「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2006/07/09(日)22:21

天蓋

心のつぶやき(53)

 私たちの精神は何処から与えられたのでしょう。  生まれながらに、経験を積みながら、精神は構成されていく。  そんなふうに考えていました。  私たちの精神は何故失われるのでしょう。  積み上げられた筈の経験は脆く崩れ去って。  生まれながらの気性も何時しか輝きを失って。  身体の一点の痛みにすら精神は立ち向かえず、 バランスを失った身体は精神を飲み込んで崩壊していきます。  『健全』な身体にこそ『健全』な精神が宿る。  『病んだ』身体には『病んだ』精神が宿るのでしょうか。  『健全』とは何なのでしょう。  『病む』とは何なのでしょう。  『健全』にしろ『病む』にしろ言葉が勝手に独り歩きしている感があります。  スポーツクラブでホルモン剤の投入により作られた『健全』な肉体を誇示する精神は『健全』なのでしょうか。  病院の待合室で『病んだ』身体を自慢しあう精神は『病んで』いるのでしょうか。  かつて小林秀雄氏が、山下画伯を評して、「病んだ精神からは本当の芸術は生まれない」と批判したと聞いたことがあります。  ニーチェ、ドストエフスキー、ゴッホなど晩年は精神を病んだ巨人です。  氏は同じように批評するのでしょうか。  『病んだ精神から生まれるもの』『病んだ精神からしか生まれないもの』もあるような気がします。  「高邁な『靖国の英霊』礼賛の声」よりも「『東京には空がない』と呟く高村智恵子のか細い声」に惹かれます。  『軍歌の勇ましい歌声』より『君死にたもう事なかれ』と哀しく謳う(当時官憲に拘束された)与謝野晶子に惹かれます。  社会が病んでいるのでしょうか、そんな私が病んでいるのでしょうか。  同じ天蓋の下、『健全さ』を誇ることもなく、『病む』ことを声高に叫ぶこともなく、ただ嫋嫋と生きていきたいと考えています。

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