2003/08/13(水)17:46
伝える記憶
プロフィールには記してないけど、簡単に言えば、ボクはモノを作る仕事をしている。今日、ある物件のラフを出力しに、誰でも知ってるフランチャイズの出力店に行った。秋にオープンする飲食店の開店前DMを、趣向を凝らした粋なものにして欲しいとの依頼があり、足りない頭で考えた挙げ句、和紙と稲穂を使うことにした。ボクはその上がりのイメージを先方に掴んでもらうべく、とりあえずは手作りで見本を作っていた。この飲食店はいわゆる創作和食のお店で、洋風なテイストも取り入れるらしい。最近は珍しくもなくなったが、そこは依頼された以上、他店との差別化を出したかった。客単価も高すぎず、かといってお子さまが気軽に入れる感じでもない。そのへんのバランスをうまく突いたDMになりそうだと、ちょっとした手応えを感じていた。製作に没頭していた時、ふと人の気配を感じ何気なく顔を上げると、年の頃は80歳くらいのおばあさんが、ボクの作業を観察していた。目と目が合ったおばあさんは、「これは何ができるの?」とボクに聞いてきた。ボクは「今度新しくできる飲食店の案内状ですよ」と答えた。「ま~、綺麗な和紙や稲穂があるから、私は何ができるのかなって思ってたの。どんな感じのお店なの?」とおばあさん。「和食のお店なんですけど、ちょっと洋の雰囲気も入ってます」とボク。そう答えた瞬間、楽しそうにボクの作業を眺めていたおばあさんの表情が変わった。さっきまでのやさしい表情から一変、険しい表情のおばあさんは、「この雰囲気に洋風は似合わないわよ」と突き放すように言った。いきなりの変化に若干驚いたボクは、随分間抜けな顔でおばあさんを見返していたと思う。ボクの間抜けヅラに気付いたおばあさんは、急に居心地悪そうに「和食だけじゃ駄目なの?」とつぶやいた…聞くとおばあさんは、先の戦争体験者だった。当時は極限の生活を送っており、憎き相手は無論連合軍で、洋風=アメリカという思考に結びついたらしい。「今は何でもアメリカになっちゃってるけど、私たちは本当にひどい目にあわされたの」孫にでも話しかけるように、おばあさんはボクに語った。おばあさんは今でも戦っているみたいだった、というと言い過ぎかもしれない。ただ、悲惨な過去を拭い去ることはできないみたいだった。一通り話したおばあさんは、もう随分やさしい顔に戻っていて、「お邪魔して悪かったわね、いいもの作ってね」と言い残し去って行った。ボクは「みんなに伝えます」という力ない返事しかできなかった。それからボクは非常に複雑な気持ちになった。厳密に言えば、洋風というのはイタリアンだったのだが、そんなことは問題じゃない気がした。しかしボクは自分の作ったものに負い目を感じてはいない。これは”戦争を知らない子供”の嗜好だ。ボクたちはこんなものが好きだし、こんな今を生きている。ボクは自信を持って作ったものをクライアントに見せた。先方も気に入ってくれたと思うし、採用されればいいなと思っている。ただおばあさんの気持ちも忘れないようにしたいと思う。大事なのは知ることであり、伝えることだ。このお店がオープンして、1番最初に一緒に行く相手に、ボクはおばあさんの話をしようと思っている。