「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2014/03/30(日)12:11

贖罪

 NHKさんを見ていて、驚いた。  東北大震災での  被災者の思いを劇にして、被災者である劇団員が演じるという内容なんだが。  実話として紹介された、あるエピソードに  あたしは、愕然とした。  『津波が来たとき  逃げ惑うヒトを、私は、自動車で轢いて逃げた。  こんな、私は  生きていて、いいのでしょうか?』  答えは  『生きていい。  その人たちの分まで、生きればいい。』  申し訳ないけど  ふざけるな!って、あたしは叫んでいた。  タイ北部の  山岳民族の村を旅して  最後に、木造船・船外機付きで、大河を下って、チェンラーイに向かった。  米国人ツアー客?十数人を含めて、三十人くらい。  当然  現地のヒトも乗っている。  どこかで、浸水したのか?  声が掛かると船長さんは  操っていた船外機を、知り合いに預け。  彼が、躊躇(ためら)いがちに操船する木造船は、だんだんと、河岸に寄って行く。  大岩が、眼の前に迫ったとき  あたしは、ひとり、目一杯、脚を踏ん張って  ディパックを抱え込み、頭を低くした。  鈍い衝撃と共に  木造船が、大岩に乗り上げて、危な気に止まると  真っ先にあたしは、大岩を伝って、対岸に降りた。  直ぐに、周りから  多くの木造船が寄ってきて。  よってたかって、船を大岩から引き吊り降ろす。  いきなり  船が回頭して。  大岩に、しがみ付いて見物していた米国人?を  次々と、微生物の坩堝(るつぼ)、河中に突き落として行った。  万が一、電車が脱線・転覆したら  コイツの腹を蹴ってから、アイツの顔を踏み台にして  それで、どうにか吊革に捕まって、そして、そして…。  と、通勤中に、あたしは、考えたりする。  船が乗り上げたとき  あたしは、ひとり旅だったので  知人を、案ずる必要はなかった。  けど  たとえ、知人と一緒でも  あたしは、自分が生き残るしか考えなかった、と確信している。  そんな  酷薄な、あたしだけど。  もし  あたしのムチャが原因で、ダレかが死んだとしても  あたしは、絶対に、そのコトを、他人に話したりしない。  そこには  秘匿して、自分を守りたい。  そういう甘さが、無いとは言わない。  けれど、それ以上に  ダレかに話して、絶対に、楽になっちゃいけないって思いが、根底にある。  瀬戸内寂聴先生のTV人生相談を  あたしは、よく引用するんだけれど。  『子どもが、主人の子ではありません。  それが、辛くて、苦しくて  何とか、主人に、打ち明けて、謝罪しようと思っています。』  そう  涙ながらに訴える、相談者。  すると、寂聴先生は  『ご主人に打ち明けて、楽になりたいと思うは、貴女の甘え。  他人の子を身籠った貴女の贖罪は  誰にも言えないという責め苦で、未来永劫、自分を責め続けること。  ご主人に話して楽になりたい、そんな甘えは捨てて  何も言わずに、お墓の中まで、持って行きなさい!』  そう、叱り付けた。  きっと、あたしは  災害に遭えば、真っ先に、ひとりで逃げ出しちゃう。  それどころか  他人(ひと)を踏み台にして  自分だけ、助かろうとするかも知れない。  一応  あたしも、人間だから。  踏み付けて、ダレかを死なせちゃったなら  後悔が、ずっと、ずっと、ずっと残るに違いない。  死ぬまで  毎晩、毎晩、すっごい寝汗で、夢に魘(うな)され続けるかも知れない。  けれど  あたしは、ダレかに話して。  毎晩の寝汗の量を、夢に魘される回数を  そんな、あたしの後悔を、滅したいと思っていない。  ダレかに話して、慰めて貰って  それで、納まる後悔なら、後悔なんて言わないと思う。  寝汗でしか、悪夢でしか  報えない後悔が、ある。  甘えてんじゃない。  死ぬまで、ダレにも話さないで  ひとりきり抱え込んで、ただただ、自分で自分を責め続ける。  堪え切れなければ、気が狂うしか道がない。  それが、贖罪というモノで  それは  自分、ただ、ひとりきりのセカイ。  そこには  間違っても、都合の良い、他人なんかいない。

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