12.将軍様と『やさしさ』?負け犬の遠吠え:将軍様と『やさしさ』?私は北朝鮮を擁護するとも取れる表現でブログを書いてきた。 別に「人を刺して死んでゆく様をビデオでジーッと撮影することが大好き」な将軍様が個人的に気に入っている訳ではない。 どっかの民放が、将軍様の運転手をしていた脱北者(大韓民国在住)からの証言を放送しているのを見たことがある。 「将軍様はアワビが大好きで毎日食べている。」 「将軍様の別荘に侵入した者は警告に従わないと発砲される。」 「・・・全くとんでもないことだ!!!」 ・・・? 一国の独裁者の好みが「アワビ」というのは少し情けない気もするが、一国の独裁者ならアワビぐらい腹いっぱい喰わせてやれよ! 故桂枝雀師匠は、「河豚」が好きで毎日喰ってたって聞いたこともあるし。 何と将軍様の居所に近づいたら、先ず警告するそうだ。 ホワイトハウスや皇居、首相官邸に侵入者がいれば、警告なしで即銃殺だろ?普通は・・・。 信じられないくらい将軍様は侵入者に寛大なようだ。 だから将軍様が好きだなんて感情は一切ないが、ただ、事実とすれば凄く笑える・・・。 問題は将軍様なんかじゃないってこと。 今北朝鮮の人口が何人いるか知らないが、1千万人、2千万人? 将軍様が居なくなると、その大部分が難民になって、中華人民共和国東北部や大韓民国に流れ込むってことが非常に大事なんだと思う。 かつて東欧の独裁者に愛人が懇願したことがある。 「どうか国境を開放してください。私のために・・・。」 独裁者は大いに喜んだそうだ。 「君はそんなに私を愛してくれるのか。この国で『2人っきり』になりたいなんて・・・。」 勿論ジョークだろうが、北朝鮮の独裁政権が倒れれば難民がどれだけ発生するのか見当もつかない。 毎年、冬になる度に『飢餓』が押し寄せる国に何人の人間が残るというのだろう。 だから、中華人民共和国も大韓民国も必死に北朝鮮を支援せざるを得ない。 バブル全盛期の日本国に100万人の人口(難民)が流入すれば、日本経済は崩壊すると聞いたことがある。 経済成長を政権作りの基盤とする胡錦涛国家主席が黒龍江省の崩壊を指を咥えて見ていられるのだろうか? 1千万人の難民が流入すれば一瞬にして崩壊する大韓民国は? 何も亜細亜だけの話ではない。 旧ソビエト社会主義人民共和国連邦が崩壊する怖れがあった時に、ゴルバチョフ体制への金銭的な援助など、何と必死の支えたのは人権に煩い欧州である。 旧ソ連に人権的な問題が在ろうと関係ない。 欧州側に偏在する旧ソ連2億人の人口が難民になって欧州に流れ込んだら、一瞬にして欧州は崩壊するからである。 欧州の人権への配慮なんて、その程度のもの。 国家存亡が掛かった時に、彼らに人権なんて発想はない。 それが国家の安全保障に関する判断である。 だから、日本国は殆んど難民なんて認定したことがないし、難民から国を守るために海岸線に敷設する『地雷政策』は放棄していない。 3千kmを超える海岸線なんて『地雷』でなきゃ守りようがないらしい。 だから私は『拉致家族』なんて枝葉末節に拘って北朝鮮対策を誤るのが我慢できないのだ。 今、北朝鮮を崩壊させたら誰が責任を取るのか? 脱北者を援助しているNPOは、1千万人を越える難民の世話が出来るのか? 今の脱北者支援なんて所詮自己満足に過ぎない。 「根本的に解決出来ないことはするべきじゃない」というのが私の信条である。 発展途上国を旅している時、汚いカッコをした子供に取り巻かれる。 1米ドルでも与えれば、彼らは2~3日は充分生活していける。 でも私は絶対に与えない。 中華人民共和国に居た時のこと。 金がなくなって大学が卒業できない。 日本円で数万円の金を渡せば彼は無事大学を卒業できるし、彼の人生は違ったものになるだろう。 でも私は金を渡さなかった。 数万円の金に困っていた訳ではない。 安易に金を貰った、彼等のその後の人生に責任が持てないからである。 『本当に苦しい時には、人を頼るべきじゃない』と涙を呑んで振り切ってきた。 ハッキリ言って今でも後悔することはある。 でも、それは絶対にしちゃいけないことだと信じている。 家族に対してもそうだ。 未だ高校卒業時の弟に大学受験について判断させた。 勿論、情報は提供する。 でも弟の人生に私は責任が取れない。 大学受験など人生を左右する判断を人に任せてしまうと絶対に後悔する。 如何いう結果になろうが、自分で判断しなければならないことはある。 私の人生でも本当に困った時には、絶対にツレに相談したりはしない。 「うつ」に苦しんだ時も、数百万円の金に困った時も、相談なんかしなかった。 何とか凌いでから『こんなことがあった』って報告するだけ。 自分の人生は自分しか責任は取れないし、ツレとは云え、騒動に巻き込みたくは無い。 いや、ツレだから騒動に巻き込みたくはない。 『やさしさ』って何なのだろうか? 生活に困っている人にお金を与える。 数人の脱北者を支援する。 困った友人を慰める・・・。 そんなことが『やさしさ』なんだろうか? ニーチェの作品に友との交わりに関しての記述がある。 自分が絶望的に困った時には決して友人には頼らず、友人も絶望的に困った時には決して自分には頼らない。それが超人の友との交わりである。 確か、こんな表現だったと思う。 何もミーンナでニーチェになろう!なんて思っちゃいない。 でも『やさしさ』なんてきれい事だけじゃない。 その人のことを思えば、涙を呑んで振り切らなければならない事がある。 そんな『きびしさ』が『やさしさ』には常に貼り付いてるんだってことを少しは理解して欲しいだけのこと・・・。 ジャンル別一覧
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