こんな国に生まれて…日本狼…純粋バカ一代…山崎友二

2021/02/16(火)06:47

《現場監督時代》「最終章・魂は声に出る」

純粋バカ一代(526)

【1】 念願の神戸勤務がかなった。 仕事は、六甲アイランドでの 、港の地盤改良工事。液状化現象防止のため、重機を使って地中の土にセメントミルクを混ぜる工法だった。 4社4機の地盤改良機の管理 業務だった。仕事は、まあまあ順調に進んでいた。 俺の仕事は、4社の担当者との、打ち合わせ、報告受け、連絡業務などが主だった。パソコンで、データ解析もやったが、事務所内とはいえ、現場での事務作業は、いらいらしていやなものだった。 4社の下請け会社の担当者の上に存在するという状況は、複雑な気持ちだった。もともと偉くなりたいなどという願望があったわけでもなく、自信を持って普通に対応できたか疑問に感じていた。それでも、これが自分の職務なのだからと割り切って、開き直って業務を続けていた。 【2】 1号機の担当者は東京、29歳。素直な子で、俺の指示もすんなり受け入れてくれた。 2号機の担当者は名古屋、23歳。まだ建設業界のことがわからない状況で、ヘルメットのかぶり方も注意したことがあった。 3号機の担当者は大阪、18歳。以前は道路関係の仕事をしていたが、これから地盤改良をやっていくんだそうだ。若いだけあって、現場業務もパソコン操作も、覚えるのが早かった。 4号機の担当者は福岡、24歳。普通の感覚の子で、まだ、大学時代のことが思い出されるあたり、かわいい。 みんな、若い子ばかりで、かわいいと思ったり、不安になったり、気持ちが忙しかった。 みんな、それぞれの仕事の頑張り方も見えたし、管理する立場の俺としても、誇らしいというか、気持ちがいいものだった。 【3】 まず、1・2・3号機が感覚を置いて進んでいった。多少のトラブルもあったが、仕事は順調に進んだ。それが、終わってから4号機が入る工程だった。 仕事が半ばまで進んだころ、1号機の担当者が交代することになった。今の担当者が他の現場へ行き、新しい担当者が来た。 唯一俺より年上の人だ。会社も東京にあり大きいし、実務経験も長いからか、最初から偉そうな態度をとった。目が「ドロ」っとした、優秀そうにも見えるおじさんだった。 別に俺は、偉そうにしていたつもりはなかったけど、上の会社に所属している俺を、おだてたり、嫌ったり、忙しそうだった。 俺は、仕事だけの付き合いだし、この現場だけの付き合いになるだろうと、あまり真剣には相手にしていなかった。 ドロ目男も、業務は順調にこなしていった。そこはおとなになってもらわなくては困る。 【4】 1号機の担当者ドロ目男は、この話の対象者なのだが、現場業務が終わるまでは、普通に接していた。 仕事の知識を鼻にかける感じもしたが、経験値を利用させてもらおうと気にしないでいた。 人を見下す感じもしたが、年上なのだからしょうがないかと割り切っていた。 ドロ目男は、現場終了間際に、自宅の電話番号を教えてくれた。会社にいないときでも、自宅に電話してくれれば、わからないところに答えられるからということらしい。素直に喜んで、電話番号を控えた。 1・2・3号機の仕事が、ほぼ同時期に終り、重機は解体されて搬出された。担当者も帰っていったり、他の現場に向かったりした。 ドロ目男も、東京に帰っていった。なんかすっきりした感じはした。とりあえず、3台の仕事は無事終わったという安心感もあった。 次は、4号機だ。 【5】 4号機が搬入され、組み立てられ、作業を開始したころに、ドロ目男から電話がかかってくるようになった。 最初、作業データの処理が気になるのかと思っていたが、その類の話ばかりではなかった。 「あなた、結婚しなくちゃだめじゃないですか」などと、プライベートの話もでてきた。 変わった世間話をする奴ということにして、対応していた。その「世間話」は、とうとう1日数回電話が来るようになった。 うっとうしいから「うるせぇんだ!ばかやろう!」と怒鳴ったこともあったが、効果はなかった。 あることに気がついた。最初からなのか、だんだんとなのか、ドロ目男の声が、ゲロゲロと気持ち悪かった。 冷静になって、客観的に聞いてもみたが、気持ち悪い声で、ねちねちと人を攻撃しているように感じた。 【6】 ドロ目男からは、毎日のように電話がかかってきた。内容は、いつもと同じいやみったらしいことを、ゲロゲロ言っていた。もう電話しないでくれとも言ったが、やめることはなかった。いたずら電話と判断した。 電話を録音した。客観的証拠として使おうと思っていた。 