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長編時代小説コーナ

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改訂  上杉景勝

Dec 11, 2012
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カテゴリ:改訂  上杉景勝
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「改定  上杉景勝」 (127)


「お忘れにございますか山城守さま、我等は徳川勢に対抗すべく会津の

総力をあげて国境に、兵力を集結させた事実を」

 猛将の甘粕景継が吠えた。

「心配はいらぬ、合戦を仕掛けられ準備をせぬ武将が居るか。あの節は

会津防衛の処置じゃ。我等は家康が小山から軍勢を反転させた時も、国境

から一歩も踏みださなんだ。それを一番に存じておられる人物が家康じゃ。

我等は徳川勢に一度も兵力で歯向かったことはなかった」

 山城守が淡々とした態度で小山での状況を述べた。

「山城、そちは秀康殿と話をつめてくれえ、わしは本多正信と交渉する」

 景勝の言葉に山城守は合点する思いがあった。

 上方に滞在している、千坂景親からの情報と推測した。

「お屋形、正信から和平勧告があると、千坂景親から話がありましたか」

 山城守の問いに景勝が顔色も変えずに肯いた。

「そちには叶わぬ、すべてお見通しじゃな」

「和平勧告と申しても、全面降伏となりましょう。それがしは命を懸けて

上杉家の存続を、結城秀康さままにお願いしましょう」

「頼むぞ」

 景勝が了解した。こうして上杉家の重臣会議は和睦に方針を向けたのだ。

 会津領内は武装を解き、恭順の姿勢を示し静まった。

 直江山城守と千坂景親の懸命な取り成しで、家康は景勝と山城守に

上洛を命じてきた。

 主従は翌年の慶長六年に上方に向って旅立った。

 二人とも騎馬であった。馬の背に揺られ辺りを見つめていた景勝が、

「人生とは朝露の如くじゃな」 と、独語した。

 その言葉に山城守ははっと胸を突かれた。初めて景勝の苦悩を知った

思いがしたのだ。

 今になって景勝の無念の思いを知り山城守が、はらはらと落涙した。

 己の至らなさを知ると同時に景勝り胸中を思い、生涯一度の涙を見せた

のだ。山城守が湿った声を発した。

「お屋形、人生とは儚いものにございます。併し上杉家は尚武の家で

あることを忘れてはなりませぬ」

「心配するな」

 景勝が浅黒い顔を和ませた。こうして主従は大阪に着いた。

 千坂景親が二人を待ち受け、着任の報せをもった使者が本多正信の許

に駆けつけた。

 翌日、主従は大阪城で徳川家康に謁見し謝罪の席に座していた。

「中納言に山城守か」

 家康が天下人の風格をみせ横柄な口調で両人を眺めている。

 二人は臆する色もみせずに平伏した。

「謝罪に訪れるには遅すぎじゃ」 家康が露骨に不快感を示した。

「我等には謝罪の謂れはございませぬ」

 景勝が無骨な口調で反論した。

「ほう、昨年の合戦では西軍の石田三成に属したであろうが」

「滅相な、言いがかりにございます」

 山城守が景勝に代わり答えた。

「わしが小山に本陣を進めた時、三万名の大軍で出迎えてくれたの」

 皮肉を口にした家康の肉太い頬が引きつった。

「我が家は尚武の家にございます。義と信を信奉する家風にございます。

六万余の大軍が国境に迫れば、武家の仕来りといたし、合戦の用意を

仕ることは、当然至極にございます」

「山城守殿、お二人は謝罪に参られたのであろう」

 二人が余りに平然としていることに不審を抱いた本多正信が口添えした。

「上様のお訊ねに答えたまでにございます。我等は恭順に罷りこしました」

「わしが攻め寄せたら、如何いたした」

「合戦におよびました」  景勝が即決に答えた。

「勝てるか?」  「勝てまする」  「なにっー」

「我等の標的は上様、総大将を討ち取れば合戦は勝利にございます」

 景勝の答えに百戦錬磨の家康の背筋に戦慄が奔りぬけた。改めて

小山の陣が思い出される。あそこで会津に攻め込んだら間違いなく深田

に足を取られ身動きが出来なかったであろう。そうなれば西軍の大勝利

であった筈。そう思うと目前の二人の態度が堂々として見える。

「中納言、わしが小山で軍勢を反転させた時に、追撃せなんだことを賞し、

恭順を受け入れよう。ただし、会津百二十万石は没収いたす。代わりに

出羽米沢三十万石を与える」

「これはしたり米沢は故太閤殿下より預りし、それがしの領土にございます」

「山城、命と引き換えじゃ」

「我等は命を召し上げられるような、不義を致したことはございませぬ」

 山城守が気色ばんで反論したが、景勝が手で制し、

「有難き幸せに存じあげます」  景勝が答え平伏した。

 こうした厳しい減封を受けたが、上杉家の存続は許されたのだ。

 二人が退席すると、家康が太い吐息を吐きだした。

「あの主従を敵に回したら、再び戦乱が起こったであろう」 と正信に

語ったと言われる。

「とうとう謝罪の言葉を口にしませんでしたな」

 退席の途中で山城守が笑いを含んだ声で景勝に質している。

「我等の勝ちじゃ。数年後には家康の正邪が判明いたそう。わしはそれを

楽しみにしておる。この大阪城に入城いたす日をな」

 こうして二人は大阪城を後にしたのだ。         (完)


