「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2006/06/07(水)00:59

『うつ』というのは哀しい病気ですね。

欝(うつ)について(32)

 「『うつ』なんてのは、『虚構』の病気なんですよ。」 という命題を突きつけられた頭の余り良くない「杉の花粉」は、全ての機能を停止して眠ります。  今朝は9時頃に「食パン4枚切」の2枚をトーストして食べました。  午後12時過ぎに「猫神」に叩き起こされて宅配された「野菜タップリお弁当」を一緒に食べました。  それ以外はズッと眠って過ごします。  「引き違い戸」の隙間から自由に出入りできるようにしてありますので、2~3時間毎に眼を覚ますと、座椅子の上に「猫神」がいたり、我が部屋猫〈かふん〉がいたり。  まるでフラッシュバックのように光景が変わります。  どちらにしても頭を撫でているうちに眠ってしまうのは同じですが・・・。  『虚構』とは何なのか?  言葉としては理解できても現実社会において『虚構』といわれると考えてしまいます。  仕事や生活自体が『虚構』の匂いがしますし、生きていること自体『虚構』の様な気がします。  「『もう少し仕事をしておきたい』『もう少し遊んでいたい』という『もう少し』の部分が『うつ』には良くない。『疲れた』と感じたら充分に休息を取りなさい」 という主治医の言葉から模索します。  『単なる欲望の充足』に済ませておけば良いのか?  でも、それで本当に欲望の充実に繋がるのか?  悩んでしまいます。  かつて、『軟弱なバックパッカー』であった「杉の花粉」は個人旅行の経験をベースに物事を考える『癖』があります。  『如何でも良いことで叱責を受ける時』など、この程度のことで『人が死ぬ』訳でもあるまいしと考える『癖』です。  その『軟弱なバックパッカー』の『癖=思考』が、『欲望の充実』について囁きます。  「何故、宿が見つからないのか」  「何故、オンボロバスに荷物のように積まれ何時間も我慢しなければならないのか」  「何故、眠るとき迄、パスポートやトラベラーズチェック、現金に気を付けていなければならないのか」  「単独での海外旅行は、辛いことの連続です。」  「何時も何故こんな辛い事をしなければならないのかと考えながら歩いています。」  それが、「夕暮れにコーランの流れる中、山頂のぺトラ遺跡からイスラエル大平原を見渡しながら、吸う1本のタバコ」  「雪に埋もれたブラチスラバ(現在のスロバキアの首都)で3時間以上歩き廻っても宿が見つからず、仕方ないので外資系の大ホテルに泊まり、偶然知り合った日本人家族と一緒に支配人を交えながら飲んだキツイ酒」  「その家族に教えてもらった古城の閉まった入り口から強引に入り込み、雪を割るように流れるライン川をボーっと眺めながら吸うタバコ」  「その後、一緒になったプラハの学生二人と閉められた古城に放たれた犬からの逃避行」  「左右に聳える真っ白い山嶺のどちらかが、間違いなく北極圏だと細雪の降る中を彷徨った一日中夜に閉ざされた宝石のようなトロムソ(ノルウェー)の街」  多くの『辛さ』を超えた処に『本当の楽しさ』や『感動』があります。  それは『虚構』かも知れませんが、我知らず頬を流れる一筋の涙を感じる時は紛れもなく『実存』を感じさせてくれます。  直ぐに充足されるレベルの満足など、『楽である』という意外の何の意味も持たない。  『軟弱なバックパッカー』の『癖=思考』は少し厄介です。  常に『後もう1歩、もう少し進めば』と考えて生きてきました。  その『もう一歩』『もう少し』が禁じられてしまいました。  『うつ』患者としての「杉の花粉」はそれで良くなっていくのかも知れません。  でも、そこには、『軟弱なバックパッカー』の抜け殻が残されているだけのような気がします。  『うつ』というのは哀しい病気ですね。  初めて本当の意味でそう悟りました。  これから、如何やって生きていこう。  教えてくれる?〈かふん〉!

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