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長編時代小説コーナ

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伊庭求馬孤影剣

May 15, 2008
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カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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 求馬、この地で斃れるか?

「加地三右衛門、ここがお主の墓所となるか」

 求馬の乾いた声を浴びた、加地三右衛門が不敵な笑みを浮かべた。

「その言葉、そっくり返してやろう」  求馬の脳裡に不審な念がよぎった。

 今の境地に立った、加地の言葉とは思えなかったのだ。

 加地三右衛門が細い目蓋の奥から、眼を光らせ懐中から右手を抜き出した。

鈍く光沢を放つ短銃が握られていた。

「卑怯ー」  「喚(わめ)け、動けば遠慮のう引き金を引く」

 見守っている、お蘭が蒼白となった。

「走狗(そうく)の犬、加地三右衛門。遠慮のう引き金を引くことじゃ」

 求馬が村正を垂らし、うっそりと佇みながら嘯いた。

「やい、加地三右衛門、侍なら侍らしくしなさいよ」 

「ほう、色っぽい姐さんじゃな、伊庭を始末して可愛がってやろう」

「馬鹿を云うんじゃないよ、これでも江戸子だよ。旦那になにかあったら舌を

噛み切って果てるまでさ」  お蘭が蒼白な顔色で必死に啖呵を切った。

「威勢のよい女子じゃ、伊庭ともども冥途に送ってつかわす」

 加地三右衛門の細い眼に残酷な色が刷かれた。

 瞬間、求馬の痩躯が宙に跳ね上がった。短銃の銃声が響き、求馬の躯が

わずかに静止をみせたが、加地三右衛門の頭上を猛禽のごとく飛び越え、

村正が鋭く青白い光芒を放った。

「ぎやっー」  獣のような声をあげた加地三右衛門が熊笹の中に転がった。

 短銃を握った右手が肩口から両断され、宙に跳ね上がっていた。
 
 求馬が跳躍し一瞬の隙をついて、村正で加地の右肩を薙ぎ斬ったの

だ。着地するや痩身を加地三右衛門に向け、村正の切っ先が咽喉をかき切っ

た。血が噴き上がり、断末魔の声をあげる事も叶わず、加地三右衛門が

もんどりうってのけ反った。

 求馬はその傍らに村正を杖として立ち上がっていた。

「旦那っ」  お蘭が転がるように駆けよってきた。

「お蘭」  二、三歩、お蘭にそばに歩みより求馬が地面に膝をついた。

「お怪我ですか」  駆けよったお蘭が求馬の躯を抱え起こした。

「奴の弾を食らった」  見ると左胸に銃弾の跡があり、鮮血で濡れている。

「確りして下さいな」  「そこの岩にもたせかけてくれえ、そして火を熾せ」

「はいな」  求馬は躯を岩にもたせかけ、乱暴に柳行李を開けた。

「旦那、火が熾りましたよ」  「小柄の切っ先を焼くのじゃ」

 求馬は、その間に三尺手拭を傷口に当て出血を止めている。

「小柄の先は赤く焼けたか?」  「はいな」  「着物を脱がせてくれ」

「弾を取り出す、取り出したら印籠の薬を傷口を埋めるように塗ってくれ」

「はい」  お蘭が蒼白な顔色をみせながら気丈に振舞っている。

 求馬が真っ赤に焼けた小柄を突き刺した、肉の焦げる異臭が漂い、お蘭が眼

を瞑った。求馬の額に脂汗が滲みだし、頬を伝って滴り落ちている。

 お蘭が手拭で懸命に拭いている。求馬が苦痛を堪え傷口から弾を取り出し

た。「頼む」  求馬が苦しげに岩に躯をもたせかけた、お蘭が血が噴出す傷

口に印籠の薬を塗り込んだ。  「出来ましたよ」

「傷口に手拭を当て出血を止めるのじゃ、その上から油紙を当ててくれ」

 失血の所為で求馬の顔が青白く見える。

「終ったら、三尺手拭を躯に巻きつけるのじゃ」  「こうですか?」

「もっときつく縛りあげよ」  「はい」  お蘭が治療を終え着物を着せかけた。

「良く遣ってくれた」  「大丈夫ですか」

「わしは死なぬ、そのうちに猪の吉がもどってこよう」

 ずるっと求馬の躯が岩から滑った、すかさずお蘭が抱きとめ膝に頭を乗せ、

道行き衣で求馬の痩身を覆った。お蘭には求馬の衰弱する様子が手にとるよう

に判る。 「確りなすってくださいな」 「そちに助けられたのは二度目じゃな」

 薄っすらと求馬が頬を崩した。  

「雲が綺麗じゃ」  擦れ声で空を見入っている。

(猪さん、早くもどっておくれよ)  お蘭が祈る思いで猪の吉の帰りを待った。

 益々、求馬の容態が悪化している。

「お蘭、わしは疲れた。・・・・暫く眠る」  求馬が眼を閉じた。

「旦那っ」  お蘭の問いに求馬の返答はなかった。

 信濃の空が青く輝きだす午後であった。          「完}

本日をもって血風甲州路は完了いたしました。皆様のお蔭で歴史部門

は1位となり、小説ブログランキングは4492の中で3位となりました。

 これも皆様の応援の賜物と深甚なる謝意を表します。

 今回で筆を置きますが、次ぎの作品もよろしくお願いいたします。

 有難うございました。


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Last updated  May 15, 2008 12:03:49 PM
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May 14, 2008
カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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 この小説は明日をもって終了いたします、最後まで応援いただき感謝いたします。