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Last updated  Dec 11, 2012 12:26:51 PM
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Dec 10, 2012
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「改定  上杉景勝」 (126)


 山城守が微笑を浮かべ杯で唇を濡らし、

「それがしはお屋形にあずけた命。お屋形の気持ちがそうなれば、ここは

重臣、諸将たちの意見も聞かねばなりますまい」

「・・・・」

 景勝は無言を通している。

「一同の者が合戦を望まぬとしたら、お屋形はいかがなされる。家康に

膝を屈しますか?」

 景勝が山城守の白皙の顔を見つめたが、胸中を秘している気配がした。

 その苦渋の思いは山城守には手に取るように分かる。無念と憤りが渦巻

いているに違いない。

 そうしたことを飲み込み、景勝が平静な声で命を下した。

「綱元、三十二の城代とすべての重臣、諸将を若松城に集めよ」

「はっ」  大石綱元が厳つい顔を引き締め部屋を辞していった。

 十月二十日、若松城で会議が開かれている。上杉家の今後の方針に

ついての会議で、一座は騒然となり激論が交わされた。

 降伏止むなしの派と合戦を容認する派が対立し、容易に議論がまとまら

ず、虚しい議論に終始した。

 一座の様子を無言でみていた山城守は、すでに意見が出尽くしたとみて、

滔々と語りだした。

「いずれも正論でござろうが、この山城にも決めかねる。ここはお屋形の

お考えをお聞かせ願い、上杉家の去就を決めては如何じゃ」

 山城守の言葉に応じ、景勝が剽悍な眼差しを一座に注いだ。

 本庄繁長、甘粕景継、水原親憲等の主戦論者は無念の形相で景勝を

見上げている。景勝にとり彼等の気持ちは痛いほどに理解できる。

「わしは己の生き様を曲げても良いと思うておる。家康ずれに膝を屈する

ならば、死に花を咲かせ見事に散ろうと考えたが、これはわし一人の我儘

じゃ。まずは我が家の存続を認めてくれるかどうかじゃ」

 景勝が浅黒い顔を引き締め、苦渋の決断を述べた。

「こたびの合戦後に改易された大名家は、八十八家におよんでおる。

 その上に厳封は三家もある」

 山城守が代わって言葉を継いだ。

「豊臣家も六十万石に厳封された。我が家が恭順と決しても、存続を認め

られることは、至難のことと思わずばなるまい」

 山城守の言葉に一座に重苦しい雰囲気が充満した。

「拙者は我が家と常陸の佐竹殿と連携し、我等、上杉家の戦法の烈しさ

を家康に見せつけとうございます」

 水原親憲が激越な言葉を吐いた。

「拙者も水原殿に同意にございます」

 真っ先に甘粕景継が賛意を示した、彼は主戦派の急先鋒である。

「佐竹家も移封の命を受けておる。出羽二十万五千石になられた」

「なんとー」

 山城守の言葉に両将が肩を落とした。

「水原、甘粕。これで天下は定まった。わしは合戦では家康にには絶対に、

負けぬ自信はある。だが、治世面では家康が一枚も二枚も上手と知った。

民のために我慢も大事じゃ、よってわしは徳川との和平の道を模索いたす」

 景勝が珍重な面立ちで断じた。

「お屋形のお考えが和平と決まれば、それがしにも考えがございます」

 山城守が全知全能をかたむけた考えを述べ始めた。

「下野に居られる結城秀康さまとは昵懇の間柄じゃ。彼の人は家康の次男

で太閤殿下の養子にござった。それがしは秀康殿にすがろうと考えておる」


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Last updated  Dec 10, 2012 10:04:12 AM
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Dec 8, 2012
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「改定  上杉景勝」 (125)


