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スキルス胃癌 サポート

スキルス胃癌 サポート

ミズエさん

ミズエさんというのは、2005年4月に知子(52歳)さんが手術のために入院していた50歳のルームメイトです。
この病院は二人部屋か個室しかないので、唯一の知子さんのルームメイトでした。

知子さんとほぼ同じ日に胃全摘の手術を受けました。
ミズエさんの術後の回復は順調で、すぐに動き回れるほど元気になりました。
ですが、知子さんは術後に高熱が続き、毎日何回もパジャマを着替えねばならないほど汗をかき、ベッドから起き上がれない日が何日か続きました。
そんな時に、窓際の知子さんに日が当たらないように時間によってカーテンを閉めてくれたり、テレビを点けたり、消したりしてくれて、ご自身も術後の患者さんだというのに、押し付けがましくなく知子さんの世話をやいてくれました。
起き上がれない知子さんの変わりに、何か必要な物が出来たりしたら電話をくれないでしょうか?
そんな厚かましいお願いにも、笑顔で快く承知してくれました。

何度も知子さんの病室に足を運ぶうちに、私とも親しくなり他愛のないおしゃべりをするようになりました。
ある日、ミズエさんはこんな事を言いました。
「私ね、もうこれ以上痩せたくないのよ」
そうは言っても、どう見てもミズエさんはポッチャリしていて、痩せているとは言わない・・・いや、言えない体型をしています。
「女性に対して、大変失礼ですけどそんなに気にするほど痩せていませんよ」
こう言うと、ケラケラと笑って
「私、すごく太っていたの、だからこれでも痩せちゃったのよ~
友達に痩せたねって言われるのが嫌でねぇ・・・」
そう言って、ため息をつきます。

そして
「私の病気ね、す・き・る・す・って言うんだって。
手術で癌は全部切除したんだけど、もしかしたら背中の方のリンパに残っているかもしれないんだって。」
まるで、初めてスキルスという言葉を聞いたような話方でした。
この時、事の重さを瞬時に理解しましたが、私の表情は何ら変わらなかったと思います。
何時の間に慣れてしまったのだろう・・・そう思った記憶がありますから。

この頃、知子さんは見るからに重病人で、ミズエさんは健康そのものの人でした。
知子さんの状態を把握していた私から見ると、ミズエさんは単なる胃癌の患者さんに見え、こんな方と同室というのも酷な話だと、内心思っていました。

こんな告白を受けた私は
「私は自慢じゃないですけど、胃癌の友達が沢山いるんです。
ミズエさんみたいな方も沢山知っていますけど、皆さん、結構元気にしてますよ~」
そう答えました、するとミズエさんは
「そうなんですってね、ひろりんちゃん、偉い事しているんだってね、知子さんから聞いたわ」
そう言いました。
別に偉い事なんてしちゃいないのですが、スキルスの患者さんを沢山知っている事、これがほんの少しばかりでしょうけれど、安心感となってミズエさんには伝わったようでした。

それから癌が残っているかもしれないから、今後内科に移って抗癌剤治療をする事。
幾つか薬剤の説明を受けた上で、選択権は患者側にあると言われた事。
家族で相談したけれど、結局わからないから内科の先生におまかせする事にした事。
こんな話を聞きました。

内科の先生におまかせした治療は5FUでした。
これは治験に参加する事になるという事もミズエさんは承知していました。
この病院は検査にしても、入院にしても、とにかく常に混んでいてやたらと待ちが多いところです。
治験に参加すると、優先的に検査も受けられるのだと初めて知りました。

5FUか・・・TS-1、もしくはTS-1+CDDPを選択した方が良かったんじゃないだろうか。
これが正直な思いでした。
5FUもTS-1同等の効果が期待できますが、定期的に入院が必要だという難点があります。
治験という事なので、どんな使用をするのかわかりませんでしたが、基本的には毎月5日間の入院で24時間持続点滴です。
こんなに元気なのに、毎月抗癌剤でこんなに時間を縛られるのは気の毒のように思いました。
とは言え、担当の内科医は抗癌剤のスペシャリストですし、私が口を出す筋合いでもありません。

退院してからも、何故かミズエさんとは病院でよく会いました。
知子さんの外来の付き添いでも会いましたし、他の方のお見舞いに行った時も会いました。
偶然、エレベーターで乗り合わせた事もあったし、エントランスで会った事もあったし、私を見つけると必ず笑顔で
「あら~」
そう言って手を振ります。
いつお会いしても、別段痩せてもなくてお元気でした。

知子さんの外来日に、ミズエさんが治療入院していると知った時は病室まで会いに行きました。
5FU投与もクールが増すと、段段辛くなってきたと言っていました。
だるくなるし、食欲が落ちるし、早く帰りたいと窓の外の景色を眺めて言う様を良く覚えています。
ご家族は、病院食ではなく食べられそうな物、本人が食べたいと思う物を持ってきていましたが、治療中は量は食べられないようでした。
昔はケーキが大好きで2個でも3個でも食べられたのに・・・
そんな話も聞きました。

知子さんと気が合って、二人はメールや電話でずっと親交を続けていました。
外来日が同じだとわかると、知子さんも喜んでいました。
実際に外来で会うと、ミズエさんは
「また、会えたね~」
そう言って知子さんの手を取り、頭を傾げて少女のように笑います。

時間が経って、知子さんの体調が悪くなってからは病院でも会う事がなくなり、メールも電話も途切れがち・・・・
きっとミズエさんは心配しているだろうとは思いましたが、事実を伝える事が今度はミズエさんを落ち込ませてしまうのではないか・・・・そう思うと知子さんの現状を伝えるのは、はばかれました。
2006年1月に知子さんが旅立った時、ミズエさんにも知らせるべきかどうか迷いましたが、止めておきました。

あれから1年半という月日が流れ、ミズエさんはどうしているだろうかと、知子さんの実姉と話題になる事が増えました。
ひょんな事からミズエさんの現状を知る事ができました。
ミズエさん・・・知子さんが旅立った1週間後に旅立っていました。
明らかに知子さんより遥かにお元気だったのに・・・まさか?!の思いの方が強いです。
知子さんと同じ頃合に手術を受け、同じ頃合に二人とも旅立つなんて・・・

知子さんの訃報を知らせずにおこうと話していたあの頃、きっとミズエさんのご家族も同じ思いをしていたのだと思います。
お互い、同じ時期に相手を同じように思っていたのではないか・・・
そう思うと、胸が苦しくなりました。

2006年1月25日 旅立ち


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