「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2017/11/22(水)18:26

ちっちゃな「正義」と、おっきな「正義」?

 農協さん系のスーパーさんへ行ったら  なんだか  お客さま感謝デー的な催(もよお)しをしていた。  安売りでなく、催しと書いたのは  何も…いや、そんなに安いって訳でもなく。  そもそも  半額シールしか買わない、あたしにとって  まるで関係のないイベントだったから。  で。  お刺身売り場でも、お寿司売り場でも  それぞれ2個入りで  いいふうふ、って、なんだ?  今日の日付けに合わせた  語呂(ごろ)合わせなのか?おやじギャグなのか?  そんなものが  ほんとに面白いと思ってんのか?  独り身の、あたくしとしては  とってもとっても  慎(つつ)ましやかに言いまして。  ぜってぇ買うもんか。クソバカ野郎!ってな、感じですよ。  1,122円お寿司セットは  歳末大売り出し的と言いますか、初売り福袋系と言いますか  だぁ~れも買わんレベルの安物?詰め合わせ。  認知症だか、認知症予備軍だか  ひとつ手前のじじぃ…いや、おじいさんが買い物かごに入れていた。  その内容なら  598円のを2つ買った方が、ちったぁ贅沢な気分に浸れるんじゃない?  なにより  その方が、腹持ちもいいでしょう?と。  けれども  1,122円贅沢お刺身盛合せは  トロなのか?中トロなのか?大トロなのか?  あたしゃ  食ったことないんで、実(まこと)しやかではないのですが  まるで霜降(しもふ)り肉みたいな小片が、ふた切れ。  あれ  美味しいヤツだ。きっと口ん中で、じわっと旨味がひろがるヤツだ。  う~ん。  今日は  お野菜セットも、国産ひき割り納豆も、ミルクも、手作りサンドウィッチも  みんな  半額で入手できて、大満足。  これ以上、欲をかくと  ようやく  太りかけた青い鳥さんが、焼き鳥にする前に逃げちゃいそう?  ふた廻り目。  3日前には  あんぽ柿3つ入り480円を、318円で買ったばかり。  独り身の老後を考えたら  これ以上の  贅沢は敵だ!贅沢は敵だ!贅沢は敵だ!贅沢は…素敵だ。  み廻り目。  350円÷2の手作りサンドウィッチは戻して、と。  398円のサバ塩焼き弁当も戻して、と。  そうして  あたしは、ついに買っちゃったのです。1,122円贅沢お刺身盛合せ、を。  きっと  あたしの今後の生涯、トロなんぞ二度と食べられるハズがない。  そんな感慨も相まって  すっげぇ美味しかったです。はい。  買い物かごは  半額シールと、特価シラタキ78円也(なり)。  そこに  ぽつねんと1,122円贅沢お刺身盛合せ。  こういうの  吝嗇(けち)…いや、倹約家と言うの?贅沢三昧と言うの?  倹約、節約、半額シールばかりだと…気が滅入る。  たまには、こうして  ちょいと贅沢するのが、節約のコツ?って、尤(もっと)もらしいババァも居れば。  何かあるごと、自分にご褒美・ご褒美って  気が緩みっぱなしだから、いつまでたっても貯金ができない!って、ババァも居るワケですよ。  一体全体  節約とは、贅沢とは…「正義」とは、何なんでしょうね?  山田正紀さんの『弥勒(みろく)戦争』と思うのだけど。  ブッダさんは  じつは大量殺戮(さつりく)者だった?って、お話が出てきます。  これは  おぉ神は生きよ、ブッダは死ね!(オオカミは生きよ、豚は死ね!)って  カドカワさんと  不敬罪二大巨頭と思わなくもありません。  放っときゃ人類は  そのときどきの食糧供給量を、はるかに超えて人口を殖(ふ)やす。  だから、歴史は必然として  何百年かに一度、大量殺戮者を産む。  共和制から王政回顧を試みた、ナポレオンさんにしても  敗戦後のユダヤ資本家による金融支配から  自国労働者階層の復権を試みた、国家社会主義ドイツ労働者党ヒットラー総統にしても。  歴史から見りゃ  彼らは、極め付けのキ○ガイ…いや、大量殺戮者さんに他ならないですよ。  けれど  絶対王政から共和制への揺籃期(ようらんき)。  有象無象の圧制からの解放で  ダレがどう考えたって人口爆発が起こる。まさに、その矢先  ナポレオンさんによる大量殺戮は、欧州の未来にどう作用したのか?  欧州、市民革命の  市民さんってヤツは、しょせんブルジョアジー。つまりは資本家さんってことですよ。  