を司る身分で女衒(ぜげん)のような悪事を働くとはもっての沙汰。これが

執行されるなら、臑(すね)に傷をもつ町人等は恐怖いたしましょう。その後に

寛大なご処置をいたせば、この度の事件は鎮静(ちんせい)いたしましょう」

「うむ」 忠直が唸りながら思案している。

「磯辺、そちは知っておるか我が家の中興の名家を、飯岡家、宍戸家、石垣家じ

ゃ。それを廃絶せよと申すか、宍戸家は梅雪の死により減俸のうえ存続を許し

た」  「殿は何を仰せになりたいのです?」 磯辺伝三郎が不審顔で訊ねた。

「事を大袈裟にしては公儀に差し障りがでる、余も武士に劣る石垣親子の斬首

は已むを得ないことと思っておる。じゃが石垣家は廃絶せぬ心算じゃ」

「心得申した。親子の斬首は城内で秘かに執行いたします。それならいかがで

す」  素早く磯辺伝三郎が忠直の胸中を察し代案を具申した。

「藩の重役を厳罰とし、町人には穏便な処置か」  賢明な忠直が低く呟いた。

「殿、政事は私情を交えず、公正に行ってこそ生きるもの、曲げてご承知下さ

れませ」  新弥が口添えし平伏した。  「負った子に教わるとはの」

忠直の声に笑いがこもっていた。

「磯辺伝三郎」  「はっ」  「余の存念は承知いたしたの。この度の件は全て

そちに任せる、余から大膳に書状を書こう。それを持参いたし速やかに藩の

混乱を鎮静させよ」  「はっ、これより早馬にて帰国つかまつります」

「じゃが磯辺、斎藤から男女の機微を教えられるとは思わなんだの」

 忠直と磯辺が顔を見つめあい、二人が同時に吹きだした。小姓まで笑いを

堪えているが、一人新弥だけがむず痒い顔をしていた。

 磯辺伝三郎が忠直に暇乞いをして部屋から去った。

「斎藤、そちの胸中が時々、余にも分らなくなる」忠直が不思議そうに言った。

「拙者にも己が分りませぬ」  「自分でも分らぬのか」

「そちは男女の心情をどうして知った」 意地悪な質問をし、忠直が見つめてい

る。 新弥は心ならずも、お峰との一件を話さねばならなくなった。

「邪な考えを改める態度は誉めてとらす。そちの心根はあとで余からお峰に伝え

おく。ところで斎藤、本音はお峰が欲しかったのではないか」

「滅相な」 新弥が巨体をちぢめ、忠直の可笑しそうな笑い声が響いた。

 厳重な身支度を整えた磯辺伝三郎が勇躍騎乗している。

「磯辺さま、拙者も直ぐにもどります。国許の皆さまに宜しく伝えて下され」

「分った。お咲殿と加藤鍬次郎にも知らせる」 磯辺は国許に駆け去った。

       (十九章)

