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長編時代小説コーナ

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小説 上杉景勝

Jan 19, 2012
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カテゴリ:小説 上杉景勝
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       「改訂  上杉景勝」 (1)

        (回顧)

 上杉謙信の居城でしられた春日山城は高田平野の北部、関川岸の標高

一八〇メ-トルの丘陵地にあった。

 城郭の規模は広大で山頂には南北三六メ―トル、東西二四メ―トルの本丸

が聳え、天守閣を中心として家臣の武家屋敷、千貫門、黒金門が配置されて

いた。いわゆる春日山全体を城郭とし、東西一キロ、南北一.三キロに曲輪

を並べた全国でも稀な規模の山城である。

 周囲の尾根には砦が築かれ、そこからは高田平野、日本海が一望できる

堅固な城塞であった。

 謙信は天正六年三月一五日を関東出陣の日とさだめ、上杉軍団の武将

たち八十一名の動員名簿の作成を終えていた。

 城の周囲には各武将たちの旗指物が風に靡き、兵士らの声や軍馬の嘶き

(いななき)、甲冑のすれあう音が潮騒のようにこだましている。

 精強で鳴る越後勢三万余が春日山城を埋めつくしていたのだ。

 まさに壮観、剽悍でなる越後軍団の威容である。

 謙信はそんななかで毘沙門堂にこもり、心を無にすべく祈りをささげていた。

 護摩(ごま)の煙のこもる堂には、毘沙門天の像が憤怒(ふんど)の形相で彼を

睨み据えている。

 謙信は兄の晴景(はるかげ)から政権を奪い、春日山城を本拠とした頃から、

城内に毘沙門堂を建造し、無心の境地に至るまで堂にこもるようになった。

 毘沙門天とは須弥山(しゅみせん)の中腹北方に住み、夜叉羅刹(やしゃら

せつ)を率い北方世界を守護し、財宝を守る神と言われている。

 甲冑に身をつつみ憤怒の形相の武者姿で、片手に宝塔(ほうとう)をささげ

片手に鉾(ほこ)を持っている。

 謙信は北斗の将たらんと決意し毘沙門天をあがめてきた。

 それ故に常に陣頭に立ち、無死無欲で領土欲を捨てこれまで過ごしてきた。

 それは全て天下静謐を思う一念と悪業を憎む気象の顕れであった。

 言うなれば義を尊ぶ武将の気概を天下に示す証でもあった。

 併し、謙信は苛立ちの中に身を置いていた。四十九歳という年齢を迎えな

がら、心の平衡を失っていたのだ。

 彼は過去の忌(い)むべき思いに、心を苛(さいな)まれていたのだ。

                         続く

ついに書き始めましたが、前回の内容や筋など綿密に読み今のわたしの考えを書き加え物語を進めたいと思います。勝手ながら毎日の更新は出来ないと思いますので、ご容赦のほど。






Last updated  Jan 20, 2012 09:04:04 AM
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Apr 17, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  直江山城守と上方にいる千坂景親の、懸命な取り成しで、家康は景勝と