「良くやってくれた。我が勢の一部は街道を抜けた筈じゃ」

 山城守がねぎらいの言葉をかけた。

「このまま会津まで戻りますのか?」

 水原親憲が血塗れの甲冑姿で訊ねた。

「米沢城で休息いたす」

「最上勢は襲って参りませぬか」

「慶次、最上義光の兵力は五千名に満たぬ、襲いくる余裕はない」

 そう答えた山城守の愛の前立てが、陽を浴びてきらりと輝いた。

 十月四日、上杉勢は全軍が米沢城に入城し、こうして撤兵作戦は終り

みた。山城守は将兵に二日の休養を与え、国境防備を厳しくするように

命じ、自身は単身で若松城へと急行した。

「お屋形、ただいま戻りました」

 山城守は景勝の自室を訪れ、帰国の挨拶を述べた。

 景勝は何時ものように浅黒い顔で出迎え、申し訳なさそうに語りかけた。

「山城、小山でのそちの諫言に耳を貸しておれば、西軍は負けなんだ。

いまになって後悔しておる」

「申されますな、勝敗は兵家の常。西軍に運がなかったと諦めることです」

 山城守が白皙の顔を崩さず、淡々とした口調で景勝を慰めた。

「山城、一緒に飲んでくれるか?」

「喜んでご相伴つかまつります」

 山城守が景勝の遠慮ぎみの様子を見て頬を崩した。

 景勝と大石綱元の三人で、久しぶりに酒席をともにした。

「今後の展開はどうじゃ」

 景勝が濃い髭跡を見せ訊ねた。

「それがしにも分かりかねますが、家康が勝利したことは真にございます。

だが未だに、大阪城には秀頼公が健在におわします」

「山城、あの狸め本性を現しよったぞ。豊臣家の直轄地を六十万石に厳封

しよった」

「本当にござるか」

 景勝の言葉に山城守が驚きを隠さずにいる。

「馬鹿をみたのは毛利よ、三成殿は毛利輝元を担ぎだしたが、縁筋の吉川

広家は家康に内通し参戦しない条件で、毛利家の所領の安堵を約束させ

たと言う。その為に家康は勝利を得たが、家康は広家との約束を反故とし、

改易をほのめかしたと言うわ。広家は輝元の赦免を懇願し、漸く周防、長門

の二ヶ国三十万石を安堵されたと聞く」

「満更、家康も馬鹿ではありませぬな」

 大石綱元が笑い声をあげ大杯を干した。

「綱元、笑いごとではないぞ、我が家はどうなる」

 山城守が強い口調で叱責した。

「これは・・・・」

 大石綱元が言葉に詰まっている。

「お屋形、家康に味方した豊臣恩顧の大名共はいかがしております」

「豊臣家があのようになっても、狸に口ごたえをする輩が居らぬわ」

 景勝の顔に軽蔑の色が浮かんでいる。

「情けなきことにござるな。お屋形、家康が上方に居るうちに江戸に軍勢

を進めませぬか」

「山城、そちは本気か?」

「我が家は義と信をもってたつ武の家。お屋形の下知なれば全員討死の

覚悟で合戦に臨みます」

「うーん」  景勝が唸り声をあげ大杯を干した。

「いずれにせよ、近々に狸から恭順か合戦かとの問いがございましょう」

「わしは、奴だけには膝を屈する屈辱を味わいたくない」

「ならば全滅を覚悟し、奴の非を天下に示す合戦を成されませ」

「わしの意地のみで家臣達を殺すことは出来ぬ。そこが苦しい」

 景勝の言葉に山城守が、呵々(かか)と笑い声をあげた。

「山城、何が可笑しい」

 景勝の浅黒い顔に怒気が刷かれている。


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Last updated  Dec 8, 2012 11:03:09 AM
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Dec 6, 2012
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「改定  上杉景勝」 (124)


