「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2015/05/23(土)18:28

恥かしいと思う感性

 河北新報さんによると  JAバンクに、お爺さんが立てこもったらしい。  手に持っていたバケツをカウンターの上に乗せて  直後にバケツをひっくり返してカウンターに液体をまき散らし  ライターを片手に「火を付けるぞ」などと職員を脅した。  JAバンク内にはガソリンの臭いが充満した。  入店から「シャッターを閉めろ」という要求まで約5分。  幹部職員は「やめてくれ」「危害を加えないでくれ」などと  口々に容疑者に懇願していたという。  産経新聞さんの後追い記事?では。  店内には職員が数人いたが、警察官が避難させた。  ガソリンのようなものに火をつけたため、説得に当たっていた警察官が取り押さえた。  火はすぐに鎮火し、けが人はいなかった。  で。  容疑者さんは、「燃やすつもりはなかった」と犯意を否認している、と?  非常識とは思うのだけど。  ごめん  笑っちゃった。  「JA系列のガスセンターと料金の滞納をめぐるトラブルを抱えていた」とか、いないとか。  そんなこと、あたしは知らんけど、さぁ。  ガソリンを撒き散らし、ライターで火を付けといて  「燃やすつもりはなかった」は、ないでしょう?  いやいや、判るんだよ。  計画性を持って実行したのと、思い付きで隅発的にしちゃったのと、ただの脅しと  それぞれに判決が違ってくるかも知れない。  だから  捕まっちゃった途端は、そう言うしかない、って。  けど、さ。  バケツにガソリンを満たして入店した時点で、計画性アリでしょうし  ライターで火を付けた瞬間に、脅しじゃないでしょう?  なのに  それでも罪を免れようとする、浅ましさ…失礼、往生際(おうじょうぎわ)の悪さ。  ほんと  これこそ人間だ、って。  まるで、あたしを見ているようで、大笑いした。  いまの恥って  恥ずかしいって、何なのでしょう?  ヘビさんに唆(そそのか)されて  アダムとエバは、智恵の実を食べた。  その瞬間に  恥かしいって感情が芽生えて  お互い木の葉で前を隠し、あげく、服を着るようになった?  これは  そもそも、お尻でするのは恥ずかしいことじゃない!とする尊い教え………ごめん。  これは。  あたしたちのご先祖さまが、おサルさんから、恥を知るヒトになった瞬間で。  恥を知る、智恵を持つへの通過儀礼と引き換えに  生きるに何の不自由もない、エデンの園から追い出されちゃった、と。  それくらい大切なんだよ。  あたしたちの知恵や、恥かしいと思う感性、って。  ただ。  おサルからヒトにしてくれた、大恩あるヘビさんを  どうして、こうまで忌み嫌うのか?  そこが、よく判らない。  というか  あたしたちは、いつから、ヘビさんを嫌いになった?  田中芳樹さんのご本によると  ヒトが恐怖を感じるのは、大きく2種類に分かれるそうで。  もぞもぞと意味なく足が多いものと、全く足がないものと  どちらか一方に、より恐怖を感じるらしい。  てか  あたしは、ヘビさんも、クモさんも、ムカデさんも、みんな、ダメなんだ、が。  けど  食べるものが無くなって餓死寸前で、どうしよう?ってなら  たぶん、クモさんを食べる。  なんだか  チョコレート味だって聞いたことがある、し…。  そういう極限での  より、どちらが恐怖か?だったら、判らんでもない。  たとえば  あなたの女性不信の元凶…失礼、原因って、なに?  どうしようもなく、おっかない奥さんだって  知り合った頃は、そうでなかった、はず。  いやいや  死ぬほど怖いと判って結婚したなら  そういう、あなたのドM根性には、ある意味、称賛を惜しみませんが  たぶん、大概のヒトは、そうじゃない。  甘い幻想に騙さ…失礼、勘違いして結婚して  いきなり、女性の怖さを思い知る?  そうして  だんだんに女性への恐怖…失礼、女性不信を募らせていく。  それと同じに。  先天的な恐怖心って  実は、ないという説がある。  ヘビさんにも、クモさんにも、ムカデさんにも  産まれたてなら、そういうものに恐怖しないらしい。  だから、昔の子どもが  田んぼのヘビを、いきなり掴(つか)んじゃったり  どこにでもいたクモやムカデに、平気だったのも  何ら不思議なことじゃない。  あたしたちの恐怖って  教育の産物なんだよ。  お母さんが怖がるのを見て、先生が怖がるのを見て、それで、友達が怖がるのを見て  いつしか、あたしたち自身も、「昔っから怖かった」と思うようになる。  