「杉の花粉」の独断と偏見に満ちた愛読書紹介コーナー

2018/03/07(水)00:48

そもそも、強者さんに「論理」なんて必要ないでしょう?

TVでバラエティ番組を見ていたら とあるママタレさんが 桃太郎さんのお話にイチャモンをつけていた。 お子さんに寝物語するときに困る。 鬼を退治に行くんじゃなく 鬼さんとお話し合いに行くじゃ、どうしてダメなんだろう?って。 あと サルさん、イヌさん、キジさんに キビ団子をあげるから、一緒に行きましょうよ、は、何だか男らしくない? キビ団子はあげるけれども オレは、ひとりでも行く。 付いてきたければ、どうぞご自由に!の方がカッコよくない? とか しゃべり過ぎ…いや、よく喋るMCさん。 んとね。 イラストレーターさんだったか誰だったか お友だち料金で仕事を依頼するんじゃねぇ!とか、ありませんでした? あなたは、お友だちだよね? だから 安くやってよ。タダでやってよ。と、頼られましても…ってヤツ。 ダレだって 扶養家族もいれば、日々の生活があるワケですよ。 なのに 正当な…つーか、相応の報酬なしにお仕事を押し付けられる? それが ホントのお友だちがやることなんですか?ってお話です。 サルさんだって、イヌさんだって、キジさんだって べつに 遊んで暮ら「せ」ていたハズがないのですよ。 だって、そうだったれば いくら封建社会だって その時代、その場所は、まんま桃源郷・パラダイスってことでしょう? 働いても、働かなくても 各人の要求に応じて、食糧・嗜好品その他もろもろが手に入る。 まさしく 共産主義が目指す理想郷ですよ。 なら、後世に わざわざ、暴力革命…いや、共産主義革命を起こして 社会秩序をメチャクチャにする必然性もないワケで? つーか、そんなで わざわざ 鬼の悪行を懲らしめに行く必然性、寓話(ぐうわ)性が、どこにある? 働いても、働かなくても みんな、好きなように暮らせるなら それでいいじゃん? そういう社会の、どこがどう悪いんだい? だったら、必然として サルさんにも、イヌさんにも、キジさんにも それぞれの生活が、日常があるのですよ。 遊んでちゃ 食べていけないのですよ。 なのに 鬼退治に付き合うのは当たり前ですよ!で 無報酬で働けってか?お友だち料金で働けってか? ざけんじゃねぇぞ。桃太郎!ってお話じゃない? こちとら 生命を賭けて、鬼退治に付き合うんだ。キビ団子くらい貰って当然だろう? どころか 鬼退治の戦利品、金銀財宝は働きに応じた成功報酬ってことで!そういうお話かと。 そもそも、そういうの 雇われる側が主張するんじゃなく 雇う側・雇用主さん側から、きっちりかっちり提示するお話じゃないの? なのに キビ団子で、モノで、釣るのは男らしくない?何かを貰ってする行動は、潔くない? バカじゃないのか? 正当な報酬を 精神論で封じようとする愚昧(ぐまい)を、いい加減に自覚して、恥じたらどうです? どこまで 社畜、滅私奉公(めっしぼうこう)を称賛すれば気が済むんだい?…ほんと、この国は。 で。 鬼退治じゃなく、鬼さんとの話し合いの方がいい? それって ギャグなの?新しいおバカ・キャラなの? それとも いまだ、こ○ん星から帰ってきてないの? サヨクさんとか、市民団体さんとか、エセ…いや、自称・知識人階層さんとか いつもいつも、何でもかんでも 拙速な暴力的解決は大反対ですよ。話し合いで解決しましょうよ。 何でもいいですけど ほんと こいつら…いや、彼らは 何て尊大で傲慢なんだろう。って感じちゃいません? だって、お話し合いなら 相手のご意見に従う可能性もあれば、どこかで妥協するケースだってあるんですよ。 ってことは。 鬼さんとお話し合いをして ときと場合によっちゃ 彼らの残忍な殺戮や強奪や破廉恥行為だって、べつにいいですよ、とか認めちゃうんだ? いやはや 強奪や強引なセックスは認めちゃいますけど、殺戮は勘弁してね、とか妥協しちゃうんだ? そういうことでしょう? 何でもかんでも、話し合いで済ますって。 まるで 土俵が違う者同士、まったく相容(あいい)れない者同士 話し合いって、何か意味があるんですか? ヒットラーやスターリンや毛沢東やマハトマ・ガンジーさんに ローマ教皇が、平和を説いて、何がどうなる? それで彼らの誰かが いきなり考え方を変えると思いますか? そもそも アッラーさんとお釈迦さんとイエスさまが、なごやかにご歓談って… いやいや ムスリムさんとラビさんと司祭さまが、なごやかにご談笑って「だけ」でも すっごく 平和的な景色と言うか…地獄絵図? まあ、とりあえず 背筋がゾッとする素晴らしいシーンには違いない? いまだ、こ○ん星のおバカ・キャラさんとか サヨクさんとか、市民団体さんとか、エセ…いや、自称・知識人階層さんとか。 の いつでも、どこでも、ダレとでも 何でもかんでも、お話し合いで解決しましょうよ。