「街道の半ばまでが辛抱じゃ。そこには水原、前田勢が潜んでおる」

 山城守は全軍を叱咤し、時には逆襲し、且つ退く作戦で見事な退却戦を

演じてみせたのだ。

 そんな最中に輜重隊が車を引いている。でこぼこ道は石を埋め土を入れ

て補修されていた。これは色部光長が指揮して補修した結果であった。

 上杉勢は速度を落とさずに撤兵を進めている。

 一方の最上義光は鬼の形相で先陣を駈け、愛用の鉄棒を振り回し追撃し

た。これまで最上勢は山城守率いる上杉勢により、さんざんな目に遭ってい

る。その屈辱を晴らすための追撃である。

 その勢いを削ぐために、山城守は自ら殿軍を指揮し兵を督励している。

 幸いにも色部光長のお蔭で撤退は思いのほかはかどっているが、これは

最上勢にも有利に働いていた。狭隘険路な街道を速度をあげ執拗に食い

さがってくる。前方に前田慶次が姿をみせた。

「山城守さま、ここからは我等が殿軍を承ります」

 見回すと上杉家の槍の勇士で知られる、水野藤兵衛、韮塚理右衛門、

宇佐美弥五右衛門、藤田森右衛門の四人が不敵な面をみせ、朱槍を抱え

ている。その後に前田勢の精鋭が従っていた。

「慶次、水原親憲はいかがいたした」

「一丁ほどの地点に鉄砲隊二百名を率い、伏兵として控えております」

「奮戦を期待する」

 山城守が騎馬をあおり、急坂を駈けのぼっていった。

 敵の先陣と前田勢が鼻を突き合わせる格好となった。

「わしが、前田慶次じゃ」

 凄まじい名乗り声を発した慶次が、自慢の大身槍を振り回し、敵勢の中

に躍りこんだ。まけずと四人も朱槍を抱え続いた。

 その攻撃を受け血煙をあげ敵兵が坂を転がり落ちている。

「わっー」 と、上杉の伏兵が猛烈な攻勢をみせ圧倒した。

 その勢いに押され最上勢が我先に後退している、それほどまでの凄まじ

い前田勢の攻撃であった。

「者共、引くのじゃ」

 戦機を計っていた前田慶次が血塗れの姿で坂道を駈けあがる。

 全員が一丸となり退却を始めたが、四人の朱槍の勇士のみが踏み止ま

り、最上勢の進撃を阻止している。

 その時、水原親憲の塩辛声が轟いた。

「四人とも坂道に伏せよ」

「伏せるのじゃ」  

 韮塚理右衛門が叫び、道に躯を投げだすようにして伏せた。

「ゴオー」  兜の頭上を震わせ銃弾が最上勢に降り注いだ。

「伏兵じゃ」

 最上勢の兵が顔を蒼白としている。

 硝煙の煙のなかで悲鳴があがり、最上の兵が急峻な崖下に転がり落ち

る阿鼻叫喚の世界となった。狭隘な坂道を密集し、攻め登ったために後方

に退けないのだ。

 水原親憲は二百名の鉄砲隊を三分割し、間断のない銃弾の幕を巡らし

た。つぎつぎと敵兵が銃弾の餌食となって坂道から、転がり落ちてゆく。

 敵将の最上義光も兜に銃弾を受け、大事に至らずにほうほうの呈で後方

に退いた。潮合いを見計らっていた水原親憲が采配を振った。

「慌てずに退く、我等には鉄砲がある。敵が姿を見せたら撃ち放せ」

 こうして水原勢も退却を始めた、途中に直江山城守が待ち受けていた。

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Last updated  Dec 7, 2012 09:57:56 AM
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「改定  上杉景勝」 (123)


「色部光長、そちは足軽二千名を伴い、狐越街道に急行いたせ」

「はっ、して任務は」

「既にこの報せは最上、伊達にも知れておろう。わしは明日まで撤兵の

気配をみせずに猛攻いたし、両軍の反攻を許さぬ積りじゃ。狐越街道

は狭隘険路で知られておる。そちは我等の大軍が素早く撤兵できるよう、

道路の補強と修理を行い、先鋒隊として会津に帰国いたせ」

 この場になっても直江山城守の読みは完璧であった。

「畏まりました」

 色部光長が一同に挨拶して本陣を後にして行った。

「水原親憲に前田慶次」

「はっ」  二人が前に進み出た。

「そちたちも隠密に撤兵いたせ」

「・・・・・そのまま帰国いたしますのか?」

「両人、我等の撤退を知ったら、最上勢の追撃はずいぶんと激しいものに

なろう。そちたちは険路な箇所に伏兵の策をなし、本隊の援護をするのじゃ」

「殿軍にございますな」

 水原親憲と前田慶次が髭面の顔を見つめあった。

「そうじゃ、狐越街道に本隊が踏み込んだら両軍が殿軍となる」

 山城守が常の声で下知を下した。

 殿軍に加わることは武者として、これに勝る名誉はない。

「心得申した。これより出立いたします」

 二人の猛将が甲冑の音を響かせ本陣を去った。

 翌朝、上杉勢の陣地は物音もなく静まりかえっている。旗指物、幟、旌旗

がひるがえり、鉄砲隊を前衛に配置した態勢となっていた。

 本陣には上杉の旗印がたなびき、最上勢を圧倒する勢いをみせてい

る。東軍勝利の報せに勢いづいた最上勢が動きだしている。

 するすると鉄砲足軽が先陣に姿を見せ銃声を轟かせた。それを合図に

兵馬が上杉勢の先陣めがけ一斉に殺到してきた。

 受ける山城守の戦術は巧緻であった。

 今日の合戦を想定し、馬防柵をめぐらし各隊より引き抜いた鉄砲隊を

配置していたのだ。喊声をあげ最上勢が報復の勢いで攻め寄せてくる。

「放てー」

 敵勢を引き付け一千丁の鉄砲隊が一斉掃射で応じた。

 白煙が前衛を覆い隠し、悲鳴と怒号が響き阿鼻叫喚の呈をなしている。

 最上勢の先陣がたちまち総崩れとなり退却を始めた。

 最上義光は上杉勢が関ヶ原合戦の情報を知らぬと判断した。

 そう思わせる上杉勢の勢いであった、戦線はそのまま膠着した。

 夜の訪れとともに、上杉勢の陣営は真昼のように篝火が焚かれ、警戒の

兵士の槍が不気味な輝きを見せている。

 そうしたなかで部隊がぞくぞくと陣営を離れ撤退している。

 声もなく咳払いもなく無言の軍勢が甲冑の音のみ、微かに響かせている。

 翌日の十月一日、本隊は山城守の下知で陣屋に火を放ち撤退を開始し

た。攻撃よりも退却戦が困難であることは言うまでもない。まして最上領

と米沢の間に位置する、狐越街道は山々が続いて天嶮(てんけん)をなし

ている。上杉勢は狭隘な険路を揉みあうようにして撤退していた。

 上杉勢の撤兵を知らされた最上義光は、直江山城守に城塞を落され、

士卒、三千名の損害を出していた。

 一挙にその怒りを晴らさんと猛烈な追撃に転じた。

 山城守はこれを予期し、色部光長に塘路の補修を命じていたのだ。


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Last updated  Dec 6, 2012 09:51:02 AM
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Dec 4, 2012
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「改定  上杉景勝」 (122)


