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「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

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25 『子猫殺し』批判

「うつ」人の考察:『子猫殺し』について考える

 平成18年8月25日付けの朝刊を見ています。
 日本経済新聞18日付夕刊に掲載された坂東真砂子女史(仏領タヒチ島在住)のエッセイ「子猫殺し」抗議が殺到していると報じられています。

 女史は、3匹の雌猫を飼っており、子猫が生まれる度に家の隣の崖に放り投げている告白し、「人は他の生き物に避妊手術を行う権利などない」「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」と記したとあります。

 日本経済新聞社によると24日正午まで500通を超える電子メール約90件の電話があり「理解に苦しむ」という声が多く寄せられたそうです。

 女史同社を通じて「タヒチ島に住み始めて8年。人も動物も含めた上で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した」とのことです。

 茫然としました。
 珍しいことですが、今回の事件に関しては、「私の考え方」「社会の動き」一致しています。

 「何様のつもり?坂東真砂子!」

 ゴーギャンも魅せられた『最後の楽園:タヒチ』
 そこで生活する中で、女史は『神』にでもなった心算なのでしょうか?
 また、自身の著作の様『鬼』を心の中に住まわせてしまったのでしょうか?

 正しく『理解に苦しむ』という日経読者からの抗議と同じ感想です。
 「猫神」と書くこともある、我が『妻』が知ったら、即座に『タヒチ』行きの航空券を確保してパスポート片手に飛び出して行きそうです。

 「テメーに生まれてきた子猫を殺す権利があるなら、私にもテメーを殺すぐらいの権利はある」と。
 『タヒチ』何処にあるのか多分知らないとは思いますが・・・。

 「タヒチ島に住み始めて8年。人も動物も含めた上で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。」
 女史は、そう語っています。

 それなら、如何して「生まれた子猫」の『生』について深く考えなかったのでしょう。

 「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」
 『社会に対する責任』など詭弁です。
 「自分の育ててきた猫の『生』の充実」など、既得権益を死守するワンマン会社の経営者今の財界のお偉方全く同じ考え方じゃないですか。

 「人は他の生き物に避妊手術を行う権利などない」
 多分、「人は他の生き物に避妊手術を行う権利などない」んでしょう。

 でも「責任とってテメーが死ぬ」という選択があるだろう!坂東よ!
 家の隣の崖に放り込むのは御自身にされたら如何でしょう。
 坂東女史の作品余り好きではありませんし、女史がいなくなって困る人そう多くいるとも思えません。

 「坂東真砂子が死ぬ」方が、生まれたばかりの子猫や、子猫を殺されずにすむ母猫にとって、随分と楽しい『生』の充実なんじゃないのでしょうか。
 「『生』の充実」を云々言うのであれば、生き物の世界に「子殺し」として人が介入する方が不自然じゃないですか。
 母猫が、子育てという『生』の充実を楽しむことも出切ますし。

 母猫は、「育たない」または「育てられない」判断した場合には、その子猫を食い殺してしまいます。
 それは、自然の掟で軽々しく人が手を出す話ではない我が家では納得しています。

 また、我が家は、経済的理由で雌猫の「避妊手術」をしています。
 始めのうち「避妊手術」をしていませんでした。
 猫が10匹を超えると、我が家では狭すぎるようで、強い雄猫から順番に出て行ってしまい、収拾が付かなくなったということもあります。
 しかし、雌猫の「避妊手術」については、批難されても仕方のないことだと思っています。
 言い訳はいたしません。

 人については如何でしょうか。

 軽々しく『避妊』する人が多いのは事実です。
 生んだ子供を虐待して殺してしまう母親が多いのも事実です。
 西原理恵子女史に言わせれば「『優生保護法』は、アンタ達のためにあるホーリツだ!」思わず納得してしまう人々も多くいます。

 は、ミッションスクールは出ていますが、キリスト者ではありません
 しかし、『避妊』については非常に懐疑的な考え方をしています。

 ですが、『避妊』と『親の死』問われれば考えざるを得ません。
 子供は大事です。
 でも、そのために、「精神的に追い詰められる」なども含め『親』のドチラかが死ぬことは如何しても納得がいかないのも事実です。

 其々の事情もあるでしょう。
 皆さんは御存知ないかも知れませんが、残念なことに、『私は「ローマ法皇」ではありません』ので、「『中絶・避妊』は絶対に許されない」と言う権利もありませんし、言う心算もありません。
 『中絶・避妊』した方が仕合せな場合があること異議はありません。

 唯、絶対に許せないのは、『生まれた子供』を殺すことです。
 生まれてきた子供は、「誰のものでもない一個の人格」です。

 ですから、『一家無理心中』など、「親が勝手に死ねばいいことで、子供まで道連れにするな」大反対です。
 子供は、親などいなくても立派に育ちます。
 特に死を選ばなければならない親などいない方がマシというものです。

 『尊属殺人』一般の殺人に比べて余りにも刑が重過ぎて憲法違反であるという違憲判断がでたことがあります。
 刑法が改正されたのかは知りませんが、それ以降、「尊属殺人」も「一般の殺人」と同じ量刑で判断されているようです。

 ですが、敢えて此処に暴言を吐きます。
 刑法に、「嬰児」に限って『卑属殺人』を「無期懲役若しくは私刑に処す」と規定して欲しいと考えます。

 どんな子供であれ、未来は確定していません。
 ですから、誰もその子供の命を奪うことは許されません。
 その子の力で世の中が変わってしまうことも無い話ではありませんから。

 それは、人も動物も皆同じことなのだと思います。
 そして『中絶・避妊』により、「生まれる事のなかった子供」永遠母親の中で生きて欲しいと祈っています。


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