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京都の清水にいってきた。中学校の遠足以来だ。
20年もこんなお寺を見ていないと、日本人のやるひとつ、ひとつのことが実に新鮮に感じられる。中に入って、ガラガラと音を出してお賽銭箱にご縁がありますようにとお金を投げる、手を2つたたいて、お辞儀して、手を合わせて家族の健康と幸せを祈る。 私が小さい時から見てきた、日本人の姿だ。どこでも見える当たり前の風景だった。 日本人は正月ごとにこれを繰り返し、神様にお祈りして一年の無事を祈りおみくじを引いて大吉なら喜び,凶なら何事も起こりませんようにと祈りながら木にくくりつけて、無事に過ごせることを信じる。 こんな当たり前の風景が、見慣れない不思議な風景として写った。 韓国にいるとよく聞く質問は季節の行事についてだ。 その中でも正月について話すと聞かれるのは、じゃその神社に祭っているのは何ですかと。 はじめは、私も大きな顔してもちろん神様ですよ。と答えながら次第にいやいやたしか神様じゃなくてあの北の天満宮と同じ菅原道真公とかいうう人だったと思い出したのだった。 そう毎年わたしがお参りしていたのはご先祖様だったのだ。 そう思うと日本人は亡くなったご先祖を大切にする心を小さい時から育てていたのだなと思ったのです。それと同時にそのかたがたを神様と同じように考えていたことに気がついたのです。先祖を敬う気持ちは大切ですが、人間は人間です。神様ではありません。そして死んで仏様になるとも聞いていますが、これも神様とは違うでしょう。創造主と被造物と考えたらわかりやすいかもしれません。 さてキリスト教は創造主を信じる信仰です。 ただ一人の、神です。 神に対する認識がはっきりしないと神社の神様もキリスト教の神様も一緒に混同してしまいやすいのです。 日本人が霊感商法にひっかかりやすいのも、小さい時から親の手に引かれて神社に行っているからだと思いました。日本人の信仰の中に先祖を大切に思う気持ちがあるからです。 賽銭箱にお金を投げるのも、おみくじを買って占うのも額が小さくて問題にはなりませんがもとは霊感商法とおなじだと見るのはいいすぎでしょうか。 韓国人は原理を聞いても家系図を気にしたり、つぼを買ってすくわれたと思う人はあまり見えません。チョンピョンに行く人もいればいかない人もいます。これを統一凶では信仰があるないと単純にかたずけてしまいますが、国民性の違いだと思いました。 先祖供養をするしないも、それぞれの信仰しだいです。 それをうそだと思うか詐欺だと思うかもそれぞれの信仰しだいです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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