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1980年代に教会に来た人ならその祝福と価値についてよく理解し条件を立ててその日を待って受けたことでしょう。
その後韓日日韓の祝福から日本の事情と韓国の事情がどうやら違うようだと1990年からわかり始めました。それまでは言葉も違う文化も違うので問題があっても一部の信仰がない人だけだと思われていたのです。 しかし問題は一部ではなく全体にあったことを今や誰もが知っている事実です。それを知りながら誰もそのことに責任を持ったり口論されないままでいるのです。 いつまでもうやむやになってわからないままでよくなるわけでもなく同じことがずっと繰り返されているということなのです。 例えば韓日祝福のことです。 何も考えずに飛び込んだ6500双とか36万双とか問題が浮上してなかったし対策が打てなかったとしてもあれから10年以上たつ今も交差祝福として日本から祝福を受ける人がいるということに驚いてしまいます。 聞いてみると日本国内ではあまりにも韓日の実情について話していないと思ったのです。 そしてこうして韓国語がダイレクトにわかってしまうと、都合の悪い部分は日本語に訳されなかったり省いたりあるいはすごくきれいな言葉に変わっていたりして韓国語そのままが日本に伝わらないのだと思いました。 そして統一協の教理からして韓国人優位なので誰も待ったをかける幹部がいないことがよくわかりました。 恥ずかしい歴史を作ってきた韓日の祝福を一日も早くやめてください。 国際祝福を受けて喜んでいる人だけが伝道すればいいでしょう。 日本はどうして韓国人の伝道の仕方や信仰の内容に問題定義ができなかったのでしょうか。 過去の日本の歴史的な過ちからとか韓国は主の国だからとか根拠のないことを信じさせられていたからですよね。 韓国にいる日本人なら1人や2人周りに手がつけれないほど大変な家庭があるのを知っているはず。 貧困は貧困を生み、経済の破綻は家庭の破綻へと続き病気や看病でどこにも言うことのできない中で黙々と生きている人も多いのです。 ごくわずかな一部の韓国で韓国社会で活躍している人が統一教会を代表しているように話されますが出てくる人はいつも同じ人ですね。 10年たっても韓国になじめないんですとか韓国の家族関係が難しくてとかいう話を聞くたびに我慢するしかないんですという統一協信者の話。 具体的な解決方法も示せないで活動や献金といった要求ばかりする姿勢にだんだん嫌気が差していることぐらい信仰者なら察してほしいですけどね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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