韓国人
わたしは、仕事柄実にたくさんの韓国人と話をしてきた。みんな正直で飾らない人が多かった。そして、勉強もとても熱心だ。学位をとる人も多いし、勉強となったら親は借金してでも教えるのが親の務めだと思っている。言葉もたくさん知っているし、熱意もあるけれど、話せないのだ。相手を魅了する話題に乏しいんだと思う。日本では野球の道具がない学校は先ず、ないんじゃあないかと思う。ここには、それが、ほとんどない。 運動というものがとても軽くみられている。運動は運動、勉強は勉強、別々なのだ。運動を一生懸命やればこそ、その面白み、深さ、感情が豊かになる。何か一つでもそんな体験があればそれをとうして感じ考えることが出来る。一人では、体験できないこともたくさんある。チームをとうして自分の位置や役割、勝利に導くために時には損な役割も喜んでしなければならないときだってあるのだ。そんな経験や体験が足らないと思うことが多い。それは韓国の学校教育のせいだ。ここは、成績のいい上位3%の学生のための教育だ。のこりの学生は無視されているのとおなじだ。自分の主張はしても相手のことが見えない。わからないから、あわせられないし、自分の位置ががわからない。相手も自分とまったく同じだと思い込んでいる。人生に感動がない人生に体験がない人生に夢がない人生に創造がない想像がない日本人よりずっと広くていいマンションに豊かに、いや豊かそうに暮らしているが、現実的で即物的だ。目先のお金になることしか考えていない 。その暮らしは精神的に貧しく大変だ。