山城守に上洛を命じてきた。

  岡左内の警護で主従は、翌年の慶長六年に上方に旅立った。

  左内は伊達勢との松川合戦のおり、伊達政宗との一騎うちで切りさかれた、

猩々緋の羽織を金の糸で縫いあせて先乗りを務めていた。

「人生とは朝露(ちょうろ)の如くじゃな」  景勝が独語した。

「左様、人生とは儚く脆いものにござる。したが、上杉家が尚武の家であることを

お忘れになってはなりませぬ」  「そうよの」

  景勝の青味をおびた顔が柔和にみえる。二人の脳裡に御館の乱、魚津城の

苦戦、それぞれの戦い日々が過ぎっていた。全てが苦しい合戦の連続であっ

たが、景勝と兼続はそれらを乗り切ってきたのだ。

  主従は大阪城の謝罪の席に座していた、正面の上座に肥満した家康が二人

を厚い瞼ごしより眺め、傍らには枯れ木のような痩身の、本多正信が細い眼を

光らしている。

「中納言と山城守か」  家康が天下人の風格をみせ両人に声をかけた。

「はっー」  二人は臆する気配もみせずに平伏した。

「謝罪に現われるには、些か遅すぎたようじやな」

「我等には謝罪の謂れは、ございませぬ」  景勝が武骨な口調で答えた。

「ほうー、昨年の合戦では石田三成に属し我等に反抗した筈じゃ」

「滅相な、言い掛かりにございます」  山城守が景勝に代り答えた。

「山城守、わしが小山に陣を進めた折、三万余の軍勢で出迎えてくれたの」

  皮肉を口走り、家康の肉太い頬が引きつっている。

「我家は尚武の家として、義と信を家法といたしております。六万余の大軍が、

我が国境に迫れば武家の仕来りとし、合戦の用意をつかまつることは、当然

至極にございます」 山城守が白皙の顔をみせ、至極当然と返答した。

「幸いにも合戦には到らなかったの」  「僥倖にございました」

「お二人は謝罪に参られたのでありましょうが」

  本多正信が家康の傍らから、しわがれ声を発した。

「内府のお尋ねに答えたまでにござる。我等は家の存続のため恭順に罷りこ

したまでにござる」  山城守が口調を変えた。兼続の官位は従五位下である。

家康の謀臣が、何をほざくかとの意気込みをみせたのだ。

「わしが攻め寄せたら、いかがいたした?」  家康が鋭く訊ねた。

「合戦に及びました」  景勝がすかさず応じた。

「勝てるか?」  「勝っておりましょう」  「なにっー」

「我等の標的は内府お一人、総大将を討ち取れば合戦は勝利にございます」

  景勝の返答に、百戦練磨の家康の背筋に戦慄が奔りぬけた。改めて小山の

陣が思いだされる。あの情況で会津に攻め込んだら、間違いなく深田に足を

とられたように、身動き出来なかったであろう。そうなれば西軍の大勝利であった

筈である。家康は化生を見るようにな目つきで、二人を睨みみた。

  相変わらず景勝は青味をおびた顔をみせ、山城守は動ずる気配も見せず

白皙の顔を晒している。家康が瞑目し思案を重ねている。

  時が遅々として進まない緊迫したなかで、二人は凝然として腰を据えてい

る。ようやく家康が分厚い瞼を開け、景勝を見据え口をひらいた。

「中納言、わしが小山で陣を反転させた時に、追撃せなんだことを愛で、恭順を

受け入れよう。ただし、会津百二十万石は没収いたす」  「・・・・」

  二人が黙然として次ぎの言葉を待った。

「代りに、出羽米沢三十万石を与える」  家康の最後通牒である。

「有り難き仰せに存じます」  景勝が答え、平伏した。

  こうして厳しい減封を受けたが、上杉家の存続は許された。

  二人が退席すると家康が太い吐息を洩らした、正信が初めてみる姿であっ

た。「あの主従を敵に廻したら、再び戦乱が起こったであろう」と、正信に語った

と云われる。とまれ、こうして上杉家は除封(じょほう)を免れた。

「とうとう最後まで謝罪の言葉を口にしませんでしたな」

  直江山城守の声に笑いが含まれていた。

「数年後には、家康の正邪が判明いたそう、わしは、それを楽しみにしておる」

  景勝と山城守は、再び天下分け目の合戦が起こるとよんでいた。その時に

堂々の勝負を決する覚悟を秘めていたのだ。

  こうして二人は大阪城をあとにして行った。       (完)

今日をもちまして「小説 上杉景勝」完了いたしました。長いあいだ
ご愛読いただき、また、励ましのコメントを頂き、感謝いたします。途中
降板のような形で終りましたが、上杉景勝の資料が、なかなか見つかり
ません、上杉家の存続が許されたところで区切りといたしました。







Last updated  Apr 17, 2007 11:20:24 AM
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Apr 16, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  この場の有様を見つめていた直江山城守が、威儀を正し滔々弁じだした。

「意見は出尽くしたとみた、いずれも正論でござろう。この山城にも決めかねる。

お屋形のお考えを披瀝ねがい、上杉家の去就を決めていただこう」

  一座の者が、一斉に景勝を仰ぎ見た。景勝が剽悍な眼差しをみせ口を開いた。

「わしは、この場になって己の節を曲げてもよいと考えておる」

  一同の者から声にならない溜息が洩れた。

「家康づれに膝を屈するならば、死花を咲かせ見事に散ろうと考えたが、それは

わしの我が儘じゃ。恭順した場合、我家の存続を認めてくれるかどうかじゃ」

「この西軍の敗北で改易された大名家は、八十八家におよんでおる。減封は三

家ある」  山城守が代って答え、なおも言葉をつづけた。

「我家が恭順と決しても、存続を認められることは至難の業と思わずばなるまい」

  一座に重苦しい雰囲気が漂った。

「拙者は我家と常陸の佐竹殿と連携し、我が上杉家の戦法の激しさを家康に見

せつけたい」  山城守が烈しい言葉を吐いた。

「賛成にござる」  真っ先に甘糟景継が賛意を示した。

  彼は主戦派の急先鋒の武将である。景勝が例の浅黒い顔に憂愁の色を

浮かべ、暫く黙し再び口を開いた。

「山城が、長谷堂城の包囲を完了した日が九月十五日であった。その日に西軍

は、たった一日で敗北した。皆に撤兵命令をだし、わしは家康という武将の生き

ざまに思いを馳せた。少年時代に織田、今川家の人質となり義元公の戦死によ

り、三河を己のものといたし、艱難辛苦のすえに今の地位を築いた。太閤殿下

と互角の戦いをした武将は、家康以外はおらぬ。・・・・わしは合戦では家康に

敗けぬ自信はある。だが治世面では家康が数段わしより勝ると知った。よって、

わしは徳川との和平の道を模索いたす」

  景勝が沈痛な面持ちで上杉家の行く末を断じた。一同の者が声を失ってい

る、尚武の家として謙信公以来、天下に恐れられた我家が家康づれに屈服す

る。その屈辱を押さえ平伏した。

「お屋形のお考えが和平と決まれば、拙者にも考えがござる」

  直江山城守が全治全能をかたむけた考えを述べはじめた。

「下野に居られる、結城秀康殿とは昵懇の間柄。彼の仁は故太閤殿下の養子に

ござった。拙者は秀康殿を通じ家康に我家の意思を伝えて頂く考えにございま

す」  山城守が景勝はじめ、一同にむかって語り終えた。

「お忘れか、山城守さま。我等は徳川勢に対抗すべく会津の総力をあげ、兵力を

白河口に集結した事実を」  すかさず、甘糟景継が声を荒げた。

「そんなことで心配する必要はない、合戦を仕かけられ準備せぬ大名があるか。

あの時は会津防衛の処置じゃ、我等は家康が小山から軍団を反転した際も、

国境から一歩も踏みださなんだ。それは家康が誰よりも一番に承知の筈じゃ、

我家は徳川家に、一度も兵力でもって刃向ったことはない」

  直江山城守が、明快に断じた。

「山城、秀康殿と話をつめてくれえ、わしは本多正信と交渉いたす」

  景勝の言葉で山城守は、合点する思いがあった。

「あの謀臣の本多正信が、お屋形に和平を勧めると上方の千坂景親から知らせ

が参りましたな」  「そちには叶わぬ、すべてが見通しじゃな」

「お屋形、和平勧告と申しても全面降伏となりましょう。拙者は上杉家の存続を

秀康殿にお願いいたす所存にござる」  「もし、ならぬと申したら如何いたす」

「ならば、お屋形と枕を並べて討ち死にするだけにござる」

  山城守の白皙の顔が引きしまり、景勝の顔つきが和んだ。

  こうした決意を秘め、上杉家の重臣会議は和平にむけた方針の決定をみ

た。会津一帯は武装を解き、恭順の姿勢をしめし静まった。

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Last updated  Apr 16, 2007 09:21:55 AM
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Apr 14, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  水原親憲は二百名の鉄砲隊を三隊に分かち、間断のない銃弾の幕をめぐら