ってヤツは。 けっきょく 誰も彼もが、彼らのご意見を100%受け入れなさいな。それ以外の結論はありませんよ。 つまりは、そういうことで。 端(はな)から 相手のご意見を受け入れる気持ちは、毛頭なく てめぇの主張通りじゃなきゃ1ミリも認めませんよ。 それの どこがどう、お話し合いなんですか? そういうの あたしの辞書では、脅迫、強要、無理強いってんだよ。 あと こういうバカども…いや、ヒトたちが使いたがるのが 強者の論理って言葉使い。 ほんと アタマが悪…いや、何と言ったらいいのかな?…ふぅ。 あの…ですね。 どうして 強者さんに「論理」が必要なんです? 気に入らなきゃ すべてを打っ壊す。 何が何でも、自分の思い通りにする。 いや 何でも思い通りにできる有象無象の能力・権力が備わっている。 それを 強者さんとするならば。 彼らに、どういう「論理」が必要なんですか? ただただ 自分の好き勝手にふるまえば 周りは、社会は 彼に忖度(そんたく)して変る。許容する。 そこに 「論理」もクソもないですよ。 「強者の論理」なんて、あり得ないでしょう? それは あくまで、弱者から見た「強者の論理」と言うべきモノと言いますか。 弱肉強食の社会では あたしみたいな自分自身じゃ生きていけない階層さんが 一所懸命に生き延びるための詭弁(きべん)と言いますか。 べつに 強者さんが生きていくのに 「論理」もクソも…いや、何も必要ありません。 かといって。 強者さんの自由気儘に、好き放題にされたら あたしたち弱者は、どうにも生きられない? だったら 彼ら強者さんを雁字搦めに縛っちゃえばいい? そのためにも それは「強者の論理」ですよ!って、強者さんの言動を封じ込めようとしたワケだ? けっきょく 「強者の論理」って言葉使いは、「弱者の論理」に他ならないんじゃないのかな? 土俵が違っても、思考の土壌が違っても、立場が違っても それでも お話し合いで、どうにかなりますよ。いや、どうにかしましょうよ。 そういう くそバカな…いや、くっだらない理想・幻想・お花畑を押し付けてきた? そういうの 戦後70年も、延々と繰り返されれば こんな クソみたい…いや、どうなんでしょうね?って日本社会にもなりますよ。 で。 いつでも、どこでも、誰とでも 何でもかんでも お話し合いで済ませましょうよ!って発想の実態は。 きほん 何が何でも、てめぇの考え方を100%、相手に押し付けちゃおうとする 脅迫行為だってことにすら気付いちゃいない? あげく 話し合いで済まなかったり、討論に負けそうな場合は それは 「強者の論理」ですから!って、お相手の主張を全否定ですか? ほんと おバカも、くそバカも、いい加減にしておくれ…って感じですよ。 話し合いじゃ何も解決しないかも知れませんよ? それは。 ヒットラーやスターリンや毛沢東やマハトマ・ガンジーさんに ローマ教皇が、平和を説いてみせる、ってイメージなり。 アッラーさんとお釈迦さんとイエスさまが、なごやかにご歓談なり ムスリムさんとラビさんと司祭さまが、なごやかにご談笑なり。 そういうのを あぁ何て平和なんでしょう?と見るか…地獄絵図と見るか。 たんに 見方の違いかも知れませんけれども。 とにかく。 意識的にしろ、無意識にしろ あたしたちは 自分の考え方・意見・主張を押し通したい存在なのかも知れません。 それを 能力・腕力・暴力で無理強いしようとすると めっちゃくちゃ軋轢(あつれき)があり 社会的にも、後日、歴史的にも、相当の責任を負う? けれど 何でもかんでも、話し合いで済ませましょうよ、には 軋轢も無けりゃ、責任もない? サリンは 「貧者の核兵器」って呼ばれてましたけど。 何でもかんでも 話し合いで済ませましょうよ!さんで 都合が悪くなると、それは「強者の論理」ですから!と相手の言動を封じ込めさんって ほんと くそバカの核兵器…いや、無責任の核兵器って感じですか? 貧弱なクセして 恥を恥と気づいていない分、自信満々で どうしようもなく 質(たち)が悪い? いまだ、こ○ん星の住民さんでも サヨクさん、市民団体さん、エセ…いや、自称・知識人階層さんでも。 有史以来 どの時代でも、どの国・地域でも お話し合いで済んだ事例があったんですか? で、なんなら ヒットラー予備軍さんや、スターリン予備軍さんや、毛沢東予備軍さんや ガンジー頑固じじぃ予備軍さんに ローマ教皇さながら、平和を説いて改心させてみたら? それでも まだ、お話し合いで済ませましょうよ!ってバカ…いや、想像力の欠如さんなら もう、いいですよ。 鬼が島でも、こ○ん星でも あたしから ずっと離れた遠い場所で、どうぞ、お幸せになってくださいな。

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