そうして  いま、あたしたちは、ヘビが怖い。  だったら  何を恥とするか?ってのも、実は先天的じゃない?  なのに  なぜ、アダムとエバは、リンゴを食べた途端、前を隠そうとした?  日刊ゲンダイさんの  『芸術にタブーなし「春画展」引き受けた細川元首相の“義侠心”』って記事。  今年9月から開催される春画展は  細川家伝来の文化財を公開している「永青文庫」の主催。  理事長として出席した元首相”は  「出版物では、すでに無修正で流通しているのに、実物が見られないのはおかしい。  そういうタブーは破っていかないといけない」と熱弁。  入場は「18禁」の、この春画展には  北斎や歌麿らの作品をはじめ、国内外から名品約120点が集められる。  自分の女性器を電子データ化して、配布したオバちゃんが捕まった。  あれは  オバちゃんの、そんなものを見たいか?見たくないか?  たんなる個人の趣味の問題で。  そんな  くっだらない…失礼、どうだっていい問題で、公安さんが動くのも、どうかと思うけど。  それ以上に  そんなで、表現の自由を、どうこう言うのは止めて欲しい、と、書いた。  この「春画展」も、同じこと。  見たいヒトが見ればいいし、見たくないなら見なければいい。  ただ  それだけの、お話しでしょう?  地上波TVで放送するワケでなし。  そもそも  女性器にしても男性器にしても、成人してから生えてくるものじゃない。  赤ちゃんだって、ちゃっと、付いてんだよ。  それに  お父さんやお母さんと、一緒にお風呂に入らない子どもはいない。  なのに  どうして、チ○コ、マ○コだと、速攻で、恥かしい!になる?  セックスにしたって  小学校の高学年で、きっちり、習うこと。  なのに  どうして、その行為の「模写」は、教育に悪い?  何を恥とするか?  その感性を、勘違いしているとしか思えない。  街中で  いきなり、チ○コ!マ○コ!って叫ぶヒトがいたなら  絶対的に、あたしは関わりになりたくない。  ただ、ね。  満員電車に大形ベビー・カーを乗り入れて、平気な顔のお母さん。  そっちの方が  より、関わりたくはない。  自分の都合と、他人(ひと)の都合を、天秤に乗せる。  そんなことなら  あたしやあなたも、いつだって、やっているから、どうだっていい。  けれど  平気な顔って、それが当然だ!って、そういう暖かい社会にしましょう!って  それは、絶対に間違っていると思うのです。  だって  そう主張するは、いつだって、自分の都合しか考えていないって証拠だから。  べつに  いつも他人(ひと)の顔色を窺って生きよ、と言ってんじゃない。  せめて  一遍は、比較したら?と言っている。  そうして  どうしても自分の都合を優先しなくちゃ仕方ない、なら、そうすればいい。  でも、そうなら  平気な顔には、それが当然だ!には、そういう暖かい社会にしましょう!には  絶対に、ならないんだ。  もし、自分の都合と他人の都合を比較したなら  決まって、そこには、恥かしい!けど、ごめんなさい、って感性が介在する。  それを見て初めて  周囲が、その自己都合優先を許容できるのだと思う。  何を恥とするか?  その感性が異なるヒトを  たぶん、あたしたちは許せない。  それを  法規やら、常識やら、良識やら、社会「正義」やら  そういう胡乱(うろん)な基準で判断しようとするから  今の軋轢(あつれき)…失礼、トンチンカンさがある。  満員電車に  大形ベビー・カーを乗り入れて、平気な顔になる。  ガソリンを撒きライターで火を付けて、「燃やすつもりはなかった」になる。  そういうの  恥でも何でもなく、主張して当然だ!ってなる。  男性器を、女性器を、ただただ、恥かしいと感じるより。  いつだって、自分の都合しか考えてなく  何の衒(てら)いもなく、それが当然と主張する感性。  そっちの方が  よほどに恥で、恥かしいんじゃない?  どこもかしこも  ワケの判らん市民団体さんの「鈍感さ」ばかりが主流になって  地域社会による「しつけ」機能が消失した、いま。  セックスより。  何を恥かしいとするか?  その判断基準でなく、そう、いつも考える習慣。  そういうの、小学校高学年で教えたっていい。  まあ  いくら、教えたところで  いつまでたっても、チ○コ、マ○コは卑猥極まりないに変わらないので  あんま、意味が無いかも知れません、が。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る