 求馬が躯を反転させ、踏み込みざまに村正を打ち下ろした。青白い刃紋の

輝きが帯を引き、ずんーっ、と肉を絶つ感触を掌に感じ、更に前面の標的に

肉薄した。恐怖に顔を引きつらせた対手が上段に大刀を構えた。

 求馬が素早く反応し片膝を地面に付け、村正が唸りをしょうじ水平に奔りぬけ

た。まさに紙一重の差である、上段からの大刀と水平に奔りぬける村正が宙で

交差した。お蘭が蒼白となり目を閉じた。苦痛の呻き声が洩れ、目を見開いた

時、対手の浪人が仰向けに血飛沫をあげ、斃れ臥すのを目撃した。

「お蘭、案ずるな」  求馬が余裕の声を懸け、眼を転じた。

 加地三右衛門が、頭分とお覚しき浪人を引き連れ、木立の間を逃走する

姿が見えた。

「卑怯な」  求馬の痩身が二人に追いすがった。それを見た残りの五名が、

それぞれの得意の構えで殺到してきた。

「お主達、あたら命を粗末にいたすな」  「ほざくな」

 五名が問答無用と大刀を輝かせ、猛然と迫ってきた。その瞬間、求馬の

痩身が群に飛び込んできた、村正が縦横に白い光芒を放ち苦悶の声と鋼の

ぶちわたる音が響いた。流石は元公儀隠密として名を馳せた腕前である。

 瞬く間に三人が虚空を仰ぎ血飛沫をあげた。

「いかに」  求馬が凛とした声をあげ血塗れた村正を正眼とした。

 残った二人の浪人が血眼で構えを建て直し、一気呵成の攻撃をしかけた。

 一人の大刀を峰で弾き返し、突きこんでくる切っ先を躱しざま抜きつけの

一閃を対手に送りつけた。村正が脳天を真っ二つに両断した。

「くそっ」  恐怖で顔を歪めた浪人の必殺の攻撃を躱しもせず、下段より

村正の切っ先が跳ね上がった。一瞬はやく対手の喉首を刎ね斬った。

 それは凄まじいほどの神速の業であった。

「ぐふっ」空気の洩れる異様な声を発し、対手の躯が求馬の体躯に打ち当たり、

その反動で仰向けに熊笹の繁みに斃れこんだ。

「旦那っ」  お蘭が金切り声をあげ駆けつけた来た。

「お蘭、大丈夫じゃ」  求馬の全身は蘇芳色(すおういろ)に染まっている。

「お怪我はありませんか?」  「返り血じゃ、大事ない」

 お蘭が求馬の顔についた血糊を拭ってくれた。周囲は踏み荒らされた熊笹

が無残な姿を見せている、清冽な湖の空気が生臭い臭いを漂わせている。

「加地三右衛門を追わねばならぬ」  「加地が逃げたのですか?」

「浪人の頭分を連れて卑怯にも逃げおった」  「あたしもご一緒します」

 求馬とお蘭が追跡に移った、さっき通った道なので迷うこともなく進んだ。

「あそこじゃ」  求馬が乾いた声で指をさした。

 転がるように二人が小道を急いでいる。  「待たぬか、卑怯者」

 求馬の声で振り向いた二人が、観念したように足を止めた。

「伊庭求馬、この場で引導を渡してくれよう」

 加地三右衛門の細い眼が見開かれ、血走ってみえる。

「貴様の汚いやり口で六紋銭の村は廃村となった。ここでわしが命を絶つ」

「無理じゃな、まずは絵図を渡すことじゃ」

 加地三右衛門が、自信に満ちた声で嘯いた。

「笑止、金塊なんぞはない。今頃は高島藩国家老の手許に届いておろう」

 求馬の冷めた言葉を聞き、加地三右衛門が身を引いた。

 一人残った浪人が獰猛な顔つきで大刀を抜き放った、金壺眼をした目が

冷静な色を秘めている。出来るなと瞬時に悟った。

「お蘭、ここを動いてはならぬ」  求馬がゆっくりと痩身を近づけた。

 対手は草履を後方に跳ね飛ばし大刀を正眼に構え、摺り足で三間ほど

間合いを詰めた。求馬は冷めた眸を据えたままでいる。

 対手が見事な足さばきで接近してきた、両者は二間の距離を保って対峙した。

「見事な腕を持ちながら、走狗になりおったか」

 求馬が乾いた声をなげ、村正の鯉口を切った。

 対手は水のように静かな構えを崩さずにいる、長い対峙となったが、徐々に

勝負の潮合いガ迫ってきた。先に仕掛けたのは浪人であった。

 凄まじい懸け声を発し、求馬の面に鋭い打ち込みを送りつけてきた。

 村正も負けずと迸り、鋼と鋼の音が響き両者の大刀が宙で交差した。

 見守るお蘭が、白く輝く大刀の迸りを見て目を閉じた。

 その間に両者の足場が逆転していた。秘術をつくした攻防が続き、浪人

の肩先から鮮血が滴っている。金壺眼が見開かれ、呼吸があがっている。

 村正が求馬の躯を中心としてゆるやかな円弧を描いて左下段の構えとなっ

た。湖上から吹きつのる風が、両者の間を吹き抜けていった。

「だあー」  浪人が奔りより正面から猛烈な斬り込みをみせてきた。

 迸る閃光を本能的に躱し、村正が浪人の右脇腹に襲いかかった。

「くっ」  浅手を負わされた浪人が大刀を一閃させたが、それは求馬の翳を

斬ったにすぎなかった。頭上に冷たい刃風を感じ、身をそらそうとした瞬間、

凄まじい衝撃を受けた。村正が見事に頭蓋を断ち割ったのだ。

 噴出する血飛沫の中で求馬が、痩身を加地三右衛門へと向けた。

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Last updated  May 14, 2008 03:20:17 PM
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May 13, 2008
カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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 この小説も残り二、三日で終了いたします、最後の応援をお頼みいたします。

