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2007年05月16日
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カテゴリ:育児
 “子は親の鏡”“親は子の鏡”という言葉をよく耳にします。我が子を見ていて本当にそうだなあと思う瞬間がしばしばあります。

 さまざまな場面で見せる行動や、言い方などに“私も同じように対応しているんだな”とはっと気がついたり、“そういえば、小さい頃、同じように受け止めていたんだ”と記憶が呼び戻され共感することも毎日のようにあります。

 我が家には子どもが2人いますが、性格も行動もやはりそれぞれ違います。当然性別の違い、上の子、下の子の違いという部分もあるし、もって生まれた気質というものの違いもあいまって、息子、娘のそれぞれのこの部分は理解できるけれど、こういうところはよく分からないなあ、と感じることもいくつも。本当に子どもの姿に学ばせてもらっているという思いがします。

 私自身は、小さい頃、大人の顔色をうかがって物を言ったり行動したりすることが多く、変に気を遣いすぎて子どもらしくない、可愛らしくない子だったと思います。例えば、いくつかのおもちゃがあった時に、自分のほしいものはあっても、きっとみんなもこれが欲しいだろう、だからなるべくみんなが選ばないようなものを選ぼうと、変に遠慮する子どもでした。お母さんは、こうして欲しいから、こうやろうと自分の気持ち主体ではなく相手の気持ち主体で行動することが多かったように思います。弟は反対で、自分が思った通りに行動する、欲しい物は欲しいと言う、そういう性格でそれをとても羨ましく思っていました。

 息子は、その点では弟と同じ。私が羨ましいと感じていた部分をもっています。自分が欲しい物は欲しいと、遠慮はしないし、友達と遊ぶ気にならない時は、自分の気持ちを優先し、「今日は遊べない」と断ったりしています。私は遊びたくなくても、せっかく誘ってくれたんだから・・と無理して遊んだりしていましたから、そういうところはは凄いなと思います。
 ただ、親の顔色を見てという部分がないので、“そろそろ宿題をしないとお母さんに言われるかな・・”などと思うような気配のけの字もありません(笑)。自分がやる気になった時におもむろにやり始めるという感じ。やらなくてはいけないことはやるということは分かっているようなので、最近は「宿題やったら?」などと声かけをせず、息子に任せています。
 
 反対に娘は人の感じることを察して行動するタイプ。私が忙しそうにしていると、すがさずやってきて、手伝いをしたり、私がたまにいろいろな種類のケーキを買ってくると「お父さん、好きなのを選んでいいよ。次はお母さん、お兄ちゃんね」と言ったりします。友達との様子を見ていても、友達任せの部分が多く感じます。なので「○○の好きな物は何?」「○○はどう思う?」となるべく普段聞くようにしていますが。

 一見、娘はいい子と見えますが、反面私がもっていたように主体性のない、人に合わせる人に任せるとも言えます。そして、それに疲れるかもしれないと心配に思える時もあります。自分がたどってきた心の変遷は分かるからです。
 反面、息子に対しては私もそうなりたいと感じていたので、嬉しい気持ちもあるのですが、もう少し周りのことを考えて行動して欲しいとも感じます。相手がこうして欲しいと思うことをさっと出来る気配りがほしいと思うのです。

 
 また、私は変にあまのじゃくなところのある子どもでした。嬉しくても、“こんなのたいしたことではない”といったそぶりを見せたり、人前で褒められることを恥ずかしく思うようなところがあったり。悲しくても“別に大丈夫”と強がって見せたり。そんな自分が好きではありませんでした。これも弟を羨ましく思っていました。弟は甘え上手、素直に喜怒哀楽を出す子でしたから。

 そういう面で息子は私と似ています。息子はマイペースなのだけど、自分を表現するのが苦手なところがあります。甘えたくても上手く甘えられなかったりするところ、喧嘩などをしたり、叱られたりすると「もう、いい」とすねてしまい、時間が経ってから「ごめんなさい」と言う、そんなところが見ていて自分の小さな頃と重なります。
 対して娘は、甘え上手。喧嘩をしてもすぐに仲直りができるし、叱られることがあると「ごめんなさい」と言い、そこ気持ちを切り替えられます。喜怒哀楽も良く表現し、喜びも人一番、反面すぐに泣いたりもします。こういう部分は私が羨ましいところ。

 それぞれに、自分が小さい頃に感じていた嫌な面と、あるといいなと思っていた羨ましい面をもっていて毎日自分と対峙しているようです。

 私は小さい頃は周りに合わせていること、人(とくに親)の顔色をうかがうことが多く、自分が主体性が無いように感じていました。それが一転して変わったのは、大学生になり親元を離れ、一人暮らしを始めたこと。そこで出会った友達は本当にさまざまな価値観を教えてくれました。また、その時期に一人で海外で旅をした経験が大きな転機になりました。往復のチケットと3週間のホームステイの予定はありましたが、その後の3週間は一人で計画して好きな所にその場で決めて行くような旅。人のことを気にせず、自分の好きなところに行って、好きなことをする旅って、なんて気楽で気持ちがいことなんだろう、それは目から鱗が落ちるような思いでした。自分のやりたいことが人目をきにせずにできることの楽しさを体感、実感し、それが自信にもつながりました。それを経て子どもの頃とは違った今の自分があると思います。
 それなので、子どもの時のことを今、我が子から客観的に見せてもらい、もっとこうした方がいいのではないかと思う部分が強く出てしまったり、逆に小さい頃の自分を癒してもらっているのだなあと感じたりしています。
 子育ては、自分育て、正にそう感じます。





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最終更新日  2007年05月16日 12時44分56秒
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