2024/11/15(金)14:53
日本の飛行機製造能力は、非常に高かった。
「和の国チャンネル」
『田中英道が語る原爆開発の真実⑥
日本海軍から米軍に情報筒抜け⁉
未完成の長距離巨大爆撃機「富嶽」は、
B-29よりデカかった!』の続き。
日本からアメリカまで片道8千㎞、往復で2万㎞近く飛行する。
いくら実験が成功しても、
その飛行機がなければ運べないわけで、実現できない。
アメリカがB-29を作りだしたのは、それなんです。
私も3歳の時、B-29を見た覚えがある。
その後、パ~っと光ったわけでね。
(田中英道先生は、疎開先で被ばくされてる)
いずれにしても、日本でも同じものは準備した。
で、中島飛行機。
日本の飛行機の技術力が非常に高いことは、
ゼロ戦などを見てもわかるわけです。
特に戦争前半は、日本の飛行機の能力・技術力、
飛行機製造能力は非常に高かった。
「日本の戦力がお粗末だから、日本は敗戦した。」
そんなことを言う人がいるが、とんでもない、そうじゃない。
日本の方が準備してたし、私は何度も言いますが
こういうことを言うと、
「とんでもない、愛国者に過ぎない」ということになるけど、
私はそういう事でなく、歴史家として、
歴史的事実をいろいろと改案したわけで、
それは別の本で書いてありますからね。
この大輸送機、長大爆撃機と言いうのが、Z飛行機構想。
のちに「富嶽」と呼ばれるようになった日本の空の主人公、
その創設者は中島知久平。
戦争の早い段階から着手され、
すでにアメリカ本土爆撃を考えていたもので、
秘密裏に進められていたと十分考えられる。