したのだ。つぎつぎと敵兵が銃弾の餌食となって坂道を転がり堕ちてゆく。

  敵将の最上義光も兜に弾を受けたが、大事に至らず、ほうほうの体で後方

に退いた。

「皆の者、あわてずに退け、我等には二百挺の鉄砲がある。敵が返してきたら、

撃ち放せ」  こうして水原勢も反撃しつつ撤退を開始した。

  途中で直江山城守が待ち受けていた。

「よう成し遂げた、すでに先陣の一部は街道をぬけた」

「このまま会津まで戻りますのか?」  水原親憲が硝煙でくすんだ顔で訊ねた。

「米沢城で休息いたす、急げ」  前田慶次も心配して駆けつけてきた。

「最上勢の追撃は大丈夫にござるか?」

「慶次、義光の兵力は五千名に満たぬ、もはや襲いくる余裕はあるまい」

  軍神としてあがめられた『愛宕権現』『愛染明王』からとった山城守の愛の

前立てが、きらりと輝いた。

  十月四日、上杉勢は米沢城に着いた。こうして最上領からの撤退作戦は

終りをみた。山城守は兵士等に二日間の休息を与え、国境防備を厳しくするよう

命じ、直ちに若松城に急行した。

「お屋形、ただいま戻りました」  景勝が例の顔に憂愁をおびて出迎えた。

「山城、そちの進言を聴いておれば西軍は敗れなんだ。わしは後悔しておる」

「申されますな、勝敗は兵家の常。運がなかったと諦めることです」

  景勝と直江山城守が瞳を見つめあった、二人にしか判らぬ思いがよぎった。

「山城、一緒に酒を酌んでくれるか」  「喜んでご相伴つかまつります」

  景勝と兼続、城代の大石綱元の三人が、久しぶりに酒席をともにした。

「今後の展開をどうよむ」  景勝が濃い髭跡をみせ訊ねた。

「拙者にも判別がつきませぬ、家康が天下を得たことのみが真実。だが大阪城

には秀頼公が健在におわします」

「山城、豊臣家の直轄領は六十五万石に減封されたぞ」  「誠にござるか」

  直江山城守の白皙の顔が曇った。

「馬鹿をみたのが毛利よ、三成殿は毛利輝元を担ぎだしたが、分家の吉川広家

は家康に内通し、参戦しない条件で毛利の全所領の安堵を約束させた。・・・・

それ故に南宮山の諸大名は動けなんだ、そのために家康は勝利したが、狸め

約束を反故(ほご)にいたし、改易をほのめかしたと云う。広家は輝元の赦免を

懇願し、ようやく周防、長門の二ヶ国三十万石の安堵を得たと云うは」

「まんざら、家康も馬鹿ではありませぬな」

  大石綱元が、含み笑いをし大杯を口にした。

「綱元、笑い事では済まぬ、我家はどうなる」  「これは、・・・」

「家康が上方に居る、今、一団となり江戸に乱入いたしますか?」

「山城、そちは本気か?」  景勝が驚いた顔をみせた。

「我家は義と信をもってたつ家、お屋形の下知なれば全員討ち死にの覚悟で

合戦におよびまする」  「うーん」  景勝が唸り大杯をあおった。

「いずれにせよ、近々のうちに狸爺から恭順か合戦かの使いがござろう」

「わしは、奴だけには膝を屈する屈辱を味わいたくはない」

「ならば一家全滅を覚悟いたし、奴の非を天下に示す合戦を為されよ」

「わしの意地のみで家臣等を殺すことは出来ぬ、そこが苦しい」

  景勝が苦しそうに胸中を語った。山城守が笑い声をあげた。

「山城、何が可笑しい」  景勝の浅黒い顔に怒気が刻まれている。

  山城守が杯で唇を濡らし顔を引き締めた。綱元がその様をみつめている。

「拙者は、とうにお屋形に命は預けておりますが、ここは重臣、諸将等の意見も

聞かずば成りますまい」  「・・・・」  景勝は無言のままでいる。

「一同が合戦を望まぬとしたら、お屋形はいかが為される。家康に膝を屈します

るか」  景勝が山城守の白皙の顔をみつめた。胸中には無念と怒りが渦巻い

ているが、それを飲み込んで命を下した。

「綱元、直ちに三十三の城代と全ての重臣、諸将をこの若松に参集させよ」

「はっー」  大石綱元が厳つい顔をして部屋をあとにした。

  十月二十日、若松城で会議がひらかれた。今後の方針について激論が交わ

された。降伏止むなしの派と合戦に及ぶべきと唱える派が対立し、容易に意見

の統一ができず、虚しい議論が続出していた。

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Last updated  Apr 14, 2007 09:16:21 AM
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Apr 13, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  翌朝、上杉勢の陣は整然と静まりかえっている。旗指物、幟、旌旗が風を