これで国許の騒ぎは治まる、まるで何年も悪夢を見続けたような思いがする。

真夏の終りを告げるように、真っ青な空に入道雲が湧きあがっていた。

 新弥はゆったりと部屋にむかった、お咲の喜びの笑顔をよぎっていた。

 新弥は為すこともなく部屋で煙草を燻らしていた。もう七つ半(午後四時)頃

となっていた。せかせかした足音が廊下に響いた、梶原さまじゃな素早く察し

た。 「斎藤殿、居られるか」 声と同時に襖が開けられた。

「お別れにござるな」 梶原庄兵衛が新弥の前に腰を据え嗄れ声で語りかけた。

「色々とご足労をおかけしました」  「何を申されるこの騒動が、かくも早く治ま

ったのはご貴殿のお蔭じゃ。感じ入りましたぞ」  「お邪魔をいたします」

 お峰が茶を持って現れた。  「ご出立は明日にございますね、淋しくなります」

「お峰、わしも淋しい。じゃが斎藤殿は帰国せねばならぬ、仕方がないのじゃ」

「直ぐにお目にかかれましょう、江戸詰めの命もありましょうから」

 新弥が二人を慰めた。梶原庄兵衛が嬉しそうに笑い、お峰が俯いた。

「その折を楽しみにしておりますぞ」  梶原が立ち上がり敷居ぎわで、

「大切な話を忘れるところでござった。殿が別れの宴を為されると申されての、

後刻、お峰が向かいに参る」 そう告げると慌しく立ち去った。

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Last updated  Sep 1, 2006 09:07:46 AM
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Aug 31, 2006
 二人は肩をならべ奥殿に向かった。 「ご案内申します」 小姓が現われ、

