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スキルス胃癌 サポート

スキルス胃癌 サポート

kazeさん

2005年3月
サイトの掲示板に時折レスを書いていた私が、しばらく登場しない事を心配した内容の投稿をくれたのがkazeさんでした。
私が高熱で寝込んでいた時でした。

2004年7月
彼女はスキルスで胃全摘の手術を受け、再発予防のためのTS-1を服用していましたが、半年後に再発。

2005年3月
再発後も化学療法を受けていましたが、体調の変化と時期を同じくして主治医が転勤となりました。
新しい主治医は、今後の化学療法はあまり期待できないと半ば匙を投げているような医師で、転院すら薦めるので、悩んだ末思い切って転院と同時に緩和医療に移行しました。
この時、余命3ヶ月と医師から言われた事も彼女はちゃんと知っていました。

この緩和医療の医師は穏やかな人で、いつも不安な時には手を握って話しを聞いてくれる医師だと言っていました。
ですが、体調の悪さを訴えても鎮痛剤しか処方してくれない・・・と彼女はいつしか、ぼやくようになりました。
これは、緩和医療であれば当然の処置なのではありますが、この事が彼女にとっては不満になっていきました。
この頃のメールのやり取りで、そういった不調であれば、その病院に外科があればこういった処置で改善も可能かもしれませんよと書いた事があります。
この言葉に奮起したのかどうかはわかりませんが、それからしばらくして
「外科のある病院に転院しました。ここでは、まだ治療が可能だと言ってくれたので、又治療を再開する事にしました」
というメールが届きました。

この再開した治療が奏効して、彼女はそれから小さな目標を立て、一つずつその目標・・彼女にとっては夢ですが、その夢を叶えていきました。
その夢とは、息子さんの野球の試合の応援に行く、旅行に行く、子供の卒業式に出席する・・・そういった類のものです。
その夢の中の一つに「ひろりんさんと会う」というものがあったようです。

2005年11月
静岡県三島市でサイトが開催したフォーラムに福岡から車椅子に乗って、ご主人と来てくれました。

初めて会った彼女は真っ白なコートに包まれていて、「わっ、美人!」これが私の印象です。
私と写真を撮るためにカメラを持って来たのに、舞い上がってしまったのと、疲れですっかり忘れてしまったと、福岡に帰ってからのメールに書いてありました。
彼女の帰り際、私もこの時、彼女と写真を撮りたいとカメラ担当のヒゲさんを大声で叫んで呼んだのですが、丁度いなくて・・・・
これが、最大の心残りです。

余命3ヶ月と言われてから1年半以上が過ぎた頃、2006年3月にご家族で沖縄に旅行されてからは、夢を叶える体力が無くなってしまって、私へのメールには、天に召されたいと切望する内容が増えていきました。

2006年10月に届いたメールの抜粋
自分の心が病気と共に縮んでしまっていた事、反省させられました。
今、心から全ての人に感謝する気持ちと死に対する恐怖もなくなりました。
なんだかとても気持ちが穏やかで変かもしれないけど希望に満ちた平和な心でいられます。
そしたら痛みや苦しさも楽になってきたのです。
三島から一年…いろんな思い出が蘇ってきます。ひろりんさん、ずっとありがとうございました。これからも頑張って下さいね。

2006年10月20日最後のメール
色々あったけど私の願いは叶ったし、もう思い残す事もないから、本当に幸せな逝き方かもしれないと今心からそう思います。
私にはひろりんさん夫婦がとてもステキな理想の夫婦です。
ずっといつまでもステキなお二人でいらして下さいね。


彼女から暖かくて優しい言葉が届いた人は私だけではないでしょう・・・・
彼女の幸せも、苦痛も・・・いつも手にとるように感じてきました。
どういう状態でいるのか、私には見えます・・・あの辛さに耐えて生きて、そして幸せを掴んで・・逝ってしまいました。

2006年11月17日旅立ち


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