まず、兵庫県警の警察署に電話して、いたずら電話で困っている旨伝えた。録音した電話内容も聞いてもらった。 「東京の人間は、そんなやつもいるのか」と言っていた。 威力業務妨害にならないか聞いてみた。十分成立すると思うという回答だった。 だが、業務妨害で即逮捕でも面白くない。とりあえず被害届を出す用意はしていると伝えると、被害届は、警察署に来てくれれば簡単にできると言う。 相手の様子を見てから被害届は出すと答えた。 【7】 ドロ目男の所属する会社は、東京にある。その会社の電話を使っているということは、事件発生現場は東京だということだ。 警視庁の管轄警察署にも電話しておこう。警察署に電話すると、いかにも面倒だなという雰囲気の対応だった。兵庫県警には被害届をだす準備をしていると伝えると、逆に警視庁には関係ないことのような言い方だった。 ちがうだろ。兵庫県警が被害届を受理したら、加害者は、警視庁管轄の住所にいるということだよ。それは、無視できないだろう。 話してもなかなか理解してもらえないようなので、ドロ目男の声が入った録音テープを聞かせることにした。最初、その担当者は、そんなもの聞いてもなぁという態度だったが、ドロ目男のゲロゲロ声を聴いて黙った。 「どうですか。長年警察業務をやっている人なら、声を聞いただけでも、犯罪の匂いをかぎ分けるはずだよね」 【8】 警視庁の警察官は 「う~ん。これは問題があるな」 と態度を変えてきた。 「でしょう。防犯課に取り次いでもらったのもそのためなんですよ。事件が起きてから動くなら刑事課でいいんですから、未然に防げたら、刑事課なんていらないんだから。防犯課の仕事のほうが大事ですよ」 「そうか、防犯課の仕事のほうが大事か。わかった」 「それで、兵庫県警に被害届を出した時点で、警視庁も動いてほしいんですけど」 「それまでは、動くなっていうのか。それも問題だな。せっかくやる気になったのに」 「『内定調査』程度にしておいてください。俺のほうでも、電話で確認したりしますから」 「わかった。内定調査な。それならいいんだな」 「はい、事前調査程度なら」 【9】 ドロ目男からの、次の電話は 「警察に連絡したんですか。困ったもんですね」というものだった。 「『困ったもんだ』という言葉は、そのまま返すよ」 ドロ目男は怒ってるんだろうか。語気は荒くならず、相変わらずゲロゲロ話す。 「あなた、頭おかしいんじゃないの」と言うので 「それも、そのまま返すよ。今後を楽しみにしてな」と言った。 「なんで警察なんか入れるのかなぁ」 「あなたがやってることは、威力業務妨害っていう刑法犯罪なんだよ」 「なんで犯罪になるのかなぁ。犯罪じゃないんだよ」 ドロ目男は、笑いながら言っていた。 「自分で勝手に決めないで、法に従ったほうがいいぞ」 【10】 ある日、1号機の最初の担当者から電話があった。奴もドロ目男と同じ会社だからなと警戒して聞いていると 「ヤマザキさん、がんばってください」と言うではないか。 「え?頑張るって、仕事のこと?」 「いえ、うちの人間ともめてるって聞いたもんで」 もめてるのに、俺にわざわざ電話してきて『がんばれ』か… 「がんばっていいのか。こっちは、つぶしてやるって思ってるんだぞ」 「ぜひ、思い切ってやってください」 「同じ会社の先輩を守らないのか」 「僕も、いやみ言われていじめられてたんですよ。結婚しないのかとか言われて」 「まだ29歳だろ。結婚しなくて悪いのかよって感じだな。田舎の年よりみたいだな」 「ほんと、いやになってたんですよ」 【11】 どうやら、ドロ目男は、自分より年下に人間には強くて、いじめたがる性格のようだな。 1号機の最初の担当者には 「まかせとけとは言えないけど、俺を応援してくれて心強いよ。やるだけのことはやってみる」 「それでけっこうです。がんばってください」 「うん。でも、俺とこういう話をしたってことは、奴にも周りにも黙ってたほうがいいぞ。陰ながら応援してくれるだけで十分だから」 「わかりました。陰ながら応援してます。やっつけてやってください」 「わかった。それで今の現場は順調かい?」 「ええ、問題もなく、順調です」 「それはよかった。まず、仕事でとトラブらいのが一番だよ。今後、奴のことで、俺に電話してこないほうがいいぞ。ばれると面倒だから」 「わかりました。では、失礼します」 【12】 警視庁に連絡する前、ドロ目男ともう一人が、俺の会社に行っていることを聞いていた。会社の所属課長が電話してきた。 どんな様子だったか聞いてみた。 