『矢張り、わしの考えが間違っておったか。山城の進言どおりに奴が

小山から軍勢を反転する時に、総力をあげて追撃するべきじゃった』

 景勝が浅黒い横顔をみせ剽悍な眼差しで、遥か先の美濃につづく

地平線を眺め、悔悟の念に浸っていた。

 これで我が上杉家は孤軍となった。天下に武勇精強を誇った不敷庵公

の遺訓を残すためにも、一同、揃って江戸に乱入いたすか。

 そうした思いを胸に景勝は肩を落とし自室に籠った。

 彼はひたすら大杯を傾け、思案に耽っている。

 まずは何をおいても最上攻めの兵士の撤兵じゃ。その上で家康に恭順の

使者をおくる。併し、死を命じられたら何のための恭順か分からぬ。

 関ヶ原合戦の勝利で家康は天下をほぼ手中にした、それは豊臣家恩顧の

荒大名の力が大であった。

 そのことが忌々しく彼は大杯を呷った。

 荒大名が崇拝する秀頼公は、大阪城で健やかに成長されておられる。

 家康が天下を簒奪するには、大阪城を攻め滅ぼし、秀頼公のお命を

絶たねば成就できない。

 そう考えた景勝が頬を崩した。

 家康が豊臣家に牙を剥くまで膝を屈し、奴が野望をむきだし大阪城攻め

を始めたら、豊臣家のお味方として大阪城に入り、こたびの屈辱を晴らす。

 景勝は漸く考えを纏め、城代の大石綱元を呼び出した。

「お呼びにございますか?」

 大石綱元が厳つい顔をあらわした。

「綱元、驚くなよ。関ヶ原の合戦は西軍の敗戦に終わった」

「なんとー、石田殿が敗れましたか」

 豪胆な気象の大石綱元が唖然としている。

「我が家は孤軍となった。この上は山城守に撤兵命令を出さずばなるまい」

「左様にございますか、して西軍の敗戦は何時にございました」

 綱元が主の景勝を仰ぎ見た。

「皮肉なものよ。山城が長谷堂城を包囲した九月十五日と聞き及ぶ」

「一日でけりがつきましたのか?」

 大石綱元が仰天している。

「家康の利に調略された結果じゃ。綱元、わしの書状を山城に届けよ」

「はっ、すぐに人選をいたします」

 若松城から伝令の将が直江山城守の滞陣する、長谷堂城に向ったのは

九月二十九日の早朝であった。

 一方、最上義光と伊達政宗には、この日に家康から東軍勝利の報せが

届いていたが、直江山城守は知らずに明日は陣替えをして決戦場を移す、

軍議を開いていた。

 その最中に景勝からの撤兵命令を受理したのだ。書状を一読した山城守

は、一瞬、呆然となった。

 島左近とともに三成の壮大な戦略と味方の大軍を知らされ、必勝の信念

を胸に秘めていたのだ。

 それ故に家康が小山から反転する際に、景勝の意見を尊重し追撃を諦め

たのだ。合戦は長びく、この言葉は景勝であったが山城守も同意見であり、

この最上攻めを始めたのだ。

 山城守が床几から立ち上がり、軍議に出席する諸将を眺めまわした。

 いずれの将も満々たる自信の色を浮かべた顔つきをしている。

 山城守が関ヶ原合戦での西軍の敗戦を告げ、撤兵命令を下した。

「なんとー」

 一座の武将がざわついたが、落ち着いた態度の山城守を見つめ沈黙が

座を占めた。彼等は山城守に絶対的な信頼を置いていたのだ。

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Last updated  Dec 5, 2012 09:39:15 AM
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「改定  上杉景勝」 (121)


「血祭にせよ」 敵の新手が駆け寄ってくる。

 その時、天地が震撼した。味方の軍勢が喚(おめ)き声をあげ突入してく

る。漸く間に合ったが、上泉泰綱は既に呼吸を止めていた。

 壮烈な最期であった、血まみれの二人が呆然と佇んでいる。

 前田慶次が朱槍を抱え近づいてきた。

 二人の眼に後悔の色が浮かんでいる、己の怯懦を恥じている眼である。

「貴様ら、なぜ上泉殿一人が討死を遂げられたのじゃ」

 前田慶次が眦(まなじり)をけっして詰問した。

「ご免」

 蒼白な顔色をしていた二人が同時に、己の頸動脈を絶った。

 それは武者としての怯懦の行動を恥じての自決であった。

 併し、各所で上杉勢と最上の救援軍との戦いが繰り返されている。

 前田慶次も阿修羅の形相をみせ荒れ狂った。それは友の戦死を悼む

戦いである。最上勢はその勢いに押され、四散して城に逃げ去っている。

「城にいれるな、すべて討ち取るのじゃ」

 前田慶次が大声で叫び、大身槍を旋回させ敵兵を突き刺した。

(上泉殿は増援を止めたく無謀な戦いをなされたのじゃ) 