うけ翻り、先陣には鉄砲隊が粛然とし前方をみつめ折り敷いている。

  本陣には直江山城守の、鳥を形どった旗印がたてられ、最上勢を圧倒する

気配をみせている。

  一方の最上義光は、夜半のうちに山形城の兵を引き連れ長谷堂城に入城を

果たしていた。西軍が関ヶ原で敗れたことを知った、義光は攻勢に転ずる機会

と捉えていたのだ。

  東軍勝利の報告で勢いづいた最上勢が攻撃に移った。銃声が轟き兵馬が

上杉勢の先陣を目指し押し寄せてきた。

  直江山城守の戦術は巧緻を極めていた、今日の合戦を想定し、馬防柵を

めぐらし、各部隊から引き抜いた鉄砲隊一千名を前衛に配置していた。

  最上勢が報復の勢いで攻め寄せてくる。上杉の本陣から法螺貝が鳴り響い

た。 「放てー」  組頭の命で一斉掃射を浴びせた。戦場に銃声が沸騰し白煙

があたりを覆いつくした。阿鼻叫喚の悲鳴と怒号のなか最上勢が、たちまち総崩

れとなり退却している。両軍が膠着状態となり、睨みあいとなった。

  九月末の季節は日暮れが早い、夜の訪れとともに上杉勢の陣営は、真昼の

ように篝火が焚かれ、哨戒の兵の槍が不気味な輝きをみせている。

  そうした中、部隊がぞくそくと陣営を離れ撤退している。

  翌日の十月一日、陣屋に火を放ち上杉勢が撤退を開始した。進撃よりも

撤退が困難であることは、云うまでもない。まして最上領と米沢のあいだは重畳

した連山が連なり、天嶮(てんけん)をなしている。

  上杉軍団は狭隘な険路をもみ合うようにして撤退している。

  最上義光は、直江山城守に支城を陥とされ、士卒、三千余の損害をだしてい

る。一挙に、その怒りを晴らさんと猛追に転じた。

  山城守はこれを予期し、色部光長に街道の補修を命じていた。

  またいたる所に、水原親憲と前田慶次の兵を埋伏させていた。

「よいか、街道の半ばまでの辛抱じゃ。そこには水原、前田の勢が潜んでおる」

山城守は全軍を叱咤し、時には猛烈な逆襲をみせ、且つ退く作戦で見事な退却

戦を演じてみせた。

  一方の最上義光も、先陣を駆け六尺の愛用の鉄棒を振り回し追撃し、上杉

勢の殿軍を一気呵成に破っている。

  昨日の色部光長のお蔭で撤退は思いのほかにはかどっているが、これは

最上勢にも効果を発揮していた。狭隘険路な街道を執拗に食い下がってくる。

  前方の坂道に、甲冑に身をかため小脇に自慢の大身槍を抱え騎馬の

前田慶次が姿をあらわした。

「ここからは我等が殿軍を受け賜ります」  見ると上杉家の朱槍の勇士と知られ

る、水野藤兵衛、韮塚理右衛門、宇佐見弥五右衛門、藤田森右衛門の四人の

姿もある。いずれも不敵な面魂をみせ朱槍を抱えている。 「水原親憲は?」

「鉄砲隊二百名を率い、伏兵として控えております」

「慶次、奮戦を期待する」  山城守が騎馬をあおり急坂を駆け上っていった。

  敵の先陣と前田勢が鼻先を突きあわせる格好となった。

「わしが、前田慶次じゃ。見事に通りぬけるか」

  凄まじい大声を発した前田慶次が、自慢の大身槍を旋回させ、最上勢の

なかに割って入った。負けずと四人の勇士も朱槍を抱え続いた。

  血煙をあげ敵兵が坂を転がり落ちる。「わーっ」と喚声をあげた前田勢の

兵が猛烈なる攻撃をみせ、敵勢を圧倒している。

  突然の伏兵の出現で最上勢が一町(約百メートル)ほど後退した。

「皆の者、引くのじゃ」  見逃さず前田慶次が命じ、己も血塗れの姿で坂道を

駆け上がり、全軍一団となって退却をはじめた。

  四人の朱槍の勇士のみが踏みとどまり、最上勢の進撃を阻止している。

「四人とも坂道に伏せよ」  突然に水原親憲の塩辛声が響いた。

「伏せるのじゃ」  四人が騎馬から転がるようにして、坂道に躯を伏せた。

「ゴオー」  兜の頭上を震わせ銃弾が最上勢に降り注いだ。

「伏兵じゃ」  敵兵の顔面が蒼白となった。狭隘な坂道を密集して攻めのぼって

来たために後方に退けない。

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Last updated  Apr 13, 2007 09:09:10 AM
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Apr 12, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  矢張り、わしの考えが甘かった。山城の進言どうり家康が小山から反転する

