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カテゴリ:韓国という国
姪の結婚式に行ってきた。ソウルから4時間かけて、一人でこんな遠く行くのは初めてだ。窓の外をみながら、この姪のことをおもった。韓国に来て間もないころ、私の相手になってくれたのは幼い姪や甥だ。なんせ30人はいるのだから。あかちゃんから社会人まで、一番上の姪は私と5つしかはなれていない。妹、弟みたいな感覚だ。私のわかりにくい韓国語を一生懸命聞いてくれたり、直してくれたり、年上の人たちの中にいるより安心できたものだった。
この姪や甥の結婚式がここ2,3年毎年ある。 彼らが子供を持ってあやしている姿を見ると、ほほえましくもあり、あぶなっかしくもある。 人が生きて、悩んで、結婚するのは、日本も韓国もおなじだ。 まぶしいほどにきれいな花嫁さんのすがたを見ると、わけもなく涙があふれてくる。 ここまで大きくなるまでに、どれほど親が、たいせつに見守り,育んできたかが感じられるからだ。人生の大きな節目に親や親戚に囲まれて第2のスタートをきるこの儀式が、若いころは何の意味も感じなかったが、今になってとても大切なものだったと感じ始めている。 手紙1本で韓国人と結婚しますと、一方的に投げつけて、母の夢を無残に踏みにじり、私は人でなしだと思う。 安物のウェディングドレスに誰も喜んでくれる人もいないわたしの結婚式。いや結婚式じゃなく祝福式だ。この世の結婚式より価値があると信じていた。血統転換式。 結婚式という概念で受けたのではなかった。すべての祝福家庭は思い出してほしい。 神の血統に変わるために,原罪清算のための儀式、それが統一教会の祝福ではなかったのか。 原理の核の中の核ではなかったのか。それがいつの間にか国際交流とか、韓日の歴史のためにとか、過去を清算するためとか、別の理由にすりかえられてしまったようだ。 今わたしは娘には最高のウェヂィングドレスを着せて髪にはティアラで飾りたいとおもっている。娘は望まないかもしれないのに 後悔といえば後悔なのかもしれない。人に喜んでもらえる結婚式よりも神様に喜んでもらえる結婚式を望んだむくいなのか。別の理由で存在目的を摩り替えようとしているのだから そうでもしなければ、出口がないのもわかっているけれど、これ以上結婚に後悔するひとが出ないために私の愛する家族のために、祝福式は神様と何の関係もないこと。原罪云々とは距離があること、はっきり決着させたい。いまはまだ2世たちが小さくてもんだいが表にでないけれど、ばくぜんといつか3世か4世には原罪がなくなるとか、メシアとともに天国にいけるとか考えて信仰している人に警鐘を鳴らしたい。パニックが起こる前に 霊的な無知によって神が選んだ民族も滅びにいたった。 統一協という民族も行く道を失っている。 救いは何処にも見えない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 15, 2007 10:36:27 AM
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