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カテゴリ:わたしのこと
献身を決意した娘には何を言っても無駄だった。
お前が便所に嵌っていくゆめをみたんやぁ。どう考えても統一はあかんで。 父の言葉は、私を思う気持ちであふれていたが、それも私を引き止めることはできなかった。 父は霊界の仕組みも神も信じない人。何を話しても通じないと思った。 原理を通してみると、親の心情というものを深く理解するようになる。 親の事情を知って我が家の夫婦の関係、親子の関係の問題点を知った。 その問題を解くためにも、私が神様の前に条件をたたせないとだめだと思った。 お金で条件をたたせることもできるが、学生の私は体で、献身生活することで条件を立てようと思ったのだ。 私の夢、私の願い、私の未来すべてをささげることが神様の願いだと教えられた。 その中でも一番の条件は愛だと聞いた。愛は命よりも大切なもの。 その愛を自分勝手に使わずにメシアにささげることが、何よりの条件だと。祝福とは形は結婚だが、原理の中でも核の中の核奥義だったのだ。 メシアは7代以上の先祖をみて蕩減晴らすことができる相手を選ぶという。 生まれれくる子供は蕩減のない子供だと。 今から思うと嘘八百ならべた言葉にだまされたわけだが、当時は祝福を受けないと大変なことになると、私だけでなく亡くなったご先祖さまにも害が及ぶと思っていたので死よりも恐ろしい結果になると思っていました。 それを真理として信じていたのですから、周りがなんといっても聞こえないのです。 自分で自分を痛めつけながらも、私が苦労すればするほどそして感謝して超えれば超えるほど私を含む私の血統圏は,蕩減がなくなり家族もひいては日本が幸せになると信じてきたのです。 こんな話を、私は親にはできませんでした。 理解してもらえないと思ったからです。でも正しければいずれ、私がいわなくても社会が認め世の中が認めて親も理解してくれる日が来ることを信じました。 私が原理を知って長い月日がたちました。 日本と韓国の統一教を見ました。 内部部が腐って,自浄する力もありません。組織があるところはある程度腐っているもんです 教理も時間とともにかわっていきます。時の恩恵という言葉で 真理といえるものを見つけることができません。 根本から腐っていたことを認めざるを得なくなりました。 その時の私の慟哭は今もつづいています。 お父さんの死に目にもいけなくてごめんなさい。 宇治金時のカキ氷を見るたびに思い出します。 表現するのが下手でぶきっちょなおとうさん。 14才でお母さんをなくして一人で自立するのはどんなにつらかったでしょうか。 学歴がなくて会社で冷遇されてどんなに悔しかったか。それを埋めるために賭け事に手を出して、家族からもみんなからもわかってもらえなくて一人ぼっちだったお父さん。 家族だから迷惑かけて、かけられても、分かり合えるのに自分ばかり責めていたでしょ。 いつか会えるよね、といいながらお母さんの目ばかり気にしてとうとう会えないでいってしまったお父さん。 看病もできなくてごめんね。 すっ飛んでいくこともできなくてごめんね。 もうおれあかんわ。 泣き叫ぶような悲しそうな父の声が今も私の頭からこびりついて離れません。 あの時、父はもうわかっていたのでしょう。あと余命幾ばくもないことを。 なにかあるなと信じたくなくて、まさかまさかと思っていました。 何ヶ月かあとに事実を知った時の哀しさ。 誰も教えてくれなかったことに憤りと哀しさがこみ上げてどうすることもできませんでした。 父が生きている時にあいたかった。 会って、たくさんの思い出を作りたかったと思うのです。 父のお墓の前で生きている時に何もできなかった自分を責めるのはもうこりごりだと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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