「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2016/05/15(日)01:10

上を向いて歩きましょうよ。

 ♪上を向いて歩こう  涙がこぼれないように  思い出す 春の日  ひとりぼっちの夜  ………  悲しみは 星の陰に  悲しみは 月の影に  上を向いて歩こう  涙がこぼれないように  泣きながら歩く  ひとりぼっちの夜♪  ご存知、か、どうだか知りませんけど  邦楽で唯一?世界中で大ヒットしたらしい『上を向いて歩こう』です。  あたしだって  「SUKIYAKI」ソングとしてしか知りませんでしたので  あんまピンとこないワケです、が。  それも  森雅裕さんの『あした、カルメン通りで』か何かの作中に。  マリア・カラスさん生涯最後の公演は  じつは札幌公演だったという黒歴史やら  ギャラン・ハードトップが  かつて米国でサッポロと呼ばれていたやら。  そういう  どうだっていい知識…失礼、博識と一緒に出てきたような、そうでないような。  いつものごとく面倒くさいので  読み返しちゃいません、し。  わざわざ読んで、違いますよ、と教えてもらう必要もありません。  つまり  あたしのアタマん中では  スキヤキもサッポロも、カラスもハトも  雑学レベルで充分だってことです。  なら  どうしてこの歌を?ってことなのです、が。  ぼうっとNHKさんを見ていたら  運よく2週連続で『トットてれび』って番組をみて  これが抜群に面白かった。  黒柳さんを始め  森繁さんやら、渥美さんやら、クレージーキャッツさんやら、のり平さんやら  ご生前の姿を、もとい、生霊さんも含めて  いまの役者さんが当時を再現している。  たんなるドタバタなのでしょうけど。  あんなトンチンカンに黒木華さんを殺しちゃう大河さんに比べれば  よっぽどマシと言いますか、とにかく面白い。  大河さんのあれ  俗に言う、日活時代の松原智恵子さん?  恋人役なのに、どうでもいいところで身勝手に行動して  肝心のシーンじゃ人質として捕まって主人公に大迷惑をかける、って、邦画の伝統芸能?  ほんと、戦闘の真っ只中なのに  お姫さまが行ったり来たりウロチョロウロチョロして、どうする?  すっごくイライラしたわ。  あれじゃ殺されて当たり前と言いますか。  あの  黒木さんが死んじゃう場面で涙したヒトなんているの?  なのに、あんなで  いつまでも哀しみに打ちひしがれる幸村さんって  ほんとバッカじゃない…失礼、別の意味で「可哀想なヒト」なんだろうな、と。  まあ  「日活時代の松原智恵子さん」ってのは、我が家に伝わる慣用句?でして。  あたし自身  一遍も彼女の映画を見たことがありませんから  ホントのところは、どうだか判りません。  つまりは  「SUKIYAKI」ソング以上に、あたしにとって知ったこっちゃない?  お話を戻します。  あたし的に大絶賛な『トットてれび』に坂本九さんも描かれていて  当然のこと『上を向いて歩こう』を歌うシーンがある。  それで初めて  ああ、こういう歌だったんだ、と、目からウロコと言いますか  いきなりポロリ、いや、思わず涙ぐんじゃいました。  平安時代の王朝絵巻とか  戦国時代の血でむせ返る、ダレもが死に物狂いの大合戦とか。  そういうイメージで  あたしたちは、その時代を判ったような気になっている?  まあ、公立学校の歴史授業は  それなりに証拠が無きゃ教えちゃいけないでしょうから、仕方ない面もあるのですが  平安時代の公達(きんだち:三位以上?)さんって、何人いたの?  原則、六位の蔵人(くろうど)さん以上って殿上人さんを含めても何人いたの?  殿上人に六位の蔵人さんを入れるのは  彼らがみんな有力公卿さんのご子息だったからで。  そういう  特級の、特権階級さんなんて全部足して100人もいないでしょう?  で。  清少納言さんに言わせれば?殿上人以外は、地下(じげ)のもの。  そんな下級なヤツら  宮城(きゅうじょう)の女房さんは人間扱いすらしていない?  けっきょく。  あたしたちが平安時代としてイメージしているのは  たった100人未満の閉鎖コミュニティに他ならない?  当時  一千万人いたのか、二千万人いたのか、日本全体の人口なんか知らんけど。  