時に、総力をあげて追撃するべきであった。

  景勝は青味をおびた剽悍な眼差しで、遥か先の美濃につづく地平線を見つ

め後悔の念に浸っていた。

  これで我が上杉家は孤軍となった。天下に名を轟かした武勇精強でなる、

不識庵公以来の武者魂を家康に示すために、一同そろって江戸に乱入いたす

か。じゃが、もう遅い。そんな思いを抱き悄然と自室に籠もった。

  彼はひたすら大杯を呷って思案にくれている。最上から兵を引き家康に恭順

するか、だが、死を命ぜられたら、何のための恭順か分らぬ。

  関ヶ原の合戦で家康は天下をほぼ手中とした。それもあの豊臣恩顧の阿呆

な猪武者の力が大であった。

  彼等が崇拝する秀頼公は、大阪城で健やかに成長なされておる。家康が

豊臣家から天下を継承するには、大阪城を攻略せねばならない。その時期がく

るまで家康に膝を屈し、奴が牙を剥き出し大阪城を攻めはじめたら、豊臣家の

お味方として大阪城に入城し、この度の屈辱を晴らすか。

  景勝の思考はちじに乱れていた。彼は城代の大石綱元を呼び出した。

「お呼びにございますか?」  綱元が厳つい顔をあわした。

「上方の合戦は西軍の敗北に終った」  景勝が無念の形相で告げた。

「何とー、石田三成さまが敗れましたか」  大石綱元が唖然としている。

「矢張り、石田治部少輔殿には荷が重かったよぅじや」

  景勝の脳裡を往年の石田三成の顔がよぎった、あの性格じゃ。西軍の武将

連を掌握仕切れなかったのじゃ、今になって判った。

「あの剃刀のような武将でも、内府には叶いませでしたか?」

「今更、言うても詮なきことじゃ。我が上杉は孤軍となった、このうえは山城に

撤兵命令をださずばなるまい」

「左様にございますが、西軍の敗戦は何時にございました」

「皮肉なものじゃ、山城が長谷堂城を包囲した九月十五日であった」

「たった一日でけりがつきましたのか?」  綱元が愕然とした顔をした。

「家康の利に調略された結果じゃ、大阪の千坂景親からの報告で察しがつく」

  景勝が青味をおびた顔で呟き、大石綱元に命令を伝えた。

「わしの書状を山城のもとに届けよ、速やかに撤退させるのじゃ」

「はっ、すぐに人選をつかまつります」

  若松城から、伝令の将が直江山城守の滞陣する長谷堂城にむかったのは、

九月二十九日の早朝であった。

  最上義光と伊達政宗には、この日に家康から東軍勝利の知らせが届いてい

たが、山城守は知らず、明日に陣変えをして決戦場を移す軍議を開いていた。

  その日に景勝からの撤兵命令を受け取った。

  山城守も暫し茫然とした。島左近とともに三成の壮大な戦略と味方の大軍を

知らされ、必勝の信念を胸に秘めていたのだ。

  だからこそ、家康が小山から軍勢を反転する際、景勝の意見を尊重し追撃を

諦め、この最上領に進攻してきたのだ。  「早々と敗れたか」

  関ヶ原合戦の敗北からもう、一ヶ月余りも経ている。山城守の決断は早い。

彼は諸将を招集し、西軍の敗戦を伝え撤兵命令をくだした。

「色部光長、そちは足軽二千を引き連れ狐越街道に急行いたせ」

「はっ、して任務は?」

「既にこの知らせは最上と伊達には届いておろう、わしは明日まで攻撃の気配を

示し、滞陣いたし両勢の反撃を許さぬつもりじゃ。狐越街道は狭隘険路、我が

大軍が素早く撤退できるよう、道路の拡張と補強を行い先鋒隊として会津に帰国

いたせ」  色部光長が意図を感じ取り、素早く軍議の場から消えた。

「水原親憲に前田慶次」  「はっ」  「そち等も隠密に先発いたせ」

「我等も帰国にござるか?」  両人が不満そうな顔をした。

「我等が撤退したと知ったら、最上勢の追撃はずいぶんと烈しいものになろう。

そち達は険路な場所に伏兵の策をなし、本隊の援護を頼む」

「殿軍にござるか」  「そうじゃ、本隊が狐越街道に入ったら両勢が殿軍となる」

「心得申した」  二人の猛将が甲冑の音を響かせ本陣から去った。

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Last updated  Apr 12, 2007 10:08:56 AM
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Apr 11, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
「敵じゃ」  最上勢が一斉に丘にむかって身構えた。

