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カテゴリ:自分
「生まれ変わったら何になりたいですか」との本の文中の問いに私は「白い牡丹の花になりたいです」と心の中で答えた事がある。
家に帰っても居場所もなく、かといって学校に行けば居場所どころか針のムシロだったあの頃、私の友達と呼べる物は「本」が中心だが、四季折々の自然は私の中に自然と力を与えてくれたと思う。 思い出の花の一つに「白い牡丹」がある。 実家の庭に咲いていた白い牡丹。 その季節になると、私は飽きもせずに牡丹を眺めていたものだ。 雨風に負けず、厳寒の寒さを乗り越え、必ず毎年大輪の花を咲かせる牡丹。 何物にも染まらずに毎年自分の花の白色を守って大輪の花を咲かせる牡丹。 普段は目立たない草木なのに、春になると急に降って沸いたように自らの存在を大輪の花で主張する牡丹。 今思えば、私は踏まれて枯れていく寸前の雑草のような物だったと思う。 それ故に大きな大輪の自らの主張を、周囲の花を色褪せさせるような花を咲かせる牡丹が羨ましかったのだ。 いつかあの牡丹のように人を見返したい・・・ たった一瞬でいいから、大きく自分を見せたい。 そんな風に思った事もある。 話は少し変わる。 最近、いじめのニュースや特集が一時期に比べて減ったなと思う。 だが、いじめは減少傾向にあるなどと喜ぶほどお人よしではない。 むしろ、世間の注目が逸れてしまっている現状を不安、残念と言うべきか。 何度も言うが、いじめられる側にも問題があるというが、問題があるからいじめてよいのかと。 死んだ人間が弱いというが、人それぞれに許容量というのがある。その許容量が少ないから死んだ人を非難してよいのかと思う。 先日撮影した2枚の写真。 並んで咲いていた赤と白の牡丹。 対照的な色である。 お互いが自らを主張しつつ、お互いの存在を引き立てあっていた。 白があって赤があって・・・いいじゃないかと思う。 私は生まれ変わったら白の牡丹になりたかった時期がありました。 何物にも負けない白。 潔白の白。 大輪の花を咲かせて何時の間にか消えていく。 そんな牡丹に憧れていた時期がありましたとさ。 2007.5月 長野県鬼無里(きなさ)にて撮影 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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