「うーん、事務係長と一緒に来てたな」 「営業活動とか、あいさつ回りって感じはしましたか?」 「いいや…おまえのことを聞きに来てたって感じだったな」 ほう、事務屋を手下にして、俺の身辺調査か。 こっちもそれとなく調べるか奴のことを。特に性格について知りたかった。心理戦になれば、相手の性格を把握しておく必要があるだろうな。 警察は、あくまでバックアップ、保険のように用意しておいて、自分でなんとかしてみたくなった。 なんとかなるだろう。ひとりつぶすか、その性格をなおすくらいはできるだろう。 【13】 ドロ目男の会社に、こちらから電話したこともあった。ドロ目男と行動を共にしている事務係長のことも知りたかった。 最初に電話に出た総務の女の子らしい子は、こちらの名前を言うと、態度を一変させた。つっけんどんというより、怒ったような対応だった。たぶん、ドロ目男から言われてるな。俺から電話が来たら、まともな対応するなと。 それでも、こちらは怒ることもなく、事務係長に取り次いでもらうようたのんだ。 事務係長は、俺からの電話ということでかなり警戒しているようだった。 「なんだ、あんたは。なんのようだ」 と、冷たい対応だね。 会社にかかった電話に対応する態度じゃないと思うけどね。そういうやくざ会社なのかと勘違いしてしまいそうだった。 ただ、総務女子も、事務係長も、声の感じから普通の人たちなんだろうと想像できた。 【14】 ドロ目男の自宅の電話番号も聞いていたから、奥さんとも話しておこうかと電話した。 以前にご主人と、同じ現場になったものだけど、いたずら電話のようなことでいじめられていると話した。 「ご主人とは、対決ということになると思うけど、結果によっては奥さんにも迷惑がかかるかもしれないから」 「どうも、ご迷惑かけてすいませんでした」 ちょっと暗い感じのする声だったが、素直にこちらの言うことも受け入れてくれた。 逆に奥さんに言われたことは 「よろしくお願いします」だった。 こちらでも、俺は応援されたということか。 ドロ目男は、子供を撮った写真も会社でプリントしたいたそうで、奥さんはそれもいやでやめてほしいと言っていたそうだ。 個人的な写真のプリントまで、会社の金でやってたのか。せこくて汚いやつだな。 【15】 警視庁が動いたようだ。警察署の担当者から電話があった。 「おう、相手の会社に行ってきたぞ。どの電話使ってたんだとか聞いてな、電話機の写真も撮ってきたぞ。証拠だからな」 なんか、誇らし気に話していた。 「そうですか。ありがとうございます。これで、警察は本気なんだと、本人も会社の人間も思ったでしょう。ありがとうございました」 「いやいや、職務だからな。礼はいいんだよ。それより、今後どうする?逮捕するか」 「いや、兵庫県警に被害届を出した後でいいですよ。それがゴーサインになりますね。それまで、俺にも対応させてください。ちょっと考えてることがあるんで」 「なにか考えてるのか。残念だな。こっちも『仕事』したかったんだけどな」 「そういう状況になったら、よろしくお願いします」 【16】 事務係長と総務の女子は、ドロ目男の仲間とみていいだろうな。同じ会社に所属するからという理由で、俺に冷たく当たるというのはおかしいな。やはり、ドロ目男に誘導されている、脅されているとみるべきだろうな。 ドロ目男が、俺の悪口を言って、あんな奴となかよくしちゃだめだ、たたいてやれなどと言っているのかもしれない。 事務係長と総務女子を、ドロ目男から離してやれればいいな。距離ではなくて、ドロ目男の味方をやめさせるということができれば、ドロ目男を孤立させることができる。いたずら電話のようなことをするような男だ。孤立しても、一人で立っていられるとは思えない。 事務係長も総務女子も、声の感じからして、ほんとは普通の素直な子という印象を受けた。そうだ、普通に会社で仕事をする人に戻してやればいいんだ。今は、ドロ目男に洗脳されているだけなんだから。 【17】 ドロ目男の会社に電話すると、いつもの総務女子がでた、電話応対係なんだろう。俺の名前を名乗ると、急に不機嫌な態度になった。しかたない、あとで何とかしよう。事務係長と変わってもらった。 事務係長は、俺から名指しの電話だと知って、驚いているようだった。 「なんの用なんだ?」と戸惑っているようだった。 「あいつは、そばにいるのか?」 「いや、いない。外へ出てるようだけど」 「それじゃ、いい。話しやすい。この間、警察が来たろう」 「来た」 「あいつを威力妨害で告訴する予定でいる。あんたも共犯でいいんだな」 「…」 「警察沙汰になるってことだぞ。