「味方が来るまで敵を引きつけるのじゃ、我等三人での」

  泰綱の言葉に二人の部下が声を失った、眼下には百五十名もの敵勢がい

る。上泉泰綱は、なんとしても敵の増援部隊を城に入れずに阻止したかった。

そのうちに我が軍の救援が来る。泰綱が馬腹を蹴った。騎馬が狂ったように

敵勢にむかって駆けた。

「上杉が先鋒大将の上泉泰綱なり、いざ見参」

「小癪な、一騎で襲ってくるとはいさぎよい」

  敵の騎馬武者が数十騎ほど馳せ向かってくる。残りの敵勢は足を早め城に

向かってゆく。泰綱が馬上で愛用の大刀を抜き放った、どっと敵の騎馬武者と

激突した。先頭の武者とすれ違いざま顔面を薙いだ、悲鳴とともに落馬した。

敵の騎馬武者が怒りの形相で手槍を繰りだすが、泰綱は軽々と躱し、的確に

一人又一人と斬り伏せている。流石は一刀流の達人である。

  馬がいななき、土埃が立ちこめ凄惨な戦いとなっている。

「強かじゃ、気をつけよ」  敵の騎馬武者があいだを取っている。

  見守る二人は怖気づき蒼白となり、戦いに加わる気配をみせない。

  血ぶるいした泰綱が再び突撃し、二人の敵を血祭りとした。

「汝等、なぜ加わらぬ」  怒りの声で非難した泰綱の背に手槍が突き刺さった。

ふり向きざまに一刀で斬り伏せた泰綱に、銃撃が加えられ。馬がさおだちとな

り、どっと落馬した。 「あっー」  見つめる二人が悲鳴をあげた。

  泰綱が素早く起き上がり大刀を振り上げた時に、猛射を浴びせられた。

  兜が転がり、泰綱の躯が後方に吹き飛んだが、彼は刀を杖として仁王立ちと

なった。敵の騎馬武者が猛然と駆け寄り、手槍が襲いかかった。

  緩慢な動作で大刀が煌き、一人の武者の首が宙に舞った。それが最後であ

った。手槍を胸にうけた泰綱の体躯が、地面に転がった。

「首を討て」  敵の生き残り武者がどっと駆け寄っている。

「おうー」   悲鳴のような声をあげ、二人の部下が騎馬で馳せ下った。

  怒号と馬蹄の音が乱れとび、必死で二人が防戦している。

「わーっ」  丘に喚声が沸き味方の兵が猛然と駆け下ってくる。ようやく間に合っ

たが、上泉泰綱は既に呼吸を止めていた。壮烈なる最後であった。

  血塗れの二人が茫然としている、前田慶次が騎馬で近づき、無言で非難の

眼を浴びせ、上泉泰綱の躯を抱えあげている。

  二人の部下の眼に後悔の色が刷かれている、怯懦の振る舞いを恥じている

のだ。「ご免ー」  二人が同時に大刀を逆手として己の頚動脈を断ち切った。

  上泉主水泰綱の戦死は、上杉の将兵に深い悲しみを残した。

  山城守にこの知らせがもたらされた。  「戦死いたしたか」

  この合戦を甘く見すぎていた、その思いが山城守の胸を締め付ける。

思いもせぬ損害をだし、未だに長谷堂城も上ノ山城も陥とせずにいる。このまで

は関ヶ原に出馬することは夢に終る。

  我が上杉家の精兵三万名をもってしたも、たかだか一万に満たない最上勢を

壊滅できないとは。上方の様子が気にかかるが一切の情報が途切れている。

(治部少輔殿、合戦を引き伸ばして下されよ)

  直江山城守は仏にすがる思いで本陣に腰を据えていた。

         (朝の露)

  慶長五年九月二十八日である。景勝は天守閣より南方を展望している。

  鈍色(にびいろ)の空が地平線の果てまで広がっている。景勝は、つい先刻、

関ヶ原合戦の東軍勝利の知らせを受け取ったのだ。

  西軍に加担した諸大名の大軍と、石田三成の描いた壮大な戦略が、開戦一

日で破れさるとは、到底、信じられないのだ。負けるいわれのない合戦の筈であ 

った。 「何故じゃ」  景勝が独語した。

  しかし情報によれば、西軍の影の総帥の石田三成や、西軍最大の野戦軍団

を率いた宇喜多秀家、小西行長も捕縛されたという。景勝のもとにつぎつぎと

関ヶ原の情報がもたらされる。直接の敗戦の原因は、豊臣連枝の小早川秀秋

の一万六千の裏切りと知った。さらに南宮山に布陣した、毛利秀元、吉川広家、

長曾我部盛親、安国寺恵瓊、長束正家等の諸隊は、最後まで合戦に参加せ

ず、傍観していた事実も知った。

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Last updated  Apr 11, 2007 11:15:53 AM
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Apr 10, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  最上勢は必死の抵抗をこころみていた。地の利をえた小城の長谷堂城を、