きびきびした動作で二人を先導した。  「ご両人さま、参られました」

「入れ」 忠直の声がした。 二人は朝の挨拶を述べ平伏した。

「良い朝じゃ、茶なぞ飲みながら話を聞こう」 忠直が窓辺から視線を移した。

 ゆったりと新弥は茶を啜っているが、磯辺伝三郎は性急に言葉をきった。

「町人達の処分について、ご了解頂きましたなら直ぐに帰国いたしたく思います」

「聞こうか、磯辺」 忠直が扇子で太腿をたたき促した。

「では申し上げます。町人には穏便な処置を行います」 「穏便な処置と申すか」

「厳罰の処置は、かえって町人の反感を買うものと推測致します。それ故、不始

末が表沙汰となる恐れがございます」 「穏便にか」 忠直は不満そうであった。

「殿の御意に添わぬとは思いますが」 磯辺が懐中から帳簿を取り出した。

「ここに名のある者を藩庁に呼び出し、拙者が死罪に値する厳罰と申し聞かせま

す。さらに殿のご慈悲でこの度のことを口外せねば、穏便なる処罰で済ませると

説得いたします」 「それが、そちの案か?」 忠直が訊ね茶を啜った。

「はっ、さらに身代に応じた罰金を申しつけ身柄は拘束いたしませぬ、ただし

口外した者は、即座に死罪といたします」 磯辺が語り終え忠直を仰ぎみた。

「このような大罪を犯しながら、罰金のみで処分はお終いか」

 忠直が厳しい口調で磯辺伝三郎に問いかけた。

「厳罰は藩士の激怒を買いましょう、そうなれば町人等と軋轢も生じまする。藩の

ためにもお願いつかまつります。・・・殿、武士であれ町人であれ、男とは仕方の

ない者にございます。高根の花は手折ってみたくなります、そこに思いをいたして

下されませ」 「美しい花は、手折ってみたいか」

 忠直が、ようやく磯辺伝三郎の話の内容を理解したようだ。

「左様、国許での不祥事は全て檜垣屋が、お膳だてをした結果にございます。

ご禁制と知りながらも、美しい女子を抱きたいと思う者が男という生き物。

そこを熟慮願い、穏便なるご処置をお願い申し上げます」

 忠直が空の茶碗をもてあそび思案している、藩士と町人の軋轢は政事を危うく

する。それはなんとしても避けたい、考えが纏まった。

「磯辺、この度の献策はそち一人の知恵ではないの」

「ご明察痛みいります」 磯辺が平伏し、忠直の顔に興味の色が刷かれた。

「誰の知恵を借りた」  「昨晩、斎藤と飲んだ時に諭されました」

「斎藤、そちにしては珍しい、男女の機微なぞ縁のないそちが色事の指南をいた

したか」  新弥が恥ずかしそうに顔を赤らめ口を開いた。

「殿、磯辺さまの献策をお取りあげ下され」 新弥が重ねて言葉を継いだ。

「あの帳簿が有るかぎり、罪を犯した町人は一生逃れることは出来ませぬ。

また罰金で藩庫も潤いまする」 「時がたてば罰金なんぞ、直ぐに忘れる」

 忠直が鋭い声をあげた。 「僭越ながら申し上げます。今のお言葉こそ核心を

ついております、その意味で罪の意識を町人に知らせる必要がございます」

「どうして知らしめる」 忠直が新弥を見据えた。

「この度の件は、次席家老と倅の一之進が画策せしこと。町人は次席家老の手

先の檜垣屋に操られた結果にございます。まずは、次席家老親子の厳罰が肝要

かと考えまする」 忠直が厳しい顔で腕組をして考え込んだ。

「磯辺、そちの考えはどうじゃ」  暫くし、磯辺伝三郎に意見を求めた。

「拙者も同感にございます。藩を治める模範となるべきご重役が、範を示さねば

政事は成り立ちません。その意味で申さば、次席家老親子はお城下引き回しの

うえ斬首」 磯辺伝三郎が剽悍な眼差しをみせ断じた。

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Last updated  Aug 31, 2006 09:11:55 AM
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Aug 30, 2006
「磯辺さま、町人等の処分はいかが為されます?」