「諏訪の海、角間の川と交わりて、中洲に浮かぶ、中秋の月、か。中州も

既になく、中秋の名月も刻限とともに位置を変えるか」

 求馬が諏訪湖を見つめ低い声で呟いた。  「旦那、お手上げですな」

「お主の申すとおりじゃ、最早、信玄の隠し金塊は見つからぬ。絵図の真贋も

判定は不可能となった、悪いが茶臼屋の与兵衛殿に絵図を渡してきてはくれぬ

か。わしとお蘭はここで待っておる」 「判りやした、一走りしてめえりやす」

  猪の吉が残念そうな顔で懐剣を懐にいれて駆け去った。

 求馬が切り株に腰をおろしお蘭を見つめた。  「一杯飲みたいものじゃ」

「はいな、そう思って瓢を用意してきましたよ」

 お蘭が色っぽい顔を綻ばし、柳行李から瓢を取り出し求馬に手渡した。

 求馬がゆっくりと瓢の酒を味わっている、風にあおられ小鬢(こびん)が揺れて

いる。何となく淋しそうな横顔だとお蘭には見えた。

「仕方がありませんよ、旦那の所為ではありませんから」

 湖水から涼しい風が二人の躯を吹き抜け、お蘭が傍らにそっと腰をおろした。

「ご一緒できて楽しかった」  お蘭が、そっと求馬の手を握り締めた。

 瞬間、求馬の双眸が強まった。  「旦那っ」  「動くでない」

 微かに熊笹を掻き分ける音が聞こえる。それにつれ殺気が盛り上がった。

「お蘭、最後の闘いとなったようじゃ」  低く声をかけ痩躯を立ちあげた。

「そこで止まるのじゃ、近づけば斬ることになる」  乾いた声を浴びせた。

 小道の傍らに苔むした小さな地蔵が祀られている、その辺りから人の気配が

する。求馬が素早く村正の鯉口を切った。

「水野忠邦の用人、加地三右衛門ならびに金で雇われた亡者共、姿をみせえ」

 冴えた声が潅木の中に吸い込まれた。

「だっー」  声に誘われ近くの大木の翳から、凄まじい懸け声があがり刃が

襲っきた。並の腕ではない凄い一颯であったが、求馬が身を躱した。

 目前を猛烈な勢いで駆けぬけた浪人の首筋に、村正の切っ先が伸びた。

 首の皮一枚を残し、血煙とともに熊笹の中に勢いよく転がった。

「己れ」  四方から声があがり九名の浪人が姿を現し、求馬の痩身を包囲し

た。足音に驚いたのか、繁みから水鳥が一斉に羽音をたて翔び去った。

 求馬が獲物を狙う鷹のような冷たい双眸を光らせ、痩身を包囲網の中に

おいて佇んでいる。見渡せば対手は何れも面擦の跡をみせる凄腕と判る。

「道場剣法で人が斬れるか」  求馬が揶揄う余裕で声をかけた。

 じりっと包囲網が右手方向に移動を始めた。

 求馬が黒羽二重の裾を翻し痩身を宙に跳ね上げ、正面の浪人に襲いかかっ

た。それは猛禽のような俊敏な動きであった、頭蓋を絶ち斬り包囲網から脱出

した。ざざっと熊笹を鳴らし、残りの浪人が一斉に上段に構えなおした。

それは生を捨て去った捨て身の構えである、「びゅっー」と村正が風斬り音を

たて素振われ血糊を吹き飛ばした。右手の浪人が雄叫びをあげ身を躍らせた。

 上段からの攻撃を村正二尺四寸(七十三センチ)が、対手の大刀を跳ね上げ

た。鋼の音が響き、焼刃の臭いが漂う中、対手の大刀が半ばから折れ空中に

跳ね飛んだ、見逃さず村正の切っ先が、対手の右脇腹から左首筋に抜けた。

「ぐっ」  凄惨な形相をみせ対手が地響きをたてた。

 その迅速な業をみた七名が、二、三歩後退した、包囲網が破れたのだ。

「加地三右衛門、姿を見せえ。そちの主人水野忠邦は先般、登城禁止となり

蟄居の身となった」

「莫迦な」  紺色の袴姿に棒縞の羽織をまとった、加地三右衛門が細い眼を

光らせ杉の大木の翳から現れた。

「我が殿が蟄居とな、そのような事態があろうか」

「影の軍団であった六紋銭を失い、幕閣への押さえをなくした。その六紋銭は

全てそれがしが殲滅いたした」  「うぬっ、斬れえ」

 加地の下知で二人の浪人が猛然と大刀を振るって攻撃をしかけた。

 村正と対手の大刀が絡まり、えたりと一人が求馬の右肩を袈裟に襲った。

 すん余で身を捻り、刃がすれすれに求馬の躯をかすめ奔り抜けた。

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Last updated  May 13, 2008 12:17:41 PM
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May 12, 2008
カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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 翌朝、高島城の時を知らせる太鼓の響きで三人は目を覚ました。朝餉を摂り、