上杉勢はなかなか抜くことが出来ず、戦線は膠着情況に堕ちいっていた。

  上ノ山城攻略も、最上勢の善戦のまえで難戦を繰り返している。

  そうした形勢をみた伊達政宗が二万の大軍を率い、福島城攻撃を策し、

飯坂に陣を敷いた。その翌日、伊達勢の武将木幡四郎右衛門が、敵情視察とし

て手勢百騎を従え、福島城の近辺に姿を現した。

  福島城には城代の本庄繁長と、あらたに召抱えられた蒲生家浪人の岡左内

が護りを固めていた。左内は七十名の兵を率い城から打って出て乱戦のすえに

敵将の小幡四郎右衛門の首級をあげる働きをみせた。

  それを見た歴戦の政宗は勢を梁川城へと転進させた。ここの城代は弱冠

二十二歳の須田長義であった。彼は防戦につとめ、奇策でもって伊達勢を撃退

してみせた。上杉勢の将のなかでも将才をもった若武者であった。

  山城守は水原親憲と甘糟景継に、六千名の兵を授け援軍として派遣した。

これに勇気百倍した者が、岡左内であった。

  彼は黒具足に猩々緋(しょうじょうひ)の陣羽織に南蛮兜で、松川(福島より

一里)の陣中にいたが、配下を率い先駆けし伊達勢に迫った。

  政宗は小勢の岡隊をみて降参と考え、岡左内に使者を遣わし訊ねさせた。

「降参の者か?」  左内は黒の駿馬に跨り、凄味をおびた笑みを浮かべた。

「さにあらず、合戦つかまつるなり」 と叫び一団となり突撃した。

  これに伊達勢は先鋒の大軍をむけ、乱戦となった。

  左内は手勢の半数を討ち取られ、自らも満身創痍となり退却をはじめた。

それを見た政宗は騎馬を乗りつけ、斬りかかった。左内は陣羽織と具足の胴を

割られたが、すかさず血濡れた太刀で片手拝みとし、政宗の兜の目庇から膝

頭まで斬り返し、ひるむ政宗の大刀を薙ぎ折り、後も見ずに川を渡って引きあげ

た。「逃げるとは卑怯、とって返し勝負せよ」

  政宗が面頬の中から叫んだ。水飛沫をあげ対岸に馬を乗り上げた左内は、

「眼の利きたる剛の者は、そのような大勢の中には返さぬものよ」 と、云いすて

味方の中に駆け込んだ。あとで、あの武者が伊達政宗と聞いた左内は、「さらば

組打ちしても、首を討ち取るべきであった」 と長嘆息をしたと云う。

  これは戦国武者の荒々しい一事を物語るものであった。戦後、政宗は三万石

で左内を召抱えようとしたが、左内は旧主の好み、忘れがたし」と断っている。

  この岡左内は奇士であった、日頃から金銭を好み、屋敷の座敷に銭が裸で

積まれていたという。人々は眉をひそめていたが、本人は一向に気にせずにい

たが、この合戦の前に景勝に永禄銭一万貫を寄進している。また死にのぞみ、

同僚に貸した借用書をすべて焼き尽くし、この世を去ったという。

  この松川合戦は上杉勢が優勢であった、伊達方の首級を千二百九十余もあ

げたと言われている。

  伊達勢は転進し、九月二十四日、須川のほとりの沼木で陣を敷いた。

  山城守も、すかさず陣容をあらため対峙した。こうして長谷堂城をめぐる

戦線は膠着状態となったが、この情況でも小競り合いが連日つづいていた。

  これを好機と捉えた最上義光は、長谷堂城への兵力増強を計っていた。

  上杉の先鋒大将の上泉泰綱は、三名の騎馬武者を伴い周辺を巡視してい

た。すでにこの山形一帯は冬の気配をみせはじめている。

  長谷堂城には旗指物が風にあおられ、依然として健在である。

「御大将、馬蹄の音が聞こえます」  四人は馬をとどめ耳をそばだてている。

確かに馬蹄の音と甲冑の擦れ合う音が聞こえる、四人が小高い丘に身をひそめ

た。眼下を騎馬武者が五十騎と、百名ほどの足軽が城に向かっている。

「山形城からの増援部隊じゃ、お主は我が陣にもどり兵を率いて参れ。わしは

物見をいたす」  泰綱の下知で一騎が足音をひそめ陣中にもどって行った。
  
  敵勢の先頭には大兵の武者が馬を急がせている、なかなかの強者としれる。

  泰綱が引き締った横顔をみせ様子を探っていたが、おもむろに命じた。

「弓矢を貸せ」  暫くみつめた上泉泰綱が弦を引き絞った。

「御大将、無茶にござる」  「無茶は承知じゃ」

  矢が弦を離れ、先頭の武者の首筋に命中した、悲鳴もあけずに落馬した。

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Last updated  Apr 10, 2007 09:15:17 AM
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Apr 9, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  この緒戦で上杉勢は五百名の首級をえた。山城守は手をゆるめることなく