「ここに記されておる名前を見よ、そう簡単に処分が出来るか」

 流石の磯辺伝三郎も思い悩んでいるようだ。それは新弥にも理解できる。

「これを公にすれば、藩内は大混乱となりますね」  「頭の痛いことじゃ」

 磯辺伝三郎が苦悩を和らげるように杯を干し、新弥の髭面をみつめた。

「厳罰の処分を致さぬと妻女の醜聞が洩れる」  「そうですな」

 頷きかえしたが巧い考えが浮かばない、なんとしても秘かに処置をせねばなら

ない。黙々と新弥は湯呑みを呷り、磯辺伝三郎が苦そうに杯を舐めている。

「ご免下さいませ。新しいお酒をお持ちいたしました」

 お峰が手際よく新しい徳利と空の徳利を代えながら、驚きの眼差しを新弥に

むけた。「斎藤さまは湯呑みでございますか」と美しい眸を輝かせている。

 新弥は無言で首肯し、先日、お峰にいだいた己の欲望の高まりを思いだした。

 男という生き物は仕方がないものじゃ、あれほど妻を愛しておりながらも、

お峰殿に邪な思いをいだいた。町人と言っても同じ男、高根の花は手折ってみた

いと思うのが当然のことじゃ。ましてお膳立てが調い大金を払えば、美しい獲物

が手に入るなら群がるのも分る。新弥を見つめお峰がそっと部屋を辞して行っ

た。「磯辺さま、町人等を厳罰に処することは止めましょう」

「なにっー。穏便な処置をせよと申すか?」 磯辺伝三郎が驚いた。新弥から、

このような言葉を聞かされようとは思いもしなかった。 「お主、酔ったのか」

「いいえ、素面です」 新弥がお峰にいだいた己の邪な感情を率直に語った。

「町人も男、男という生き物は一緒という訳じゃな」

「穏便に済ますことを考えましょう」 磯辺伝三郎は目から鱗の落ちる思いで新弥

の言葉を聞いた。 「斎藤、また教えられたの」

「いや、面目ない邪心をいだいた己を恥じ入ってございます」

 磯辺がそっと新弥の湯呑みを満たし立ち上がった。 「いかがなされました」

「部屋にもどり考えてみる」 磯辺伝三郎が素早く部屋から去った。

「気ぜわしい方じゃ」 常に磯辺伝三郎はそうした男であった。

 新弥は一人で黙々と飲んでいる。町人の処罰を穏便にと頼んだが、それで妻

女の件が洩れずに済むのか疑問であった。

「斎藤さま、お一人でお飲みですか」 お峰がそっと姿をみせた。

「はい、磯辺伝三郎さまは常に忙しい方です」

「斎藤さまもご帰国にございますね、淋しくなります」 新弥が無言で頷いた。

「最後に、わたくしにもお流れを頂けませぬか」

「おう、貴女も飲まれますか」 新弥が杯を渡し、そっと注いでやった。

 お峰が一息に飲み干した。 「無茶はなりません」 そんな新弥をみつめ、

お峰の眸が潤んでいた。 「斎藤さまの思い出にこの杯を頂戴いたします」

 新弥は答えに窮し、ただ、お峰の横顔を見つめた。庭先から、ためらいがち

に虫の鳴き声が響いてきた。 

「国許に帰られても、わたくしを思い出して下さいますか」

「忘れません、貴女には随分とお世話になりました」  「良かった」

 そっと呟いて彼女は部屋をあとにして行った。

一人とり残され新弥は甘酸っぱい思いに浸りながら、最後の徳利を空けた。

表現できない悲しみが重石のように残っていた。


「斎藤殿、起きて下され。朝餉を済まされたら、殿に拝謁を願いますぞ」

 翌朝、梶原庄兵衛に起こされた。新弥が身だしなみを整え廊下に出ると

磯辺伝三郎も姿を現した。 「お主、早いの」

「殿の、お呼び出しとうかがいました」 「そうか、拙者が殿に拝謁をお願いした」

「磯辺さま昨夜の件、お決めに成られましたな」  「決めた。お主のお蔭じゃ」

 磯辺伝三郎が時折みせる、例の剽悍な眼差しをしていた。

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Last updated  Aug 30, 2006 09:11:14 AM
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Aug 29, 2006
「お主は、どこに居っても艶福者じゃな」 磯辺伝三郎の揶揄も知らずに新弥が

