転院2001年11月急遽、父を退院させH病院に転院した。 紹介状もなしに突然やってきたので、受け付けでは時間がかかった。 ここで出会った○○先生は、穏やかな内科の先生だった。 最初に言われた言葉は 「抗癌剤治療は辛い治療です。 辛い思いをするのが嫌だからと、治療を拒否される方もいます。 それはその方の意思ですから、尊重致します。」 だった。 この時はまだ、抗癌剤治療が何たるかなどわかりもせず、何もしなければ数ヶ月の命だと言われていたので、治療を希望した。 そして、次に言われたのは 「余命を除く全てを本人に告知する事が、この病院の基本概念」 だと言う事だ。 何故なら、今後の辛い治療に耐えるには、事実を知らなければ治療を放棄するようになり、検査等にも支障がおきるからだと説明された。 それはそうだ、胃カメラ検査をするのに胃が無いのにどうして?って事になってしまう。 そして、父に本当の事が告げられた。 実は胃は残っていて、かなり進行していて切除できなかった事。 父は「えっ??」って声をあげた。 心底驚いていた。 そして、自ら治療を望んだ。 TS-1単剤による治療が始まった。 年齢体力を考慮して(2週飲んで1週休薬)×2が1クールになった。 TS-1を飲み始めて2日後、恐ろしい吐き気で実際に吐いた。 熱も38度を越えた。 急な体調の変化で驚き、急いで○○先生に連絡を入れる。 「薬の副作用か、病気が原因か判断できないので、とりあえず薬を止めて様子を見 てこの日に病院に来てください」 と、指示を頂いた。 薬を止めると吐き気も熱も治まった。 指示された日に病院に行き、今度は吐き気止めのナウゼリンを処方された。 この吐き気止めを飲み始めたら、吐き気から開放された。 話は戻って、父が事実を知った日、父は母を怒鳴りつけた 「お前も知っていたのか!!」と。 怒りが納まると、明らかに落ち込み始めた。 そして、今までの事、最初の主治医との大激論やセカンドオピニオンを遠路受けに行った事、全てを話した。 時間はかかったけど、父は私達の対処に感謝するようになった。 そして、友人が家に来る度に 「娘夫婦が、自分のためにこんなにしてくれたんだ」 って嬉しそうに自慢までするようになった。 |