山野辺、谷内、白岩の各支城を抜き、救援の最上勢を蹴散らした。

  この上杉勢の猛攻をみた八ッ森、鳥屋森なぞの周辺の城将たちは、戦闘を

放棄して逃げ散った。上杉勢の損害は百名をくだるものであった。

  残るは最上家の本城、山形城と支城の長谷堂城(はせどうじょう)、上ノ山城

の三城である。

  最上義光は、この窮状を建て直さんと伊達政宗に救援を要請した。政宗は

叔父の留守正景を名代とし、騎馬武者二百名と足軽七百名を派遣するにとどま

つた。直江山城守は、鮭延秀綱(されのべひでつな)の護る長谷堂城を攻略目標

として城に迫り、瞬く間に包囲した。時は慶長五年の九月十五日であった。

  最上義光はこの知らせを受け愕然とした。万一、長谷堂城が落ちたら、

上杉勢の大軍は本城の山形城に攻め寄せてくるであろう。そうなれば最上は

終りだ、彼は山形城から加勢の軍勢を差し向けた。

  こうして東北の関ヶ原と呼ばれる、長谷堂城の攻防戦が幕をきった。

  山城守は軍勢を二手に分け、一軍には上ノ山城の攻略を命じ、自身は

長谷堂城から十一町(約一・二キロ)の菅沢山に本陣を構え、山裾には万全を

きして春日元忠勢を配し、備えを固めた。

  一方、最上義光は必死である、もう後のない合戦である。彼は山形城より

夜襲を命じ、長谷堂城から二百名の決死隊が、ひそかに春日勢に接近してい

た。夜の帳が菅沢山を覆いつくし、大篝火が焚かれ真昼のようである。

  直江山城守は本陣で戦略を練っている。傍らには上泉泰綱、前田慶次、

猛将でなる水原親憲等が控えていた。

「山城守さま、上ノ山城もしぶとく粘っておりますな」

  前田慶次が、野太い声を発した。

「志駄義秀と色部光長に包囲を命じてある、この合戦の要は長谷堂城じゃ。

これを攻略すれば、山形城はすぐに陥ちる」

「したが、最上義光は古豪にござるな」  水原親憲が感心している。

「皆に申し渡す、我等は一時も早くこの合戦を終らせねばならぬ。最上勢に

立ち直るすきを与えてはならぬ」

「そうでございますな、我等は総力をあげて中原に軍団を進めばなりませぬな」

  前田慶次利大が不敵な顔つきをみせた。

「夜襲じゃ」  突然に山裾のほうから味方の声があがった。

  一座の将が立ち上がるなか、 「春日元忠、眠っておったか」

  山城守が落ち着いた声を発し腰を据えている、喚声と怒号が烈しくなった。

「拙者が参る」  前田慶次が甲冑の音を響かせ、朱槍を抱え本陣から辞した。

外には慶次を師事する、上杉家の槍の勇士と云われた四人が待ちうけていた。

水野藤兵衛、宇佐見弥五衛門、韮塚理右衛門、藤田森右衛門等である。彼等

の手勢の槍隊四百名が、篝火の脇に待機していた。

「夜襲とは小勢じゃ。同士討ちに用心いたせ」  前田慶次が大身槍を抱え本陣

を駆け下っていった。

  その頃、春日勢は二百名ほどの夜襲隊に襲われ、山頂にむかって逃げ惑っ

ている、まるで烏合の衆であ。  「元忠殿、血迷ったか」 「これは、前田殿」

  やはわに慶次の自慢の朱槍が光芒を放ち、斬りこもうした敵の武者が深々と

胸を貫かれ、具足の音をたて転がった。

「かかれやー」  前田慶次の声に応じ、槍隊が武者声をあげて山を駆け下る。

  最上の夜襲隊は、山頂の上杉の本陣を目指していたが、前田勢に討ち果た

され、ほうほうの体で落ちのびた。

  翌朝、春日元忠は敗戦をそそぐべく、兵を長谷堂城の外濠に進め、果敢な

攻撃を試みたが、城の四方の櫓から銃撃を浴びせられ、甚大な損害をだし敗退

した。山城守は援軍の鉄砲隊を繰り出し、春日勢を収容し睨みあいとなった。

  山城守は軍議をかさね、長谷堂城の目前に広がる稲田の刈りとりを命じた。

彼等はそれを見たら必ず出戦してくるであろう、そこを狙って殲滅する。

  誘われるように、鮭延秀綱が旗本百騎を従い討ってでた。上杉勢はわざと

破れ退却した。この山城守の刈田誘いを読み、鮭延秀綱は勢を返した。

  それを追った上杉勢が大手門一町ほど追いすがると、突然、伏兵の鉄砲隊

に銃撃を浴び、上杉勢は退却を強いられた。完全に最上勢に翻弄された。

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Last updated  Apr 9, 2007 08:53:43 AM
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Apr 7, 2007
カテゴリ:小説 上杉景勝
  この戦勝報告をうけた家康は躍りあがった。  「やったかー」

彼はこれを待っていたのだ。猪武者の福島正則が、とうとう策にのったのだ。

  中納言秀忠は、すでに八月二十四日に宇都宮に出立している、総勢三万八

千名の大軍団である。軍監として本多正信に榊原康政が従っていた。

  この徳川第二軍団は信州をぬけ、関ヶ原にむかう手筈となっていた。

  九月一日、家康がようやく重い腰をあげた。彼は甲冑を用いず平服のままで

東海道を西上した、本隊、三万二千の大部隊である。

  家康動く、この知らせは翌日に会津にもたらされた。同時に岐阜での西軍の

敗戦の知らせも届いていた。それに呼応するかのように最上義光が動いた。

  彼は秋田実季(さねすえ)と組んで、上杉領の酒田城攻撃の動きをみせたの

だ。最上の領土は上杉百二十万石に対し、三十万石にも満たないものであった

が、家康の後ろ盾と伊達政宗の合力を当てにして立ち上がったのだ。

  義光は庄内を己の領土としたい野心があり、上杉は会津、庄内、佐渡と領土

が分かれ、合戦となると不利な情況であった。そのために最上領の占拠を画策

していたのだ。酒田城主は志駄義秀で三千の兵力で守りを固めていた。

  兼続に最上領進攻の命が景勝からもたらされた。

  九月九日、直江山城守は三万の精鋭を率い、米沢城から出馬した。めざす

は最上勢の最前線にあたる畑谷城(はたやじょう)である。

  先鋒三千の将、色部光長をはじめとして春日元忠、水原親憲(ちかのり)、

上泉泰綱、前田慶次等の猛将が加わっている。

  上杉勢の進攻を知るや、最上義光は主城の山形城に兵を引いた。そのため

に庄内の酒田城から、志駄義秀が三千の兵を率い軍団に加わってきた。

  直江山城守は『愛』の前立の兜に薄浅葱糸威最上具足を用い、鹿毛の駿馬

に騎乗している。畑谷城の侵入経路は二街道あるが、山城守は狭隘で険路な

狐越街道をえらび大軍を進めた。これには山城守の深慮遠謀が働いていた。

  最上勢は大軍が通過するに適した中山街道から、上杉勢が押し寄せると考

え、街道に伏兵を忍ばせていたが、見事にその策の裏をかかれたのだ。

  九月十二日、畑谷城の将兵は仰天した。三万余の上杉勢の大軍が突如とし

て城を包囲したのだ。幟(のぼり)、旌旗(せいき)、指物が風に靡き壮観な眺め

である。ここに東北の関ヶ原と呼ばれる合戦が火蓋をきったのだ。

  山城守は降伏の使者を遣わしたが、守将の江口五郎兵衛が大手門に姿を

現し、「戦わずに降伏するは、武士の作法にあらず」と、これを一蹴した。

「小気味よし」  山城守の白皙の面上が紅潮した。

  本陣から母衣(ほろ)武者が背の袋を風に膨らませ、先鋒の色部光長の陣に

駆けつけた。山城守の攻撃の下知であった。

  粛々と毘の指物を靡かせ、色部勢が動きだした。鉄砲隊を先頭として長柄

槍隊が後続して大手門に迫っている。

  山城守が兜の目庇(まびさし)ごしより鋭く敵城をみつめ采をふった。

  勁烈(けいれつ)な法螺貝の音が響き、兵士等の喚声が沸きあがった。

  城の前面は水をたたえた濠が横たわり、その奥に大手門がある。

  敵兵が銃眼より筒先をつきだしているのが望見できる。色部勢の鉄砲足軽

が濠の前に折り伏している。

「放てー」  組頭が立ち上がり下知を与えた。凄まじい銃声が轟き白煙が前面

を覆いつくしている。城内からも銃撃がはじまり、身を隠す場所のない色部勢が

押されている。  「いかん」  山城守が後退を示唆した。

  退き鉦が打たれ、味方の色部勢が散々に撃ちしろめられ後退してきた。

  山城守は戦法を変え、城の後方に位置する金森山に鉄砲足軽を配し、銃撃

戦に切り替えた。この攻撃で畑谷城は甚大な損害をだした。

  守将の江口五郎兵衛は、今はこれまでと猛烈な突撃を敢行した。

  上杉本陣から炯々と法螺貝が響き、上泉泰綱が五百名の部隊を率い猛攻を

かけた。この攻撃は凄まじいもので、泰綱は敵と接触するや騎乗から三名の兜

武者を、瞬く間に血祭りにあげた。

  この上杉勢の突撃で、江口五郎兵衛は壮烈な討ち死にを遂げた。

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Last updated  Apr 7, 2007 09:18:12 AM
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