と慶次には分かる。こうして最上の救援軍は散々に討ち取られた。

 上泉主水泰綱の戦死は、上杉勢の将兵に深い悲しみをのこした。この

報せが山城守にもたらされた。

「早々と三途の川を渡りよったか」

 山城守が顔を曇らせポッリと呟いた。この合戦を甘く見すぎた、その思い

が胸を締め付ける。

 思いもせぬ損害をだし、未だに長谷堂城も上ノ山城も落せずにいる。

 このままでは関ヶ原に出馬することは夢に終わる。

 我が上杉家の精兵三万をもってしても、たかだか一万にも満たない最上勢

を殲滅できないとは。そう思うと無念の思いだけが過ってゆく、九月九日に

この最上攻めが始まり、すでに十五日が経っている。

 上方の様子も気になるが、一切の情報が途絶えているのだ。

(石田殿、合戦を引き延ばして下され) と、祈る思いでいた。

 直江山城守は本陣に腰を据え、塑像のように身動きをせずにいた。

      (朝の露)

 慶長五年九月八日を迎え、景勝は天守閣より南方を展望していた。

 鈍色(にびいろ)の空が地平線の果てまで続いている。

 景勝はつい先刻、関ヶ原合戦で西軍が大敗し、東軍の家康の勝利の報せ

を受けたのだ。

 西軍に加担した諸大名とその大軍に、石田三成が描いた壮大な戦略が、

開戦一日で敗れ去るとは、到底、信じられないのだ。

 負ける謂れのない合戦であった筈である。

「なぜじゃ」

 景勝が独語した。併し報せによれば西軍の影の総帥石田三成やも西軍

最大の野戦軍団を率いた宇喜多秀家、小西行長等は捕縛されたという。

 景勝の許に次々と関ヶ原合戦の情報が届いてくる。

 直接の敗因は豊臣連枝の小早川秀秋の裏切りと知らされた。

 それは景勝の気象からして到底、信じられぬことであったが事実と分かっ

た。さらに徳川家康の本隊の左側面を衝く軍勢は、南宮山に布陣していた

が、その主力の吉川広家が動かず、毛利秀元、長宗我部盛親、安国寺恵

瓊、長束正家等の諸隊は、最後まで動かずに合戦を傍観していたという

事実も知ったのだ。


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Last updated  Dec 4, 2012 10:19:02 AM
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Dec 2, 2012
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「改定  上杉景勝」 (120)


