18『長野知事選』と『原爆投下』への考察「うつ」人の考察:『長野県知事選』と『原爆投下』について考える。平成18年8月7日の朝刊を見ています。 2つにテーマを分ける「新聞社の社説」について、『主筆』が『社を代表して論じる』にしては、余りにも情けないと常々思っていますが・・・。 私の雑文を例えるには『余りにも分を超えている』のはキチンと自覚しています。・・・ハイ。 一見、無関係に思える2つのテーマ『長野県知事選』と『原爆投下』ですが、根本で同じ問題を孕んでいるんじゃないかと危惧しています。 昨日、『長野県知事選』が投票・即日開票され、村井仁氏が当選したと報じられています。 村井氏は、郵政民営化法案に反対票を投じて、衆院選に出馬せず『一言居士』の様に論じられています。 あの時の『刺客』を恐れての政界引退だったんだろうと単純に考えてしまいますが、『言ったことは必ずやる』という信念を持つ、「小学生並みの感性の人」のようです。 とは言うものの、私は「田中康夫」知事には、非常に疑問を持つ者です。 著書『何となくクリスタル』で華々しく文壇デビューしたのは良いのですが、所詮、その時代の風俗を模した作品に過ぎません。 当初は一橋大学出身ということで『文化人』扱いしていたテレビ局も、『余りの粘着質な変質者ぶり』に愛想を尽かし、女言葉で話す彼を『ヤスオチャン』と呼び、次第にゲテモノ扱いをする始末。 最後には『アダルトビデオの監督』までして人気を維持しようとした『ヤスオチャン』。 『アダルトビデオの監督』を侮蔑する訳ではありません。 ただ、その監督をしている彼の上着のポケットには、必ず『リカチャン人形』が差し込まれていたという事実に『愕然』としただけです。 その彼を『民主主義の目覚まし時計』と讃え、当時の茅野八十二銀行頭取など地域財界が挙って支持に廻ったのは『愕然』を通り越して、『茫然』とさせられました。 『県民が自分の力で独裁者の呪縛を解き放った。』 朝刊によると、今回、茅野元八十二銀行頭取が満足そうに語った言葉だそうです。 『自分の責任』を見事に県民に『転嫁』するこの上手さ。 「『独裁者』どころか『変質者』を県の最高責任者として推薦したのはテメーだろ!」 「腹を切って責任を取れ!!!」 怒りが込み上げてきます。 次に『原爆投下』です。 朝刊によると、秋葉広島市長は「人類は今、全ての国が核兵器の奴隷となるか、自由となるかの帰路に立たされている」と指摘し、「世界政治のリーダーたちは、『核兵器の持つ唯一の役割は廃絶されることにある』との声を無視し続けている」と批判したそうです。 また、被爆者の活動を「世界の市民に広がり、力強い大合唱になりつつある」と評価したとあります。 私の感想は一言、『はあっ?』でした。 広島市長は、彼の立場が言わせたのでしょうが、余りに国際情勢を知らなさ過ぎます。 唯一の原爆使用国である米国は、『原爆投下の反省』など一顧だにしていません。 リベラルを標榜する米国民主党クリントン政権時代に、ワシントンDCで『原爆展』が開催されようとしたことがありましたが、即刻中止に追い込まれました。 『原爆展』中止の理由は、『原爆投下は正義である』という米国の公的判断によるものです。 未だに、その主張に一片の変化もありません。 「核兵器の不拡散に関する条約」(NPT)は、核兵器の全廃を謳っている訳ではありません。 5大国以外の国が核兵器を製造・所持するのを禁止する条約です。 以前『国際連合』について考えたことがありますが、国連憲章第7章第42条など、国際紛争は最終的には武力によって鎮圧されます。 常任理事国を中心とする国連多国籍軍の武力制圧を、唯一、脅かしてしまうのが、『小国の核保有』です。 ですから、常任理事国は、自分達にとって都合の良い『戦後の世界維持体制』を継続する目的から核兵器の拡散には反対しているだけです。 『核兵器』は戦争の抑制のために非常に有効です。 現在、パキスタンとインドが、カシミール地方の帰属を廻って、小規模の武力衝突を繰り返しながらも、大紛争に発展しないのは、国際社会は認めていませんが、両国が『核兵器』を所持しているからです。 米国が北朝鮮を攻撃しないのは、『デメリットは山ほどあるが、攻撃する何のメリットもない』ことが一番大きな理由だと思いますが、北朝鮮の核保有も米国を躊躇わせている原因の一つでしょう。 『核兵器』は『伝家の宝刀』です。 抜いたら意味がありません。 でも、5大国の『核兵器』保持は、国際紛争解決のために無くてはならない『伝家の宝刀』なのです。 ですから、全ての国の核兵器の全廃が『世界の合唱』になっては困るのです。 そういう下らないNPO団体の主張が、世界中に『不必要な紛争と死傷者』を撒き散らしてしまいます。 取り敢えず今は、『5大国だけの核兵器保持』による世界平和の実現に期待するしか他に方法がありません。 以上、2つのテーマを考えてきました。 「えっ?何処が同じ問題なの!」 この文書の冒頭部分を覚えている方がみえるとすれば、そう思われるかも知れません。 テレビや新聞報道などで必ず、『意図的』に忘れられていることがあります。 報道は常に『目立った事柄』だけを報道して終わりです。 『田中康夫知事』が失脚したのは彼自身の問題だ。』 『米国のような原爆投下など二度とあってはならないことだ』 常に『何かをした方』バカリが強調されます。 誰が、そんなに問題ある『田中康夫知事』を選んだのでしょうか? 誰が、米国に原爆を投下される原因を作ったのでしょうか? 『意図的』に報道されない事実。 それは『国民が悪い』ということです。 長野県民が、ここまで『馬鹿の集団』でなければ、如何考えても『ヤスオチャン』なんか知事にしないでしょう。 日本が、アジアや米国に戦争を仕掛けなければ、そして、陸軍や国民が『本土決戦』を決意しなければ、原爆が投下されることもなかったでしょう。 『大日本帝国憲法』や『日本国憲法』は、其々の時代に『世界でも例を見ない最もリベラルな憲法』です。 関東軍や陸軍を批難しますが、そんな奴等に権限を与えたのは、当時の国会議員を選出した国民でしょ? 『戦争なんて止めましょう』と訴える知識人を、『非国民』として半殺しにしたのは、『竹やり』でB29を打ち落とそうとした『馬鹿な国民』じゃないですか。 如何してハッキリと報道しない! 『田中康夫知事』を選択したのも、『原爆投下』の原因を作ったのも、『同じく馬鹿な日本国民なのだ』と。 ミンナで考えましょうよ。 マスコミに流されてバカリいると、貴方も何時かそんな『馬鹿な国民』になってしまいますよ! ジャンル別一覧
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