猪の吉が帰りの用意の品々を求め、町に飛び出して行った。

「お蘭、柳行李を確かめよ、不足するものは整えずばなるまい」

「はいな」  お蘭が柳行李を確かめ詰め替えている。

 相変わらず求馬は、醒めた顔つきで煙草を燻らしている。

「旦那、スルメなどの非常食はどうします?」

「帰りであっても油断大敵じゃ」  「はいな」

 お蘭が楽しそうな様子である。  「なにか嬉しいことでもあったのか?」

「はいな、これからは江戸弁を使っても構いませんね」

 道中、お蘭は極力江戸弁を控えてきたが、これからはそんな心配はない。

それが嬉しいのだ。猪の吉が荷物を抱えてもどってきた。

「ご苦労じゃ」  「新しい三尺手拭も買ってまいりやした。手甲、脚絆、

その他もろもろですが、長旅には色んな物が不足いたしやすな」

 猪の吉も加わり、帰りの用意がととのった。

 五つ半(午前九時)に三人は旅籠を出立した。城下町は人々で賑わっている。

「旦那、なんで城下町がお城のそばにないんでしょうかね」

「幕府の仕置きじゃ、宿場町を優先させたのじゃ」

「成程ね、お城は諏訪湖に近い場所ですからね」

 猪の吉が納得顔をした。三人の前の道筋には欅並木が広がってきた。

 既に紅葉がはじまっている。この並木道の先に高島城の大手門がある。

 三人が城の東側の小道を辿っていた。鬱蒼と潅木が小道の両側を埋め尽く

し、名も知らぬ小鳥のさえずりが心地よく聞こえる。

 お城の大手門を通りすぎると、門番が丁重に求馬に会釈をしている。

 求馬は無言で会釈を返し、何事もない様子で道を進んだ。

 高島城の者は、皆が三人の任務を承知しているようだ。

「旦那、このお城の屋根は瓦ではないんですね?」

 お蘭が木立から三層の天守閣をみつめ不審そうに訊ねた。

「冬の寒さが厳しく瓦が割れるそうじゃ、そこで檜の薄い板を屋根瓦の

代りにしたそうじゃ。なんでも柿葺きと云うそうじゃ」

「へいー、そんなに冷え込むんで」  猪の吉が驚いた顔をした。

「諏訪湖も凍りつき、人が歩けるそうじゃ」

「一度、そんな光景を見たいものですね。猪さんはどうだえ」

「おいらは真っ平ご免だね、猫は炬燵で丸くなるだ」

「なんだえ、まるで風流てえものがないね」  早速、お蘭が江戸弁を使いだし

た。求馬の痩身に木漏れ日があたり、黒羽二重の背中がだんだら模様に染ま

っている。暫くして三人は小高い丘に辿り着いた。

「こいつは見事な景色だねえ」  猪の吉が感嘆の声を洩らし見入った。

 目の前に広大な湖が現れ、遥か西北の岡谷方面まで霞んで広がっている。

 岸辺には羊歯(しだ)類が密生し、諏訪湖の湖底に向かって水辺を蔽い隠すか

のように垂れ下がっている。その奥には欅、楢、杉などの樹木が枝を広げ、幹

には蔦が巻きついている。

「旦那、お城の城壁があんなに離れておりますよ」

 お蘭の言葉に求馬は無言で湖水を凝視した、波がきらきらと輝き、遠くの空と

一体となり溶け合っている。この当時の諏訪湖は周囲二十里と云われていた

が、かなり水位も低く面積も小さくなっていた。

 これは歴代の藩主が農地干拓などで水位を下げることに腐心した結果であっ

た。とりわけ、天保元年(一八三〇年)に天龍釜口にあった、浜中島を撤去したこ

とで水位の低下に拍車がかかったのだ。

「猪の吉、高島城が築城された当時は、諏訪湖の波が城壁を洗うほどでな、西

から見ると湖水に浮かんだように見えるために、浮城と呼ばれていたそうじゃ」

「ここから見やすと諏訪湖は高島城の城壁から、十町(一一〇〇メートル)ほど

後退しておりやすぜ」

「それだけ水位が下がり諏訪湖が干しあがったのじゃ」

「昔はもっと大きな湖だったのでしょうね」 お蘭が感慨ぶかそうに呟いた。

「恐らくな」  求馬が感情を殺した乾いた声で応じた。

「旦那、諏訪のお城は違った場所にあったと言われやしたね」

「そうじゃ、島崎城は角間川に挟まれた場所にあったが、その後に河口の

三角洲に築城された。それが今の高島城じゃ」

「それじゃあ、今のお城よりもっと諏訪湖に近い場所と考えられやすな」

「・・・・」  求馬は無言で諏訪湖を見つめている。

「折角の絵図も、ただの紙切れですかえ」

 猪の吉の声に落胆の思いがこめられ、お蘭の顔にも失望の色が浮かんでい

た。二人の感情はよく判る、ここまで命懸けで来たのだ。

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Last updated  May 12, 2008 11:45:58 AM
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May 10, 2008
カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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 庭に面した風呂は豪勢きわまりないものであった。天然の岩を配し、温泉

を引き入れている。求馬と猪の吉がゆったりと湯を楽しみ、お蘭は岩陰で

旅の疲れを癒していた。

「師匠、こちらで一緒に入らないかえ」  猪の吉が顔を拭って揶揄った。

「馬鹿、助平ー」  お蘭と猪の吉が旅の終着としってふざけあっている。

 湯上に用意された食事も吟味されたご馳走であった。

 三人は食事に堪能し、心休まる一夜を明かした。

 翌日、約束どおり磯辺頼寛が、紺の紋服姿で部屋を訪れてきた。

「お世話をおかけいたした」  求馬の顔を見るなり礼を述べた。

「磯辺殿、江戸からは何も便りがござらんか?」

「吉報が届きました」  磯辺頼寛の若々しい顔に笑みが浮かんだ。

「水野忠邦が失脚でもいたしましたか」

「左様、登城禁止に蟄居とのことにござる」  「真にござるか?」

 求馬が半信半疑の顔つきをみせ尋ねた。

「近々には老中首座に阿部正弘さまが就かれる筈、我が藩も安泰となりました」

「それは重畳。登城禁止の原因は何でござる」

「詳細は未だにござるが、水野忠邦の献策した上知令(あげちれい)なるものが、

御三家や幕閣から反対が起こり、家慶さまのご不興をかったとの事にござる」

「上知令で墓穴を掘りましたか」  求馬が合点した様子で応じた。

「伊庭殿は上知令なるものをご存じにござるか?」

「詳しくは知り申さぬが、江戸、大阪十里四方を天領とする水野の考えにござる」

 求馬の言葉に磯辺頼寛が驚き顔をした。

「そのような事を画策しておりましたか」

「左様、さて磯辺殿、少々面倒な事がござる」  「何事にござるか?」

「この宿場に水野忠邦の懐刀と言われた男が、浪人者十名を引き連れ潜伏して

おります」  「なんと」  磯辺頼寛の顔が険しくなった。

「男の名は、水野家用人の加地三右衛門」  「利け者ですか?」

「知られた男にござるが、主人が失脚いたしては用人なんぞに何が出来ましょ

う」  求馬の乾いた相貌に笑みが刷かれた。

「それで貴殿はいかが為される」  「まずは絵図をお返し申す」

「それはお受けできかねます。殿の申されたとおり絵図の真贋をお願いいたす」

 磯辺頼寛が畳みに手をついて低頭した。

「磯辺殿、絵図の真贋なんぞ今更問う必要もござるまい、それがしは絵図を餌と

して、加地三右衛門、並びに浪人共を全て葬る覚悟」

「・・・・」  磯辺がじっと無言で求馬の相貌を見つめた。

 伊庭求馬という男の生きざまを見た思いであった。

「ことは万全にせねばなりません。加地三右衛門を斃せば水野忠邦の復活は

二度とござらん」  「それを貴殿一人で為すと申されますか?」

「乗りかかった船、上諏訪まで血の雨を降らせて参ったが、この地でそれがしの

手で降り止めといたしたい」  求馬が平然と嘯いた。

「我が藩でお手伝いを致す事はござらんか?」

「更なる吉報が参るまでは、静かにしておる事です。我等は奴等を成敗いたし、

絵図の真贋を確かめます。それが済みましたら、この旅籠の与兵衛殿に絵図

を預けて去ります」  「伊庭殿・・」  磯辺頼寛は声を失った。

「ご案じあるな、それがしの前途には常に悪鬼羅刹道が待っております。

孤剣でもって天下をのし歩く、これがそれがしの生きざまにござる」

 磯辺頼寛は目前の求馬の痩躯を目の覚める思いで見つめた。

 白面の相貌をみせる男の壮烈な生きざまを初めて知ったのだ。

「我等は明日、諏訪湖に向かいます。信玄の隠し金塊が絵図に印された箇所

か己の眼で確かめ申す」  「その際には是非ともお城にお立ち寄り下され」

「我等のような者が、お城にあがっては諏訪高島藩の名折れとなりましょう、

ご遠慮いたす」  求馬が一言ではねのけた。

「伊庭殿、最後に諏訪家累代にわたる掛け軸の文言(もんごん)をお知らせいた

す」   「ほう、どのような文言にござるか」

「諏訪の海、角間の川と交わりて、中洲に浮かぶ 中秋の月」

「成程、諏訪湖には中洲がござったか」

「既に、それも無くなり申したが、何かのご参考にとお知らせ申す」

 磯辺頼寛が求馬の相貌を若々しい顔で見つめて答えた。

「覚えておきましょう、再びお目にかかることは御座るまいが、堅固に

お過ごし下され」  「我が藩を代表し御礼を申しあげる」

 求馬が首肯し、それを見極めた磯辺頼寛が静かに部屋から去った。

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Last updated  May 12, 2008 11:43:56 AM
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May 9, 2008
カテゴリ:伊庭求馬孤影剣
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「我々のことを、加地三右衛門は知っておりやしたな」  猪の吉が気を取り戻し