黙っていて、一緒に逮捕されたいのか」 【18】 「俺も逮捕されるのか」 「今のままではな。共犯ということになるだろうな。威力業務妨害という軽微な解放犯罪だけど、いい歳して悪いことするのか。子供もかわいそうだぞ。父親が前科者になるってことは」 「なんとかならないのか」 「いまさらと言う感じもするけど、なんとかしたいのか」 「なんとかしたい」 「その前に、普通の事務作業に専念したらどうだ。それとも、椅子に座ってする仕事が苦手なのか。仕事に専念していたら、あいつに加担する余裕なんてないはずだぞ」 「いや、椅子に座ってする作業は苦ではないんだけど…実は、仕事も溜まってるし」 「そうだろ。俺から見ると、いすに座りっぱなしの仕事って苦痛だけど、向いてる人もいるんだな」 【19】 「俺はこれからどうしたらいいんだ」 事務係長は、震える声で聞いてきた。思った通り、もともとまじめな人なんだろうな。 「そう、これからな。これまでしてきたことはどうにもならないもんな。これからできることは、あいつを無視することだよ」 「無視?できるかな」 「できるよ。自分の机に向かって『仕事があるから』って言えばいいだけだ。それは、ただの通常業務だろ。それができないなら、会社も辞めて転職したほうがいいな」 「転職はするつもりはないな」 「だったら、あいつから話しかけられても、仕事を続けて、無視すればいい。なんども言うけど、事務職の人間が正しい通常業務をするだけだぞ。できるだろ」 「できそうだ。それだけでいいのか」 「それだけでいいよ。それで2・3日様子を見る」 【20】 次は総務女子につないでもらった。 「私になんの用ですか?」 相変わらず不機嫌そうだ。 「今、事務係長と話がついた。これからは、あいつのこと無視してくれるか。そうしないと、自分が孤立するよ」 と、一気にまくしたてた。 「無視するって…」 「うん、言葉で拒絶するのはむずかしいだろ。だから、あいつが話しかけてきたら、サッと立ち上がって、女子トイレか給湯室に逃げ込めばいい。いい?サッと立つんだよ。おばさんみたいに『どっこいしょ』なんて言ってちゃだめだよ」 すると、女子は笑った。 「ふふふ」 「色っぽい笑い方するね。いいよ。怖がらなくていいから、ゲームのつもりで逃げるんだよ」 【21】 事務係長と総務女子が、ドロ目男を無視したら、周りの人間も追従するかもしれない。いままで、人の弱いところをいじめて上位に立とうとしてきた罰だ。会社の中で孤立するだろう。孤立して、静かになって、通常業務をして、普通の交際ができるようになれば、それはそれでいい。できなければ、会社に居づらくなるだろう。 奥さんに、もう一度電話しておこう。 「奥さん、旦那さんは、俺のために会社をやめることになるかもしれません。最悪の場合ね」 「すみません。ご迷惑をおかけしまして」 「いえ、それより、だんなさんが会社を辞めて、生活していくのがたいへんになると気になったんですよ」 「しかたのないことだと思います」 「そこまで、割り切ってくれているなら、こちらも、思いっきりやらせてもらいますよ」 【22】 「思いっきりやってください。お願いします」 お願いしますと言われると、応援されているような気がした。 「生活が変わることも覚悟しておいてください」 「…わたし、離婚しようと思ってるんです」 その決断は今回のことだけじゃなくて、積もり積もった不満から来てるんだろうな。 「…大人の男と女の関係なんで、なんとも言いませんけど、その後の生活に不安はないんですか?」 「なんとかなるって思ってます」 静かな声に強い意志を感じた。 「そこまで、強い決意なら、止めはしません。頑張ってください」 「ヤマザキさんみたいな人と結婚すればよかった」 こちらが、急に暗くさびしい気持ちになった。 「…なんともいえません。ごめんなさい」 【23】 ドロ目男から電話がかかってきた。 「あなた、家にも電話したのか?」 「したよ。奥さんが心配だから」 「なんて言ったんだ」 「それは、教えられない」 「教えられないだとぉ。係長と女の子にはなんて言ったんだ」 「それも教えられない」 「なんだとぉ」 孤立状態になって、気落ちしておとなしくなるタイプじゃないな。荒れるタイプか。 「奥さんに暴力ふるったんじゃないだろうな」 「あんたに関係ないだろ」 「やったのか。離婚決定だな」 「あんたが悪いんだぞ。こんなことになって」 「怒りをぶつけるのはじょうずだな。でも、自業自得だって気がつかないのか」 「なんだとぉ」 【24】 2日程たって、事務係長から電話があった。めずらしいな。 「たいへんなんだ。