mamiさん2005年4月mamiさんという30代の女性患者さんとサイトを通じて知り合った。 病気が発覚して最初からガツンと効く強い抗癌剤治療を受けた、言わば珍しい患者さんだ。 けれど、強い抗癌剤ゆえに肝機能が低下し、薬剤変更を余儀なくされた。 薬剤変更前に受けたセカンドオピニオンでも、これはかなり効く治療だと思いますと太鼓判を押されていただけに、早々に薬剤変更となってご本人は、ちょっとパニックになったようで、突然電話がかかってきた。 突然、まくし立てるように話し出す・・・ 話し始めてから、少しは落ち着いたようで、急に挨拶が始まったりして・・ この時の電話はとても印象に残っている。 こういった、慌てふためいた電話には慣れているし、私にとっては別に迷惑でも何でも無いのだけれど、電話を切る頃にはとても恐縮していた。 丁度、スーパーで買い物をしている時にかかってきた電話で、周りがうるさかったのが逆に悪かったな・・・って思ったほどだったのに。 肝機能が落ちてしまっては、今後どの薬剤を使用する事も難しくなってしまう事、現在の主治医はかなり化学療法に熟知している先生だから、任せても安心な事等を話した覚えがある。 ご主人がとても一生懸命にmamiさんのサポートをしていた。 予想以上に早い進行に私自身も驚いた患者さんで、この年の8月には緩和ケアを考える状態になってしまった。 少しでも不快な症状の緩和に、ご主人が懸命に努力していた。 その甲斐があって、鼻から入れていた管を鎖骨部分に変える処置を願い出たりして、mamiさんはこの鼻からの管の苦痛から開放された。 残念ながら、これはどの病院でも出来る処置ではないが、mamiさんの病院では運良く出来た。 思えば、ご主人だって初めてのことに不安も恐怖も感じていたはずだ。 その中で本当に良くやられたと思う。 この8月に一度お見舞いに行った。 病院は東京だし、そう遠くもない。 初めて会ったmamiさんは、穏やかに病室で過ごしていた。 ご本人は本来、ぽっちゃりと太っていたそうで痩せてしまったと言われたけど、この時会ったmamiさんは私とそう変わらなかった。 何とか自宅で過ごせるように、在宅IVHの事とかを話した。 その時に言われた言葉が今もはっきり心に残っている。 「頼りにしています」って。 ベッドに座り、痛みも吐き気も無く普通に会話した。 ご主人とmamiさんのお母さんと一緒に、時々愛らしく笑った。 楽しいひと時だったな・・・ しばしのおしゃべりの後、病室から出るとご主人はすぐに目を赤くした。 無理して我慢して笑顔を作って団欒をしていたのだろう・・・ その辛い気持ちが手にとるように感じられた。 これから約2週間後に、ご主人からmamiさん他界の連絡の電話がきた。 結局、私はmamiさんの頼りにはなれなかった・・・ 2005年8月28日旅立ち |