「者共、行くぞ」

 上杉勢の先陣から、上泉泰綱が黒糸威の愛用の甲冑姿で幔幕を出た。

 三名の武者がその後に続いた。彼等は物見に出るのだ。

 四名が騎馬を駆って周囲に眼を配り、長谷堂城へと近づいている。

 既にこの辺りも冬の気配を見せ始めている、その証拠に寒風が吹き抜け

足元から寒気が這いのぼってくる。

 目前の長谷堂城には旗指物が風にあおられ、いぜんとして健在である。

「御大将、馬蹄が聞こえます」

 上泉泰綱に後続の武者が声をかけ、一行は馬をとどめ耳をそばだてた。

 確かに馬蹄の音と甲冑のすれ合う音が聞こえる。

 四名が馬から降り、小高い丘に身を潜め、眼下を見つめた。

 案の定、騎馬武者五十騎と百名ほどの足軽が城に向って行軍している。

「山形城からの増援部隊じゃ。お主は陣に戻り兵を率いて参れ、わしは

物見をいたす」

 上泉泰綱の下知で一騎が足音を消し、陣中に戻っていった。

 敵勢の先頭には大兵の武者が、兵士を督励し騎馬を急がせている。

 見るからに強者としれる。

「弓矢を貸せ」

 上泉泰綱が端正な横顔をみせ弦を引き絞った。

「御大将、無茶にござる」

 配下の武者が驚いて止めた。

「無茶は承知じゃ」

 泰綱は一兵でも長谷堂城への増援を阻止したかった。その思いを胸に

彼は弓の弦を引き絞っていたが、配下の二人は眼下の敵勢に気を奪わ

れていた。その感情は怯懦であった。

 彼等二人の思いを無視し、矢が弦を放れ先頭を行く武者の首筋に命中

した。悲鳴もあげず甲冑の音を響かせ地面に転がった。

「敵じゃ」

 最上勢の武者が一斉に丘に向って身構えている。

「仕掛けるぞ、わしの後から従ってこえ」

 上泉泰綱の言葉に二人の部下が声を失っている。

 泰綱が馬腹を蹴った。騎馬が狂ったように眼下に馳せ下ってゆく。

「敵は一人じゃ、押しつつみ首を刎ねえ」

 大兵の武者の声が聞こえ、上泉泰綱が大声で名乗りをあげた。

「上杉の先鋒大将の上泉泰綱なり、いざ見参」

「小癪な、一騎で襲ってくるとは笑止じゃ」

 敵勢の騎馬武者が十騎ほど槍を煌めかせ、迎撃態勢をとっている。

 残った救援軍は足を速め城に向っている。

 上泉泰綱の騎馬が一直線に疾走し、見る間に敵勢との距離が縮まった。

 泰綱が馬上で愛用の大刀を抜き放ち、すれ違いざまに先頭の武者の顔面

を薙いだ。血飛沫と悲鳴があげ落馬し地面に転がり落ちた。

 敵の騎馬武者が怒りの形相で襲いかかるが、泰綱は軽々と躱し、的確に

一人、また一人と血祭にあげている。

 流石は一刀流の達人だけはある凄腕を見せていた。

「強(したた)かじゃ。気をつけよ」

 血振いした上泉泰綱が再び突撃し、二人の敵が血煙をあげた。

「汝ら、なぜ加わらぬ」

 泰綱が怒りの声を浴びせたが、怖気づいた二人の配下は蒼白となって

戦いに、加わろうとする気配すら見せない。

 顔面を怒りで染めて批難した泰綱が、背中に強かな手傷を負った。

 秘かに忍び寄った足軽が槍で突いたのだ。

 振り向きざま一刀で斬り伏せた泰綱に、鉄砲足軽が銃撃を浴びせた。

 堪らず落馬したが、素早く立ち上がり大刀を構え直した時、再び猛射を

浴びせられ、上泉泰綱が大刀を杖として仁王立ちとなった。

 遥かに離れた本陣から出撃する兵士の姿が見えた。それを薄れた眼で

見た、上泉泰綱が微かに破顔した。その様子を見逃さずに二騎が猛然と

駆けより手槍が煌めいた。

 緩慢に大刀が宙を舞い、一人の騎馬武者の首が落ちた。それが最後で

あった。槍を胸に受けた泰綱が地面に膝をついている。

「首を討て」

 残った敵兵が上泉泰綱を取り囲んだ。

「おうー」

 二人の部下が悲鳴のような声をあげ駆け寄った、怒号と馬蹄が乱れとび、

必死で二人が防戦している。

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Nov 30, 2012
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「改定  上杉景勝」 (119)


 こうした緊迫した情報が上杉勢の本陣にもたらされている。

 山城守は遠い関ヶ原に思いを馳せつつ、当面の敵の最上勢の攻略に

頭を痛めていたが、伊達勢の本格的な参戦と判断を下し、水原親憲と

甘粕景継に六千の大軍をさずけ、援軍として派遣したのだ。

 ここに岡左内も加わっていた。彼は黒具足に猩々緋(しようじょうひ)の

羽織を纏い、南蛮兜で黒の駿馬にまたがり、松川(福島より一里)の陣中

から、配下の兵を率い先駆けしていた。

 視線の先に伊達勢の密集した体形が見渡せる、兵らに恐怖の戦慄が

奔り抜けたが、岡左内は悠々と騎馬をまわし、伊達勢を睥睨(へいげい)

