「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2014/05/18(日)07:32

感情論の押し売りに、楯突いちゃったら、もう、大変。

 聯合ニュースさんが  『朴大統領 沈没事故遺族に初めて直接謝罪』って伝えている。  申し訳ないけれど  そもそも、民間の事故で、大統領が謝る必要が、どこに?って  あたしは、考えているので。  朴さんが、ダレに、どう謝ろうが、基本、どうだっていい。  だから  記事の殆どを割愛します。  ただ、朴さんの  「家族を失った悲しみは耐えがたいと思うが、生計の問題で苦痛を感じていないか?  そのような問題も、政府が共に解決していけるように最大限の措置を取る」って発言。  これは  絶対に、間違っていると思う。  言葉が、キツイかも知れんけど  沈没事故で亡くなったヒトは、別に、お国のために犠牲になったワケじゃない。  まして  その遺族さんは、ご子息、ご息女を失った、だけ  間違っても、遺族さんが、お国に、貢献しているハズもない。  なのに  どうして、血税で、犠牲者の魂を買おうとする?  どうして、血税で、遺族の生計を賄おうとする?  お国に出来るコトは  二度と、こんな大事故が起こらないよう、きちんと安全確認・救出体制の整備をすること。  そして、裁判で持って  大事故を起こした船会社に、有り金を全部吐かせて、できるだけ遺族さんを救済すること。  精々が、その2点でしょう?  なのに  国自体が、一足飛びに、遺族さんを救済しちゃって、どうする?  国家と、加害者と、被害者と  その三者の基軸を、すっかり忘れちゃって  ただただ、可哀想だからって、お国が、遺族にお金を渡す。  それが  散々に繰り返されてきて。  何かが起こりゃ、ひたすら騒げば、お金がもらえる。  そういう  タカリ体質って、隣国の民族風土が出来上がっちゃった。  それも  隣国内だけで、やっときゃ、どうだっていいけど  関係のない日本国にまで、散々に口を出す。  ほんと  迷惑千万、この上ない。  可哀想と思う気持ちと  国家の賠償行為は、まるで次元が違うお話で。  ただただ、激情に駆られて  法規の一線を、感情論が、容易く跨(また)いじゃう。  そういう  法治でなく、人治国家であるが、ゆえ  中国にしても、韓国にしても、国際的な信用を得られないでいる。  どれだけ、経済が発展しようと  途上国の範疇から、抜け出せないでいる。  朴さんは  「事故の前後で完全に別の国に生まれ変われるように努力している」と発言するなら。  それは  国民の安全に対する危機管理能力が皆無の国を、生まれ変わらせる、ってだけでなく。  ダレに責任があって、ダレが損害を賠償しなきゃならないのか?  それを、明確にして。  なんでもかんでも、騒げば、お金がもらえるなんて、グダグダな国家体質でなく。  遺族さんが、何を言おうと  先ずは、船会社に行った方がいい!って  門前払いするくらいの覚悟で、法治国家の確立を。  衆愚国家の、衆愚たる由縁(ゆえん)は  国民自身が、己がバカさ加減に気付いていないってコトに起因している、ような。  そんなに可哀想だって、なら  自分自身で、ボランティアするなり、自分自身のお財布から、寄付するなり  まずは、自分の力量で、救済すればいい。  それを  なんでもかんでも、一切合切、国が悪い!国の責任だ!の一点張り。  最初っから、国による救済だけが重要と  ただただ他人(ひと)を非難して、他人に責任を押し付けては、得意顔。  結局  自分自身じゃ、何もしようとしない。  まして  こういう騒動で、大統領が謝らなきゃ次の選挙で落選しちゃう?なんて  ほんと、呆れ果てて、言葉が出ない。  そういう  おバカな国民が増殖しちゃうから、国富が減退して、国威も、段々に消え失せちゃう。  それが  衆愚国家ってヤツでしょう?  固定電話回線のインフラ不備が幸いして  韓国には、あたしたち日本より先に、ネット社会が到来した。  それで  たった数%の、ヘビー・ユーザーが  ネット投稿の、実に、90何%だか、書き込んでいる弊害が指摘された。  そういう韓国のネット社会を見て  あたしたちは、ネットに民意はおろか、何の信憑性もない、と知る。  