訊ねた。  「今の刺客は加地の指図ではない、水野忠邦の差し金じゃ」

「それはどういう意味です」  猪の吉が瀬川一馬の死骸をふり向いて聞いた。

「わしは瀬川とは、蔦木宿の風呂で相湯をいたした仲じゃ」

「奴はそんな近くに潜んでおりやしたか」

「そうじゃ、あたら腕前に慢心し一命を落としたのじゃ」

「驚いたね」  猪の吉か吃驚顔をした。

 太陽が急速に連綿とつづく山並に沈み、街道に薄闇が忍びよってきた。

 暫く急ぐと前方に、きらきらと灯が見えてきた。

「あれが最後の上諏訪宿じゃな」  「さいですな」

「猪の吉、済まぬがひと走りしてくれぬか」  「旅籠ですかえ」

「本陣宿の茶臼屋じゃ、既に高島藩より知らせが参っている筈。我等の

到着を知らせてもらいたい」

「合点承知の助ですぜ」  猪の吉が脱兎のごとく走り去った。

 求馬とお蘭は肩を並べ、ゆっくりと宿場町へと歩を進めた。

「旦那、あれが諏訪湖ですか?」  お蘭が立ち止まり指をさした。

 大きく仄暗い湖水が眼の前に広がり、灯をうけてきらきらと白波が輝いて

いる。  「海のように大きな湖ですね」

 二人は湖水の横の常夜灯を横切り、宿場町に足を踏み入れた。

 さすがに城下町である、旅人に交じり町人や藩士が急ぎ足で行き来している。

「とうとう最後の宿場に着いたのですね」  お蘭が感慨ぶかい顔をしている。

「旦那、こちらで」  猪の吉が駆けよってきた。

 三人は茶臼屋の奥座敷に案内された、そこには裃姿(かみしもすがた)の主人

が待ち受けていた。

「遠路、ご苦労さまにございました。わたしめが主人の与兵衛にございます」

 初老の男が丁重に名乗った。

「伊庭求馬にござる。国家老、磯辺頼寛殿のお手配りにござるか?」

「はい、明日の四つ(午前十時)に、お伺いいたすそうにございます。今宵は

ゆるりとお寛ぎ頂きとう存じます」

「丁重なる挨拶痛みいる、お言葉に甘えさせて頂く」

「早速、茶なぞ差し上げましょう」  「冷や酒もお願いいたす」

「畏まりました」  与兵衛が下がろうとした時、求馬が声をかけた。

「与兵衛殿、ついでにお願いがござる」  「なんなりと申して下さい」

「我等を狙う浪人と頭領十一名が、この宿場町に泊まっておる筈、何処の

旅籠かお調べ願いたい」  「すべて浪人にございますか?」

「いや、頭領はさる藩の用人、名前が判れば重畳にござる」

「早速、内密に調べさせましょう」

 与兵衛が下がり、すぐに女中が茶と茶菓子に冷や酒を持参した。

 お蘭が茶を啜り、茶菓子を口にしている。

「このお菓子は、あたしなんぞには勿体無い絶品ですよ」

「あっしと旦那は酒です」  猪の吉が湯呑みに注ぎ分けて飲みだした。

「きりっとした辛口の美味い酒ですな」

 求馬が湯呑みを手にし窓を開け放った、湖上からの風が冷たく感じられる。

 ここから城下町の喧騒と西北に位置する、諏訪高島城の三層の威容が

よく見える。  「旦那、諏訪湖が見えやせんな」

「地形が変わったようじゃな」  求馬が横顔をみせ呟いた。

「でも、大きくて綺麗な湖でしたよ。ねえ、旦那」

「師匠、あっしが邪魔ならそう云っておくんなさえよ。その間に加地三右衛門の

動きなんぞ探ってめえりやすから」

 猪の吉がお蘭を揶揄った。

「猪さん、意地悪はよしておくれ」  お蘭が顔を染め啖呵をきった。

「失礼をいたします」  襖がひらき主人の与兵衛が顔をみせた。

「先刻の件にございますが居りました、宿場外れの花ノ屋と申す旅籠に宿泊

いたしております。頭領は水野家用人の加地三右衛門さまに、浪人衆は十名

と判明いたしました」

「旦那、堂々たるものですな」  「本名を名乗りおるか」

 求馬と猪の吉が顔を見つめあった。

「皆さま、これから夕餉の用意をいたします、庭の向こうに風呂がございます。

手拭、宿衣の用意も整っておりますれば、ゆるりと湯にお浸かり下さい」

「かたじけない、早速、旅の垢でも落として参ろう」

 三人は風呂に向かった。  「師匠も一緒ですかえ」

「あたしの裸を覗き見たら、目がつぶれるよ」  「そいつは恐いや」

 お蘭と猪の吉が、掛け合いで喋りまくっている。

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Last updated  May 9, 2008 11:39:10 AM
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May 8, 2008
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「疲れがとれやしたね、ところで親父、一刻頃に十名ほどの浪人が通らなかった