している。その伊達勢の先陣に政宗が混じって居た、彼は粗末な甲冑を

纏い上杉勢の士気を窺っていたのだ。

 彼の前に四百名くらいの小勢の上杉兵が見えた。

 政宗は使者を派遣し、「降参の者か」と、訊ねさせた。

「なんの、合戦をつかまつるなり」

 左内は凄みをおびた笑みを浮かべ、答えるや一団となって突撃した。

 これに対し伊達勢は先鋒隊を向け乱戦となった。

 川面が沸騰し、怒号と喊声、悲鳴があがり混戦となった。

 左内は手勢の半数を討ち取られ、自らも槍を折られ満身創痍となり退却を

はじめた。それを見た政宗が騎馬を乗りつけ斬りかかってきた。

 左内は具足の胴を割られたが、すかさず血塗れた大刀で片手拝みに政宗

の兜の目庇から膝頭まで斬り返し、怯む政宗の大刀を薙ぎ折って後を見ず

に川を渡って引き上げた。

 主人の危機と旗本が駆け集まり、政宗の周りを取り囲んだ。

 それ等の武者の中から政宗が無念の想いをこめて叫んだ。

「逃げるとは卑怯、とって返し勝負せよ」

 その声で対岸に騎馬を乗りあげた左内が、猛禽のような眼で見据え。

「眼のききたる剛の者は、そのような大勢の中には返さぬものよ」

 と、言い捨て味方の中に駆けこんで行った。

 後日、あの武者が伊達政宗と知らされ、嘆息して悔しがったと言う。

「さらば組内してでも首を討ち取るべきであった」

 岡左内にとって悔いののこる合戦となったのだ。

 この岡左内は奇人として知られていた。日頃から金銭を好み屋敷の座敷

には、銭が裸で積まれていると噂されれていた。

 そんな彼を人々は眉をひそめていたが、本人は一向に気にせずにいた

が、この合戦前夜に景勝に永禄銭一万貫を献じている。

 また死に臨み、日頃から同僚に貸した借用書をすべて焼き捨て、この世

を去ったといわれる。

 この松川合戦は上杉勢が優勢であった。伊達勢の首級千二百九十余を

あげたと言われている。

 伊達勢は転進して九月二十四日、須川の畔にある沼木に陣を敷いた。

 上杉勢もすかさず陣容を改め対峙した。こうして長谷堂城をめぐる戦線

は膠着状況となったが、小競り合いは連日続いていた。

 こうした時期でも、最上義光は長谷堂城への兵力増強を計っていた。

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Last updated  Nov 30, 2012 10:24:15 AM
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Nov 29, 2012
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「改定  上杉景勝」 (118)


 外には慶次に惚れた上杉家の槍の勇者と言われる四人の武者が待ち

受けていた。

 水野藤兵衛、宇佐美弥五右衛門、韮塚理右衛門、藤田森右衛門等で

あった。四人の背後には彼等の手勢が四百名ほど、篝火に照らされ待機

していた。

「夜襲とは小勢のことじゃ。同士討ちに注意いたせ」

 前田慶次が声を張り上げ、大身槍をきらめかせ本陣を駈けおりていった。

 その頃、春日勢は二百名ほどの夜襲隊に襲われ、守りを忘れて四方に

逃げ惑っていた。まるで烏合の衆である。

 大身槍を振り回す前田慶次の前に、立派な甲冑姿の武者が大刀を片手

に姿をみせた。その武将が春日元忠であった。

「春日殿、何を血迷られたか」

 前田慶次の一喝に春日元忠が安心した顔をみせ、

「これは前田殿か」

 その声を耳にした前田慶次の大身槍がやにわに光芒を放ち、敵武者が

胸を貫かれ声なく草叢に転がった。

「掛かれゃ」

「おうー」  

 四人の勇士を先頭に槍隊が武者声をあげて敵勢に襲いかかった。

 最上の夜襲隊は山頂の上杉家の本陣を目指していたが、前田勢に襲わ

れ、さんざんに討ち取られ、ほうほうの呈で落ち延びていった。

 翌朝、春日元忠は前夜の敗戦を雪(そそ)ぐべく、兵を長谷堂城の外堀に

進め、果敢な攻撃を試みたが、城の周囲に配置された櫓から銃弾を浴びせ

られ多数の死傷者を出して敗退した。

 山城守は援軍として鉄砲隊を繰り出し、春日勢を収容し睨みあいととなっ

た。上杉勢は軍議をかさね、長谷堂城の前に広がる稲田の刈り取りを命じ

た。それを見たら彼等は必ず出戦してくるであろう。

 そこを狙って殲滅する。早速、足軽や中間らが稲の穂を刈りだした。

 これに誘われるように鮭延秀綱が旗本百騎を率い打って出てきた。

 上杉勢はわざと敗れ退却したが、鮭延秀綱は山城守の刈田誘いには

乗らずに勢を返した。それを追った上杉勢が大手門一町に迫るや、伏兵の

鉄砲隊の乱射を浴びせられ、退却を強いられたのだ。

 この策は完全に鮭延秀綱の為に見破られ、上杉勢は翻弄されたのだ。

 こうして最上勢は必死の抵抗を試み、地の利を得た小城の長谷堂城を、

抜くことが出来ずに戦線は膠着した。

 もう一方の上ノ山城攻撃も、城兵の善戦の前で難戦を繰り返していた。

 こうした情勢下で山城守は関ヶ原合戦の様相を思い描いている。

(石田殿、逸ってはなりませぬぞ、今に我等が上洛いたします)

 そうした時期に伊達政宗の援軍が最上領に到着したのだ。

 奥州の梟雄、伊達政宗は上杉勢が最上領を領土とした時、上杉勢に

合戦を挑み、漁夫の利を占めようとする策略をもっての最上侵攻であった。

 彼は二万名の兵を率いて福島城攻撃の為に、飯坂に陣を敷いた。

 その翌日に政宗の武将の木幡四朗右衛門が、敵情視察として手勢百騎

を従い福島城に近づいてきた。

 福島城は城代として猛将で聞こえた本庄繁長と、あらたに召し抱えとなっ

た、蒲生家牢人の岡左内が守りを固めていた。

 左内は手勢の七十名を率い城から打って出て、敵将の小幡四朗右衛門

の首を、あっという間にあげて見せたのだ。

 この様子を見た政宗は軍勢を梁川(やながわ)城へと転進させたのだ。

 この城代は若干二十三歳の須田長義であった。彼は防戦に努め奇策で

もって伊達勢を撃退した。

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