ないものねだり

2011/08/16(火)22:02

送り火に思う...

砂的つぶやき(73)

火は、高熱と発光を伴う物質の燃焼と定義され、激しい酸化現象であり、 熱や光とともに色んな化学物質をつくり出す。 とまぁ、化学的にいえばこんな感じなんだけど、この日本においては、 火は化学的一面だけで言い尽くせないものがある。 生命は、しばしば火に喩えられるし、火もまた生命の象徴や喩えとなる。 炎がめらめらと美しいように、人のも営みもまた美しく躍動動する。 そして炎が消えることが、観念的に人の死を連想させるんだよね。 思想と精神文化から火を考えると、例えば紀元前6世紀のヘラクレイトスは、 火をこの世界の根源に位置づけて、人の魂を神的な火とみなした。 紀元前3世紀のアリストテレスは、火、空気、水、土を四元素としたし、 洋の東西を問わず火は常に神格化されて畏敬の対象だった。 拝火教とも呼ばれるゾロアスター教は、火そのものを信仰する宗教だったとか。 古代インド神話に登場するものでは、アグニ(火神)がよく知られている。 奈良東大寺 二月堂のお水取りの御松明、那智大社の勇壮な火祭り、仏壇の灯明、 夏の花火、燈篭流しと、邪気を祓うとか、弔いとか、火に関しては色々あるけど、 お盆の最後に灯される、京都 五山の送り火が有名な例だね。 送り火(おくりび)とは、お盆の行事の一つで、お盆に帰ってきた祖先の魂を、 再び現世からあの世へと見送る行事だ。  家の玄関先や庭先で行うものから、地域社会の行事で行われるものまで様々。 大規模なものは、大きく分けて山の送り火と海の送り火の二つがある。 送り火は、仏教が浸透した室町以降に庶民にも定着したといわれている。 山の送り火では、京都五山の送り火や奈良の高円山大文字の送り火が有名だね。 海の送り火は、各地で行われる灯籠流しがある。 この夏、五山の送り火については論争が起きたね。  京都市民が、自分や家族の安全に関して神経を尖らせる気持ちは理解できるけど、 被災地で愛する人を失い、あれほど傷ついた人の気持ちを汲んだのだろうか... 遅々として進展しない原発問題は、日本人同士の心にも垣根をつくる。 日本は、先の戦争で原爆を含め、爆撃で多くの街が破壊され大勢が犠牲となった。 爆撃の被害を直接受けなかった千年の古都の人たちにも、そんな人の痛みや悲しみは、 容易に理解できると信じていたから。 勿論、京都の人たちの反応を批判することは誰にもできないし、 責める気持ちもないけど、砂は哀しいことだと思ったよ... 火は、物理的にも人類になくてはならないものだと思う。 そして、いつの時代にも、火は人の思考文化の中で重要な位置を占めてきた。 だけど、"戦火"という火だけは、この地上から絶やしたいと思う。 昨日の日暮れに送り火を焚いて、祖父が好きだった線香花火で見送りながら、 ふと、そんなことを考えていた...

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