「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2006/06/28(水)09:21

空想物語・・・「うつ」の見せる白昼夢(その2)

心のつぶやき(53)

空想物語・・・「うつ」の見せる白昼夢  これは、空想のお話です。  何処かで見たような気がするが?と考えてしまう貴方。  すっかりデジャブーに嵌まっています。  日記サイトには字数の関係で連作という形でアップしようと考えています。  未だ書いている途中ですので、何時終わるのか断言できませんが、《第一部》「過去」、《第二部》「現在」、《第三部》「これから」を予定しています。  ある家族の『不可思議』をテーマにしたものになる筈ですが、前半部分は非常に長い導入部「家族の肖像」が延々と述べられます。  途中で嫌になったら、暫らく放って置いてください。  最終的には、まとめてフリーページに掲載いたしますので、少しでも興味があれば、そこで拾い読みしていただければと考えています。  それでは・・・。  空想の物語り・・・「うつ」が見せる白昼夢の続きです。 《第一部》 【第三章】  工場長の判断とは言え、多くの者が去っていった会社の父親への対応は余り芳しいものではない。  昇格はありえず、社屋の片隅でヒッソリと仕事をこなす日々が始まった。  鬱屈した強い思いもあったことだろう。  それでも彼は、愛する家族を守ることに専念した。  タバコも吸わず、酒も飲まず。  家族の笑い声だけを楽しみにしながら。    当時でも月に20万円前後の賃金では、家計は苦しい。  私が中学生になった時に、母親が内職を止め、縫製工場にパートで働くことになるのは自然な流れだったのかも知れない。    連れられて、彼女が実家に里帰りした時に聞いた話がある。 農家の末娘として育った彼女は、中学の時はズッと「副級長」をつとめていたらしい。  当時は女性が「級長」になることは在り得ない。  何と中学校を通して最優秀な成績だったらしい。  農村に女性を進学させる意識が希薄な時代である。  彼女は進学せぬまま、知人を通して父親と知り合い、そして我が母となる。  そんな彼女が働き出した。  従業員10名を切る縫製工場ではあるが、一番下である筈のパートの彼女が何時しか仕事を取り仕切っていった。    6人を数える彼女の兄弟姉妹も事在る毎に彼女に相談に来た。  子供のような無邪気な性格ではあるが、直感的に、そして論理的に事にあたった。  中学生で生意気盛りの私の話に、真正面から立ち向かい、時には、言い負かされることがある。  意地になって勉強したのは、彼女の存在が非常に大きかったのだ、と今でも思っている。  「今回の試験はクラスで5番目くらいかも知れない」 と中学3年時の模擬試験の結果を話していた。  ハッキリ言って私には自信があった試験である。  「そう」と言いながら、興味もなさそうに母親は聞き流していた。  一学年160人ほどの中学校であるが、私は20番を切ったことがない。 試験の結果が出た日の夕食。  「ちゃぶ台」を囲み、何時ものように、大皿に盛られた「オカズ」を兄弟で奪い合いながら話し出す。  「ヤッパリ駄目だった。クラスで5番目。」 と言って彼女に試験結果が書かれた紙を渡す。  「いらない」とキッパリと拒否した母親だったが、チラッと紙を見る。  一瞬の緊張と弛緩。  微笑を噛み潰しながら、何事もなかったように彼女もオカズに箸をだす。  何時もの夕食に戻っていった。  大事そうに彼女が「ちゃぶ台」に置いた試験結果の書かれた細長い紙には、それ以上小さくならない数字が記されていた。 【第四章】  県内の進学校に進んだものの、圧倒されて中々成績が振るわない。  何とか3年になって盛り返したが、時既に遅く、京都の私立大学に入学することになる。  関西有数の私大ではあったが、ひと時の勢いはない。  下宿を余儀なくされる二重生活は、トテモ豊かとは言えない我が家にとって非情な出費であったことは間違いない。  高校を卒業して就職した弟から、「生活費」の名目で毎月お金を受け取りながらの綱渡りの生活が始まった。  1年生の時には、1ヶ月に何度か帰省していた。  大学が生活の場となっていた私は、京都から離れたくなくなり出した2年生が始まった頃のこと。  これが最後かなと思って帰省していた自宅で、母親が急に腹痛を訴える。  夜間の救急病院に運び、処置を受け少し痛みは軽くなったようだった。  救急病院は特に何の病状も確定することが出来ず、そのまま帰宅する。  念の為、我が家の懸かりつけの医院で診察してもらうことになった。  医院に連れて行こうとした父親は、愚図る母親を宥めるのに相当苦労したらしい。  何かと言いながらも母親の症状は気になるもの。  大学に戻っていた私は、医院の電話番号を調べ念の為、検査結果を聞こうとする。  「電話ではお話できません」  受話器を握り締め呆然としながら嫌な予感と戦っていた。

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