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いよいよ私も形だけを繕って協会にいくのがいやになってきた。
協会で、仲のいい夫婦ごっこをするのに嫌気が差し始めてきた。 人間的には人のいい穏やかな教会長さんの説教が、悪いわけじゃない。 傲慢でえらそうな、それでいて人のいいクォンサニムがきらいなわけでもない。 礼拝といいながら、霊性というものを感じさせない神を冒涜する言葉一つ一つが私の心をいたくさせるのだ。神の心情を慰めると祈っているその場所で神が一番忌み嫌う行為をしているので、そのため怒りと哀しさではちきれそうになるからだ。そんな心を誰も知らない。 韓国の協会の数は減っている。 伝道はぜんぜん進んでいない。 企業体は赤字だらけでリストラの嵐が吹き荒れている。 韓国のクリスチャンからも相手にされていない。。 それが統一教会の客観的に見た姿だ。 なのになのに、そんな現実を見ないように目をふさいで耳をふさいでわが道を行く彼。 原理に陶酔しているのでそれ以外の見方ができないでいる。 離れた人はみな愛の減少感で離れるのであって、原理は完璧であると思い込んでいる。 いつまでたっても平行線の話し合いは進まない。 夫婦一緒に礼拝にいかないと恥ずかしいと理想の家庭を作るために精製を尽くしましょうという彼の言葉に納得して喜ぶことができない私。 協会の正体を知ってしまったから、原理のうそに気がついてしまったから、文鮮明が何者であるか知ってしまったから、もうこれ以上、以前のような考え方で信仰生活をすることはできない。しかし私がそのことを伝えても受け入れることができない彼。 大きな岩でも一滴の水で長くうたれつずけたらへこませることができ、そのうち穴になるように善良な彼の心に染み付いた原理をいつかふるい晴らせるときがくると信じたい。彼の目から見たら今の私の姿はクリスチャンにそそのかされた愚か者にしかうつっていないが,逃げることはできない。家出や離婚、自殺という方法は、周りのものにも荷物を背負わせてしまうだけ。 何の解決にもならないことを私は過去に学んだ。 強くなりたいと思う。 現実に押しつぶされてしまわないように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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