のんびりと言ったものだ。

「有り難いことです。ところで磯辺さまのお付の腰元はいかがですか」

「埒(らち)もないことを、斎藤飲もう。・・・国許のことを語っておかねばな」

「何時ものように独酌で参ります」  「おう、そのほうが気楽じゃ」

 二人は暫く黙しながら独酌した。心地よい風が庭先から吹き込み、常夜灯に

虫が群がっている。それが懐かしく国許を思いださせる。

「磯辺さま、人斬り疾風の顛末(てんまつ)はいかがになりました」

「疾風か。・・・お主の申した通りの男であった」 

 磯辺伝三郎が杯に視線をおとしぽつりと呟いた。 

「疾風が、どうかいたしましたか?」 新弥が不安そうに訊ねた。

「夜間の巡回時に突然一人で現われよった。拙者ははじめて奴の顔をみた」

 磯辺伝三郎がなんとなく辛そうにしている。

「何ぞ、ございましたな」 「うん」 磯辺が杯を一気に空けた。

「お主との約束じゃと申しての、檜垣屋に斬り込む刻限を告げて消えよった。

不気味な男であったが、見事に遣りおった」 そっと新弥が磯辺の杯を満たした。

 最後に別れた疾風の女装姿が、鮮明に新弥の脳裡に蘇っていた。

「あの男は死んだ。人斬りらしい壮烈な最期であった」

「疾風が。・・・あの腕で死ぬ訳がありません」

「斎藤、いかに腕がたとうと懐鉄砲には叶わぬ。檜垣屋六蔵と代貸しの漁り火の

銀次、さらに六蔵の用心棒の浪人五名を、見事に一刀で仕留めての」

「疾風の斬り込みに、磯辺さまは間にあわなかったと申されますか」

 新弥は信じられず、磯辺伝三郎の顔を盗みみた。

「拙者が配下を引き連れ駆けつけた時には、すべてが終っておった。檜垣屋の

みが見事に首を刎ねられ、疾風は柵にもたれ絶息しておった。胸に鉄砲弾を

喰らっての」磯辺伝三郎が悔しそうに語った。

「鉄砲を浴びながら、最後の気力で檜垣屋六蔵の首を刎ねたのですね」

「現場の様子をみて判ったが、何故、お主に分る」 磯辺が新弥をみつめた。

「そうした生き様をして参った男です、拙者は剣を交えて彼の生き様がなんとなく

分ります」 「お主の推測通りじゃ、檜垣屋の手に懐鉄砲が握られておった」

 磯辺伝三郎が懐中から、薄い帳簿を取り出し新弥に示した。ところどころ血の

跡が付着していた。 「人斬り疾風からの贈り物じゃ」

 新弥が帳簿をめくって驚いた、妻女を抱いた町人の名前が克明に書きこまれ

ていた。「檜垣屋六蔵の帳簿ですな」 新弥が呻き声を発した。

「買った日付と金額まで書き込まれておる、恐らく疾風はお主に渡そうと思って

奪ったのじゃ」 磯辺伝三郎が感慨深そうな顔つきをしていた。

 帳簿には国許で知られた商人達の名が、ほとんど名を連ね記入されていた。

「この帳簿が磯辺さまの手に渡り僥倖(ぎょうこう)でございましたな。これが公に

なれば藩が大騒動になります」 新弥が湯呑みにかえて独酌をはじめた。

「相変わらずじゃの」 磯辺伝三郎が苦笑した。

「殿にお見せになられましたか」

「ご覧頂いた。苦しげなお顔であったが、処分は拙者に任された」

「流石は殿じゃ、藩の混乱を避けるためですな」

 新弥はなおも帳簿をめくって思案している、髭跡の濃い顔に憂いが浮かんだ。

「この帳簿で檜垣屋は、さらに大金をせしめる積もりでしたな。強請れば町人等

は否応なく大金を支払うでしょうな」

 新弥の推測通り、六蔵は町人達を脅しかなりの大金をせしめていたのだ。

 磯辺は改めて新弥の器量を見直した。一回りも二回りも大きく成長していた。

帳簿を見ただけで檜垣屋の思惑を、素早く見抜いた。それが嬉しく磯辺伝三郎

は一人で徳利を傾けていた。

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Last updated  Aug 29, 2006 11:25:14 AM
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Aug 28, 2006
「さて斎藤、余もいささか迷った。だが伊奈藩主真田殿が、あのような席で申され

