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カテゴリ:韓国という国
韓国では、教会が統合、吸収されていままであった地域に統一教会がなくなっています。
それぞれの教会には信者がいなくなって、これ幸いにと教会と縁が切れてしまった人が大勢います。 当然行く場所のなくなった信者は、どこにも所属しない人、近くの長老会教会に行く人、分派に行く人とさまざまです。 霊的浮浪者になった魂はよりどころをなくしてフラフラ。 霊的障害者といえばいいのでしょうか、神様も人も信じたくても信じれないそんな人を量産しているように思います。 それでも教会につながらなくては不安な人は、ソウルの本部教会に足を運ぶようです。 誰がいるのかわからないのでうるさい干渉もなく信仰できるという理由で。 私は先日また行ってきました。 あんまり私が統一教会がいやだというので旦那は少々ノイローゼ気味です。廃人なってしまわないかと思うほどの苦しみ方です。ほかのどんなことでも譲歩はできるけれどその一点は触れてくれるなと尋常でないその様子は普通の生活にも支障になるぐらいです。 認識を変えるということは幅広い情報と寛容が必要です。 自分で自分の情報を制限して、考える幅を切り捨てているので彼自身の自発的な意思でその枠を取り除くしかないのですが、そばでそれを無理やりこじ開けると副作用が大きいような気がします。一休みしながら折れたふりをしました。 彼にとって、私の心はどうあれ、統一教会の礼拝に行くという事実の方が大切なのです。 ヨンジンさんのこの日の礼拝は、カトリックの礼拝を混ぜた奇妙なものでした。仏教と瞑想とちぐはぐなつぎはぎだらけのこの礼拝が宗教の統一を図った形だというにはあまりにもおかしな光景でした。アブラハムスゴンというものを頭にかぶせてアージュという姿を見てキリスト教とは、もう誰も思わないことでしょう。 正直言って韓国人の6000双のコンサニムにこんな礼拝について意見を求めたら、わたしも空が好きさんと同じ意見よでも何か意味があるかもしれないんだから黙ってついていくしかないわよね、とのことです。 信仰という魔法にかかったかわいそうな群れにいつまことなる審判の手が伸びるのでしょうか 日本人の女性の中には、こんな変なとこにいたなんていまわかったわという声も聞こえてきます。韓国には7000人の日本人がいるそうです。今この日本人を日本の組織と同じように動かせようという動きがあります。一時は韓国の組織の中で認められるようがんばりなさいといっていた人たちが、今は韓国人には任せられない、摂理を担う日本人が立ち上がってとまた末端の純粋な信者を食い物にしようとする動きが見えるのでうんざりです。韓国にいるって言うだけで大変なエネルギーがいるのに、そっとしておいてほしいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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