かえ」    猪の吉がさり気ない素振りで話を聞きだしている。

「通りましたがの、もう上諏訪宿に着いているだろうね」

「旦那、どこかで待ち伏せておりやすかね」  「その心配はあるまい」

 求馬が常と変わらぬ相貌をみせ、最後の一滴を飲干して断言した。

 空はあくまでも青く澄み渡り、街道は白く乾いている。街道が徐々に

登り坂となってきた。  「綺麗な景色ですね」

 周囲の山並は紅葉に覆われ、紅葉や欅の葉がひときわ映えて見える。

 お蘭が汗を拭いつつ周囲を眺めている。

「足は大丈夫ですかえ」  「大丈夫ですよ」

 前方に大きな欅の大木が見えてきた、一里塚である。

 旅人が数名たむろして休憩をとっている。  「わしらも休もう」

 求馬が草叢に腰をおろし、おもむろに煙草入れを抜き一服燻らしている。

 汗ばんだ肌に心地よい風が吹きぬけてゆく。三々五々と旅人が出立する。

 お蘭が柳行李から瓢を取り出した。  「まだ持っておったか」

 珍しく求馬が白い歯をみせた。  「師匠、あっしにはねえんですかえ」

「心配ないよ、猪さんのもあるよ」  「ありがてえ」

 猪の吉も草叢に座り込んで瓢を口にしている。

「美味いねえ、こうして紅葉を拝んで飲む酒は堪えられねえよ」

 四半刻ほど休息し、再び三人は西に向かった。前方の山並に太陽が沈み

はじめ、西日が真正面から三人を照らしだした。  「眩しいねえ」

 お蘭が手を額にかざし街道を見つめている。

「あの侍は変だぜ」  猪の吉が異変を察し素早く駆けだした。

 西日を背に受けた侍が影法師のように近づいてくる。

「旦那、浪人風の侍ですぜ」  駆けもどった猪の吉が緊張した声をあげた。

「一人か?」  「へい」  求馬がずいと痩身を西日に向け、眼を細め近づいて

くる浪人を見つめた。野袴姿の浪人の袴の裾が風に煽られている。

「二人とも下れ」  求馬が厳しい声で命じうっそりと痩身を進めた。

 街道には旅人の姿はなく、求馬らと浪人の四名がひっそりと佇んでいるのみ

である。両者が三間の距離を保って対峙した。

「伊庭求馬殿か?」  低いが落ち着いた声の持ち主である。  「左様」

「何の遺恨もないが、貴殿の命を頂戴いたす」

「お主とは蔦木屋の風呂で一度会ったの」  求馬が乾いた声で応じている。

「左様、拙者は無双流の瀬川一馬と申す」 瀬川と名乗った浪人が抜刀し正眼

に構えた、西日を反射し大刀が眩しく煌いた。

「お主が仕留め人の瀬川一馬か、水野忠邦の飼い犬に成り下がったか」

 彼は流れ者の一匹狼で知られた殺し屋であった。

「どう思われようと勝手じゃ、拙者は貴殿の秘剣をやぶりたいまでじゃ」

「勝てるか」  声と同時に村正が鞘走った。街道に肌が粟立つような殺気

が充満した。求馬は得意の左下段に構え、うっそりと孤影を西日の中に

佇ませている。真っ向いから西日を浴びる求馬が圧倒的に不利な体勢である。

 求馬が瞑目した、それを見たお蘭と猪の吉が手に汗を滲ませ凝視した。

 じりっと摺り足で瀬川一馬が前進を始め、正眼から左斜め上段へと構えを

移している。下段と上段ながら同じ左構えである。

 この勝負は太刀ゆきの速さで決まる。徐々に勝負の潮時が近づいている。

 二人の大刀が同時に西日の中で煌き、宙を斬り裂いた。

「あっ」  お蘭が思わず目を閉じた、二人はお互いの攻撃を躱し正眼の構え

で対峙していた。  「畜生め、飛礫を見舞ってやるぜ」

 猪の吉が飛礫を握り締めた。  「無用じゃ」  求馬が制止した。

 二人が前進を始めた、ついに死への間仕切りに身を踏み込ませたのだ。

大刀と大刀が吸い寄せられるに光芒を放ち、西日の中で交差した。

「むっー」  瀬川一馬が呻いた。強かに右脇腹を村正が薙ぎ斬ったのだ。

「おうー」  獣の雄叫びをあげて瀬川一馬の体躯が求馬の痩躯に肉薄し、

一閃、二閃と大刀が白い光芒の帯を引いて襲いかかったが、ことごとく虚しく

弾かれた。 「おのれ」  瀬川一馬が左膝を街道につけ水平に左から右へと

求馬の痩身を両断すべく攻勢をかけた。

 ふわりと痩身が宙に踊りあがり、西日を反射させ村正が青白く迸り、瀬川の

背後に求馬が着地した。

 街道に真紅な霧が舞いあがり、どっと瀬川一馬が躯を街道に叩き付けてい

た。 「旦那っ」 駆け寄るお蘭を手で制し、「大事ない」と声をかけた。

 その瞬間、懐紙がぱっと青空に舞い上がった。

 何事もなかった風情で村正を鞘に納めた求馬が、ゆっくりと歩みだした。

「旦那、怪我はありやせんか?」  猪の吉が声をかけた。

「わしの腕が勝っておったようじゃ」  既に求馬は闘いを忘れたような声音で

応じた。お蘭と猪の吉が、安堵の思いをこめ痩躯を呆然と見つめた。

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Last updated  May 8, 2008 11:54:41 AM
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May 7, 2008
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 お蘭が浴衣を脱ぎ捨て豊満な裸身を、惜しげもなく晒し求馬の胸に

