3姉妹とわたし。

2013/01/18(金)20:35

1日の過ごし方を見直す。

健康(26)

 久しぶりの更新です。うわぁー 気付けば以前の更新から1週間以上経っていた(;一_一)  正月明けから耳の閉塞感が有りました。お正月に買ったこの本を参考に「作りたいものリスト」「やりたいことリスト」を作った翌日13日のこと。トランポリンの上を歩いているような感覚がずっと続き,気持ち悪くなりました。耳も痛くて閉塞感が増して。座っているのもしんどくて,連休最終日の14日,立っていられなくてずっと家事以外横になっていました。そして一昨日耳鼻科へ行ってきました。いくつか検査をうけて,メニエール病の一歩手前って言われました。一歩手前って・・・原因はストレスと疲れ,睡眠不足なんだとかー。 自分では元気に過ごしていたつもりだったので驚きました。正月,実家に行った時,実母に「そろそろお義母さんの亡くなった後の疲れが出る頃だから気を付けててよ。」と言われていたことも思い出し,あぁこのことかと思いました。 冬の天気(低気圧)も 関係し,症状を強くしているんだそうです。左耳の中に水膨れの状態になった内リンパ水腫ができてて,内耳の圧力が高まると,その影響でめまいや難聴が起こるらしいです。とくに夫の声,子どもたちの声が 最近聞こえづらくて何度も聞き返すことが多かったんです。カツゼツが悪いんだなぁと思ってたら,左耳低音部の聴力が悪くなってました。原因はこれだったんだー。この水腫が大きくならないように体の水分の流れをよくするお薬, 血行がよくなるお薬・・・3種類を1週間分もらってきました。お薬を飲んで,できるだけ負担のない生活を送れば 症状が改善されるとのこと。  昨秋義母が亡くなってから,新しい生活リズムで 滞りなく毎日を送っていました。自覚がなかったけど,知らず知らずのうちにこの新しいリズムが負担になってたのかなと今振り返ってみて思います。義母が入院中は,前もって2階キッチンで食事を作って義父のところへ持参してました。週3回のそろばんをはじめ習い事の送迎がほぼ毎日あり,もともと時間が合わなかったので,別々に食事を摂ってたのです。 義母が亡くなってからは 義父が寂しい思いをしないように,ボケないようにとのことから,(入院と死去では寂しさが全然違いますから)一緒に食事をするように。もちろん準備も1階のキッチン。話好きな義父なので家族との食事は楽しみなようです。 わが家は 朝6時20分朝食。 夕食は義父のリズムに合わせ,6時すぎに子どもたちと私,義父で。義父の朝食はごはん党,子どもたちと夫はパン党。義父の夕食にはお魚が必須。鶏肉,カレーライスは食べられない。。。。子どもたちのメニューと別々のものを作ることもありメニューを考えるのも決して楽じゃなくって。1階には食洗機がないので,5人分をすべて手洗い。(あたりまえっていえばあたりまえだけど,食洗機に慣れていたので面倒。。。かと言っていちいち2階へ食器を運ぶ方が洗うより手間です)食事の準備の合間と食事の後に次女の習い事のお迎え。次女が習い事から帰ってきたら,夫が帰宅してまた夕食を出して・・・・。月~土まで全て埋まっている次女の習い事を減らそうかという話を次女に話してみましたが,本人は首を縦に振らなくて。こんな状態なので,三女とゆっくり過ごす時間もほとんど持てず,それもまたもどかしい。 実家は遠くて頼れないし,時間を工夫して家族に協力して毎日を乗り越えていくしかないです。早朝から負担をかけないようにしようという夫の提案で 昨日から朝食は1階と2階で別々に摂ることにしました。義母が入院中と同じように,前日お義父さんの朝食を準備して,片付けは自分でしてもらうようお願いしました。また,私の体調が戻るまで,朝食の片付けは次女が,夕食の片付けを長女がやってくれることになりました。冬になると,夫も私も通勤に時間がかかるので,もっと便利なところに引っ越したいと毎年つくづく思う私。。。嘆いてもしょうがないので,置かれたところでがんばるしかないです。今は 娘に甘えて 体調を元に戻します。  日照時間の少ないこの冬に 欲しい目覚まし時計↓↓↓↓↓

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