砂菩に詠む月

2004/11/29(月)00:58

Pure-Jamsの11

小説(45)

BARロング・グットバイの店の美点の一つは、窓側のカウンター席だ。 この店は駅前ロータリーに面したビルの7階にあり、天井から床まで届く大きなガラスがはめ込まれていて、壁一面が大きな窓になっている。 夜になると 駅前の本屋や飲食店。パチンコ屋やスーパーマーケットのネオンと、遠くに見える団地の明かりが景色を彩る。。さらに遠くには、他の街の高層ビルの点滅灯や河に架かる橋のライト。それに住宅街の街灯が光の絨毯のように敷き詰められていてその様は、空気の澄んだ山の上から星空を見るようだ。 僕はその夜景がとても好きだ。  店内はカウンター7席と4人がけのテーブルが一つ。店の中央にハーフサイズのビリヤードテーブルが置いてある。パーティーのときなどは臨時のテーブルにも使われる。壁には古いジャズレコードジャケットやデイヴィット・ホックニーのポスターと、ダーツ板が掛けてある。 僕も時々ダーツを投げたりする。この店では上手いほうだ。 カウンターで、杏と僕はまだ話を続けていた。 「その名前知ってるよ。僕の彼女だった」僕は過去形で言った。 「えー! なんかスゴイ。初めて遇ったお客さんが、友達の元カレなんてすごい偶然ですねー」杏は体を仰け反らせる。 「僕も驚いたよ」 「奇遇ですねー」 「まだ彼女と連絡取ったりしてるの?」 「いえ、もう3年かな会ってないんです。電話も番号が変わっちゃって連絡取れないんです」 「そう」 「会いたいんですか?」 「まあね、好きだったから」 「何で別れちゃったんですか?」杏は訊きにくいことをあっさりと言う。 「僕が彼女を守ってやれなかったからだよ。色々あってね」 カランとドアのカウベルが鳴る。 「いらっしゃいませー」 一組のカップル客が入ってきて窓際のカウンターに座る。杏はおしぼりとメニューを持ってカウンターから出て行った。 「マスター。偶然てのは恐ろしいね」 「そうでもないさ。世の中なんてみんな偶然で出来ているんだよ」グラスを磨きながらマスターが答える 「そういうものかな?」 「そういうものだよ」 もう少し飲みたかったが、時計は12時を回っていた。僕は勘定を済ませて店を出た。 33歳の9月の中ごろ僕は彼女に手紙を書いた。僕はこの手紙を例のコンビニエンスストアーの店長に頼んで彼女に送ってもらう事にした。 それが唯一僕から彼女への連絡方法だったからだ。 文面はこうだ。 こんにちは、この間 池袋のコンビニエンスストアーで君を見かけました。僕はどうしても君に謝っておきたかったのでこの手紙を書きました。 君が「もう何も考えられなくなったの」と電話をくれたときの事です。 あの時僕は、君の所へすぐに行くべきでした。そしてもっと良く話し合うべきでした。そうすれば何か解決の方法が見つかったと思うのです。でも僕は君の所に行かなかった。 それが今でも悔やまれて仕方がありません。本当にすまなかったと思っています。 僕は君を守りたいと思っていました。なのに何も出来なかった、いやしなかった。 別れの電話の時君は泣きながら、ごめんなさいと言っていましたね。 謝らなければならないのは僕のほうだったのに。君と別れてから、僕は君を本当に愛していた事にやっと気づきました。 僕は君を守るべきだったのです。本当にすみませんでした。 ごめんなさい。もう僕の事は必要ないかもしれませんが、どうしてもこの事が言いたかったのです。どうか元気で居てください。今はそれだけが僕ののぞみです。 追伸 僕の電話もメールアドレスも変わっていません。もし僕が必要になったらいつでも連絡ください。 店を訪れ店長に事の次第を話し、どうしても彼女に届けなくてはならないのでよろしく頼みますと言うと。快く引き受けてくれた。僕は丁重に礼を行って店を後にした。 僕は久しぶりに渋谷の街に来た。彼女に手紙を書いた事で少しすっきりしたからか、前に彼女とデートした道筋を追って、思い出をトーレスしてみたくなったのだ。 ハチ公口を出ると相変わらずの人の多さだ。交番裏で2人組の男の子がフォークゲリラのような事をやっていた。 交差点をわたって109へ、良くここでウインドウショッピングをした。 文化村通りを横切りセンター街へ入る。人込みに思はず怯んでしまうのはいつまでたっても直らない癖だ。 どこかの喫茶店でお茶をしたり、ゲームセンターでUFOキャッチャーをした。 僕はへたくそで、ぬいぐるみを取るのはいつも彼女だった。 坂を上って東急ハンズに入る。一通り冷やかしてからハンズを出てパルコの前を通り公園通りに出る。 それを横切り、また坂を下って宮下公園へ行く。公園を駅の方へ抜けて東急デパートに着く。そしてプラネタリウムに行ったものだった。 いつも彼女が先に歩いて、後からアヒルみたいについていくばかりの僕にしては、今日は良く一人で歩けたものだ。 こうして歩いてみると、僕にとって彼女の存在が どれほど大きかったか解る。 一人で居ると、この街は 僕には巨大な怪獣の腹の中を歩いているみたいだった。 日曜日だから人出はかなり多いのだが、僕の胸には寂寥感がよぎる。 なんだか思い出を確かめるより、寂しさを確認しに来たみたいになってしまった。 慣れない事をするもんじゃないなと思う。 僕は逃げ出すようにして駅に駆け込んだ。山手線の緑色を見てやっと心が落ち着いた。 後は家路を辿ればいいだけだ。 10月に入って思いがけず彼女からの返事が来た。住所は書いていなかった。 僕は封を切った。

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