飛び込んだ。仄暗い風呂場で二人が絡まった。

 お蘭の切ない喘ぎ声が響き、すぐに太腿を割られ求馬の命を受け入れた。

 独りでに腰が律動し、快感が背筋をつき抜けた。

「お蘭、暫くは我慢するのじゃ」  求馬の呟きを聞きながらお蘭が果てた。

 こうした三人旅では、本能のままに振舞うことは出来ないが、久しぶりの

抱擁に満足し、求馬の胸に顔を埋めるお蘭であった。

 二人は躯を洗い流し部屋に戻った。お蘭の瞳が、まだ快感の余韻を残して

いるが、求馬は覚めた表情をみせ再び独酌をはじめている。

 猪の吉が一刻ほどで戻ってきた。

「旦那、やはり加地三右衛門ですぜ、奴は一人で豪勢な部屋で女を呼んで

飲んでおりやすが、浪人は大部屋で独酌です。見たところ凄腕の遣い手ぞろい

ですぜ、いずれも面擦れの跡がある浪人たちです」

 猪の吉が興奮を隠さずに一気に喋り終わった。

「それで何か判ったのか?」

「全く無言でなんにも意図が判りやせんゃ」

「そうか、いずれ近いうちに血の雨が降るの」  求馬が平然と言い放った。

「あれ、師匠、どうかしやしたか?」  お蘭の態度に落ち着きがなく猪の吉が

訊ねた。  「折角だもの、猪さん、もう少し探ってくるものさ」

「・・・そうですかえ、お邪魔虫の帰りが早かったてえ訳ですかえ」

 猪の吉が素早く察し揶揄った。  「猪さんの意地悪」

 お蘭が顔を染め隣の部屋に逃げ込んだ。

「旦那、もう一度探ってめえりやしょうか?」  「馬鹿め、まずは飲め」

 求馬が苦笑を浮かべ徳利を差し出した。  「へい、頂戴いたしやす」

 猪の吉が美味しそうに飲干した。

 翌朝、三人は遅く目覚め五つ(午前八時)に朝餉をとり、五つ半に旅籠をでた。

 昨日とうってかわり、信濃の空は青空が広がっている。

「最後の旅を祝っているようですな」  猪の吉が軽快な足取りで歩んでいる。

「お蘭、近々に最後の闘いが始まろう、気を緩めるでない」

「はいな」 と答えながら求馬の傍らを歩む、お蘭の顔が桜色に染まっている。

 歩みながら昨夜の抱擁を思い出していたのだ。

「旦那、御射山神戸(みさやまごうど)てえ、変な集落に着きやしたよ」

 なかなか繁盛した集落である。  「猪の吉、先を探ってくれ」

「へい、任しておくんなせえ」  猪の吉が足早に集落へと向かった。

「旦那、街道の両側は林檎林ですよ、赤い実が綺麗ですね」

 お蘭がうっとりとした顔つきで風景を愛でながら進んでいる。

「お蘭、そこから刺客が襲ってくるやも知れぬぞ」  求馬が脅した。

「あたしは大丈夫ですよ、天下一の用心棒が付いておりますから」

 お蘭がすまし顔でしらっと答え、求馬が思わず苦笑いを浮かべた。

 猪の吉が駆け戻ってきた。

「奴等は六つ(午前六時)に通ったそうです、村の者から聞いてめえりやした」

「ご苦労じゃ」  求馬は足を緩めず乾いた相貌をみせ思案している。

「どうかなさりやしたか?」  「奴等の狙いが判った」

「何処で待ち伏せいたしやす?」  お蘭が二人の会話を不安そうに聞いてい

る。 「上諏訪までは心配はあるまいが、諏訪湖が問題じゃな」

 求馬の答えに猪の吉が合点した。  「矢張り、絵図が狙いですか?」

「間違いなかろう、奴等の狙いは絵図じゃな」

 三人は正午ころに茅野宿を通りぬけた。この宿場は金沢宿と上諏訪宿の

中間点に位置していた。

「猪の吉、何処か頃合の店で休息いたそう」  「そうですな」

「しかし、何で茅野は酒造りが盛んなんでしょうね」  お蘭が驚いている。

 街道の至る所に造り酒屋が大きな屋敷を構えている。

「信濃は米どころではありやせんぜ」  猪の吉も不思議そうに眺めている。

 求馬は興味を示さずに、街道脇の蕎麦屋に視線を送っている。

「あの店にいたそう」  「そうですな、小腹も減ったことだし」

 猪の吉が威勢よく暖簾を掻き分けた。

「ざる蕎麦を三人分と酒を二杯くんな」  店の奥に声をかけた。

「あたしは無しですか」  お蘭が不平顔で文句を言った。

「あれっ、師匠も飲まれやすか?」  「最後の道中ですよ」

 お蘭が二人に笑顔をみせた。 「酒は三杯に変更だよ」 猪の吉が声をかけ

た。三人は蕎麦を二枚ずつたいらげ、仲良く冷や酒で咽喉を潤した。

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Last updated  May 7, 2008 12:02:32 PM
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May 6, 2008
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「あぁ、良いお風呂でしたよ、疲れがすっととれました」

