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カテゴリ:韓国という国
ここのキリスト教信者は、全人口の26%だ。仏教を信じている人より多い。いたるところに教会があり、十字架がみえる。
ビルの一室を借りた教会からデパートよりもでっかい教会も目に付く。 そしていまも、開拓教会といって、伝道に燃えている若いクリスチャンにあううことが出来る。 電車の中で品のよさそうなおばさんが、手に聖書をもって読んでいる姿や20代ぐらいの若いお嬢さんやまじめそうな男の人が一生懸命読んでいる聖書。 ここでは日曜日に家族と一緒に教会に通うのは、ごくごく当たり前の姿なのだ。 ファミリーレストランで親子4人、祈祷して食事をはじめる姿を見たことがある。どうやら息子が大学に合格してお父さんが感謝の祈りをささげているのだ。 一般に礼拝は10時30分か11時に始まるが、明け方から夜遅くまで、5回に分けてするところもある。チャニャンエィベィといって歌ではじまって歌でおわる礼拝もある。 水曜日には小規模の礼拝が、金曜日には家庭礼拝が、一生懸命信仰している人は、教会の奉仕でいそがしそうだ。 はじめて教会に来た人のために新信者教育があり、年に2回ぐらい修練会もある。 年齢別に信仰によって聖書の勉強をする。集まり、聖書を読み、奉仕する教会が多い。 ある程度信仰暦のある人は弟子教育といって伝道の仕方を習う。そして伝道に慣れた人とペアで家を訪問したり、パンフレットを配ったり伝道に力を入れている。教会でいろいろな形で奉仕を認められた人チプサとかチャンロとかクォンサとか位置を与えられるが、とても権威のある位置だ。大きな有名な教会のチャンロニムといえば、それだけで身分証明になるぐらいです。 けれどこれは、神様、人にはべる位置として、与えられたもので人の上にたつものではないそうです。いい例が、ある教会でのチャンロニムは教会のトイレ掃除をするそうです。威張り腐った人が多い国でちょっと新鮮な驚きでした。 地域の人とバザー会を開いたり、小さい子供たちを伝道するために学校や公園でキャンディをくばったり、お腹にいる子供のために、礼拝をしたりあらゆる年齢層に合わせた、信仰暦にあわせた教育と信仰教育がシステム化されています。 もちろんこれはいい面だけで、統一教会と同じように腐敗している部分もあります。献金を横領したり、公金を子供の留学の費用にしたり、信者と不倫したり、と醜い部分もあります。 統一教会でキリスト教はメシアの勝利圏によって衰退の一方をたどると聞いていたのですが、これはうそのようです。いやこれから衰退するのかな?洗礼ヨハネ格のいままでのキリスト教は原理を聞いてメシアをうけいれるそうな。いつそうなるんでしょうか。 私の通っている統一教会は外見は一般の教会と同じような建物です。 横には天主教、前は駐車場でしたがある日 小さな建物がたちました。看板をみるとチャンロ会キリスト教会 でした。はじめ私は、いい度胸してんじゃない。ト教会の前に立てるなんてと思いましたが、あれよあれよという間に大きくなって今ではト教よりも信者が増えてはるかに大きな教会が立ってしまいました。 統一教会は、人も中身も変わることなし、かえって少なくなったかも。 引越ししたり、分派にいってしまったり一つになるどころか、てんでばらばらの道を選んでいる統一教会の行く末には、神様が本当に待っててくれるんでしょうか。気がついたら神様の仮面をかぶっている悪魔くんだったなんて、ホラー映画よりも恐ろしい結末かもしれません。 新しく人が来て、復活して信仰が育たないといけないのに なっなっなぜ?ここは人のこころが成長しないのか。 ここはキリスト教よりも次元が高いはずなのに 最後の宗教じゃなかったのか 表向きは2世が祝福を受けて私たちが伝道しなくても自動的に人が来るようになっているとどこかで聞いたような気がするんですが、私の聞き間違い? 2世が10人いたら3人しか受けないのが祝福だそうです。げぇ 7人がどうして受けないのか。なにが問題なのか。皆さん考えたことありますか。上からは、夫婦の仲がよくなかったからだとか信仰がなかったからだとかいわれてますが、夫婦の仲がよくても信仰があっても、けんかしなくても受けてないんだという事実をどれだけ知っているのかしら。 そして信仰が育って教会の役割をするような人がどれだけ育っているんでしょうか。 2世たちは、何処に行ってしまったんでしょう。親孝行のためだけに、見てくれのよさのために、仕方なく受けた人もいるのです。親を悲しませる人は人間じゃないみたいな見方をされる国です。このため、親子関係がむちゃくちゃになるのです。この世の結婚もしないで、一人さびしく生きている2世の話を知っていますか。心惹かれる人が信仰が違うと結婚させない親です。祝福受けないと親でも子供でもないとののしる祝福家庭は何者ですか。無条件の愛を唱えている人たちが、祝福となると、死に物狂いで反対するのは、この祝福に代々の救いがかかっているからです。 いっしょに教会を発展させていく若い人がいない。いつも動いているのは日本人たちだ。 何処の教会でも、そして後任がいない。人がいない。私の代わりにやる人がいない。 自分の娘、息子を教会長にさせたい人がどれだけいるんでしょうね。 2世の祝福が増えれば、人が増えるんでしょうか。 今、韓国での祝福の目的は、立派な家庭を作ることだとかわってしまった。 お互いけっして堕落しないつまり、浮気しない夫婦になり、娘息子を産んで、楽しく豊かに3代が親子そろって、ともに和気藹々と暮らせる家庭を キャッチフレーズはいいんだけど、こんな家庭、別に原理を聞かなくても、信仰しなくてもあるわけで、私は核心とはいいがたいです。そして外から見た家族の幸せとそれぞれが感じている幸せは違うものです。私の幸せとはもっと本質的で根本的なものだと思うんですが 神様とかメシアとか罪とか救いとかから、ほど遠いところで生活しているみたいで、本当に満たされるんでしょうか。広い家に住んだらもっと広い家が必要になるし子供がいい大学に入ってももっと勉強させたいだろうし、こんな欲望かぎりがない。 普通の神様知らなくても、仲良く暮らしている家庭と同じだと思う。 これが神様の願われる家庭だと思うしか、思い込むしかないんでしょうか。 私は私の内なる深いところから、そうじゃないって声がするんですけど。 夫婦の関係においてみても、どんなにお互いが努力しても、どんなに理解しても、うめることの出来ない部分があるようにおもいます。その部分は神様が座る位置ではないかとおもうのです。 、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 22, 2007 08:08:28 PM
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