そっから一次大戦を挟(はさ)んで  あたしたちみたいな一般市民、つまりはプロレタリアート・労働者階層が台頭してくる。  社会構成の  資本家さんと労働者階層の割合を考えれば、圧倒する労働者階層主体の時代が来るんだよ。  とうぜん  当たり前に人口爆発が起こる。まさに、その矢先  ヒットラーさんによる大量殺戮は、欧州・ロシアの未来にどう作用したのか?  あの  悪名高き魔女狩りは、欧州から精神障碍者さんを一掃したんですよ。  おかしな言動をするから、魔女だ、魔女だと、障碍者さんを…。  そんなこと  やって良いか、悪いかなら  絶対的に、やっちゃいけないですよ。  ただ  雁字搦めに決められた通りのカソリック支配の中世から  個人の価値観・行動が解放されようとしている。まさに、その矢先  魔女狩りによる障碍者さんの一掃は、欧州の未来にどう作用したのか?  ブッダさんって  小王国乱立の当時、唯我独尊と宣(のたま)ったキ○ガイですよ。  そんなで  万人は、仏さまの前では、みんな平等ですよ、なの?  いまから  2500年前の紀元前5世紀に  そういう  危険思想が世界に広まっちゃったら、どうすんですか?  その頃、あたしたち日本では  みんな  布の真ん中に穴を開けちゃ、そこに首を通して。  布を前後に垂らし、腰の辺りを縄で結んでいた?  まさに  「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らずと言えり。  されど  人の世は賢き人あり、おろかな人あり、貧しき人あり、富めるもあり。  人は生まれながらにして 貴賎貧富の別なし。  ただ  学問を勤めて物事をよく知る者は 貴人となり富人となり、  無学なる者は 貧乏となり下人となるなり」ってお話ですよ。  まあ  諭吉翁の時代とは違って。  「無学なる者は貧乏となり下人となるなり」どころか  縄文時代には  死と直結しちゃっていたワケですが。  とにかく  絶対王政どころか、未開部落の族長さんすら存在しない時代に  万人平等を説く恐ろしさ。  人口に比べ  圧倒的に食糧が不足する時代に、ダレから順に生き残ればいいか?  それすら曖昧模糊(あいまいもこ)にしちゃうんですよ?  それが  どれほどの社会不安を生むか、想像できます?  何はともあれ  王政樹立に向け納まりつつある社会を  まんま  弱肉強食の原始時代に逆戻りさせちゃう?  その  元凶になる恐れが、ブッダさんの教えじゃないんですか?  なので、『弥勒戦争』では  歴史上、途中で袂(たもと)を分かった提婆達多(だいばだった)さんが  ブッダさんに言葉を残します。  「黙したまま、死んでいけ!」と。  で、ブッダさんは  提婆達多さんの言葉通り、その後、何も言わずに死んでいく。  けっか  ブッダさんは、大量殺戮者さんにならずに済みました。  めでたし、めでたしです。  たとえば  きょう、スーパーさんで。  ひとつ手前のじじぃ…いや、おじいさんに。  騙されちゃダメですよ。  1,122円で、安物お寿司セットを買うくらいなら  ダレがどう考えたって  598円のお寿司盛合せを、ふたつ買った方が、お得ですよ。  そう諭(さと)す  あたしの、ちっちゃな「正義」の延長線上に  ナポレオンさんやヒットラーさんや魔女狩りの、おっきな「正義」はあるのでしょうか?  ややもすると。  あたしたちは  ちっちゃな「正義」が、いっぱいいっぱい集まって、おっきな「正義」になると思い勝ち?  けれども  国家レベルの、いや、国家を超える食糧難、それぞれ人口構成の適正化などなど  あたしたち  小人(しょうじん)が考え得る、ちっちゃな「正義」とは  まるで質が違うんじゃないのかな?と思うのですよ。  人口爆発が予見される直前の大量殺戮も  社会構成員の同一性を問う魔女狩りも  あたしたちレベル  つまりは小人の、ちっちゃな「正義」とは  絶対的に相容(あいい)れない。  あたしたちの未来としては  何が何でも受け入れられない。  ただ  歴史として鑑(かんが)みるに  そういう、おっきな「正義」の故  いま、あたしたちは、こうして生きていられる。  そう  気づくだけ?かも知れません。  あたしたちレベルで、社会に問う「正義」って  何なんですかね?  1,122円のお寿司セットだろうと  598円のお寿司盛合せを2つだろうと。  