あいつが暴れてる。どうしたらいいんだ」 「暴れてるって、会社の中でひとりで椅子でも振り上げてるのか?」 「そんな感じだ。どうすればいい?」 「会社の人間で止める人はいないのか」 「それが、いないんだ」 みんなおとなしいんだろうか。それとも、そんな人間に関わりたくないと思ってるんだろうか。 「ずっと上のに人間はどうだ。社長はどうせお飾りだろうから使えないとして、部長か取締役に武闘派はいないのか」 「いる。一人だけいる」 「その人に直接連絡しろ。非常事態だから助けてくれって」 「わかった。やってみる」 【25】 翌日、相手会社の常務という人から電話があった。 「このたびは、たいへんご迷惑をおかけしました」 「どうですか。解決しましたか」 「ええ、事務係長から連絡があって、私が来た時にも暴れてました。一発ぶん殴ってやったら、おとなしくなりましたけどね」 「そうですか。荒療治しましたね。しかし、一発でおとなしくなりましたか」 「そうなんですよ。根性がないんですね。一発で決まりましたから」 「常務の威厳とパワーでしょうね。そういう方がいてくれて助かりました」 「いえ、私も現場上がりですからね。負けていられないですよ」 「これで、一件落着ということにしたいと思います。ありがとうございました」 「いえ、こちらこそ、お手間取らせました」 【26】 「ところで、ヤマザキさん、あいつの処遇なんですけど、クビにしたほうがいいですかね」 「どうでしょう。それは、そちらの会社におまかせしますが、クビはちょっときつすぎのような気がしますね」 「でもね、会社に損害を与えるような者を置いとくわけにはいきませんね」 「それじゃ、千葉の袖ケ浦に重機ヤードがあるでしょう。あそこへ送ったらどうですか」 「それもいいですね」 「会社の電話を受信専用にして、ピンクの電話でも置いておけばいいですよ」 「そうしますか」 「そこでしばらく頭を冷やして、もとに戻れるようなら、もどしてあげればいいじゃないですか」 「もとに戻れるようになりますかね」 「それは、そちらの判断にお任せします。私のほうでは、すみましたので、おかげさまで」 【27】 「それと、ヤマザキさん、うちの総務の女の子が、ヤマザキさんを好きになってしまったようで、どうですかお付き合いしてみませんか」 常務さん、仲人気分かよ。電話だけで、好きになられたことは以前にもあったけど、「幻想」だと思ってるからね。 「いえいえ、その子には、ぐいぐいリードしてくれる強い男がいいと思いますよ。ボクは弱い男ですから、向いていないですね。せっかくですけど。おことわりしておきます」 「そうですか。それと、ヤマザキさん会社を辞める予定だとお聞きしてます。どうですか、うちの会社に入っていただけないですか」 「まだ、神戸に残って復興の仕事をしたいんですよ。そのお話も、せっかくのお話なんですけど、ご辞退させていただきます」 ある意味では、運命が変わるタイミングだったかもしれないが、二つとも遠慮・拒絶した。 【28】 警察関係に報告しなければならない。 まず、兵庫県警に電話して、終息したことを伝えた。 「そうかよかったな」 被害届も出さないことを伝えた。 警視庁にも電話した。無事終わったと伝えたら 「なあんだ、そうか。あいつを逮捕できると張り切ってたんだけどな」 公務員が張り切って仕事するのはいいことだけど、ことが無事に終わるのはもっといいことのはずだ。 「せっかく、動いてもらって、こちらも心強くなれたせいで、円満解決になったんだと思います。ありがとうございました。 「ま、よかったというべきかな。また、なんかあったら電話くれ」 「はい、頼りにしています。また困ったことが起こったら、お願いします」 【29】 今回の事件を振り返って、ふと思ったことがある。俺は、現場事務所の電話で話してるだけで、どこにも出向かなかった。 しかし、いろんな人たちが動いてくれて、ことがうまく進んだ。「動かした」ではないだろう「動いてくれた」だと思う。 電話だけという、ある意味横着な行為でうまくいったのは、自慢ではないが、俺の声と話し方にもよるだろう。やさしくわかりやすい話し方に勤めてきたことがよかったのだと思われる。思いを声に乗せるということもしてきたかもしれない。 ドロ目男の犯罪者的な声と話し方と対極にある誠実な甘い声が武器になったのかもしれない。 どちらにしても、自分の思いは声に出やすいものなのだ。 魂は声に現れる。 (完)

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