あなたやあたしのご先祖さまは、まんま石器時代と同様に  ぼろ布の真ん中に穴でもあけて、そこに首を突っ込み前と後ろに垂らして  腰の部分を縄でくくっていたかも知れません。  戦前のド田舎のどん百姓さんだってボロ衣をまとって、そんなものじゃなかった?  だったら  その1000年以上も前の姿は、確たる証拠がなくても「推して知るべし」かと。  そもそも帝さまや公卿さんは  決まったルート以外に出歩かないでしょう?  だから  いまダレが帝なのか、以前の問題として。  当時の社会に  王朝が存在していたことすら  あなたやあたしのご先祖さまは知らなかったのでは?  だって、さ。  1960年代まで、日本じゃ飢饉で餓死者が出ているんだよ。  そんな明日のお米すら、どうだか判らんときに  帝も公卿もへったくれもないでしょう?  せいぜいのところ  税を取り立てにくる地頭の手先なり、ムラの名主なり  しょせん、そのレベルが  あたしたち祖先にとっての特権階級だったんじゃないのかなぁ。  で。  あたしも面倒くさくなってきましたので。  戦国時代なんて  ほとんどダレも死闘なんかしていない?のひと言で勘弁してあげます。  遠くから石を投げたり?大声をあげたり?  まあガキの喧嘩が精々だったと、どこかで聞いた気がします。  違っていたら、ごめんなさいね。  でも、ね。  平安時代にしても、戦国時代にしても  何がしらのイメージがあるだけ、まだマシなんだと思うのです。  『トットてれび』を見て驚いたのだけど  TVの黎明期、ほんの50年前のことを  あたしは何も知らないんだよ。  いままで、知りたいとすら思わなかったんだよ。  あたしたちの歴史、歴史観ってさ。  ほんとに  ちゃんと繋がっているのかねぇ?  なんだか  いまに繋がる肝心な部分が、ごっそり欠落しているような気がしてならないんだ。  あたしたちは  みんなお金持ちになった。豊かになった。所得格差をなくしましょうよ。  何だっていいさ。  いまの表層的な部分だけを見れば、そうなのでしょう。  けれど  あたしたちの心って、そんなに豊かになった?  いつも  仲良しクラブのお仲間に囲まれていたり、大親友さんとやらとご交遊していたり  愛する?ダンナや奥さんや、意地汚いガキ…失礼、可愛くて仕方ないお子さんと一緒にいたり。  それでも  いまだ、あたしたちの心って  どこか「ひとりぼっちの夜」なんじゃない?  上っ面なお付合い、お仕着(しき)せの愛情に締め付けられれば締め付けられるほど  より鮮明に  あたしたちは、より幸せだった頃を思い出して、より疎外感を強めちゃう?  そう。  思い出すはいつも、あの春の日で、あの夏の日で、あの秋の日で。  だから  涙がこぼれないように、と、上を向いて歩こうとする?  そこには、ただただ体裁(ていさい)を気にして  簡単には泣かないよ、って意味しか見付けられなくなっちゃった?  ♪上を向いて歩こう  にじんだ星を 数えて  思い出す 夏の日  ひとりぼっちの夜♪  …けれど。  ♪幸せは 雲の上に  幸せは 空の上に♪  だから…  何だっていいから、泣きながらでいいから、上を向いて歩こうよ、と。  お日さまに向かって歩きましょうよ、と。  この歌って、さ。  思い出す、冬の日だけはないんだよ。  辛い日はないんだよ。  どんなに哀しくたって、心が空虚だって  たとえ涙をこらえながらでも  雲を見上げて、空を見上げて、お日さまに向かっている限り  あたしたちは前を向いて歩いていける。  だから  国境を超えて時代を超えて、あたしたちの心に沁みとおってくる。  いまだ  みんなどビンボだったから?左右扇動家…失礼、思想家さんに都合が悪いから?  まあ、何だっていいですけど。  あえて、か、知らずに、か  近接する「ある時代」を見落とすことで  いま、あたしたちの心が大きく棄損しちゃったのかも知れません。  とっても貧しかった50年前の方が、ずっとずっと前向きだったのかも知れません。  社会の表層は、ともかく  個人レベルのあたしたちの心が、上を向いて歩こうよ、を見失っちゃったとすれば  お日さまに向かって歩きましょうよ、を見失っちゃったとすれば。  それは  とっても哀しいお話だと思うのです。

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