じじぃ…いや、おじいちゃんには  どうだっていいじゃないですか?…それで余生が一転するワケじゃなし。  こうしなさいよ。ああしなさいよ。  姦淫許すべからざる。盗んじゃダメですよ。殺すなんて以(もっ)ての外ですよ。  小人が  繰り返し唱える「正義」、「正義」…ちっちゃな「正義」。  そうやって  言える、つぶやける、あたしたちの社会は  食糧供給の限界と人口爆発との狭間(はざま)に、大量の人々が自然淘汰された成れの果て。  姦淫・盗難・殺戮、何でもありの辺境から  幸か不幸か、もっとも遠くにある社会。  そこで  伸(の)う伸(の)うと、薄っぺらい自分本位のちっちゃな「正義」を振りかざす?  ほんに  幸せなお話だこと。  諭吉先生は  くそバカ民主さんや、サヨク・市民団体さんみたいに  結果平等・悪平等なんか唱えていませんよ。  それどころか  学問を、努力を惜しんだら  貧乏になりますよ、下人になりますよ、って  どんだけ  差別主義者さんなんですか?ってお話です。  「人は生まれながらにして 貴賎貧富の別なし。  ただ  学問を勤めて物事をよく知る者は 貴人となり富人となり、  無学なる者は 貧乏となり下人となるなり」  学問にしろ、労働にしろ  何の努力もしようとしない後天的バカは、きっちり差別しましょうよ。  ただ  あなたやあたしみたいに産まれながらの不っ細工…いや、ドタマやご容姿が不自由でも  せめて、学問に勤めましょうよ。  そうすりゃ  人並みに扱ってもらえるかも知れませんよ。  だからこその  『学問のすゝめ』でしょう?  努力皆無も、甲斐性なしも、後天的バカも、何だっていいなら  それ  『学問のすゝめ』じゃなく、『怠惰のすゝめ』ですから。  あたしたち小人は  しょせん  てめぇの考えられる範疇(はんちゅう)でしか判らない?  それより上に  まるで違った価値観・概念性があること、そういう概念の複層化にすら気付かない?  けっか  諭吉翁の「天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず」って部分だけで  彼を  結果平等・悪平等の先駆(せんく)と理解したがるドタマの悪さ。  それが  あたしたち小人の限界なんですかね?  ただ、ね。  ナポレオンさんやヒットラーさんや魔女狩りにおける  おっきな「正義」って  国家レベルの、あるいは、国家を超える  おっきな「正義」って。  あたしたち小人も  理解しなきゃいけないのかな?  あたしたちの今に繋がっているからって  まさしく  いまの安寧(あんねい)に結びついているからって  あまたの  姦淫・窃盗・殺戮を、おっきな「正義」だったとして  あたしたちは認めなきゃいけないのかな?  べつに、あたしは  ひとつ手前のじじぃ…おじいさんに  598円のお寿司盛合せを2つ買った方が、お得ですよ。なんて  言うツモリはないですよ。  それは  気後れや、意地悪って訳じゃありません。  3つや4つのガキじゃないんだよ。  それくらい  てめぇで考えなよ?ただ、それだけのお話です。  そもそも  あたしが諭したところで  じじぃもあたしも、幸せになれるとは思えない。  つーか  どちらも、基本、どうだっていいお話でしょう?  そうと悟ったところで  必ずしも口にする必要はない。  どころか、世間さまには  あえて口にしない方が、みんな幸せだってことも少なくない?  それが  おっきな「正義」に  突き当たったとき、向かい合ったとき  あたしたち小人がとる処方箋(しょほうせん)のような気がします。  何となく  そう感じながらも、そう悟りながらも  おっきな「正義」に関することは  あえて口にしない。  それで  「神、空にしろしめして、なべて世はこともなし」ならば  それに  越したことはないでしょう?  あたしたち小人ならば  どうだっていい  自分本位な、ちっちゃな「正義」ばっか、ブツクサつぶやいてりゃいいんですよ。  何やかんやで  ちっちゃな「正義」すら、口を噤(つぐ)まにゃならん社会ってヤツは  全体主義・ファシズムってことですか?  何にしろ  それでも静かになって、ずっとずっと心地よい気もしますけど…。  それも  おっきな「正義」に関するお話ということで、あたしは口を噤みましょうか。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る