るとは夢にも思わなんだ。藩の剣術師範ならびに剣文館主としては微禄じゃが

許せ。斎藤新弥に五百石を与えるものとする」 平然と加増の沙汰を申しつけ

た。 聞いた新弥が驚いて忠直を仰ぎみた、忠直の瞳に暖かい思いを見つけだ

した。お言葉に添い、うどのような男になろうと誓った。

「謹んでお受けいたします」 新弥はがばっと平伏し巨体の肩が感激で波打って

いる。 「斎藤、これからも頼りといたす。大膳の申したような男になれょ」

「はっ、心いたし精進つかまつります」

 平伏する二人に微笑をみせ、隣室に声をかけた。

「梶原、祐筆の代行とし、余の申したとおり書き留めたかの?」

「はっ、書き留めてございます。ご両所、殿のご温情に感謝なされょ」

 梶原庄兵衛が満面の笑顔で隣りの部屋から姿をみせた。

「この度の一件はこれで済んだの、両人とも下がってよい。二日間の休息を与え

る、自由に江戸の町を満喫いたせ。余は奥に下がって祝いの一時を過ごす」

 忠直の言葉で二人は奥座敷から退出した。この噂は瞬く間に屋敷中に広まっ

た。 すれちがう藩士等が、祝いの言葉をかけてくれる。

 二人は目礼しながら、長廊下を黙々と伝っていた。

「磯辺さま、今宵、拙者の部屋で一献酌み交わしませぬか。まだ色々と国許の

お話をお聞きいたしたい、いかがでしょうか」

「断る訳にはいかぬな、師範のお誘いでは」 「冗談はおやめ下さい」

「拙者にも積もる話があるのじゃ」 磯辺伝三郎がニヤリと破顔した。

「それでは後刻」  新弥は胸中穏やかに自室にもどった。

「お目出度うございます。この度は剣術師範ならびに剣文館主となられ、祝着

至極に存じます」 お峰が透き通った声で祝ってくれた。

「貴女にはお世話になりましたな、礼を申します」

「国許には、何時お帰りにございます」 お峰が茶を勧め寂しげに訊ねた。

「殿から二日間の休暇を頂戴しました。・・・今宵、磯辺さまが来られます、酒肴

の用意なぞお願い出来ませんかな」

「喜んでご用意いたします。特にお酒は十分に用意いたしましょう」

 お峰が心安く請け負ってくれたが、お峰の心を思うと新弥の心も痛んだ。

「お峰殿、このように屋敷内で勝手に宴席など催しても宜しいか。なんせ田舎者

屋敷の仕来りもござろう」

「斎藤さまは別格にございます」 お峰が即座に答えた。

「なぜ別格です、ご迷惑をかけるようでしたら外出して飲みますが」

 お峰がまじまじと新弥を見つめた。(綺麗な眸じゃ) 新弥は内心驚いた。

このような美女に好かれ、放っておく男は居ないだろう。惜しいような複雑な

感慨がよぎった。

「このような些事に気づかれるとは、斎藤さまは本当の武士にございますね。

酒席を当然の如く催すお方も居られますが殿は嫌われます。でも斎藤さま

なれば殿は喜ばれましょう、不思議なお方です」

「左様か」 新弥は忠直の気持ちが理解できた、今宵は甘えさせて頂こう。

「お峰殿、今宵は殿に甘えます」 「はい、ご用意は任せて下さいませ」

 お峰が浮き立つように部屋から辞していった。帰国するまでに謝罪せねばな、

悪戯に女心を弄ぶ真似はできない、新弥はそう心に決めた。彼は単衣に着替え

寛いだ。陽が落ちあたりに夜の帳がおりた頃、磯辺伝三郎が姿をみせた。

 彼も単衣に着替え寛いだ姿であった。

「静かじゃのう、こうして居ると江戸とは思えぬ」 磯辺が感慨深そうに呟いた。

「左様、これも全て終ったからでしょうな」  「ご免くだされませ」

 お峰の声である。  「磯辺さまが参っておられる、用意を願います」

「ただ今、お持ちいたしました」 お峰の姿をみた磯辺が驚いた顔をした。

 彼女はてきぱきと膳部を調え、 「十分にお召し上がり下さい」と素早く立ち

去った。 「美形じゃのう」  「部屋付きの腰元でお峰殿と申される」

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Last updated  Aug 28, 2006 09:18:48 AM
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Aug 26, 2006
「じゃが斎藤、そちもなかなかの策士じゃな」 忠直の顔が真顔である。

