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カテゴリ:わたしのこと
ソウルはとてもいい天気が続いています。
一週間後にはチュソクという3日間の名節があります。 ご先祖様に感謝ささげるチェエサをします。 日本では法事にあたりますが、今の私はこのような死者のための儀式は残された人のためにするものであって気休めに過ぎないと思います。 何年いてもなじめない行事ですが嫁としてお料理作りに励みます。 だんなの兄弟が多いので集まると30人、40人分のお食事を4人の嫁たちが分業してかたずけていきます。 はじめは、シンク台もなにもないところで仕事をしていましたが慣れれば要領がついてくるものです。料理をするのも、かたずけるのも、暗い、土間のようなところで男は食べる人女は作る人時代錯誤もはなはだしい中で仕事を探して慣れていきました。 日本では料理ひとつ作ったことのない私が、こんな環境に耐えることができたのは、ただ信仰によってここまで来たのだからどんなことがあっても家族の人たちに認められて氏族復帰の足がかりをしたいと思っていたからです。 蕩減と言う考え方によって、こんな環境でさえ感謝していたのですから。 蕩減が重ければ重いほど、早く復帰されるとか、自分の罪がきれいになるとか 涙が多ければ多いほど神様の心情に近くなれるとでも言いましょうか。 けれどそう思っている限りこの苦労からは抜け出ることのできない。 これは決してトンネルの外に出ることができない呪縛であることに気がついてしまいました。 永遠に涙と共に苦労をし続けねばならない。おわりのない苦労であることに。 幸せになるためにこの道を選んだはずなのに、地上天国はおろか私の心の中にも天国を作れない教えに縛られる必要もないわけです。 しなくてもいい苦労を神様のためにとささげた月日が惜しくて、その事実を認められないだけだときづいた時、われの返るのです。 悲しいことに原理では夫婦はひとつと教えがあるにもかかわらず、われに変える時期は夫婦一緒ではないのです。 片方は原理の間違いにきずき、片方は相変わらず熱心な信奉者である場合。 片方はそれぞれの考え方を尊重しましょうと言うのに、現信者は夫婦一緒でなければ、私の責任分担が果たせないので死んでも原理を信じなければならないと縛ってくるのです。妻が教会から離れたのは私のせいといわんばかりに、ますます天聖経を熱心に読んだり祈りに熱を入れたりし始めるのです。 私自身は自我に目覚めるとでも表現したらいいのでしょうか、本来の自分の姿の戻っても、そんな状態を今度はその私の姿をだんなさんはみとめられないわけです。 長い時間同じ家の中にいてもお互いの心の中を打ち明けたり理解してこなかったからです。 けんかでもして自分の主張をしたほうがもっと近くなれるのに 夫婦喧嘩はよくないとか2世がちゃんと育たないとか、そんな呪縛にかかって、わたしは自分のことをいつも否定して自分のことを言うときは、何日も考えたり旦那の立場ばかり立てて私が我慢すれば家庭が円満だと思って静かに波風立てないで来たのです。 韓国は日本よりももっと早く時間が進んでいるように思うことがあります。 価値観の移り変わりがとても早いのです。 男尊女卑の考え方は特に統一協信者の男性に色濃く刻まれています。 時代の波に乗り切れないのが教会信者の特徴のようです。 男性には都合のいい考え方なのです。 わたしは、信仰によって私自身をすべてを否定し旦那の意のままに動いてきたので、彼は夫婦としての同等の人間関係の結ぶというより、上下関係で私を支配してきたのです。 奥さんは自分とはぜんぜん違う個性や考え方を持っている人間だということを最近わかり始めたようです。 旦那の前に従順と服従だけで過ごしてきた月日を私は今やっと取り戻し始めていると感じています。今まで、自分を人形みたいだとかロボットみたいだとか感じて自分が何を表現したいのかもわからない世界に住んでいたようです。 自分が自分らしくふるまうこと。 だんなに気に入ってもらう自分じゃなく、ありのままの自分を表現することからが大切だと思っています。祝福を壊してはいけないという前提では自己実現どころかいつも人の目を気にした自分しか作れないと思います。祝福を通した原罪の開放もなければ、個性の完成もありえません。人間のしがらみでがんじがらめなのは、祝福を受けた夫婦だけでなく、これから受けなければならないと準備している2世の祝福の子女たちもおなじだとおもいます。祝福の鎖を断ち切るために、私一人の犠牲で十分だと思います。 もっと年をとる前に2人の関係に気がついてよかったと思います。 これからその関係を立て直すために私の挑戦が続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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