 お蘭が顔を桜色に染めて戻ってきた。部屋に風呂の匂いと女盛りの体臭の

入り混じった香りが漂った。

「一杯、飲みますかえ」  「はいな、頂きますとも」

 猪の吉の注いだ酒を色っぽい頤(おとがい)をみせ飲干した。

「二人とも聞いてくれ、明日は待望の上諏訪に着くことになる。我等は

そこから諏訪湖に向かう」  求馬が厳しい顔で告げた。

「いよいよ信玄の隠し金塊を探りだしますか?」  猪の吉がはしゃいでいる。

「それが可能かどうかを見極める」

「旦那、絵図があれば見つかるのでしょう」  お蘭の顔にも興味の色が浮かん

でいる。  「それは現地を見ねば判らぬ」

「絵図が偽物てえ訳ですかえ」  猪の吉が不審そうな顔で膝を乗り出した。

「わしは、諏訪家の城の古書を調べた」  求馬が仔細を語りはじめた。

 もともと諏訪家のお城は島崎城と呼ばれ、信玄の侵略によって滅ぼされる

までは、諏訪湖の岬に築城されていたのだ。だが武田家が滅亡し太閤秀吉の

命で日根野高吉が、島崎城を廃城として角間川の三角洲に新城を築き直した。

それが今の高島城であった。求馬が喋りを止め、二人を順に見つめた。

「そうすると絵図に描かれた場所は、今の高島城を目安としやすと全く

違った場所という訳ですかえ?」

「そう云う事じゃ。だから現地を見ねば判断が出来ぬのじゃ」

「何ですか、つまらないの、それじゃあ骨折り損ですよ」

「お蘭、道中の旅はどうであった?」  「それは楽しい旅でしたよ」

「ならば金塊が見つからずとも良しとせねばな」

 求馬が覗き込むようにしてお蘭の眸の奥を見つめた。

 旅先の岩風呂で抱かれた時の興奮を思い出し、お蘭が顔を赤らめた。

 この道中に同行した事で、そんな楽しい経験が出来たのだ。

 その晩の食事は豪勢そのものであった。諏訪湖で捕れた、わかさぎや魚介類

と野菜の天麩羅、野沢菜の漬物、蕎麦、食後には林檎、梨、葡萄が出された。

「豪勢ですな、たまには茶漬けなんぞが食いたいね」

 猪の吉が贅沢な愚痴をこぼしている。

「女中さん、信濃でも天麩羅があるんですね」

「はい、最近、江戸から流行って参りました」

 女中が食後の果物を剥きながら答えた。  「天麩羅が食えるとはね」

 猪の吉が、わかさぎを口にして呟いた。

「江戸にもどったら、江戸前の魚介類を食べさせてあげるよ」

「楽しみにしていますぜ、だが道中の食事にも飽きたね」

 そんな二人の会話を聞きながら、求馬は黙然と思案しながら独酌している。

 そんな横顔を時折、女中がうっとりとした顔つきで盗みみている。

 求馬の虚無感を漂わす容貌が、女心をくすぐるようだ。

 食事が終わると猪の吉が真顔となって口を開いた。

「雨も止んだようです、あっしは夜風に吹かれ魚安に忍び込んできやす」

「無理はするな」  「丁度、腹ごなしです。奴等の思惑を探ってめえりやす」

 猪の吉が、そっと部屋から外の闇に忍び出て行った。

 求馬は暫く独酌し、「お蘭、ひと風呂浴びてくる」

 一声のこし手拭を持って風呂場に向かった。  「つまんないの」

 ようやく二人になったというのに、ついつい愚痴がでる。

「そうだ旦那のお背中を流してあげよう」  そう思い、そっと風呂場に向かった。

 風呂場から湯の音が聞こえてくる、お蘭が浴衣の裾をはしよった。

 求馬が檜の腰掛に尻を乗せ躯を洗っている。そっと足音を忍ばせ近づいた。
 
「お蘭、丁度よいところに来た、背中を洗ってくれ」

「気づいていたのですか?」  お蘭が顔を赤らめた。

「早くいたせ」  「はいな」  盥に湯を満たし手拭を絞り、求馬の背中を強く

擦った、面白いくらいに垢が気持ちよくでる。

「お蘭、襟元をひらけ」  求馬が思いもせぬ言葉を吐いた。

「はいな」  恥ずかしさを堪え胸元を大きくあけた、豊満な乳房がこぼれた。

「もそっと寄れ」  近づくと力任せに抱きすくめられ、乳首を吸われた。

 恍惚となり裾が乱れ、肉置き豊かな太腿が顕となった。

 唇が乳房から首筋へと這いまわり、お蘭が恍惚の呻き声をあげた。

 手が自然に求馬の股間を探った、そこは硬く熱く燃えていた。

「旦那、抱いてくださいな」  はしたないと感じたが、ついに口から出た。

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Last updated  May 6, 2008 11:27:30 AM
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May 5, 2008
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「婆殿、酒はないかの」  「濁酒(どぶろく)ならありますだよ」

「二杯、頼む」  早速、求馬が酒を頼んでいる。

「驚いたね、濁酒ですかえ」  猪の吉が眼を剥いた。粥のような濁酒が丼の

なかに溢れている。恐るおそる啜ったが、これがいけるのだ。

 野趣に富む味であるが、芳醇な香りが口一杯にひろがる。

 求馬と猪の吉が二杯の丼酒を飲干し、お蘭が二杯の蕎麦をたいらげた。

「婆さん、金沢宿はどのくらいで着けるかね」  猪の吉が雨音を聞き訊ねた。

「女子の足でも七つ(午後四時)には着けるだよ」

「そうかえ、済まねえが厠を貸してくんな」  「この奥にあるだ」

 猪の吉が小用のために小汚い奥に向かった。床板がぎしぎしと軋み

今にも床が抜け落ちそうな小汚い厠である。

「臭いねえ」  ぼやきながら用をたし、身を震わせた猪の吉の眼が光った。

 街道を十文字笠をかむった浪人が、十名ほど本降りのなかを足早に歩み

去って行く。先頭には深編笠の身形の立派な武士が見えた。

「旦那、変な一行が通り過ぎやしたぜ」

 戻るなり猪の吉が、厠からみた可笑しな浪人の一行の様子を告げた。

「そうか、わしも不審な気配を感じておった」  「さいですか」

 猪の吉が剽悍な目つきをした。

「我等を追っておるのかも知れぬな、気をぬくまいぞ」  「へい」

 三人は蕎麦屋を出て再び、本降りのなかに足を踏み出した。

         (十四章)

 雨に躯を濡らし三人はようやく金沢宿の本陣宿に辿り着いた。

「伊庭さまにございますか?」  帳場から番頭が顔をだし腰を低め訊ねた。

 求馬が無言で肯いた。  「早速、お部屋にご案内申します」

「雨でびしょ濡れじゃ」  三人が合羽を脱ぎ女衆に渡した。

「お与りいたします」  笠と手甲、脚絆の類まで持ち去ってくれた。

「番頭、この手配りは高島藩国家老の磯辺頼寛殿の指図かな」

「左様にございます」  番頭が三人を立派な座敷に案内した。

「こいつは凄いねえ」  猪の吉がご機嫌の様子である。

「このお部屋は、三藩の殿さまがお宿泊なされる座敷にございます。

部屋の奥には、檜のお風呂もございます。追っ付け食事の用意も整えます、

暫くお休み下さいまし」  番頭が慇懃な態度で説明した。

「番頭、冷や酒を三杯頼みたい」  「ご三人さまにございますな」

「ついでに調べて欲しいことがある」  「何でございましょう」

「十名ほどの浪人が宿泊しておらぬか?」  「それはございませぬ」

「そのような浪人者が宿泊した旅籠を探ってはくれぬか、その一行の責任者

の名前もな」  「判りました、早速、捜して参ります」

 番頭が不思議そうな顔つきで下がって行った。

 三人は湿った着物を脱ぎ宿衣に着替え、冷や酒で咽喉を潤した。

 冷え切った躯が暖かくなった。

「足が疲れ、ふくらはぎが痛いわ」  お蘭が疲れた顔をしている。

「お蘭、ひと風呂浴びて参れ、きっと疲労もとれよう」

「はいな、お言葉に甘え先にお風呂を使わしていただきます」

 お蘭が去って求馬と猪の吉は座布団に腰を据え、立派な杯で独酌している。

「流石は殿さまの宿泊なされる、部屋だけはありますな」

 猪の吉が飲みながら、部屋中を眺め廻し驚いている。

「失礼いたします」  襖越しから先刻の番頭の声がした。

「入れ」  「はい」  番頭が緊張した顔をみせた。

「判ったかの」  「はい、この宿場の奥に魚安と言う旅籠がございます。そこ

に浪人風の武家が十名と、水野家の用人と申すお方がお泊りにござすます」

「なんと、水野家と申したか?」  「はい」  「名前は判るか?」

「加地三右衛門さまと申されます」  「加地・・」  猪の吉が求馬を見つめた。

「ご苦労であった」  求馬が財布から一朱金を番頭の手に握らせた。

「このような事は無用にございます」  慌てて番頭が手を引いた。

「我等の事は内密じゃ。明朝、彼等が出立したら知らせて貰いたい」

「判りましてございます」  番頭が部屋から去った。

「水野忠邦、いささか逸りおる」  求馬が乾いた声で呟いた。

「旦那、浪人を引き連れておるとは面妖でございやすな」

「猪の吉、狙いは我等じゃ」  「今更、襲っても意味がありやせんよ」

「六紋銭の壊滅で高島藩は安泰じゃ、奴等は絵図が狙いじゃ」

「成程、いっそ一網打尽に斬り捨てますか」  「そうせねば為るまいな」

 求馬の相貌がかすかに崩れた。相手が牙を剥くなら存分に相手をしてやる、

その思いが脳裡を過ぎった。

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Last updated  May 6, 2008 09:12:37 AM
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