2011/05/10(火)22:03
悪しき群れ意識
政治の基本は、まず何よりも「崇高な理念」」、そして「権力=(圧力)」と「敬(うやま)い=(尊敬)」じゃないかと思う。
しかし、多くの政治家は圧力だけで政治をして、やがて"特権意識"を芽生えさせる。 過日、災害現場で懸命に働く自衛隊を「暴力装置」などと罵倒した仙石議員や、かつて、血税から秘書給与をチョロまかした辻本議員がよい例だ。(何様?)
圧力で政治を振り回すと確かに手っ取り早いが、優先されるのは権力維持の党意と党略のみ。 つまりは国民の意思はまったく反映されないということだ。 今の与党議員たちを感じてしまう。 党に紛れ、党という権力の「群れ」に依存する連中で、個々には理想や信念は持ち合わせない。
人は、本来「群れる動物=(群れ社会の生き物)」だ。 群れは、人間が生きて行くうえでの寄り所になっている。
人にとって群れるということは、ほぼ生存本能に等しいものなんだと思う。 確かに人は、遠い昔から群れることで生き長らえ、文明を築いてきた。 その頃の「群れ」の記憶は、生存にも直結していたから、人の本能に刻みつけられているのだろう。
例えば、異なる民族でも、個々に付き合えば理解し合い仲良くできたとしても、部族単位や民族単位となれば、たちまち群れの論理に呑み込まれ、個人の心は葬られてしまう。 成って憎しみ合う。 本能的に、自分たちの「利」を守ろうとするのは、太古の「群れの記憶」じゃないかと思う。
日本の政治は「群れ」で「利」をもたらすから、政治信条なんかは二の次。 同時に、政府と国民はまるで別の民族として扱われているように感じるんだ。 常に強者の論理で、負担やしわ寄せは常に庶民... 少なくとも民主党は、自分たちの群れが手にした特権構造を変えるつもりはないようだ。
3月11日に、東北地方太平洋沖地震がもたらした災害は一日。 だけど、その後に起きた混乱と、多くの不安と国際的信用の失墜は、「党」という群れの政治と、権力に寄りかかる企業がもたらした人災に他ならない。
災害対応の最中に、消防士を恫喝したり、自分の釣舟をミニバイクで引っ張って釣を楽しんだ長島議員や、フィリピン訪問のついでにゴルフしたような石井議員ってどうなんだ? 特権意識に酔いしれた群れの一員としかいいようがない。
何故辞めない? 何故こんな輩が当選する? そもそも、同じ日本の空気を吸う資格はあるのだろうか?