「はっ?・・」 「そちは立会いで宍戸梅雪を倒すと一言も洩らさなんだの」

「それは拙者が赤津監物殿に勝つことが条件にございました。万一、後れをと

るようでは話になりません」 新弥が懸命に弁解した。

「磯辺、斎藤とはこのような男か?」

「いや、寡黙で朴訥。それが取り柄でございましたが、最近は時々策を弄しま

すな」 磯辺伝三郎までが真顔で答えている。

「それはないでしょう。拙者は常に精一杯お勤めに励んできた積もりです」

「ははは、磯辺は冗談を申しておる。余ははじめて聞いたぞ、蝋燭持参で登城

したそうじゃな」 忠直が可笑しそうに笑っているが、瞼が潤んでいた。

「余はこたびの事件の処置を磯辺に命じた」 新弥が不審そうに仰ぎみた。

「次席家老の石垣忠左衛門、ならびに倅の一之進には切腹を申しつける。斎藤

に意見があれば聞くがの」 忠直が厳しい顔で告げた。

「藩政を司るお勤めを蔑ろにし、私服を肥やすために藩士の妻女を町人に売り

渡すとはもっての沙汰。切腹は止むをえぬ仕儀と勘考つかまつります」

「良くぞ申した。磯辺、追って沙汰があるまで閉門蟄居(へいもんちっきょ)を申し

渡せ。切腹の儀は後日沙汰いたす」 「はつ」 磯辺伝三郎が平伏した。

 新弥はまだ忠直を見つめている。 「頭が高い」 磯辺が小声で叱責した。

「磯辺、気遣うな、斎藤新弥とはこのような男じゃ。だから大事が任される」

 新弥は殿のお言葉で胸が一杯となっていた。つい先日までは殿のご尊顔を拝

することなど考えも及ばなかった。それが直にお話ができる、夢のようであった。

 忠直は傍らの茶を飲み干し、磯辺伝三郎と新弥をみつめ口をひらいた。

「磯辺、そちが持参いたした粟野五郎兵衛の書状の件じゃが、余は許可をいた

すことにした」 新弥は他ごとを考えていた。

「拙者は粟野先生が何をお願いしたのか存じません。いったい何のお話にござい

ます」 磯辺伝三郎が剽悍な眼差しをみせ尋ねた。

「粟野の一人の考えか、ならば余の口から聞かせてとらす。この度の藩の騒動も

目出度く終った。これを機にお勤めを辞し隠居したい、そう申し送って参った」

「粟野先生が隠居にございますか?」 新弥が驚きを隠し訊ねた。

 忠直が無言で首肯した。

「そこで剣文館主を斎藤新弥に託す積もりじゃ。両人とも異存はあるまいな」

「お待ち下さい。まだ拙者には荷が重うございます」 新弥が慌てている。

「斎藤、余は伊奈藩邸において、既に皆に披露したと思っておる。帰国の暁に

は、斎藤新弥を我が藩の剣術師範ならびに剣文館主に任ずる。磯辺伝三郎、

そちが検分役として余の考えを、飯岡大膳に伝えてくれ」

「はっ、確とお伝え申しあげます」 磯辺伝三郎が嬉しそうに復命した。

「さて最後に申しおく。宮本陣内じゃが、粟野五郎兵衛の娘、梅と夫婦となり

粟野家の名跡を継ぐものといたす」

 新弥が仰天した、次々と驚くことを仰せになられる。

「斎藤、宮本家には次男が居るの、そちの妻女の実家じゃ。宮本家の名跡は

次男の成人をもって継ぐものとする。斎藤、これは余の願いじゃ。そちに相談

せずに決めたが許せよ」

「はっ」 新弥は身内から震いがわいていた。これも全て大膳さまと左京さま、

それに傍らの磯辺さまのお取り計らいと感じていた。

 わしのような不器用な男に眼をかけて頂き、有り難いことじゃ。しみじみと

人の情けを感じた。

「さて両人に申しつける。この度の騒動を素早く治めた功により、加増を申し

わたす。磯辺伝三郎」 「はっ」 「百石を加増いたし、これより九百石といた

す。なお目付方より大目付を命ずるものなり」

「有り難き仰せ、謹んでお受けつかまつります」 磯辺伝三郎が低く礼を述べた。

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Last updated  Aug 26, 2006 09:41:26 AM
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Aug 25, 2006
 磯辺さま自ら来られるとは訳ありじゃな、そんな感じがした。新弥が踵(きびす)