今回の沈没事故を見て  日本に先行する衆愚国家では、ギャーギャー騒げば、どうにだってなる、と知る。  あたしたち日本の近未来って  そんなで、いいの?  日本は、恥の文化だから  それほど愚昧な国にはならない!って?  ごめん。  例えば、あたしたち日本人が、ナマボ受給を嫌うのは  たぶん、恥の文化だからじゃない。  ナマボを受給すれば  自家用車が持てない?エアコンが買えない?  そういう不自由さが、いっぱいあって  なにより、子を大学に進学させられないとか  可愛い子どもに、犠牲を強いることもある。  そんな  ナマボ受給の損得を勘案すれば  すこおしくらい無理をしたって、普通なら、受給しない方が、仕合せだってなる。  それって  恥って概念じゃなく、単に、損得勘定でしょう?  あたしたち日本人って、さ。  その計算高さを憎んで  己が真逆を、武士道精神やら、任侠やら、文学として昇華してきた。  それを、見誤っちゃうと  ただ、自分ひとりが、とっても利己的で、優しい心根がないって悩んじゃう。  利己的で、計算高いのは、何も、貴方ひとりではない。  それこそ  あたしたち日本民族の血が、為せる業(わざ)であり  そうでなきゃ、こんな島国で、己が矜恃を維持できるワケがない。  だから  どういうヒトがナマボを受給するか?って答えは、自ずと出るワケで。  言葉が悪いけど  何も失うモノがないヒト。  子が居たって、その教育なんか、どうだってよくて  ただただ、毎日を、無為に過ごせればいい。  そういうヒトを  ただ、生かせるタメに、あたしたちは、セッセと血税を使っている。  確かに  そうでないヒトも、いっぱい居て  必死に、社会の荒波に耐えているくらい、無慈悲な、あたしにだって想像が付く。  ただ  ここで、あたしが言いたいのは  あたしたちの可哀想って感情の正体ってヤツで。  それは  勝手にストーリーを拵(こしら)えては、勝手に同情しちゃう浅ましさ、と言いますか。  少なくとも。  ナマボを受けられる水準なのに、子のタメにと、自分たちの将来のタメにと  必死に痩せ我慢して、一所懸命、仕事に家庭に頑張るヒトと。  楽だからと、安易に、ナマボを受給しちゃうヒトと。  あたしたちが  ほんとに、救済しなきゃいけないのは、果して、どちら?って、お話。  なんでもかんでも、根性で飛べ!なんて  戦時中の空軍中尉さんみたく、あたしは根性論を問題にしたくない。  けれど  昨今の弱者救済ってヤツは  ただただ、困窮の度合いばかりが重視されて  困窮に至った経緯やら、困窮者の性根やら、一切合財、議論されることがない。  というか  そんなことを問題にしてはダメ!って、どんだけ、過保護なの?  なんだか  弱者救済ってヤツには  市民団体さんや、メディアさんが勝手に拵えた  涙、涙のストーリー(雛形)が、端(はな)から出来上がっていて  あたしたちは、いつだって、ただ、泣いて同情するしか許されていない?  まして  そんな、感情論の押し売りに、楯突いちゃったら、もう、大変。  非国民!だとか、人でなし!だとか  いきなり、大絶賛の嵐を浴びちゃうって、わけ。  これを  衆愚と言わずして、何を、衆愚と言うの?  あたしたちの可哀想って感情は  恋に恋する乙女のように儚(はかな)くって、とっても気紛れで。  セックスの生々しさを、すこおしでも垣間見れば  情愛の実態を知るより、いきなり、幻滅しちゃうほどに、可愛らしくって。  つまりは  とっても、愚かで、非現実的で。  そういう感情で持って  国家が運営されて、重大なコトまで、なにもかもが決定される。  それが  衆愚国家ってヤツで。  あたしたち日本は、その一歩手前まで来ている、って  ちゃんと、気付いている?  まあ  あたしに取っちゃ  恋に恋する乙女でも、グチョグチョ・ベチョベチョなお姉さんでも  どちらでもいいと、言いますか。  実は、どうだっていいと、言いますか。  何にしろ  沈没事故で、ただただ、遺族さんは可哀想!ってヒトが  困窮しているなら、どんなヒトだって、救済してあげなくっちゃ!ってヒトが  どんどん増えていくのを  あたしは、社会の底辺から、ニンマリと見ていたいと思っています。

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