看病・・・そして急転2002年8月父の転院先が決まったので、これでようやく父の看病に専念できるようになった。 転院先が決まったと言っても、これから開院する病院だから、まだちょっと先になったけれど・・・ この頃の父は、もう自分で起き上がる事もなかった。 ただ、ずっと横になっていた。 こちらから話しかければ答えるけど、父から話す事は無くなっていた。 テレビを点けても、好きだった野球ならほんの少し見ていたけど、すぐに疲れたのか飽きたのか、目を瞑ってしまう。 勝敗など興味がないようだった。 何をしたいとも、食べたいとも、自分の意志を言わない。 これは脳挫傷を負ったせいだ。 もう、腸閉塞を起こしていて便が出なくなっていた。 胆汁を大量に吐くようになった。 それで、胆汁を抜く管が鼻から通された。 当然ながら苦痛はわかる。 鼻からの管が痛いと言って自分で抜いてしまった。 目を離すと抜いてしまう・・・ これを抜いてしまうと、吐き気で苦しむ事になる。 その都度、また管を入れ直す。 何度も同じ処置をしてもらうのは気が引けた。 だから、抜かないように見張るようになった。 抜いてしまうのに夜も昼も関係ないから、徹夜で付き添った。 母、主人、私、そして叔母の4人でローテーションを組み、24時間体制の付き添いが始まった。 この時の2晩続けての徹夜は辛かったなぁ・・・ 会話があまり成り立たない父と二人きりで、これと言ってする事もなく側にいて、ただただ、寝ずにいた。 消灯時間が過ぎてテレビを点けている訳にもいかず、長い夜を過ごした。 腹痛を訴えるようになってから、塩酸モルヒネの24時間点滴が始まった。 頻繁に40度を越す熱を出すようにもなった。 ある日の血液検査でとんでもない事実が判明する。 MRSAに感染が2+の状態でわかった。 これは、どこで感染したのかはわからない。 救急車で運んだ病院だったかもしれない。 MRSAに最も期待が持てるバンコマイシンという抗生剤の投与が始まるも、なかなか菌は消えない。 このような感染症患者を転院させる訳にはいかないと、主治医が 「最後までここで面倒をみます」 と言った。 これで、夢の病院だったS病院への転院の話は消えてしまった・・・・ |