を廻すと、磯辺伝三朗の乗馬が馬止柵につながれ、全身水を浴びたように汗が

ひかり、息が荒々しくあがっていた。

(国許より駆け通しで参られたな) そんな思いで自室にもどった。

 廊下にせわしげな足音がした。 「斎藤殿」  梶原庄兵衛の声である。

「ご遠慮なく、お入り下さい」  梶原庄兵衛が顔を染め現れた。

「梶原さま拙者は斎藤で結構、殿づけはお止め下さい」

「そのような些事(さじ)は宜しい、今な国許から早馬が着き申した」

「存じております。目付の磯辺伝三郎さま自ら参られるとは合点が参りませぬ」

 新弥が腕組みをして考えこんだ。

「承知いたしておられたか、今は休息場で疲れを癒しておられるが、殿との面会

の席にご貴殿も一緒いたせとのことにござる」

「お受けつかまります。ところで梶原さま、何か不自然とは思われませんか」

「不自然?」 「左様、磯辺さまが使いとして参られた。ただ石垣一派の件のみとは

思われませぬ」 「うむ、そう言われると何やら臭う、じゃが直ぐに判ります。

刻限にはお峰が知らせに参ります」 梶原がそそくさと部屋を辞して行った。

 一人となった新弥が、あれこれと思案しているが一向に思いつかない。わしで

は無理じゃ、考えごとは左京さまや磯辺さまにお任せいたそう。

 そう思い新弥はお呼びだしを待ちくたびれる思いで待った。時が遅々として進ま

ない、苛立ちを押さえ部屋の外を覗いた。真っ青な空が広がりをみせ、二筋の細

い雲がたなびいていた。なんとなくほっとする光景である、新弥は飽かずに雲の

変形するさまを眺め無心となっていた。廊下より微かな足音が流れてきた。

 お峰殿じゃな。新弥は昨夜の己の行為を恥じた、顔をみたら謝ろうと思った。

「斎藤さま、殿のお呼びにございます」 襖越しより、しっとりとしたお峰の声が

した。 「かたじけのうござる」 新弥が襖を開けた、お峰が廊下に膝をつき、襟足

の白さが眼に入った。新弥が無言で通り過ぎようとした瞬間、

「わたくしを抱きたいと仰せられ、昨晩は嬉しくて眠れませんでした」

 お峰が小声で囁き、一瞬足が止まりそうになった。 (困った、誤解じゃ)

「ご案内を頼みます」 努めて冷静に声をかけ、お峰の案内で奥に進んだ。

 坪庭の前で歩みを止め、お峰がふり向いた。目が潤んだように輝いている。

「この先からは、お一人で参られませ」 頬を染め新弥をみつめている。

「ご足労をおかけ申した」 軽く目礼し奥にむかった、背中にお峰の視線が感じ

られる。面映い思いをこらえ、殿と磯辺伝三郎の待つ部屋に着いた。

「斎藤、罷りこしました」 襖が開き小姓が、 「奥にお待ちにございます」と、 

言い添い新弥は小腰を屈め、するすると近づいた。

「斎藤か、待ちかねた」 新弥が平伏した。忠直の前に磯辺が控えていた。

「斎藤、殿よりお聞きいたしたが、見事な立会いをいたしたそうじゃな」

「それは済みました。国許で何かございましたか?」

「今、殿に申し上げておったところじゃ」

「斎藤、そちの申した通り、巧く運んでおるそうじゃ」 忠直の声に満足感が

あった。 「目付の磯辺さまが自ら早馬で参られ、国許で不測の事態でも起こっ

たのかと、心配いたしておりました」

「斎藤、お主だけに辛いお役目を頼み、我等はみておるだけであったが、お主の

見込み通り、国許の騒動は治まりそうじゃ」

 磯辺伝三郎が国許の事情と労いの言葉をかけた。

「城代家老の飯岡大膳さまは、お元気と殿より聞かされましたが、次席家老に

代わり藩政に就かれておられますか?」

 磯辺伝三郎の鋭い眼差しが和んだ。

「拙者が国許より江戸表に参ったのが、その証じゃ」

「非道いお方です。拙者があれほど心配致しましたのに」

「拙者も知らなんだ、突然の登城で仰天いたした」 磯辺伝三郎が語ると、忠直

が吹きだした。 「余と大膳の策じゃ、敵を欺くならば味方からとな。これが兵法

じゃ」 忠直が真顔で語った。 「恐れ入りました」 新弥が感心している。

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Last updated  Aug 25, 2006 08:59:24 AM
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